第四章 砂漠の母娘⑫
リリアはマリーの部屋の金庫から紙幣の束をキャリーバッグに詰め込み始めた。
「あの……リリアさん?」
「もらえるものはもらっておかないと。マリー先生、自分の残したものは自由に使っていいってわたしに言っていたし」
「は……はあ……」
「レオナルドも持っていきなさいよ」
「あ、いや。僕は今回はいいです。目的のデータを見られたので」
「あらそう。無欲なのね。性欲も小さいみたいだし、大丈夫?」
「いや、あの……」
困惑するレオナルドをよそに、紙幣を詰め終わったリリアは、今度は散乱するドレスを丁寧に折りたたんで紙幣の隙間に押し込み始めた。一つのキャリーバッグがいっぱいになると、次のキャリーバッグ、さらにまた次と、合計四つのキャリーバッグが紙幣と服で満杯になってしまう。
「マリー先生は服のセンスいいのよね」
作業を終えたリリアは、額の汗を拭いながら煙草を咥え火をつける。紫煙を吐き出し、たっぷりと煙を楽しんだ後に灰皿に擦りつけ、彼女は立ち上がった。
「さあ、地下に行きましょう」
※
病院のセキュリティは、サーバーが破壊された影響だろうか、全く機能していなかった。レオナルドは何にも咎められることなく、さっきカトリーヌと辿った順路を逆向きに進んだ。
道中の彼は片手に二つずつのキャリーバッグを引いていた。例のお金と服の詰まったものだ。一方のリリアは高級ブランドのコートを着て、ロングブーツを履き、レオナルドの少し後ろをショーモデルのように悠々と歩いている。怪我人に対してひどい仕打ちをする元ドクターだなあと、レオナルドは心の中で苦笑した。
「ねえ。そういえば、わたしがマリー先生じゃないってわかっていたのはいつ? マリー先生の欠けたカルテを見てわかったのよね?」
リリアからの問いかけに、レオナルドは首を横に振る。
「いいえ。結構初めから」
「あら」
なんでもないことのように言ったレオナルドに、リリアは驚いて目を見開いた。レオナルドは意地の悪い笑顔をリリアに向ける。
「リリアさん、中央島ロゼ・ノワールでドラッグを買っていましたよね」
「あら、見てたの?」
「ええ。それが変だなと」
「どうして?」
「だって、お医者さんなんだからわざわざ中央島まで買いに来なくても、いくらでも仕入れるルートはあるはずでしょう、その手のものは」
「ああ。それもそうね」
リリアは感心したように頷いた。
「しかも、僕の仕事を全然手伝ってくれないですし。つまり、ここのドクターとして知っていて当たり前の情報とかシステムとかを何も知らないんじゃないかなと。しばらく診療や手術もしていないみたいですし。それで、本人じゃないのかもしれないなと考えたんです」
「ふふふ。わたしがこの病院でやったことと言えば、ドアを通るのと、総回診の時にママの後ろについてニコニコしたり、わかったような顔で他の医者の説明を聞いたりするくらいだったもの」
リリアは可笑しそうに笑った。
「リリアさんが病院のセキュリティを突破したのを見たときは少し頭を捻りましたけど。でも、虹彩とか指紋までマリーさんのものに作り替えられていれば可能かもなあと」
「なるほどねえ」
二人は地下に降り立ち、白い廊下に足音を響かせながら進んだ。大きな扉が眼前に迫ってくる。先を進むレオナルドがその扉に手を掛ける直前、リリアが小さく呟いた。
「わたし、思うんだけど。マリー先生は姉妹達のためにママに復讐がしたかったのかしらって。でも、やっぱり自分はママに愛されてるって信じていて……。だから、自分が死ぬことが、ママに対する一番の復讐だって考えたのかもしれないわね」
リリアは強張った表情を浮かべて言葉を続けた。
「わたしのことはあくまで保険。ママの一番大事なものが、自分じゃなくて病院や研究だった時の。でも――ママにとってはマリー先生と病院と、本当はどっちが大事だったのかしらね?」
レオナルドはリリアを振り返り、困ったような表情で首を横に振った。マリーは薄く微笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。本人にもわからないかもしれないわね」
二人は大きな扉を開け、カトリーヌの研究室に入った。うず高く積まれた透明ケージがレオナルド達を見下ろしている。
「人間の子が入っているケージを出してくれる? 悪いけど、動物達の扱いはわたしにはわからないから、ママに任せるしかないわ」
レオナルドは天井に付いたアームの手動操作盤らしきものを見つけ、レバーとキーを操る。こちらもサーバーダウンの影響か、特にロックもかかっておらず、自由に動かすことができた。
アームにより床に降ろされたケージは外側からは簡単に開くことができた。床に置かれたケージは全部で十二個。十二人の痩せた子供達が、不安げな表情でレオナルドとリリアを見つめていた。十歳から、大きくても十代半ばくらいのようだ。彼らのうちの九人が少女で、さらにそのうちの四人がアッシュグレーの髪に薄紫色の瞳をもつ女の子だった。
「さあ、みんな、もう自由よ。パパとママの元に帰りましょう!」
リリアは努めて明るい声で言った。その言葉に半分くらいの子供が瞳を輝かせたが、残りの子供は表情を暗くして下を向いた。アッシュグレーの髪の女の子達は全員が硬い表情だった。リリアは優しい声で言葉を続ける。
「帰りたくない子は帰らなくてもいいわ。わたしは帰る場所のある子を送り届ける旅に出るけど、それが終わったら別の場所で新しく商売を始めるつもりなの。みんな、よかったらわたしの旅についてくる?」
微笑んだリリアに、俯いていた子供達も顔を上げた。
「フフフ。元手はかなりあるし、どうとでもなるわ」
そう言ってニンマリと笑いながら、リリアは札束の詰まったキャリーバッグに目をやった。そして突然、彼女はパチンと指を鳴らす。
「そうだわ。マリー先生の洋服があるし、古着屋から始めましょうか。街から街へ、センスのいい服を買っては売る行商の古着屋さん。これなら皆を送り届けながら商売が始められるわ。そうやって少しずつ名を上げて、最終的には自社ブランドを立ち上げて、新作をデザインして売り出すの。ああ、わたし、昔からファッションの仕事をするのが夢だったのよね。どうかしら、みんな?」
リリアは興奮気味に次々と言葉を紡ぎ出した。痩せこけて青白い印象だったリリアの頬に赤みが差している。そして、それに合わせるように、子供達の頬も赤く染まり、笑顔へとほころんでいった。
「さあ、善は急げよ。今日はフェリーの出航日だったわね。邪魔が入る前に旅に出ないと!」
リリアがレオナルドの抱えていた四つのキャリーバッグを奪って踵を返す。子供達もそれにつられて足を踏み出し、何人かで分担してバッグを引くのを手伝った。
研究室の扉を潜る前にリリアはレオナルドを振り返る。
「レオナルド、今日までありがとう。わたし、しばらく薬は控えるわ。妙な責任ができてしまったしね」
「それがいいですね」
子供達を見回しながら言ったリリアに、レオナルドは頷いた。リリアも微笑みながらしっかりと頷き返す。
「なんだか、リリアさん、急に強くなったみたいですね」
「フフフ。カリゴリ砂漠の女はね、自分の体でも何でも、利用できるものはなんでも利用して生きるしぶとい女なのよ。せっかくもらった新しい体とチャンスなんだもの。生かさないわけにはいかないわよね! それじゃあ、またどこかで」
ドアの開閉する音が響き、たくさんの子供達を連れた痩せた女性の姿はドアの向こう側に消えた。キャリーバッグの車輪が床を擦る音と、子供達の歓声が聞こえ、それは少しずつ遠ざかっていった。
※
病院のメインエントランスでは異変に気付いた患者達がクレームを訴えて人だかりを作っていた。院長のカトリーヌはたった一人でそれに対応し、他の医者や職員達はそれを心配そうに、あるいは冷ややかな目で遠巻きに眺めていた。だが、患者達があまりにも乱暴な態度をとり始めたので、何人かがカトリーヌを守る盾となるべく進み出た。
両者の押し問答の末、現在の状況と今後の対応について、できるだけ早急に正式文書で回答することを約束して混乱はひとまず収まった。
カトリーヌは職員達にも同様の約束をし、私室へ向かうべく一人その場を離れた。こめかみを抑えながら歩くその後ろに、レオナルドは影のように寄り添った。
「カトリーヌ院長、お疲れ様です」
「……お疲れ様」
ちらりとレオナルドに視線をやったカトリーヌは、さらに疲れたように肩を落として俯いた。
「これから病院はどうなさるんですか?」
「少し考えるわ。でももし、こんな状態でも残ってくれる職員がいれば、立て直しを頑張ろうと思う」
「裏の仕事は?」
「もうやめます」
吐き捨てるように言ったカトリーヌは足を止め、再びレオナルドに顔を向けた。
「マリー――いいえ、リリアは?」
「地下室の子供達と出て行きましたよ」
「そう……」
僅かに充血した目をカトリーヌは伏せた。
「あなたはどうしてまだここに?」
「カトリーヌ院長に尋ねたいことが残っていたので」
「何かしら?」
眉間に皺を寄せたカトリーヌに、レオナルドは声をひそめて尋ねる。
「カトリーヌ院長の裏の仕事、支援していたのはオオクニ社じゃないですか?」
しばらく黙ってレオナルドを見つめていたカトリーヌは、やがて唇の端を僅かに歪めて笑った。
「よく知ってるのね」
そう言ってレオナルドに背を向けると、カトリーヌは再び歩き始めた。
「わたしの専門は人間素体と他の生物や機械部品を合成してより機能的な構造体に作り変えるというもの。でも、なかなか研究について理解の得られない分野で、資金集めは難航したわ。そんな時に、こっそりと手を差し伸べてくれたのがオオクニ社だったの」
レオナルドを振り返ることなく、カトリーヌは話を続けた。
「美容整形病院はただのカモフラージュのつもりだったのに、有名になってしまったのは皮肉ね。裏の仕事は、最初は基礎研究をしているだけだったの。でも、実用化の見込みがたったらオオクニ社からどんどん発注が来るようになって」
「材料の調達はどうしていたんですか?」
「オオクニ社の関係先が行っていたわ。でも、だんだん需要に供給が追いつかなくなっていったのよ」
「だからご自分のクローンを材料に使うようになった?」
「ええ。わたしは、実験用マウスと自分のクローンとの間に、なんの違いも感じていなかったのよ」
カトリーヌは言葉を途切れさせたが、しばらくしてまた口を開いた。
「あの日も、注文の一つに応えるためにクローンを一体急速成長させたの。でも、キャンセルが入ってしまってね。処分してもよかったけど、なんとなく気紛れで、そのクローンに植え付ける疑似記憶を変更して、表の病院の後継者として育ててみることにしたのよ」
「それがマリーさん?」
「ええ」
頷いたカトリーヌは重く息を吐き出した。
「マリーを育てながらも、まだわたしは自分のクローン達を素体の一つとしか見ていなかった。マリーがいなくなって初めて、彼女らに対して行ったことの非道さがわかるなんてね。わたしは何て馬鹿なんでしょうね」
歩くカトリーヌの背中は震えていた。
「あの――オオクニ社が研究に携わっているという資料があれば見てみたいのですが……」
様子を覗うように切り出したレオナルドに、ゆっくりと振り返ったカトリーヌはしばらく探るような視線を送る。だが、やがて頭を振ると、また前を向いて歩き始めた。
「いいわ。ついてきなさい。わたしにはもう関係ない資料だし、好きにすればいいわ」
※
数日後、レオナルドの姿は黒の街リフリチェの中央島ロゼ・ノワール、その訪問者用宿泊所の一室にあった。時刻は深夜をまわり、窓の外には黒々とした闇が広がっている。
レオナルドは手元の携帯式メディアボードで、何かの文書を書き起こしている最中だった。窓から入り込む夜の冷たい風が、文字を打ち込むのに夢中なレオナルドの、赤茶色に戻した髪を微かに揺らしている。
「拝啓 株式会社オオクニ メグミ・ウィンドナード様
ウィンドナード様におかれましては時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
早速ではございますが、アリシア・オオクニ様の件につきまして、調査結果をご報告します。
アリシア様は四か月ほど前、カリゴリ砂漠の黒の街リフリチェを訪れ、島間を結ぶフェリーに乗船されました。しかし、その船上でリフリチェのパウダーサンドへと投身自殺を図られました。
手は尽くされたようですが、残念ながらアリシアさまはその甲斐なくお亡くなりになりました。現在は火葬のうえ、リフリチェの中央島ロゼ・ノワールの墓地に埋葬されております。
墓地に保管されていたアリシア様の死亡状況に関する資料のコピー、詳しい墓地の場所等は添付資料をご確認ください。
ご報告は以上となります。
ご多忙とは存じますが、くれぐれもご自愛くださいますよう、申し上げます。 敬具」
いつの間にか窓から室内に入り込み、レオナルドの肩に停まっていたカグヤが、彼の手元のディスプレイに映る文面を見ながら首を傾げた。
「どうしてこんな嘘を書くのか、不思議かい?」
美しいエメラルドグリーンの鳥の喉のあたりを撫でながらレオナルドは問いかけた。カグヤは聞いているのかいないのか、ただ気持ちよさそうに目を瞬かせるだけ。それを見て、レオナルドは微笑んだ。
「僕にもね、実は色々あるんだよ。色々とね」
呟きながら、レオナルドは窓の外の暗闇を見つめた。
「さあ、このメールを保存した媒体をメグミさんに届けておくれ。それから、『あの人』から手紙を受け取ってくるんだ。いいね?」
薄く開いた窓からエメラルドグリーンと濃紺色の軌跡を描いてカグヤが飛び立っていく。美しい鳥は凍てつく夜の砂漠の闇を切り裂くように飛翔する。その姿は星のように小さくなり、すぐに闇と同化し見えなくなった。
けれども、妖しく輝くレオナルドの薄茶色の瞳は尚、窓の外に向けられていた。暗闇の中、どこまでも続く砂漠の黒色の空を飽きることなく見つめ続けていた。




