第五章 砂漠の探し屋の秘密①
スラムの街ジブレメの共同事務所で、レオナルドはソファに腰掛け頬杖をつきながら、ニーナから届いた三次元ホログラムを見つめていた。
継ぎ接ぎだらけでアパートの薄い壁からはスラムの雑踏が絶え間なく聞こえてくる。通りを行き交うたくさんの足音、発砲音、楽しそうな笑い声、サイレン、怒声、笛や弦楽器のメロディ、ヒステリックな女の叫び声、爆発音、商売人の呼び込みの声。そんないつもの騒音の中で、ホログラム再生装置から流れ出すニーナの声は、鈴のように清らかだった。
『ハロー、レオ。お元気かしら。お仕事が終わったそうね。お疲れ様』
縮小投影されたニーナがそう言って可憐に微笑んだ。
『わたしはメリゴラ鉱山の飯場に雨を届けてきたところよ。レア・マテリアルの採掘所なんですって。山って名前はついているけど、ただ岩肌が続くだけの場所だったわ』
ホログラムは、黄緑色と水色の斑に染まった少女が砂漠の大地を歩く様子を映した。ニーナは顔も身体も黄緑と水色に塗装された金属パーツに置き換られている。身体と同じ色の傘を差し、同じ色のワンピースの裾を揺らしながら黄金に輝く砂原を行くニーナは、絵本の世界の住人のようだった。
そんなニーナからの動画メールをいつものように目を細めながら見ているレオナルドだが、今日は微かに憂鬱そうな表情が混ざっていた。
『それにしても、メリゴラ鉱山も酷い場所ね。前の戦争で放棄された兵器を拾ってきて、それをバンバン打ち込んで固い岩盤を掘削してるのよ。おかげで計器の放射線量は振りきっているけど、少ない元手で大きな利益の得られる事業だって評判らしいわ。砂漠の外の人達がたくさん投資しているそうよ』
ニーナの顔面の金属パーツが、不機嫌そうな表情を作った。
『働いている人のほとんどは碌な防護処置もなされていないわ。雇ってる方の言い分は、防護処置費含めて高い給料を出しているから個人でなんとかしなさいだって。でも、たいがいの人は借金返済のためにここに送られていて、ほとんどの給料を差し押さえられて自分の自由にできるお金なんて雀の涙しかないのに』
ニーナの顔面は不機嫌そうなものから、怒っているような表情へと変わった。
『借金を返せなかったのには、自業自得なところもあるのかもしれない。でも、あまりにも他人の苦しみを知らんぷりしすぎてないかしら?』
ニーナのガラス玉のような水色の瞳が、悲しげにキラキラと煌めいたように見えた。
『なんて。つまらない話でごめんなさい』
ニーナはうっすらと笑う表情を作った。二つに結われた黄緑と水色の金属糸の髪が、砂漠の風に浚われてゆらゆらと揺れていた。
『とにかく、これで今回の雨雲巡回運搬は終わり。やっとジブレメに帰れるわ。雲を集めながらゆっくり帰るわね』
言い終えると、ニーナの手首からワイヤーが勢いよく空へ向かって放たれた。空中の水蒸気を集めるためのツールだ。目的地まで歩く間に水蒸気を集めて雲を作り出し、目的地で雨を降らせる。それがニーナら、雨雲人形と呼ばれる者達の仕事だった。
ただ、この状態になったニーナは動きがひどく制限される。ワイヤーを放った途端に、ニーナはふらふらと体を揺らしながら歩くようになった。その様子は糸で操られるマリオネットのようにも見えた。
『レオの手紙は大好きだけど、そろそろあなたの顔が見たいわ。戻ったらすぐに紅茶を淹れてあげるわね。それじゃあ、次はジブレメで会いましょう』
動きの制限は表情パーツにも及ぶ。ニーナは引き攣ったような笑顔を浮かべ、そのまま動画メールはプツンと切れた。
レオナルドはいつもの癖で紙とペンを探しかけ、はたとその動きを止める。動画メールのヘッダーに記録された録画時刻と録画場所を見ると、早ければ明日にもニーナはこの街に辿り着く。今更手紙を書いてもあまり意味がなかった。
手持無沙汰になったレオナルドは、苛立ったようにテーブルをコツコツと人差し指で叩いた。窓辺に置かれた止まり木の玩具に停まったカグヤは、その様子を見ながら不思議そうに首を傾げる。
黒の街リフリチェでアリシアの件について報告書を送ったレオナルドは、すぐにジブレメに帰ってきた。ジブレメで休息すること二日、たった今、カグヤがニーナからの動画をもってきたところだった。
いつもは嬉しいニーナの動画メールだが、今日は素直に喜べなかった。実はレオナルドは今日までにある人物から重要な手紙を受け取る予定になっていたのだが、カグヤはニーナのメール以外のものを持っていなかったのだ。
レオナルドの心のうちに不安が募る。そのせいでニーナの動画メールをいつものように楽しむことができず、それがさらにレオナルドにストレスを感じさせた。
何かあったのだろうか。「あの人」に限って約束を違えることはないと思うのだが。少なくとも、手紙が遅れる旨の通知くらいはカグヤに持たせてくれるはずだ。
レオナルドは不安を誤魔化すように、気分転換にラジオでも聞こうかと、受信機に手を伸ばした。有線・無線含めて外の世界とつながるためのネットワーク設備が破壊されたまま放置されているカリゴリ砂漠では、各街のケーブル式ミニ・ラジオ局が文化と報道発信について重要な役割を担っていた。
ラジオのダイヤルを回すと、ノイズが次第にクリアな音声に変わっていく。丁度、番組のジングルが流れたところだった。
「というわけで、『今日もジブレメ日和』、JBSラジオ専属アナウンサーのナナリンがお送りしておりまーす。それにしても相変わらず暑いねー。みんな倒れてなあい? 大丈夫ー? さてさて、お次は砂漠の外から届いたニュースをお伝えしまーす」
ノイズが交じる中、間延びしたような甘い女性の声がニュースを読み上げる。
「医療系複合企業オオクニの社長令嬢、アリシアちゃんがカリゴリで亡くなったんだってー。まだ十六歳の女の子。なんでも、ボランティア活動中の事故だったとか。やーん、可哀想!」
ニュースに出たとおり、レオナルドから報告書を受け取った後のオオクニ社の行動は早かった。黒の街リフリチェ、その中央島ロゼ・ノワールの火葬場に対して、アリシアの死亡原因を自殺から事故死に書き換えるよう圧力をかけ、その死を美談に仕立てて報道発表したのだ。企業イメージの維持のため、スキャンダルを避けたかったのだろう。
レオナルドは溜め息をつく。ラジオからも仕事がらみのニュースを聞かされるなんて、心の休まる時間がないではないか。そろそろ正午だから砂海亭へ昼食でも食べに行こうかと、レオナルドが腰を浮かしかけた時だった。
呼び鈴が鳴った。
覗き穴から外を見ると、金色の髪を結い上げ、みごとなプロポーションの身体にパンツスーツを纏った女性が立っている。
「メグミさん? おひとりですか?」
「ええ」
扉を開けた先には、メグミ・ウィンドナードがいた。アリシア捜索依頼時にここを訪ねてきた、彼女の教育係の女性であり、社長秘書の肩書きを持つオオクニ社の社員でもある。前回来た時にはボディーガードらしき二人の男性を連れていたのだが、今日は彼女の他に人影はなかった。
「どうぞ」
「失礼します」
手にアタッシュケースを持ったメグミが、ピンヒールで床板を踏みながら狭い事務所内に入る。案内されるまま、レオナルドの席とテーブルを挟んで正面に置かれたソファに腰掛けた。アリシアの自殺報告の影響か、メグミは硬い表情を崩さなかった。
ラジオからはこの放送局にしては珍しく、オーケストラによる古典クラシックの流麗な音楽が流れ始めた。話の邪魔にはなるまいと、レオナルドはそのまま切らないことにする。
「まずはお悔やみを」
レオナルドが切り出すと、メグミは固い表情のまま微かに頭を下げた。フレームの薄い眼鏡越しに、鳶色の目が伏せられるのが見えた。
「こちらは弊社から、この案件に対する残りの報酬です」
メグミはテーブルの上にアタッシュケースを置いて中身を開いて見せた。紙幣の束がぎっしりと詰まっている。
「わざわざお持ち頂いてありがとうございます」
「社長からも、くれぐれもよろしく、と」
「はい。決して他言はしません」
レオナルドはアタッシュケースの中身を覗きながら頷いた。アリシア嬢の死の真相――つまりは「レオナルドが伝えた真相」――のうち、オオクニ社が改変・隠ぺいした部分を口外しないようにという念押しだ。レオナルドにとっては探し屋としての信頼を守ることは至上命題、何の否やもない。あとはこの報酬をもらえば、この案件は終了。レオナルドはアタッシュケースに向けて手を伸ばした。
「待ってください。お渡しする前に訊きたいことがあります」
そう言って、メグミは拒絶するようにバタンとアタッシュケースを閉めた。ほぼ同時にラジオから流れるクラシック音楽では、弦楽器が捩れそうに歪んだ旋律を奏で始めた。
「どうしまし……」
レオナルドはアタッシュケースから視線を上げかけて、その目を見開いた。メグミの姿が正面のソファから消えていたのだ。
「本当のことを話せ。貴様、いったい何を企んでいる?」
レオナルドが視線を動かすより早く、ぞっとするほど冷たい声が耳元で聞こえた。
メグミが、いつの間にかレオナルドの左隣に立ち、彼の首筋に刀を押し当てていた。眼鏡越しの鳶色の瞳が、氷のように冷え冷えとレオナルドを凝視している。
メグミが握っているのは、片刃の長い刀身に美しい刃紋が描かれた日本刀と呼ばれるタイプのものだった。腕よりも長いその刀が、レオナルドの首と沿うように構えられている。少しでも動けば、首の皮が簡単に破られてしまうだろう。
(いつの間に? こんな大きな得物をどこに隠していた? 光学迷彩か?)
背に流れる汗を感じつつ、混乱する思考を飲み込んでレオナルドはにこりと微笑んだ。
「なるほど。ボディーガードをわざわざ連れてこなかった理由がわかりました。本当のこと、というのはアリシアさんのことですか?」
刃をレオナルドに押し当てたまま、メグミは頷いた。
「社長をはじめ、ご家族の皆様はあなたの報告書を信じたようですが、わたしは納得がいきません。あそこにあった遺骨は本当にアリシア様のものですか?」
「何か不信なところがありましたか?」
「DNAも検出できませんでしたから、なんとも言えません。ただの勘です。が、私の勘は外れたことがありません」
「なるほど」
「私のお仕えするアリシアさまは自ら死を選ぶような方ではありません」
メグミはきっぱりと言い切った。レオナルドは、微かに揶揄するような笑みを浮かべる。
「しかし、世間知らずのお嬢様がこのカリゴリ砂漠でたった一人生活していくのは難しいでしょう。身ぐるみはがされ、命をとられてもおかしくない。命は取られなくても、絶望するような何かが起きたのかもしれませんよ」
「アリシア様はお優しい方ですが、挫けることのない心をお持ちです。この砂漠で生き抜いていかれる強さがおありだと、私は信じています」
メグミは眼鏡越しに強い視線をレオナルドに投げつけた。その目は強い圧力を交渉相手にかけているようでもあり、アリシアを信じる心を表しているようでもあり、レオナルドの反応を一つも見逃すまいと観察しているようにも見えた。
「あなたに調査を依頼したのも私の勘によります。あなたがあの報告をなさったからには、何かしら理由があるのでしょう。そして、私はオオクニ社ではなく、アリシア様に忠誠を誓った身。だからこうして、私一人で確認しに来ました」
ラジオの音楽は弦楽器、管楽器、打楽器が合わさり、壮大なハーモニーを響かせていた。レオナルドはメグミの鳶色の瞳を覗き込み、顔に浮かべていた笑みを消した。
「そうですか。嘘は通用しないみたいですね。わかりました」
そう言って、レオナルドは薄茶色の目を閉じ、溜め息のような長い息を吐いた。
「メグミさんには本当のことをお話します。でも、その前に……」
レオナルドとメグミ、二人の視線が何かに引かれたかのように同時に玄関の扉に向かった。それとほぼ同時にその扉が吹き飛ぶ。
扉のなくなった玄関から現れ出たのは、銃器を手に持ち、黒い服に身を包んだ六人の男だった。銃の構え方、隊列の組み方、いずれも相当に訓練された部隊であることが見て取れる。
「アイツらをどうにかしてからです」
レオナルドが言った瞬間、男達から発砲音が響き渡り、ラジオのクラシック音楽は掻き消された。レオナルドとメグミは同時に飛びのき、それぞれ戦闘態勢を取る。




