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第四章 砂漠の母娘⑧

 首尾よくアルノー医師の個人秘書という地位を獲得したレオナルドは、赤茶色の髪を黒く染め、スーツに眼鏡という出で立ちで病院エリアに入り込んだ。早朝のカトリーヌがまだ私室にいる時間帯を選んだから、鉢合わせる可能性は少ないだろうが、念のための変装だった。


 びくびくしながら小さくなっているアルノーを無視して、彼の診察室にレオナルドは居座っていた。診察室とはいえ、それなりの広さがあり、古風なデザインのランプ、木製の重量感あるデスク、医学書の並んだアンティークの棚などが置かれ、全体としては古い時代の書斎をイメージさせる造りだった。ただ、患者検診用のメディカルストレッチャーや各種医療撮影機器、簡素なオートマティック・オペ・マシーン等の設備は部屋の雰囲気からは浮き上がって見えたが。


 レオナルドがアルノーのデスクに置かれた情報端末を一通り弄ってみた結果、ここから病院の医療データバンクへのアクセスは可能だが、閲覧できるのはアルノーの担当する患者の情報や彼の行った治療試験結果、病院で公に共有されている医療情報だけであることがわかった。つまりは、アリシアやリリアなど他の医者が担当した患者の情報や、各医者が独自に習得した医療スキルデータを覗くことはできないのだ。


「全てのデータを閲覧できるのは?」

「カトリーヌ院長とサーバ管理者だけだ。サーバ管理者がどんな人でどこにいるのかは私も知らない。データ管理上のトラブルや質問はすべてメールで対応される」

「なるほど」


 頷きながらレオナルドは立ち上がり、アルノーの端末に刺さった情報配線を確認する。それはデスクの中を通過し、床下へ潜り込んでいた。


 アルノーに病院内のフロア案内図を持ってこさせてから、レオナルドは机の下の絨毯と床板パネルを剥いだ。頭を突っ込んでみると、そこにはアルノーの端末に繋がる情報配線の他にも何本かの配線が行き交っていた。


 床下から顔を戻し、レオナルドは左腕の袖を捲る。露出された雪のように白い腕の、肘の辺りの皮膚を抓んで一気に指先の方まで引っ張り上げた。


 疑似皮膚の下から現れたのは黒い左腕だった。鈍い色の金属によって枯れ枝のような貧相な腕が再現されている。


 その黒い腕は次第に輪郭を失い、透明度を持ち始めた金属製の左腕は、その中に無数の白くて細い管を蠢かせながら、チョコレートのようにどろどろと溶けていった。


「変形金属の動体制御か」


 アルノーが興味深そうにレオナルドの手元を覗き込む。


 レオナルドの溶けた左腕は、先端から一本の細い糸に変化していった。硬くしなりながら、その金属糸はアルノーの端末に刺さった情報配線に絡みつく。細い金属糸は蛇が獲物に絡み付くように、配線を辿って床下へと潜り込んでいった。


「一体何を……?」


 困惑の表情を浮かべるアルノーに、レオナルドは朗らかな微笑みを返した。


「あなたは何も見なかった。そうですよね?」

「あ、ああ……そうだな」


 不安げな表情で項垂れるアルノーを無視して、レオナルドは右手に持った病院の案内図に視線を移した。職員向けに作られた案内図らしく、どの棟のどこに誰の診察室があり、手術室がどこであるかが表示されている。


 一方、レオナルドの左腕から伸びていく金属糸は配線に沿って床下から廊下の天井裏へ上がり、さらに進むとどこかの設備室に取り付けられたと思しき情報配線分岐端末に触れた。しかし、感触から判断するに、その分岐用端末には十本以上の線が接続されていて、そのどれがサーバー本体へ向って伸びているのかは判断できなかった。レオナルドは一本ずつに金属糸を辿らせ案内図と見比べながら、診察室や手術室に繋がっていない配線を探し続けた。


 のべ何十個という分岐用端末と何百本という配線とを調べ尽くし、そろそろ腹が減ったと感じ始めた頃、レオナルドはようやく情報配線の出元、サーバー本体の直近らしき場所を探り当てる。


「なるほど、地下か」


 案内図には地上階しか描かれていなかったが、明らかにその下にまでレオナルドの金属糸は到達していたのだった。


「この建物に地下があったのか!」


 アルノーの驚きの表情を見て、おそらく地下へ降りる手段は院長とサーバー管理者しか把握していのだろうとレオナルドは考えた。


「アルノーさん、ありがとうございました。ご協力は以上で結構です」


 レオナルドはアルノーに頭を下ると、腕を元に戻し、剥がした床板パネルを元通りに嵌めこんだ。ほっと胸を撫で下ろした表情のアルノーに、レオナルドは人の良さそうな微笑みを向ける。


「ご迷惑かけたお詫びに、僕から一つ忠告を。アルノー先生、あなたの医療データ、個人的にバックアップはとってありますか?」

「いや……今まで病院のシステムは大きなトラブルを起こしたことがないから、そっちに入れただけになっているが……?」

「ダメじゃないですか。大事な職業スキルデータを自己管理するのは基本でしょう。きちんとバックアップを取っておいた方がいいですよ。念のために、ね」


 そう言ってレオナルドは口の端を吊り上げて笑った。呆然とするアルノーを残し、彼は診察室を去った。



 レオナルドは病院エリア一階の小さな設備室に侵入した。いくつかの電源配電盤や情報配線分岐用端末が設置され、上階から下階へ貫くケーブルシャフトが敷設されている。


 病院の上階と下階とは当然分厚い構造体で区切られているが、ケーブルシャフト周辺だけは増設工事に対応するためだろうか、延焼防止用の柔らかい特殊樹脂が充填されているだけだった。樹脂を取り除いてしまえば小柄な人であればなんとか通れる程度のスペースがある。


 その穴を通り抜け、地下階の設備室に降り立ったレオナルドは慎重に扉を開けて廊下に出た。


 外は細くて薄暗い通路だった。足音をたてないよう、用心しながらしばらく進むと、細い通路は幅の広い廊下と合流していた。頭だけを出して様子を窺うと、病院フロアと同じ、明るく真っ白で清潔な廊下がどこまでも続いている。


 レオナルドがその白い廊下に足を踏み出そうとしたときだった。


「離して!」


 甲高い悲鳴が聞こえた。


 レオナルドが慌てて暗い通路側に引っ込むと同時に、パタパタと足音が聞こえてきた。その音と一緒に目の前の白い通路を女の子が一人駆けていく。十代半ばくらいだろうか。アッシュグレーの髪で、患者用の手術着を身に着けた小柄な少女だった。


 その少女の後ろを、警備ロボットが音もなく追尾していく。金属装甲に覆われ、キャタピラといくつかのアームがついた外観。人型の警備アンドロイドよりもこういうタイプが普及しているのは、低コストであるのに加え、その無機質なデザインに人間を威嚇する効果があるためと言われている。


 ロボットは下部のキャタピラで少女を追いかけながら、彼女に向かってアームの一つを伸ばした。


「いやああああ!」


 足首を掴まれた少女は転倒する。それでも彼女は床にしがみついて抵抗していたが、冷酷なロボットはプログラムされたシーケンスに従ってキャタピラの出力を上げた。人形でも扱うようにロボットはそのまま大きな扉の前まで少女を強制的に引きずっていく。泣き喚く少女を室内に引っ張り込むと、その瞬間に扉が無感情に閉じられた。


「ふむ……」


 薄暗い通路からその様子を覗いていたレオナルドは、腕を組んで考え込むような表情を見せる。


 レオナルドは再び設備室に戻ると給排気ダクトを探し、左腕を工具の形に模してダクトの継ぎ手を外した。生じた隙間から大量の風が吹き出すのに抵抗しながらダクトの中に入り込み、内側から継ぎ手を戻す。どうしても隙間が塞がらない部分には自分の左腕の溶かした金属を塗り固めた。


 レオナルドは暗いダクトの中を這って進んだ。身体がやっと通るくらいの幅なのに加え、風圧もすごい。だが、レオナルドは少女の消えた部屋のあると思しき方へと進み続けた。


 やがて光が見えた。


 どうやら室内へ接続する吸排気口に近付けたようだ。吸排気口カバーのスリットから中を覗くと、そこは手術室とおぼしき白い部屋だった。かなりの広さがあり、部屋中央には手術台が据えられている。他にも手術用の装置や医療用撮影機材が据え付けられ、棚には各種薬品や様々な形状の義手や義足、金属部品が並んでいる。


 壁側にはびっしりとケージが並ぶ。透明な板で作られた直方体のケージが、壁が見えないくらい大量に積み上げられた様子は蜂の巣のようだった。どうやらその中で実験動物を飼育しているらしく、各種砂漠生物や見たことのないキメラが忙しなく動き、あるいは退屈そうに寝転んでいた。


 だが、よく見るとその中に人間が混じっているではないか。レオナルドの位置からは判然としないが、背格好から判断するに未成年のようだ。さっき廊下で見かけた女の子もケージの中にいた。あのロボットに押し込められてしまったのだろうか、ケージを叩きながら何かを必死に叫んでいたが、声を聞き取ることはできなかった。


 その時、扉が開く。


 入ってきたのは淡いアッシュグレーの髪の女性。白衣を身に着けたカトリーヌ・ルーベンス院長だった。


「一人逃げ出したそうだけど?」


 部屋の隅に控えていた警備ロボットに問いかけると、ロボットは静かに彼女の前へと進み出た。


「はい。ケージに戻しました。Cの七十八番。彼女です」


 なめらかな合成音声を出力するとともに、ロボットはアームをケージの一つに向けた。カトリーヌはつかつかとその前に進み、ケージの中で泣き叫ぶ少女をじっと見つめた。


「いい加減、諦めてほしいわ。あなたの運命はもう決まっているの。あなたの人生はたまたまついていなかった。それだけなのよ。まったく。情操教育に失敗したかしら」


 そう言って、カトリーヌは溜息をこぼす。


「仕方ないわ。少し早いけれど、手術を開始しましょう」


 カトリーヌが隅のデスクに置かれた端末のキーを叩くと、壁面に並んだケージから、先ほどの少女のケージと、砂漠生物やキメラ体の入れられたケージがいくつか、天井から垂れ下がったアームによってベッドの傍まで運ばれていった。ケージの中の動物達は驚いたように暴れる。それは少女も同じで、血が滲むほど強くケージの透明な扉を叩いていた。


「無駄よ」


 氷のようなカトリーヌの声と共に、ケージの中に白い煙が充満し始める。少女も動物達も恐慌を起こしたようにケージの中で暴れまわっていたが、やがて煙がケージ内を完全に満たして中の様子は見えなくなった。しばらく後、煙が消えると、中の少女も動物も目を瞑って眠り込んでいた。


「私が術衣に着替えてくる間、念のため、この子をしっかり見張っておいて」

「了解しました」


 ロボットの滑らかな音声を聞くと、カトリーヌは出入り口とは別の扉へと消えた。


「そういうことか……」


 怒気を孕んだ声で小さくそう言ったレオナルドは、しばらくの間、眉間に皺を寄せながら思案している様子だった。


「どちらにしろ、まずは病院のシステムを掌握しないと」


 呟くと、レオナルドは再びダクトの中を這って移動し始めた。


 サーバーの置いてある場所はアルノーの部屋からの探索で大まかに掴んである。この際、多少手荒い方法をとっても仕方ないだろう。覚悟を決めて、レオナルドは狭いダクトの中を急いた。

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