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第二章 砂漠の姉弟②

 舗装路はメンテナンスがなされていないせいで酷くひび割れてはいたが、それでも砂原やデコボコの岩盤を走るよりは楽だった。このスピードで進めば、あと二時間ほどでアン・グリースに到着するだろうとレオナルドは予測を立てた。


 ただ、道路は太陽に炙られての照り返しが酷く、熱気がきつい。レオナルド以外の通行者が見当たらない路上には陽炎がゆらめき、視界を眩惑した。


「なんだ……?」


 ずっと同じ姿勢でバイクに跨っていたレオナルドが、陽炎の先に何かを見つけて僅かに顔を上げた。何かが道路上を塞いでいるように見えたのだ。レオナルドはターバンの隙間から覗く薄茶色の目を細める。


「あれは……」


 路上に少女がいるように見えた。七、八歳くらいだろうか。白色のドレスを着た、長い黒髪の小さな女の子が道路の上に横たわっていた。うつ伏せになっているせいで、その顔を確認することはできない。


 レオナルドは顔を顰める。


 だが、アクセルは緩めなかった。むしろバイクを加速させて、レオナルドは倒れこむ少女に迫った。バイクの鼻先が少女を掠めても、レオナルドはブレーキをかけなかった。


 黒いタイヤが小さな少女と交錯した瞬間、少女の体が宙を舞った。白色のドレスが蝶のようにひらひらと揺れる。少女の体は弾き飛ばされながら回転し、一瞬、その顔が見えそうになるが、体から四方八方へと飛び散る真っ赤な血が目隠しとなり、それを確かめることは適わなかった。血を撒き散らしながら放物線を描いて飛んだ少女の体は、路面に打ち付けられ、一度跳ね、何回か転がってやっと止まった。道路周辺に、赤い血が地獄の絵を描く。


 これだけの惨事を前に、当事者のレオナルドは不快感のために奥歯を噛み締めただけで、ぼろぼろになった少女を振り返りもしかった。そのままバイクで駆け抜ける。


 当たり前だ。


 レオナルドは何も轢いていないのだから。少女を轢いた像は見せられたが、少女を轢いた感触は全くなかった。


(オオサバクカメレオンか。もう少しで街ってところで嫌な生き物に遭ったなあ……)


 サバクカメレオンは砂漠に廃棄された生命工学の試作品が独自進化を遂げた姿だと言われている。この生き物は体色を砂漠に同化させて待ち伏せ、自家生成したある種の薬物により近付いた獲物に幻覚を見せて誘き寄せ、うっかり幻覚に魅入って立ち止まった獲物を丸飲みにするのだ。サバクカメレオンの作る幻覚は、獲物となる種の幼体の姿をとることが多いらしい。脳を刺激し、その者が保護するべき、慈しむべきと規定するものの形を見せる結果だという。


 乗り物に乗る人間を丸ごと飲み込もうとするのは、サバクカメレオンの中でも特に大型のオオサバクカメレオンだけだが、彼らは行動がワンパターンで動作が緩慢だ。彼らは生み出された幻覚の左右どちらかに口を開いて待機している。幻覚に驚いて立ち止まった対象を舌で巻き取って丸飲みにするか、幻覚を避けて通った獲物が口の中に飛び込んでくるのをそのまま丸呑みにする。


 だから、幻覚を轢いて突き進むのが、オオサバクカメレオンに遭ったときの一番正しい回避方法なのだ。彼らは素早く動くものに対応することができない。


 そのはずだったのだが――。


 ガクン、と、何かに乗り上げる感覚が車体越しにオナルドを襲った。衝撃でバイクがコケそうになるのを必死で立て直す。


「なんだ!」


 ハンドルが取られてうまく操作ができない。固い路面の上を走っているはずなのに、まるでゼリーの上を走っているような感触で、うまく舵をとることができなかった。


(まさか……!)


 キィィィィという不快な音を立てて急ブレーキをかけたレオナルドは、片足を舗装路面につけてバイクを無理矢理Uターンさせる。足を付けた瞬間、その固そうな路面の見た目に反して、べちゃ、という不快に柔らかい感触をブーツの底に感じた。


(やはりか!)


 レオナルドはバイクを再加速させようとする。だが、タイヤがキュルキュルと空回りして前に進めない。


――ボトリ……ジュ!


「うわっ!」


 透明の液体状のものが、青い空以外何もないはずの上方から、レオナルドの右肩に向かって落ちてきた。やや粘り気のある液体は、レオナルドのロングジャケットの肩口を焦がした。生臭い香りが鼻腔に絡みつき、肩の皮膚が少しヒリヒリするような感覚がある。トロリとしたその液体はバイクの車体の鋼板も侵したが、そちらは特段ダメージを受けた様子はなかった。


「唾液か……? それじゃあ、やっぱり、ここはオオサバクカメレオンの中だ!」


 レオナルドは片足でべちゃべちゃに柔らかい地面を思い切り蹴り、強引にバイクを前進させると、その勢いで車体はようやくスピードに乗った。勢いを殺すことなく柔らかい路面にハンドルをとられないように注意しながら、レオナルドはバイクを走らせた。


 不安定な路面はすぐに終わり、目には見えなかったものの、ガタン、という落差を飛び越えるような感覚をバイク越しに得ると、路面は見た目も感触も元の舗装路に戻った。レオナルドはそのままスピードをぐんぐん上げて遠ざかる。アン・グリース行きとは逆方向だが構ってはいられない。


 オオサバクカメレオンは、その体内までもが周りの風景に同化される。だから、うっかり口の中に入ってしまっても気付かない場合があるのだ。レオナルドはもう少しでバイクに乗ったままオオサバクカメレオンの胃袋に突っ込むところだった。


「どうして幻覚のまっすぐ先にいたんだ?」


 首を傾げても応えてくれる人はいない。


 レオナルドはハンドルを切り、舗装路から砂地に出ると、北に向けて進路を変えた。アン・グリースへ向かう舗装路は北側にもう一本ある。大きく迂回するルートだが、仕方がない。緩慢なオオサバクカメレオンは同じ場所に留まり続ける習性がある。あの道路はしばらく通らない方がいいだろうと判断した。


「やばいなあ」


 レオナルドは右肩を見た。オオサバクカメレオンの唾液が多少触れただけで焦げ茶色のロングジャケットの肩口が黒く変色している。小さく穴も開いているようだ。では、オオサバクカメレオンの体内に接地させられ続けたタイヤの状態はどうだろうか。


 一時間ほど走り続けると、ようやくもう一本の舗装路が目に入る。


(なんとかアン・グリースまでもってくれると助かるんだけど)


 だが、その祈りも虚しく、舗装路をしばらく進んだところで、バイクがガタンガタンと異様な振動を示す。レオナルドはバイクを降りてタイヤを確認し、溜息をついた。オオサバクカメレオンの唾液のせいで擦り減ったタイヤが、ついにパンクしたのだった。


「はあ……」


 ターバンの内側で、レオナルドは溜息をつく。


「しかたない。拾ってくれる親切な車が通るまで待つしかないかな」


 レオナルドはバイクのスタンドを立てて停める。荷台に積んだタンクから汲んだ水を口に含み、車体が作る影に入って座ると、バイクに寄りかかって目を閉じた。

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