第一章 砂漠の探し屋への依頼④
夜、街が闇に覆われても尚、ジブレメでは喧騒がやまない。酒を飲みながら男達が交わすダミ声、女達が男を誘う艶やかな声、喧嘩騒ぎ、何かがぶつかりあうような鈍い音、爆発のような音もたまに聞こえる。
レオナルドは事務所兼住居である襤褸アパートそれらの音を聞いていた。アパートは応接室として使っている狭いリビングと、さらに狭く、寝転がるくらいしかスペースのない二部屋、猫の額ほどの水場からなる。狭い二部屋はそれぞれレオナルドとニーナの私的なスペースとして使用していたが、今日のレオナルドは自室に入らず、灯りもつけないで応接室のソファに座り込んでいた。
――カタカタ……
唐突にドアを揺する音が響いた。外でドアノブを弄っている気配がある。だが、泥棒など日常茶飯事のジブレメにおいては、それほど驚くことではない。
レオナルドは静かに立ち上がると、ドアとは反対側、ソファの背後に音を立てないように移動し、身を潜めた。
――ガチャガチャガチャガチャガチャ
中から反応がないことに安心したのか、ドアの外にいる人物は大胆にノブを回し始めた。捩じ切る気かもしれないと思い、修理費が嵩むから勘弁してほしいなあと、レオナルドは心の中で溜息を漏らした。
――カチャン
錠の解除される音が響いた。キィキィと微かに軋む音をたてながらドアがゆっくりと開く。
侵入者の頭だけが隙間からにゅうと入り込み、中を窺うように二、三回左右に振られる。真っ暗な室内からはその顔の詳細は窺えない。レオナルドは緊張で僅かに心拍数が上がるのを感じた。
侵入者は誰もいないと判断したのだろう、足音を殺しながらドアの隙間から室内へと体を滑り込ませた。ポケットから取り出した細いペンライトで足元を照らしながら応接室をしばらくうろつき、最終的に書棚の前で止まった。
棚からファイルを取り出し、ペンライトの光を頼りに中に記載されている内容を読み始める。次々とページを捲って、中身をざっと確認しては棚に戻すを繰り返す。ファイルには望みの内容がなかったらしく、次に書棚についた引き出しを開けようとしていたが、生体認証電子ロックを解除できないようだ。ここにはいくつか重要な文書や記録媒体が保管されている。
開かなければ物理的に破壊してでも中を見るつもりだろうか。レオナルドは眉間に皺を寄せた。侵入者に気づかれない程度に短く小さく息を吐いて心を落ち着かせると、レオナルドはソファの裏から立ち上がった。
「君は何者だ!」
レオナルドの鋭い声と同時に、応接室の灯りが点ついた。棚の引出しに手をやったままの侵入者の後姿、その肩がビクリと大きく揺れる。
「手を上げてこっちを向け」
レオナルドの声に従い、侵入者はゆっくりと両手を上げると時間をかけて振り返った。男は身動きの取りやすい黒一色の服を着込み、頭には帽子を目深に被っているせいで顔はわからない。でっぷりと太った体型で、レオナルドよりは頭二つほど背が高かった。
「金目のものを狙う泥棒じゃないみたいだね。僕のファイルを探るなんて……もしかして、君が、メグミさん達を尾行していた人かな?」
レオナルドは、ベルトに挿したナイフを抜いてグローブをはめた右腕に握り、その刃先を侵入者の男に向けていた。太いサイズのナイフが凶悪にギラリと光る。
しかし、男はレオナルドの問い掛けに何も答えなかった。
「ただのゴシップ記者じゃないよね。帽子を取って、床に捨てて」
男はゆっくりと帽子に手をやる。
しかし、つばを掴み頭から取ると、床に落とす代わりにレオナルドの顔面に向かって投げ飛ばした。
「ぐ!」
レオナルドの視界が一瞬だけ真っ黒に染まる。その隙をついて、黒い男の鋭い蹴りがレオナルドの右腕を襲った。
カランカランと小気味よい音を立ててナイフが床に転がる。
男はレオナルドとの距離を詰め、ジャケットの襟を掴んでそのまま押し倒すと、馬乗りになってレオナルドの首を締め上げた。レオナルドは夢中で脇腹や急所を蹴り上げ、少し力が緩んだところを見計らってその手から逃れる。
「ゲホ、ゴホ……」
呼吸が整わずに咳き込むレオナルドを見下ろしながら、男は自分の右腕の、手首から先をもぎ取り、投げ捨てた。男の右手は精巧な義手だったのだ。義手は床の上を転がりながら、ぞもぞと甲殻類のように蠢いている。そして、その捨てられた右手に代わり、男の腕の断面からは棒のような形状のものが現れる。よく見ればそれは銃口だった。
レオナルドの背を冷たい汗が流れる。
「ちょっとそれは冗談にならないんだけど」
レオナルドが飛び退くのと、彼のいた足元の床が打ち抜かれたのとはほぼ同時だった。
一秒間に何発という銃弾が発射され、床を削る。
しかし、バネでもついているのかと思われるほどしなやかに飛び跳ねたレオナルドは、その時既にソファの上に着地していた。そのまま素早くソファの後ろへと身を隠す。男はソファを粉砕する勢いで銃弾を連射したが、脆いはずのソファをなかなか打ち抜くことができない。
(ソファの内側に板を仕込んであるから、ひとまずは逃げられたけど、どうしようかな)
レオナルドは男の腕の構造を考えた。
右腕に機関銃に類するものを仕込んであるのだろう。そして、体内に貯蔵した銃弾をオートで装填・発射・排莢し続けているのだ。ボディチェックをされても気づかれずに銃器を運べるし、簡易な金属探知であれば義手のせいだと逃げ切れる可能性もある。
体内の銃弾を吐き出し尽くせば攻撃は止まるだろうが、あの太った体にどれだけの弾を詰め込んでいるのかは想像できなかった。
ソファに仕込んだ板もさすがにもたない。
「仕方ない」
レオナルドは左手に嵌めた黒のグローブを外す。さらにジャケットを捲って白い腕を出し、肘の内側の皮をつまむと、手の方に向かって勢いよく引っ張りあげた。
彼の腕の皮は、腕から手のひら、手の甲、指の先まで、きれいにべろりと捲り上がる。剥がされた腕の皮は、白い長手袋といったところ。
「さてと。始めますか」
皮を剥いでも、レオナルドの左腕からは血が流れることも、グロテスクな肉がはみ出すこともなかった。皮下の腕は金属のような質感で、黒色の鈍い光沢を放っている。その形状はいびつであり、痩せ細った腕をラフに再現した彫刻のようにも見えた。
レオナルドは黒い腕を試すようにひらひらと動かす。動きは滑らかで、健常な人間の手指の動きと大差なかった。
その動きは次第に大きくなっていく。指は通常の稼働範囲を大きく越えて、曲がるべきでない方向へグニャリと曲がり、指先が手の甲にくっつくと同化し、指と甲の境が消えた。
「久々だけど、大丈夫そうだな」
レオナルドの呟きと共に、彼の黒い腕の輪郭が溶け始める。溶かしたチョコレートのように、腕だったものがダラリと垂れた。それは透明度を持ち始め、その半透明の黒いドロドロの中を、無数の白い糸のようなもの蠢いているのが透けて見えた。
「よし!」
レオナルドは息をふっと短く吐いて集中力を高めると、ソファの裏から躍り出る。
「ようやく諦めたか!」
的を視認した黒い服の男はニヤリと笑い、銃口を空中のレオナルドに向けた。銃弾の嵐が彼を襲う。
しかし、レオナルドの体に着弾するはずの弾丸は、乾いた音をたてて弾かれた。
「な……!」
レオナルドの溶けた左腕が薄く延びて固まり、黒い盾となって銃弾からその身を守ったのだ。デコボコに歪んだ盾だが、ほとんどの銃弾を弾き、一部はめり込んでいるが、貫通には至っていない。
「なんだ、それは……!」
驚きの声をあげる黒い服の男に対し、レオナルドはあっという間に間合いを詰めた。その一瞬で、レオナルドの左手の盾は再び形を変えていた。いびつに節くれだっていたるが、刀のような形状。
「ぐわ!」
レオナルドが左手に作った黒い刀で男の首元を薙ぎ払うと、男が短い悲鳴をあげた。
「なまくらもなまくらだから、切ることは出来ないんだけどね」
レオナルドが微笑む。男の首は赤黒く変色していた。
「この!」
男は再び右手の機関銃を構えようとしたが、レオナルドは突きの構えから刀の先端をその銃口に突っこんだ。
ジュッという何かが焼けるような音と、焦げ臭いにおいが部屋に広がる。レオナルドが刀を引き抜くと、男の銃口が黒い金属で蓋をされていた。一方でレオナルドの刀の先端が欠損している。
「暴発が怖かったら、もう撃たない方がいいよ」
「くそ! 変形金属を使っているのか!
」
「そう。身体改造しているのは君だけじゃないってことだね」
レオナルドは再び左腕を融解させる。どろどろと零れ落ちようとする半透明の黒い塊の中に、何百本という細い管が蠢くのが透けて見える。男がレオナルドを睨んだ。
「その糸みたいなやつが熱交換器と動作制御を兼ねているのか。熱して溶かし、高圧縮空気か何かを吹き付けて変形、それを急速冷却して固める。そんなのを繰り返して動作制御する技術があったな。しちめんどくさい、随分とマニアックな改造をしたものだ」
「意外と便利なんだよ、これ。大分熱量を食うから、あんまり大きい形状変化はさせたくないんだけどね」
レオナルドの左腕は、再び痩せた腕の形状をとった。同時に床を踏み込み、男の懐に入る。男は飛びのこうとするが、小柄な分、加速の早いレオナルドの動きに追いつけない。レオナルドは黒い腕で男の首を掴んだ。
「君は記者じゃない。テロリストか何かな?」
「ぐおお!」
ジュウジュウという音が響いた。レオナルドの腕が透明度を増し、男の首を掴んだ部分からは白い煙が立ち昇り始めた。
「や、やめろ……!」
男は残った片腕でそれを引き剥がそうとするが、熱を帯びたレオナルドの腕を力を込めて掴むことが出来ない。舌打ちしながらレオナルドの脇腹を蹴り上げようとする。
しかし、レオナルドの右手は既に、ベルトに差したもう一本のナイフを掴んでいた。彼は遠慮なく男の脚にそれを突き立てる。
「ガッ……!」
「僕はね、まずは長からもらった映像で、メグミさんの尾行者を五人に絞った。それから、それぞれの近くで、わざと『オオクニ社長のお嬢様の行方がわかりそうだ』という情報を洩らしたんだ。本当はまだ何も掴んでいないんだけどね。確か君は、砂海亭で食事をしたとき、カウンターの端の方にいたよね」
応接室に、肉の焼けるような香ばしい臭いが立ち込め始めた。男は暴れたが、レオナルドは男の首を掴んだ腕を緩めない。苦悶の表情を浮かべる男を静かに見上げたまま言葉を続ける。
「ただのゴシップ記者だったら、僕の所へ情報を買いに来るだろうと思って待っていた。でも、明るい時間には誰も訪ねてこなかったんだ」
男の口の端から白い泡が漏れ始めたため、レオナルドは男を床に放り捨てた。男は首を手で押さえながら床の上でのたうちまわり、しばらくすると大人しくなった。ひゅーひゅーと苦しそうな呼吸音が漏れている。
「僕の情報を盗みに来たってことは、君は僕と面と向かうのが怖かったんだね。君の身元を調べられるのが嫌だったのかな?」
レオナルドは冷たく笑った。
「お嬢様の居場所を知って何をするつもりだったんだい? それとも、お嬢様の失踪について何か知っていて、証拠を消そうとしたのかな?」
男はうずくまったまま声を出さない。レオナルドは男の顔を、ブーツを履いたままの足で蹴った。
「ギャ!」
「何も言わないなら蹴り続けるけど?」
レオナルドはもう一度男の顔を蹴り上げる。男は鼻を手で押さえながらレオナルドを見上げた。その顔は恐怖に歪み、滑稽なくらい体が震えていた。
「お、おれは、社長令嬢の……失踪については……何も、知らない」
くぐもった声で男が応えた。
「た、ただ、あ、あの会社に……ば、罰を与えるために……、社長の娘を……これから……」
「あのくらいの会社だったら後ろ暗いことの一つや二つやっているだろうからね。復讐が目的かい? 社長や重役、その家族は厳重なセキュリティの中にいるから、狙うなら失踪した社長の娘だってところかな。彼女の居場所を突き止めて攫おうと思ったの?」
「……ああ」
頷いた男の顔をレオナルドは再び蹴り上げた。手加減のない蹴りだった。
「あの子を攫って何をするつもりだったのかは知らないけど。経営にも関わっていない女の子に酷いことをするなんて、僕は全く気に食わないね」
男は白目を剥いて失禁していた。顔は元の状態がわからないくらいに変色し、腫れあがっている。
レオナルドは溜息をつく。
「やりすぎかなあ。でも、僕にとっては、ちょっと複雑な気持ちを抱かざるを得ない依頼だからねえ……」
レオナルドはソファに座り、物憂げな表情で窓の外のスラムの喧騒と静かな月とを見つめた。