第1話 校歌に導かれて、二人は出会ったとさ
それは、研究に必要な材料の買い出しに久しぶりに、町へ降りたときのことだった。書いてきたメモにあるものはすべて買い揃え、もう用がないので帰宅しようとしたとき、その歌がどこからともなく聞こえてきた。昔は否が応でも、聞き歌わされていた曲に似ているけれど、そのメロディーも歌詞も記憶にあるものと全く同じものではなかったが、とてもよく似ていた。懐かしい歌声だった。もう二度と、聞くことがないと思っていたメロディーに、長年の研究が成功した時のような高揚感をおぼえた。
「校歌。地球の世界のものなのに、どうして異世界にあるんだ。いったい誰が」
長いコンパスを、開き歩を進め進める。息を吸う音、音程を気にするようなそぶりを見せる歌い方、曲のセレクトの割にはどこか必死さを押し込めたその歌声は、だんだん近づいていく。
焼き立ての小麦の匂いに誘われてパン屋を覗くように、その歌にいざなわれて普段の俺では到底足を踏み入れないだろう所まで来ている。
歌は最後のフレーズに差し掛かっているのか、歌詞を繰り返す。
目の前に広がるのは、路地裏の闇市。それも、人身売買や奴隷、禁忌扱いされている代物だったり、中毒性のある麻薬や毒物を主に販売している類のだ。
天上から降ってくるような歌。首を上に向けたところにその歌姫は鎮座していた。男ならまずはじめに見てしまう双丘は、とてつもなく飛んでいるわけでもなければ、とてつもなく貧相なものでもない。カフェオレ色の染めた髪は、肩よりほんの少しだけ長く、化粧気一つない顔は、小顔。すらりと伸びる手は、鍛えられていない細く白いもので、向こうの世界で生活していた故か傷一つない。短いスカートから惜しげもなく出された足は、細すぎず、太すぎない健康的な肉付けだ。
身にまとっている衣服は、今の向こうの世界ではやりなのかそれとも彼女の趣味なのか白と桃色を着ておりやわらかいイメージを作り出していた。
「ほぉ、やれば芸の一つや二つ出来るじゃないか。言葉が通じないのはあれだけど、なかなかいい拾い物じゃないか」
にやにやといやらしい表情を張り付けた小太りの男はそう口にした。「言葉が通じない」「むこうの歌を歌う」、この二つから彼女が向こうの世界と何らかのつながりがある存在だと推測することはそう難しくはなかった。
胸の奥底に封じ込めたはずの淡い郷愁が、むくむくと顔を出すが、期待すればするだけ期待が裏切られた時のショックが多いことはこっちの世界で数十年生きているのでさすがに学習している。
だから、期待半分興味半分で顔を突っ込んでもいいものか考える。彼女のいる場所から見て、売値をある程度想定する。まぁ、さっきの芸で価値が多少上がっていたとしても、俺の手持ちでどうにかなる値段だ。人を買うというのにやはり忌避感を感じてしまうが、仕方がない。言葉が通じないのは自作の魔道具でどうにかなるし、ちょうど助手のようなものも欲しかった。
彼女がほかの人間に買われる前に、がめつそうなおっさんに声をかける。
「なぁ、あいつはいくらだ」
「お、旦那。お目が高いですね。この辺ではめったに見られない毛並のいい……」
「あぁ~説明はいいや。値段を教えてくれないか。っていうか、あれどこで拾ったんだい?」
人を見定めるような目でじろじろと観察されるのはあまり好かない。牢の中の彼女が、今度は「ふるさと」という歌を歌い始める。言葉が通じずとも、商人や売り手の人たちの顔色からこうしていたほうが身の安全が少しは確保できると判断したのかもしれない。どうやら、頭は悪くはないようだ。
こっちの世界では、聞くことのないメロディー。ふるさと……俺にとっての故郷は、やはり向こうの世界。日本なのだと再認識させられる。向こうの世界からこっちの世界へ召喚され、勇者パーティーの一人として魔王討伐なんてテンプレてきなことをやって、ハーレム作ってなかなかいい―――男なら一度は味わいたい天国のような人生を大往生した。そして、いったいどうしてか死んだあとこの世界にもう一度生まれなおした。そう、前世の記憶つきで。
だから今の俺の容姿はこっちの世界の物だ。
前世のルックスは普通、平凡の物だったのに比べて今の器はなかなかの上ものだ。実際、独り立ちする前、つまり実家にいた時はかなりもてはやされていた。だが、悲しいかなカッコいい系ではなくかわいい系だというのが実家のメイドの言だ。そのせいで、なめられることはしばしばある。なので、普段は変身できる魔道具を使って、いる。ちなみに今日はランクCの冒険者を真似してみた。
いやぁ、もう前世で一度ハーレムは作ったし、今度は純愛を体験したいなとか思う。なんかもう、前世で好き放題欲望の限りを尽くしたせいで、今世は表舞台はいいやと思った。満たされたが故の余裕ってやつかもしれない。いやぁ、個性豊かなで美人な奥さんたちは、それはそれで大変なのだ。平等に愛するって結構難しいのだ。私だけを愛してという感情が暴走するとさらに大変な事態になる。
せっかく、生まれ変わったので今度は一筋で行きたい。そして、わずらわしい権力闘争の中にも網いたくない。前世で、英雄みたいな対場になった後爵位をもらって領地経営して現代知識フル活用して頑張ったから、今世は自由気ままにスローライフを味わうことに齢5歳にして決意、それから6年間は屋敷にある知識を吸収し、魔道具制作に打ち込んだ。実家が裕福だったから研究材料が高価でもどうにでもなるというわけではないので、自立も考えて魔道具無双をしながらお金を稼ぎ、そして新たな魔道具を作るということを繰り返し、つい数年前ようやく夢のスローライフを手に入れたところだ。
今日も、新たな魔道具作りに精を出し、足りないものを購入するためにめずらしく人里に下りてきたと思ったら、懐かしいものに出くわしたというわけだ。
「値段は、これくらいになりますかね。ですが、本日仕入れたばかりですので、まだ印を入れていないんです。こちらの不手際だとはわかっておりますので、首輪代は負けますよ。えぇ、明日印を付けたものを用意いたしますので……」
金貨30枚。ぼったくりとも思える値段だが、簡単に払える額だ。金貨一枚、向こうの世界で5万円といったところだろう。つまり、彼女につけられた価値は150万円。こちらの世界でも、その値段をほいっと渡せる人間はそうそういない。
「焼印は押すな。首輪も、こちらで用意するから、問題ない。金貨30枚だったな。これで問題ないだろう」
「え、あ、はい」
ゲーム風に言うのならアイテムポーチのようなウエストポーチから、金貨の袋を取り出し商人に手渡す。驚いたように見た後、瞬時に金貨の数を数える。表情がもう少し吹っかけておけばよかったといっている。収納鞄を持っている人間は、お金に余裕のある人間のみだ。
今日はたまたま、見える位置に魔道具を装備していなかったのが幸いして、値段が抑えられていたのだろう。
魔王と勇者の戦い。闇と光の戦い何てファンタジーなものではなかった。独裁者である悪逆の王と、それを見かねた亡命してきた王女とともに、王を倒す戦いだ。召喚されたのは、3人の勇者。メインとして戦う力を備えて呼ばれたのは俺ではなく、別のやつだ。そいつの名前は、この世界に知らない人はいないんじゃないかと思う。吟遊詩人が語る英雄譚に必ずその名が出てくるほどだ。そいつの名は、宮根 和彦っていう、お人よしというか、流されやすいっていうか優柔不純な奴だ。こっちの世界に来る前、そいつとどういう関係だって……まったく、かかわりがなかったね。クラスメイトとか幼馴染とかそういうのじゃなかったしな。そんで、もう一人は、女で魔法使いの才能を持っていた。名前は、伊原 仄。全く関係のない人間たちが集められたってわけだ。
ほとんど、伊原とカズが魔王群を討伐して、俺はただのサポート役だ。
俺は、どちらかというと魔王との戦争が終わった後に活躍したという感じだ。
その戦い自体は、武力を持って制することができた。勇者として俺が力を注ぐことになったのは、実をいうとこの後だったりする。
現代知識をフル活用し、内政を整え、ついでに向こうの文化をこっちに持ってきたりした。俺が、転生した今、とても過ごしやすいのは前世の俺たちが頑張った影響だろう。
俺の前世の名は、山羽 悠貴。
今世の名を、レイチェル・フラン・ソルシエール。