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第四章 砂漠の母娘⑨

 ダクト内を這って進んだレオナルドは、とある吸排気口からサーバールームを覗いていた。その部屋の中央に堂々たる巨体で鎮座している装置が、ルーベンス医院の中枢を司る情報処理サーバーだ。排熱を効率化するためにたくさんの管が刺さった姿は、まるでパイプオルガンのようだった。各種の処理を実行中の彼は轟々と大きな唸りを上げている。


 しばらく待つと、正面の扉から端末を抱えた作業着姿の女性が入ってきた。人形のようにほっそりと均整のとれた長身で、長いポニーテールが揺れている。彼女は王に謁見する家臣のようにサーバーの前に進み出ると、跪いてサーバーと端末とを線で繋いだ。


 メンテナンス作業かもしれない。女性技術者がキーで何かを打ち込み、IDが認証されたらしき合成音が鳴り響いた。


 その瞬間にレオナルドは動いた。吸排気口の仕切り網を蹴り飛ばしてサーバールームの床に降り立つと、すぐに床を蹴って走り出す。女性技術者が突然聞こえた破壊音に驚いて振り返った時には、レオナルドは既に彼女との距離を詰めていた。


「悪いけど、黙ってその端末をそのまま僕に譲ってくれないか」


 レオナルドは女性技術者の喉元に無骨なナイフを突きつけていた。彼女は恐怖の表情を貼りつけたまま、言われた通り端末を手渡すような仕草を見せる。


 だが――。


 レオナルドの視線が僅かに端末に移った瞬間、女性技術者の顔がポトリと落ちた。仮面が外れたように、人形のように整った顔面が床に落下したのだ。顔面は音をたてながら、ぱたぱたとその場で回転している。


 そして、落ちた仮面の下から現れたのは、真っ黒な空洞と、その中に生えた銃口だった。


「アンドロイドか!」


 レオナルドが反射的に体を逸らした場所を何かが通過していった。レオナルドの調整された動体視力が発射されたものの形状を網膜に結ぶ。


「針……?」


 発射されたのは人差し指ほどの長さと太さをもつ針だった。針の根元にはワイヤーが取り付けられており、針の飛翔する軌跡に沿って線が伸びていく。レオナルドを捉え損ねた針は、そのワイヤーによって再びアンドロイド頭部の銃口内に引き戻された。


 アンドロイドは腕に抱えていた端末を床に落とし、頭部の銃口だけでなく両手の指先をレオナルドに向かって構えた。


「やばそうだな、これは……」


 アンドロイドの全ての指先がポトリと落ち、それに代わって十指全てに針が生えた。顔の銃口と指先、計十一本のワイヤー付き極太針がレオナルドに向かって発射される。


 レオナルドはその場で高くジャンプした。針の発射範囲よりも高く、後方ではなく前方へと。アンドロイドの上を前宙でくるりと回転しながら飛び越えていく。降り立ったレオナルドはサーバーの前に立った。


 アンドロイドは素早く針を巻き戻しながら振り返ると同時に、回収が早く終わった頭部銃口の針をレオナルドに向けて発射した。レオナルドは左側に身を移してそれを交わす。針はサーバーに突き刺さりそうな勢いで飛翔していたが、直前に糸がピンと張り、アンドロイドの頭部に引き戻された。


「なるほど、サーバーを傷つけない距離を計算しているわけだ」


 レオナルドはナイフを右腕に構え、左腕の変形金属を溶かし始めた。鈍い黒色の腕は透明度を増し、どろどろと輪郭を失っていく。


 女性型アンドロイドのポニーテールが舞い、レオナルドとの距離を詰めると同時に彼女の右腕から五本の針が発射された。レオナルドはそのうちの一本を右腕のナイフで弾き、同時に左腕で作った刀を振り回してワイヤーを絡めとる。そのまま、アンドロイドを転がすべく、左腕を思い切り引いた。


「く……!」


 だが、女性型アンドロイドはビクともしなかった。逆にアンドロイドにワイヤーを引っ張られ、レオナルドが体勢を崩され床に転る。絶好のチャンスに、アンドロイドは空いている方の腕から五本の針を放った。


「くそ!」


 レオナルドは左腕の金属を溶かして絡みついたワイヤーからは逃れるも、回避は間に合わない。右足と右腕で顔と体を庇うように覆うだけで精一杯だった。


「ぐ……!」


 右腕上腕に刺さった針は一本。残りの四本はブーツと太ももに刺さっている。アンドロイドは容赦なく五本の針をワイヤーで引き抜いた。


「ぐが……!」


 血が噴き出したのは右腕上腕だけ。飛び散る赤い血が苦痛に歪むレオナルドの顔を濡らした。右足に開いた穴からは血に代わって淡灰色の煙が漏れている。レオナルドの右足は機械式の義足なのだった。


 再びアンドロイドから放たれる針。その場から転がることで、レオナルドは紙一重で射撃を避けた。立ち上がったものの、右腕からの出血は止まらず、右足は動作不良を起こしていた。


 尚も止まないアンドロイドの攻撃を、レオナルドはいびつな盾の形状に変えた左腕で凌ぐ。片足を引きずりながら、じりじりと後退する。


 針の衝撃を吸収する厚みを維持するために、盾は一抱えほどの大きさを作るのが精一杯だった。アンドロイドが頭部を狙って来れば頭上に掲げ、足を狙われれば足元に翳す。アンドロイドの指と頭部の向きを読みながら、レオナルドは気の抜けない防戦を続けた。


「く……!」


 ガツンガツンとアンドロイドの針が何度も打ち込まれるたびに、レオナルドの盾は疲弊した。特に頭部の銃口から発射される針の威力が大きくて、盾の脆い部分に刺ささると先端が一部貫通することもあった。もちろん、その都度修復を図っているが、もともと均一な表面を再現することが苦手なシステムである上に、アンドロイドの射撃ペースが上がっていて修復作業が間に合わない。


 レオナルドはついにサーバー本体の近くにまで追い込まれる。轟々と唸りを上げて仕事をする巨大なサーバーの熱をレオナルドは背中に受けた。


 アンドロイドはすべての針を体に巻き戻し、頭部と両手をレオナルドに向ける。レオナルドの頭から足までを一挙に狙うつもりだ。これでは盾で防ぎきれない。


「一か八かだけど……」


 女性型アンドロイドから十一本の針が発射されると同時に、レオナルドは左腕の盾の形状を崩した。同時に無事である左足で踏み切ってその場から飛び上がり、右足を前方に蹴り出す。蹴り出された右足は、蹴り出した瞬間にレオナルドの体から切り離されていた。義足は勢いよく前方に飛び出していく。


 結果、レオナルドの頭部から胸部を狙ったアンドロイドの針は、不規則に揺れながら向かってくる義足に刺さり、弾かれ、あるいはワイヤーを絡め取られて、ことごとく狙いを殺がれた。足元を狙った針も、ジャンプしたレオナルドには届くことなく虚しく空を切り、サーバーに到達する前にアンドロイドへと引き戻された。


 一方のレオナルドは飛翔したまま、長刀のような形状に変化させた左腕で薙ぎ払った。女性型アンドロイドを、ではない。飛び上がりながら体を捻り、後方の、サーバーの排熱を効率的に行うために取り付けられたたくさんの管を、思い切り横に薙いだのだった。


 レオナルドが着地すると同時に巨大な管が何本も倒れ、大鐘が鳴らされるような音が室内に響いた。この一撃で、パイプオルガンのような形状のサーバーは、三分の一ほどの管を失っていた。


 レオナルドは左足だけで踏ん張りながら倒れた一本の管を引き抜き、それを女性型アンドロイドに向けて投げつける。彼女がそれを避けている間に、レオナルドはさらに残りの管を薙ぎ払った。


 ほどなく、室内に不穏なサイレンが響き渡る。赤の照明が灯り、サーバールームの空調が急速に冷え始めた。加えて、内部プログラムのシークエンスに従っただろう、女性型アンドロイドがレオナルドを無視して管の修復にあたり始めた。


 レオナルドの方も彼女の行動には目もくれなかった。彼は片足で地面を蹴りながら移動し、アンドロイドが放置していた端末を拾った。ディスプレイでアンドロイドのIDが有効になったままなのを確認し、ひとまず安心する。


 だが、急がなくてはならない。サーバーが熱でやられる前に、知るべきことを調べなくては。


 レオナルドはジャケットから取り出した小型保存メディアを端末に差し、素早くキーをタッチした。


 レオナルドの動きに気付いた女性型アンドロイドは管を放り投げ、自分の手首から引っ張り出したケーブルをサーバー本体につないだ。自分を直接サーバーに接続し、不正アクセスを防止しようとしたのだろう。だが、接続が許可された瞬間、彼女は雷に打たれたように体を反らせ、唐突に動きを止めた。名残のように長いポニーテールだけがさらさらと揺れていた。


「悪いけど、君が接続したらウイルスが流れ込むように設定させてもらった。ごめんね」


 言いながら、レオナルドはディスプレイに表示される画面を遷移させていく。まず確認したいのは病院内の手術状況だった。画面表示を見ると、サーバー異常状態を検知して、病院内の手術はすべて停止し、セーフモードに切り替わっていた。手術室でサーバー上のオペ・シークエンスを実行していた各種医療装置は、患者を元の状態に回復すべく自律運転に切り替わっている。地下階の少女の手術も停止しているようで、レオナルドは安堵の溜め息を漏らした。


 続いて探るのは患者リストだ。アリシアと、彼女と共にルーベンス医院を訪れたというリリアを探した。名称検索で二人は簡単に見つかる。二人ともマリー・ルーベンスの患者だった。


「やっぱりか。意地悪だなあ」


 レオナルドは苦笑を浮かべながら、マリー・ルーベンスの作成したカルテをサーバーから掘り起こした。ページを捲って二人がどういう手術を受けたのかを読み解くが、ページ遷移の動きは遅く、表示されない画像や文字化けも増え始めていた。


 部屋の空調は最大出力で働いていたが、サーバーの直近に座るレオナルドは砂漠にいるような錯覚を覚えるほどサーバーの熱暴走が進んでいた。サーバー本体が悲鳴のような警報音を鳴らしている。思考するのに多くのエネルギーを要し、結果、大量の熱を発生させるサーバーは冷却装置が壊れてしまうと、自らの生み出す熱に耐えられないのだ。


 レオナルドの端末に、サーバー本体から発熱警報と、自己保存のための強制シャットダウンに入る旨が通知される。シャットダウンまでのカウントダウンが二十秒から始まるが、レオナルドはそれを拒否して動き続けるよう命令を下した。たくさんの警報が画面上を流れたが、それらを表示しないよう設定変更する。


 サーバーを黙らせたレオナルドは、表示が遅くなったマリー・ルーベンスの治療試験結果や研究記録、次いで、カトリーヌ・ルーベンスのカルテを、重たい百科事典を捲るような感覚で閲覧した。


「そうか。やっぱり……」


 頷きながらディスプレイを見つめるレオナルドは、どこか寂しそうな、辛そうな、あるいは何かを懐かしむような顔で薄茶色の目を細めた。


 アリシアの整形データ。それは彼女の行方を探す上で重要な情報のはずだったが、レオナルドはそれを自分の保存媒体にコピーすることはせず、医療データのページを閉じてしまう。


 一方で、強制シャットダウンという手段を奪われたサーバーは悲鳴のような警報音を発しながらも、計算量を極限まで減らして延命を図っているようだった。レオナルドは止めを刺すべく、医療用サーバーには高負荷すぎる天文物理学のシミュレーション計算を強制的に実行させる。


「悪いけど、クライアントがデータの破壊を望んでいるからね」


 轟々と唸るサーバーの音は次第に大きくなり、それはまるで病苦の咳に苛まれる老人のようだった。荘厳なパイプオルガンのようだった巨大装置は、管を倒された無残な姿となり、所々から焦げ臭い煙を吐き出し始めていた。パチン、パチンと何かが弾けるような異音も聞こえる。


『ウオオオオオオーン!』


 ついには断末魔のような悲鳴をあげ、巨大サーバーは炎を噴き出した。レオナルドは薄茶色の瞳で、その揺れる赤の炎をじっと見つめていた。

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