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第四章 砂漠の母娘⑪

 マリーの部屋へ向かう前に、レオナルドはカトリーヌの地下実験室で応急手当を受けた。右上腕は筋組織のいくらかと骨の一部、そして、一部の血管も損傷を受けていたため、生体再生補助材を患部に充填し、装具で固定してもらった。無理をしなければ一週間ほどで元に戻るだろうとの診断結果だった。右足の義足については、完全に主稼働軸を折られているとのことで、買い替えを勧められた。部分的に仮溶接して、滑らかには動かせないが歩き方はマシになった。


 カトリーヌに治療の感謝をした後、彼女が治療器具を片付けている間に、レオナルドは部屋の片側に積み上がる透明ケージの山を見回した。その中の一つに、あのアッシュグレーの髪の少女の姿を確認することができた。透明ケージの中、麻酔ガスの影響でまだ眠っていたが、覚醒が近いのだろう、たまに薄目を開くのが見えた。微かに見えたその瞳の色は薄紫――その少女を複雑な面持ちで眺めながら、レオナルドはカトリーヌと共に実験室を後にする。


 二人は回廊とエレベーターを経て、ルーベンス家のファミリースペースに到着する。さらに長い廊下を経てマリーの居室に辿り着き、レオナルドはその豪奢な彫刻の施された木製の扉をノックした。だが、返答はない。繊細な彫金の施されたノブを捻っても、反応はなかった。


 レオナルドが困ったように背後のカトリーヌを振り返ると、彼女は溜め息をついて古風な回転鍵を取り出した。ノブにに近付けると直後にカチャリと軽やかな音が響く。どうやら、非接触の電子キーだったらしい。


 アンティーク家具の並んぶ室内には、レオナルドも一度だけ入ったことがある。その時には整理整頓が行き届き、落ち着いた雰囲気だったマリーの部屋は様変わりしていた。


 とにかく、汚い。色とりどりの洋服が秩序なく散乱し、たくさんの酒瓶が飲みかけのまま打ち捨てられていた。椅子や飾り棚などの家具は横転し、絵画やガラス細工が乱雑に投げ捨てられ、一部は割れて床に転がっている。


 顔を顰めながら部屋を進むカトリーヌの後ろをレオナルドはついていく。部屋の一番奥には豪奢なベッドが置いてあり、その上でマリーはドレスを着たまま眠っているようだった。


「マリー……?」


 ベッドを覗き込んだカトリーヌは絶句する。彼女がドラッグの吸引器を含んだまま、白目を剥いていたからだ。


 カトリーヌは慌てて吸引器を投げ捨て彼女の心音と呼吸を確認した。その顔が真っ青に変わる。素早くベッドの下を漁り、小型の心臓用除細動器を取り出した。ドレスを肌蹴てマリーの胸を露出させ、所定の位置にパッドを貼ると、振動ショックを作動させた。


「マリー、マリー!」


 ビクリと震えたマリーの身体に、カトリーヌは必死で呼びかけるものの様子に変化はない。二回目のショックを与えるが、やはりマリーの意識が戻ることはなかった。


「マリー……そんな、ああ――なんてこと!」


 ベッドサイドに崩れ落ちたカトリーヌの肩をレオナルドは強く揺さぶった。


「カトリーヌさん! もう一回! 今度は僕が呼びかけますから。もう一度チャレンジしましょう!」


 レオナルドに促され、カトリーヌは震える手で再び電気ショックのボタンを押した。


「リリア! リリア、起きて!」


 ベッドの上に横たわるアッシュグレーの髪の女性に対して、レオナルドは大きな声でそう叫んだ。訝しげにカトリーヌはレオナルドの方をちらりと見たが、次には驚いたように目を見開いた。


「ん……なあに……?」


 マリーが目を開いたのだ。母親と同じ薄紫の瞳がレオナルドを、続いてカトリーヌを見つめる。カトリーヌが素早く除細動器を取り外し、娘の肌蹴た服を直した。


「なんで……二人がここにいるの……?」


 キョトンとしたような、ぼうっとしたような表情でマリーは言った。意識がまだ混濁しているらしい。レオナルドは溜め息をついた。


「ドラッグで死にかけていたんですよ、あなたは」

「あら、そう……?」

「だから言ったでしょう。やめた方がいいって」

「そうだっかしら」


 小首を傾げたマリーに、レオナルドはもう一度溜め息をついた。


「とにかく。僕の仕事は無事終わりましたから」

「あらそう。お疲れ様。どんな具合なの?」

「病院のサーバーは破壊しました。僕の目的としていたデータも見ることはできたんですけど、ちょっと聞きたいことができたので、それでカトリーヌ院長と一緒にここへ……」


 そう言ってレオナルドが傍らのカトリーヌを見遣ると、彼女は薄紫の瞳を見開いて震えていた。怒りと困惑と、そして、大きな恐れがその目から覗いて見えた。


「マ、マリー……! あなたは……い、いったい、何を考えて……! そ、それに、『リリア』って……!」


 思わずマリーに掴みかかろうとするカトリーヌを、レオナルドが抑え込んだ。


「落ち着いてください、カトリーヌ院長。まずは大前提を整理しましょう」

「大前提……?」


 不安げに問い返すカトリーヌに頷いてみせてから、レオナルドはベッドの上のマリーに向き直った。


「マリーさん、あなたは本物のマリーさんじゃないんでしょう?」


 はっきりとした口調で言ったレオナルドに、最初はキョトンとしたマリーだったが、やがて口の端を吊り上げて笑みの形を作った。そして、くつくつと可笑しそうに喉を鳴らし始める。


「ふふふ。あはははははは!」


 ついには口を大きく上げてマリーは笑い声をあげた。呆然とするカトリーヌを無視して、マリーはベッドから身を起こすと、可笑しくてならないというように腹を抱えて笑い続ける。


「そうよ。そう。わたしはマリー先生みたいに頭のよくできたお医者様じゃない。下層も下層に暮らしてきた砂漠の最底辺の人間よ」

「な……!」


 カトリーヌは目を見開き、笑い過ぎで涙の滲んだ目元を拭うマリーの胸元に掴みかかった。


「あ、あなた、いったい誰なの! ふざけないで頂戴。あなた、私のマリーをどうしたの! どうして私の病院を!」

「フフフ。落ち着いて、ママ。あのね、私をこの体に作り変えたのはマリー先生ご本人なのよ。今回の計画も、すべてマリー先生のご指示に従っただけ」

「ど、どういうことなの……?」


 カトリーヌはマリーのドレスを掴んだまま、呆然と立ち尽くす。その足は微かに震えていた、レオナルドはカトリーヌのために近くの椅子を持ってくる。


「い、いったい、何がどうなって……?」


 レオナルドに助けられながら席に着くと、カトリーヌは苦悩の表情を浮かべながら、こめかみの辺りを押さえた。レオナルドはそんな彼女に穏やかな声を心がけて語りかける。


「カトリーヌ院長、マリーさんのことを把握するには、まず、この病院にやってきた二人の女の子のことを知らないといけません」

「二人の女の子?」

「一人はリリアという名の、娼婦をしていた橙色の髪の少女。二人目はアリシアという――少し裕福な家出身の黒い髪の女の子」

「リリア……」

「ええ、そうです。院長はリリアさんをご存知ですよね?」

「え、ええ」


 カトリーヌは頷いたものの口籠り、それ以上先は言わなかった。代わりにレオナルドが口を開く。


「リリアさんはあなたの裏の仕事の材料になったんですね。彼女を改造して、業者に卸した」

「ええ……」


 俯きながら、カトリーヌは硬い表情で頷いた。


「そのリリアが、目の前の彼女です」

「そんなまさか! だ、だって、リリアはわたしが……それに、橙色の髪のまだ十代も半ばの少女で!」


 絶句したカトリーヌに、レオナルドは首を横に振った。


「正確に言うと、あなたが手術したのはリリアではなかったんですよ」

「な、何を言って……まさか!」

「あなたが手術したのは、アリシアです」


 静かに宣告したレオナルドに、カトリーヌは息をのむ。


「マリーさんの最後の手術記録は、アリシアとリリア、そして、もう一人の計三人に対して合同オペを行ったという内容だったのですが、実際どのような術式シーケンスを走らせたのかはデータが消されていました。でも、おそらく、一つはアリシアをリリアの姿に作り変えるオペだったんでしょう。そして、もう一つはリリアをマリーの外見に変えるというもの」

「ええ、そのとおりよ。アリシアはわたしの外見に整形されて、わたしの身代わりに、あなたの手術を受けて売られていったのよ」


 マリーは――いや、マリーの顔をしたリリアは冷ややかな笑みをカトリーヌに向けながら、レオナルドの言葉に同意した。


「アリシアはどこかのお金持ちのお嬢様だったのを家出してきたみたい。人目をくらますためなのか、中央島ロゼ・ノワールの貧乏人用宿舎に泊まっていて、わたしと同室になったの」


 アッシュグレーの髪のリリアは、その薄紫色の瞳を懐かしむように細めた。


「わたしは病気で顔や体が崩れていたし、ドラッグの禁断症状で酷い状態だった。でも、あの子は文句ひとつ言わず、わたしの世話をしてくれたの。わたしが吐き出したものをきれいに片づけてくれたし、酷いことを言ってもニコニコしていた」


 穏やかな表情を覗かせたリリアだったが、すぐにその顔を顰める。


「もともと、わたしは娼館の主人に、整形手術で前以上にきれいになった体で戻ってこれるよう手配したって聞いてここに来たの。しかもルーベンス医院の院長先生が執刀してくださるって。でも、嘘だったのね。わたしは用無しだから、材料として売り払われたのよ」

「それを事前に教えてくれたのは本物のマリーさんですね?」

「ええ。このリス・ド・ショコラ島に渡った後、二人部屋の病室にアリシアと二人でいるときにこっそりと教えてくれたわ。このままじゃ、そういうことになるって。その時、アリシアが『わたしがリリアの格好になって身代わりになる』って言ったの」


 リリアは何かの痛みに耐えるような表情で手を握りしめた。レオナルドは小さく頷く。


「アリシアは全くの別人になって、それまでのお嬢様としての人生を捨てたかったのかもしれないね」

「そうみたい。わたしはそんなわけにはいかないって言ったけど、あの子は『むしろその方が都合がいいの』とまで言ったのよ。それを聞いて、マリー先生から例の提案があったの」

「アリシアをリリアさんの姿に作り変える、そして、リリアさんはマリーさんの姿になる」

「ええ、そうよ」


 ここまで黙って聞いていたカトリーヌが困惑の表情を浮かべながら頭を抱えた。


「どうして……なんでわざわざそんなことを……」


 リリアは俯いたカトリーヌに向き直り、睨み付けながら言った。


「マリー先生はわたしに言った。もし、この姿で過ごして、三か月以上経ってもママが入れ替わったことに気付かないようだったら、この病院を壊してほしい。それがこの秘密のオペを行う交換条件だって」

「な……!」


 リリアを見上げ、驚愕の表情で固まったカトリーヌに、リリアは皮肉げな、蔑むような視線を投げつける。


「あなたに本当に愛されているかどうか、確認したかったんじゃない?」

「わ、わたしは、あの子を愛して……!」

「でも、わたしのこと全然気づかなかったじゃない」

「……っ!」


 苦しげに顔を歪めたカトリーヌに、リリアは冷ややかな言葉と視線を止めることはなかった。


「マリー先生は教えてくれてわ。あなたの裏の仕事。そして、その材料になっているのは私みたいに売られた人間や、試験管ベイビーだってこと。あとは、その試験管ベイビーの素性もね」

「そんな……! うぅ……」


 カトリーヌは嗚咽のような声を漏らしながら、手で顔を覆う。


「あなた、自分のクローンを実験の材料に使っていたんですってね。そして、マリー先生も、あなたのクローン。だから、マリー先生の、いわば姉妹たちが実験で殺され、改造されて売られていったことになるわけよね」


 カトリーヌは何か反論しようと口を開きかけ、しかし、何も言うことができずに再び口を閉じた。


「多分、マリー先生は絶望していた。犠牲になった子達に申し訳ないって、どうやって償えばいいのかって泣いていたわ。何より、信頼しきっていた自分の母親が鬼だったと知ったことが、一番のショックだったみたい」

「マ、マリーは……本当のマリーは今、どこでどうしているの……?」


 震えながらカトリーヌはリリアに縋り付く。だが、リリアはツンと彼女から視線を外して窓の外を見た。ベッドの近くにある大きな窓には、厚みのあるカーテンが掛かっており、その隙間からは僅かに島外に広がる雄大なカリゴリ砂漠を覗くことができた。リリアはその砂の大地を見つめ続け、カトリーヌの方を見ようとはしなかった。


 リリアが話す気がないらしいということを悟り、レオナルドは気が進まないながらも静かに口を開く。


「カトリーヌさん。アリシアそっくりの女の子が投身自殺しました。アリシアがリリアさんの外見に、リリアさんがマリーさんの外見に。だから、この死体で見つかったアリシアは……」

「まさか! まさかそんな……!」


 縋り付く手を放し、カトリーヌは顔を両手を覆ってその場に崩れ落ちた。指の隙間から滴がこぼれて床を濡らしていく。


「わざとらしい人。わたしが他人だって気付きもしなかったくせに。あんな研究をしていた鬼のくせに!」


 リリアはなじるように言い放つ。カトリーヌはベッドの縁に突っ伏して泣き崩れた。リリアはしばらくそれを醒めた目で見つめていたが、やがてそのきつい表情を少しだけ緩めた。


「でもね、ここ数か月の母娘ごっこはちょっとだけ楽しかったわ。わたしは母親の記憶なんてないから。でももう、さよならね、ママ」


 小さな声でそう呟きながら、リリアは泣き伏せるカトリーヌの頭を優しく撫でた。


 その時、マリーの部屋のドアが乱暴に開かれる。


「ああ、奥様、いらっしゃった! 大変なんです。病院から連絡が!」


 駆け込んできたのは顔色を変えたメイドだった。おそらく病院の職員から緊急連絡があったのだろう。ベッドサイドから目を腫らしたカトリーヌがゆっくりと顔を上げた。けれでも、焦点の合わないような目でぼうっとしている。


「どうなさったんです、奥様。早くいらっしゃってください」

「いっておいでなさいな、ママ。この病院がとっても大事なんでしょう?」


 メイドと娘の姿をした少女に急かされ、カトリーヌは呆然とした表情で立ち上がる。何か心残りがあるような表情を浮かべてリリアの方を見ていたが、メイドに手を引かれるままに部屋から出ていった。カトリーヌの姿が消えるとすぐ、バタンと、大きな音をたてて扉が閉まる。


 部屋に沈黙が降りた。


 レオナルドは急な静寂に耳鳴りが聞こえたような気がした。リリアの伝えた冷たい事実も、カトリーヌの涙も、全てが虚構だったような感覚を覚える。でも、カトリーヌを座らせるために移動させた椅子はそこにあったし、彼女が泣きながら縋りついたベッド脇のシーツには皺が寄り、涙の跡も残っていた。


「さて。これでわたしの短いドクター人生も終わりね」


 いくらか時間が経った後、仕切り直すように言ったリリアは、ベッドの上で大きく伸びをした。彼女はベッドから降り立ち、カーテンを開ける。降り注ぐ陽光と共に、景色が大きく開けた。


 マリーの部屋は高層にあり、その見晴らしは文句なしに素晴らしい。リリアはしばらくの間、窓の外、島を取り囲む黒い壁と、さらにその外側にどこまでも広がる砂漠をじっと見つめていた。やがて、窓から視線を外し、薄紫の瞳でレオナルドを見上げる。


「ねえ、レオナルド。悪いけど、最後に少しだけ手伝ってくれる?」

「なんですか?」

「わたしもね、色々考えるところはあるのよ」


 リリアはそう言うと、顔にくしゃりと皺を寄せてチャーミングに笑ってみせた。

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