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第一章 砂漠の探し屋への依頼⑤

 男の襲撃があった翌日の昼前に、レオナルドとニーナの事務所兼住居の呼び鈴が鳴った。まだニーナは帰宅していないが、ニーナは鍵を持っているのでわざわざ呼び鈴を鳴らさない。メグミが来たのだろうと思って覗き穴から外を見たレオナルドは驚いた。


「あ……レオちゃん」


 ドアの前にいたのは、昨日昼食をとった食堂、砂海亭の店主だった。レオナルドがドアを開けると、店主は仕事着のエプロンを付けたまま、少し顔を俯かせている。


「どうしたの? お店は?」

「あのよ……あの写真の女の子だけどさ、前に見たことがあったのを……思い出して……」

「本当? 詳しく聞きたいから入って」


 レオナルドはにこやかに笑う。促されるまま店主は応接室の椅子に腰かけたが、キョロキョロと落ち着きのない様子で室内を見回していた。

 ちなみに、ボロボロにされたソファは朝のうちに捨て、当座の代わりで椅子を拾ってきてある。床板も大工道具と備品を使って仮補修済みだった。


「ニーナがいないから美味しいお茶は淹れられなくて。こんなので、ごめんね」


 ボトルの水を差し出すと、店主はあっという間に飲み干した。


「写真の子を見たんだ?」

「あ……おお。む、昔、う、うちの店に来たんだよ」

「ふうん? 何か言っていた?」

「た、確か……アン・グリースへ行くって言ってたような、なかったような……」


 店主はしゃべりながらもレオナルドと目を合わさなかった。何度も手を組み替えたり、足を組み替えたりし、首筋には玉の汗が浮かんでいる。


 レオナルドはそんな様子を見ながらも笑顔を崩さなかった。


「ちょっと待っててね」


 一度自室に入り、再び応接室に戻ってきたレオナルドの手には紙幣の束が握られていた。


「情報ありがとう」

「こ、これは……。もらいすぎだよ……レオちゃん……う、受け取れねえ」


 店主は差し出された札束を呆然と見つめていた。レオナルドは僅かに悲しげな色を混ぜて笑った。


「おじさん。おばさんの具合、だいぶ悪いみたいだね」


 びくりと店主の肩が揺れた。


「これはお見舞いも兼ねてだから受取って。いい先生に診てもらいなよ」

「レオちゃん……」

「あの写真の子のことは……何かわかったら知らせてよ。ここにはあまり情報がないみたいだから、僕はしばらく調査に出る。カグヤを使えば、手紙を受け取れるから」


 食堂の店主の目が赤く染まった。


「レオちゃん……ごめんよ。俺にできることは何でもやるからよ……」

「いいんだよ。おじさんにはいつもご飯大盛りにしてもらっていたし。何かわかったらよろしくね」


 食堂の店主を扉の外に見送ると、すでにメグミとボディーガードの二人が立っていた。


「ああ。例のモノは引き渡しますよ。どうぞ入ってください」


 メグミ達を室内に招き、頭を下げながら去る店主には手を振り、レオナルドは扉を閉めた。


「随分と甘いんですね、あなたは」


 メグミは店主とのやりとりを聞いていたらしい。白磁のような艶のある美貌に「意外だ」と言いたそうな表情を浮かべている。


「僕の仕事は情報元との信頼関係を築くことが大切ですから。嘘を見抜くのも嘘を買うのも、仕事の一つです。それにあなた達から手付金を頂ける目途がたっていましたからね」


 柔らかな笑顔を浮かべたまま、レオナルドは応接室の床板を工具で剥いだ。そこには猿轡を噛まされ、手と足を拘束された昨晩の侵入者が放り込まれていた。


「これからお嬢さんを誘拐するつもりだったようです」


 メグミは一瞬だけ目を見開いたが、すぐにその表情を消した。眼鏡越しの怜悧な瞳をボディーガード達に向け、縛られた男を指差す。背広姿のボディーガードの一人が手に持ったアタッシュケースを開き、その中から人が一人入る程度の布袋を取り出すと、もう片方が拘束された男を抱え上げ、その中に放り込んで袋の口を完全に閉ざした。


「こういう展開も想定されていたんですか?」

「ノーコメントにさせてください」


 メグミは目を伏せた。


「では、アリシアお嬢様の捜索を正式にお願いしますね」


 メグミの言葉に合わせて、ボディーガードがもう一つのアタッシュケースをレオナルドに渡した。中を検めると、紙幣がぎっしりと詰まっていた。紙幣という旧来の言葉を使ってはいるが、金属繊維を編んで作られた燃えない貨幣だった。


「電子決済は色々と記録が残ってしまうので、後の監査で面倒を起こす場合があるのです。ご容赦ください」

「構いませんよ。通信インフラのないカリゴリ、特にこのジブレメへ送金するのは、結構面倒くさい手順が必要ですしね」


 レオナルドはパチンとアタッシュケースを閉じた。


「ここ三か月のジブレメを訪れた新参者リストをチェックしましたが、お嬢様は来ていないようです」

「そうですか……」

「そもそも、ここは世間知らずのお嬢様が来るには場所が悪すぎますからね。だから、まずはアン・グリースに行こうと思います。あそこはカリゴリ砂漠の中でも治安がよくて、砂漠の外からの観光客も来る場所なんです。何か情報が得られるかもしれません」

「そうですか。よろしくお願いします」


 頭を下げるメグミに、レオナルドも丁寧に礼をする。これをもって「オオクニ社、社長令嬢の捜索」という依頼が成立した。



 レオナルドは二輪バイクに遠征用の荷物を縛り付け、スラム街の外に出た。


 つい二時間ほど前までは青一色だった空の西側の一部が、黒い雲に切り取られている。小さな雲だったが、少しずつジブレメに近づいているようだった


「ニーナ!」


 レオナルドが叫んだ先に、ニーナが歩いていた。遠目でも、彼女の黄緑色と水色に染まる小さなシルエットが確認できる。


 黄金に輝く砂漠の中で、ニーナの周囲だけが暗かった。彼女が黒い雲の影に入っているからだが、むしろ小さな黒い雲の方がニーナの行く先に付いてくるようにも見えた。彼女はジブレメへ向けて歩き続けているのだが、その姿はアパートで見た時とは少し様子が違う、異様な雰囲気だった。


 ニーナの手足にはワイヤー状のものが接続され、それは上方に向かって伸び、上空の黒い雲と繋がっていた。そして、彼女の足取りはひどくいびつな歩き方で、速度は遅くはないが、ふらふらと揺れる不安定なものだった。その姿はまるで、雨雲に操られるマリオネットのようにも見えた。


「ニーナ、お疲れ様」


 目の前までやって来たニーナにレオナルドが声をかけると、彼女は彼の様子を見てぎこちない動きで首を傾げた。


「レオ、もう次の仕事に行くの?」

「ああ。この前、ニーナが通してくれたお客さんからの依頼でね。だいぶ割のいい仕事だからラッキーだよ」

「そう……。よかったわね。気を付けて行ってきてね」


 言葉とは裏腹に、ニーナの黄緑と水色の顔は少し不満げで心配そうだった。


「ねえ、でも、その前に水を溜めていくといいわ。すぐに雨を降らせるから」

「そうだね」


 レオナルドがバイクに積んでいた空の容器を砂の上に置く。


 ニーナが軽く体を揺すると、彼女の手足から伸びた金属のワイヤーが雨雲から切り離された。切り離されたワイヤーはニーナの金属の外殻内に収容されていく。


 途端に真っ黒な雲から雨が降り始めた。


 ザーッと滝のように降り注ぎ、スラムの街から歓喜の悲鳴が漏れてくる。雲はジブレメをぴったりと覆うだけの小さなもので、オアシスに集中的な雨をもたらした。レオナルドが置いた容器に溜る水も、その水位をどんどん上げる。


 ニーナはレオナルドに近寄り、黄緑と水色の傘を半分彼に掛かるように差した。その動きは滑らかな動作に戻っていた。 


「私もワン親分の仲介で明後日から仕事だわ。今度は東の方を廻って雨雲を届けるお仕事」

「そうか。ニーナも気を付けて行ってくるんだよ」

「うん」


 レオナルドがニーナの顔を覗きこむように微笑むと、彼女はやっと笑顔になった。


「そうだ。この前のお客さん、ニーナの淹れたお茶を美味しいって褒めていたよ」

「本当……?」

「よかったね」

「……うん」


 ニーナの水色の瞳が少しの間揺れ、その後、その黄緑と水色の金属のパーツで作られた顔がはにかんで笑った。


「ふふふ。褒められると嬉しい」


 レオナルドも笑顔で頷く。


 容器からは水があふれ始めていた。レオナルドはそれに蓋をしてバイクに積み込むと、自分もバイクに跨り、エンジンを吹かす。


「じゃあ、行ってくるから」

「行ってらっしゃい」


 レオナルドのバイクは騒音と共に、スラムの街ジブレメから遠ざかる。手を振るニーナを残して、レオナルドの姿は青と黄金の砂漠の世界の中へと消えて行った。

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