第15話 空から舞い降りた来訪者だとさ
大学が遠いので、毎日早起きしなきゃって鬼気迫ってましたから、こっちに来ても早起きしてしまいます。習慣ってやつでしょうね。ですが、今はその大学がとても遠い場所にあります。違う世界、いまだに本当の意味でそのことを実感しているのかと言われたら、首を縦に振るのに時間がかかるかもしれません。
「おはようございます、レイさん」
「あぁ、おはよう。朝ごはんは、今から作るよ」
台所に行くといつものようにエプロン姿のレイさんがいました。私、結構早起きだと思っていたのですが、レイさんはかなり早起きのようです。寝る時も、私より後に寝ているようだし、起きる時も私よりも早いようです。睡眠時間は、足りているのでしょうか。
見たところ、隈は見えませんが、この人なら魔法でちゃちゃっと証拠隠滅してしまいそうです。
レイさんは、この世界―――≪幻界≫と呼んでいるらしい。≪幻界≫に来てから、私はすでに一週間ほどたっています。レイさんに、異世界講義してもらいながら体力づくりをしています。魔道具の力を借りずに、塔から街まで往復できるように頑張っています。あとは、レイさんに鍛錬メニューを作ってもらいました。
「いつもありがとうございます。あ、飲み物入れますね」
最近では、生活用の魔道具の扱いくらいなら手慣れはじめました。こうして、自らお湯を沸かすことも、お茶を入れることもできるようになりました。この世界での茶葉というのがまた面白いのです。地球にある工藝茶に似ているのですが、こちらの茶葉は生花なのです。まだ蕾み状それが、コップの底と同じくらいの大きさの華が咲き花の中央からトロリとした甘い蜜が広がるって、甘くておいしいのです。
「いい香りだ。白桃花茶だな」
「正解です。よくわかりましたね」
「まぁ、茶葉をそろえたの俺だしね。でも、本当に甘いお茶気に入っているね」
「えぇ。甘いのは好きです。こう心の中がほっとします」
レイさんが、焼いたパンはどれもふんわりもっちりとしていて食べ応えがあります。どうやら、レイさんは、朝はパン派のようです。私は、お米派なんですけど、レイさんのパンがとってもおいしいので、すっかり食生活リズムがレイさんに影響されてしまっています。
鳥の鳴き声、水の流れる音、波の音……私の実家も相当な田舎だとは思っていましたけど、ここには排気ガスの匂いも、車の走る音もしない静かな場所です。一週間前はあんなに、日本の世界とつながりが途絶えたことを悔やんで悲しんで恐怖していましたが、結局そんなことをうだうだ考えているままでは前に進めないということがわかりました。レイさんの胸で、大泣きしてすっきりしたのかもしれません。この世界には、メールとかチャットとかSNSがないので、すぐに返信しなければとか、話題について行けないような想いとかしなくて済むと考えれば、いい世界かもしれません。結構一人が好きなので、ああいうの疲れるんですよね。性に合わないというか。
人間三日たてば、結構順応できてしまうものですね。それとも、私だけですか?
まぁ
一つ分かっているのは、今の私の精神バランスはかなりレイさんがいることで安定しているということです。レイさんは、とても私によくしてくれます。少し気味が悪くなるくらいに、良くしてくれます。向こうの世界だったら正直引いていて近づかなかったかもしれません。ちょい、おまえ親切にしてやっている人間になんてこと思っているんだよって我ながらつっこみしたいところですが、無償やら無料ほど怖いものがありませんからね。
「今日は、食事の後、模擬戦してみようか」
「はい、よろしくお願いしま」
私が最後まで言い切る前に、バサバサッと空を切り裂くような音が、鳥が空からら地上に降り立つような翼の音がした。窓ガラスが、ビリビリと震える。割れてしまうのではとびくつく私に、「この家はがけが崩れて海に流されても壊れないから」とあっけからんとした口調でいう。
「な、何が……」
「あぁ、心配するな。この羽音は、姉弟子のユリア姉さんの騎獣だ」
その言葉が最後まで言い終わらないうちに、甲高い女の人の驚愕の声が聞こえた。それから、ずかずかと遠慮のない足音で、トントンというよりドンドンに近い音でお菓子の家をたたきます。
はて、ユニコーンってファンタジーに出てくるやつと同じものなのかしら? よく、物語の挿絵にあるその姿をまぶたの裏に描く。白い体躯に金色の髪を持つ、馬に羽が生えたような存在。本当にこの世界は、私を飽きさせない。今まで読んだ物語なんて目ではない。だって、空に川が流れていたり、空に島が浮いていたりするのが当たり前、魔法や魔道具といった摩訶不思議道具が、ある世界。
騎獣……そういえば、この前のレイさんの異世界講義の中にそういう存在がいるということを聞きましたね。確か、羽があったり飛行能力があるもの、あるいは疾走スピードが桁はずれていたり、海中を泳げる生き物と一種の主従の契約を結んで、車とか飛行機代わりに利用するとか。
この世界の交通網は、あまり整っていないのだとか。長距離移動は、三日に一本で主要都市にしかない電車もどきを利用するしかないのだとか。そのためほとんどの住民が、自分の街で一生を終えたり行っても隣の街とか近くの大きな町くらいで終わるとか。世界が狭いそうです。
タップ一つで世界とつながれていた向こうの世界とは大違いです。でも、この世界にはこの世界の発展の仕方があるので、あまり向こうの知識を過剰に持ち込むのはよくないんだと、ちょっと複雑そうな顔をして教えてくれました。よくある異世界の知識フル活用で異世界でチートになったり無双になったりが、できるとおもったのですけど、どうやら前にそういうことをやった人がいたせいで、私はできそうにないのだとか。ちょっと悲しいですね。
この世界で私が生きていたという証をどこかに残したいと思うのはわがままでしょうか?
パチン、レイさんが指を一つならすと、玄関のドアがパタンと見えない力で空きます。
「ちょっ、こんなことするの絶対レイでしょう! 全く、あんた今度は何ちゅうもん作ったのよ! まったく、邪魔するわよ。これ、王宮の城塞並の結界じゃない」
「ユリア姉さん、靴はちゃんと脱いでくださいね」
困ったというように、首をかしげながら、≪念力≫でスリッパを多分姉弟子さんの足元にひょいと用意しているのでしょうね。この部屋から、目に言えないけれどありありと想像できます。それにしても、レイさんの造ったものは、どれもすさまじい威力だとは思ってはいましたが、口調から鑑みるにこちらの世界の住人でさえレイさんの作品には一目するものがあるのですね。
スリッパをちゃんとはいてくれたのかぺったんぺっという足音が、近づいてくる。レイさんの姉弟子さんってどんな人なのかな。
「はぁ、毎度のことながらあんたのやることは!」
お客さん扱いで、いいのかな。とりあえずお茶を入れた方がいいのでしょうか。
怒っているようで呆れているような感情が混ざり合った声は、リビングの扉を開いたところで止まった。
「ユリア姉さん、お帰りなさい。半年ぶりになりますね」
レイさんが、腰まであるサファイアのウェーブのかかった髪に、マリーンブルーの瞳にメガネをかけた妙齢の女性―――ではなく日本で言う小学高学年くらいの身長の(超厚底の靴を履いた)美少女を迎え入れます。
この方が、レイさんの姉弟子なのでしょうか。見た目からすると、レイさんの方が年上に見えるのですが……なんというか、違和感が半端ないです。この方が、本当にレイさんの姉弟子ユリアさんなの?
「「えっ」」
うっかりと唇から洩れた音が、奇しくも重なった。
「あ、すみません。人ちがっ、家間違えました」
あわててドアをパタンと勢いよく絞めてしまいました。あれ? そうされたのでしょうか。人見知り中田だったのでしょうか。私という部外者がいるせいで、久方ぶりの再開を楽しめなかったのでしょうか。だとしたら、非常に申し訳ないです。
「ちょっ、ユリア姉さん?」
レイさんからみても、今のユリアさんの行動は、奇妙に映ったようで、いぶかしげにしまったドアを眺めます。思わず、レイさんにひそひそ越えで確認をとってしまいました。
「あの、レイさん。私、お邪魔でしたでしょうか」
「ん、いや。そんなことはないはずだ。どうしてそう思ったんだい」
「え、あの。人見知りなのかなぁって、初対面になりますし」
「ユリア姉さんが人見知り? そんなシャイな性格してないよ、だってあの人目上の人を前にしても師匠以外ほとんどあんな調子だし……あ」
ガシガシと頭をかくと、謎が氷解したといった表情でしまったドアを今度は生身の手で開けます。ドアの向こうには、「ここ師匠の私有だし、なんで」「知らない人が……いったいいつの間に?」「レイは、何処に行ったの」とかぶつぶつつぶやきながら固まっている、ユリアさんが姿が。
「ユリア姉さん、俺ですよ。レイフォード。レイフォード・フィロソファー、こうしたらわかります?」




