第四章 砂漠の母娘⑦
日もとっくに暮れた時間帯に、人懐っこい笑顔を浮かべたレオナルドは白衣の男――アルマン・アルノーに話しかけた。
「アルマン・アルノーさん……ですよね?」
「そうですが……あなたは?」
アルノーは眼鏡越しに不審そうな視線をレオナルドに返した。皺と白髪が目立ち始めた年代の、やや脂ぎった印象の男だった。
レオナルドとアルノーが立っているのはリス・ド・ショコラ島をぐるりと巡る遊歩道のうち、病院から最も離れた場所で、他に人影はなかった。病院と遊歩道の間に広がる古風な英国式庭園が、照明設備により幻想的に浮かび上がって見える。アルノーが夜間勤務の息抜きに、度々この場所まで一人で散歩に訪れることをレオナルドは観察済みだった。
「僕はレオナルドと言います。マリー・ルーベンスさんに招いて頂いて、しばらくこちらに滞在している者です」
「ああ……」
アルノーは半分興味深そうな、半分蔑むような目でレオナルドを見た。おそらくは「マリー医師が得体の知れない男を連れ込んだ」ことは既に噂として職員の間に流れているのだろう。
「アルノーさんはマリーさんの同僚――ルーベンス医院のドクターですよね?」
「そうですが」
「実は折り入ってお願いがあるんですけど」
「なんでしょう?」
訝しげな表情を浮かべたアルノーを、レオナルドは媚びるよう目つきで見上げた。
「僕が病院エリアに入れるように取り計らって頂けませんかね?」
「は?」
意味が分からないというように、口をぽかんと開いたドクターに、レオナルドは媚びた笑顔を向け続けた。
「なんとかなりませんかね? あなたの患者にしてもらってもいいんですけど、理想はあなたの助手や秘書として登録してもらうことなんですよね」
「何をバカなことを。なぜ私がそんなことをしなければならないんだ」
アルノーは呆れたような表情で、レオナルドを置いて遊歩道を歩き始めた。
「ああ、待ってくださいよ!」
レオナルドはアルノーの後ろ姿を追いながら、口の端を吊り上げてニヤリと笑った。
「ウィークリー・ゴシップのイシカワ・カルロス氏。ご存知ですよね?」
アルノーの足が止まった。ゆっくりとレオナルドを振り返ったその顔は、目が見開かれていた。
「ウィークリー・ゴシップ編集部イシカワ殿。先日の情報提供につきまして、対価は確かに受け取りました。つきましては、お約束どおり追加情報をお知らせします。マリー・ルーベンスの私生活に関するものです。こちらは前以上のインパクトある内容となっておりますので、対価の方は……」
「ま、待て! お前、どこまで知っている!」
ぺらぺらとしゃべり出したレオナルドを、アルノーは慌てた様子で制止した。
「フフフ。少し前、電子雑誌のウィークリー・ゴシップにマリーさんが病気で診療キャンセルしていることが載っていましたが、それを流したのはあなたですね。いくらで売れました? 業種的にルーベンス母娘はインモラル寄りのセレブとしてそれなりに人気のネタですから、まあまあの額だったのでは?」
レオナルドはそう言って、ふてぶてしい表情でニヤリと笑った。
アルノーは顔を赤くしながら、ふーふーと荒い息を吐き出す。額には汗も滲んでいた。
挑発的にああは言ったものの、金目的というよりは、主に嫉妬からの行動かもしれないとレオナルドは考えていた。院長の娘だからと頻繁にメディアに露出する女。アンチも多いが腕は確かなので、有名になればなるほどマリーを指名して病院にやってくる患者が増える。そんな生意気な小娘への仕返しと、あわよくば彼女を排除して自分がその後釜に座ろう。そんなところだろうか。アルノーが女性看護師や事務員と話すときは、「いかに自分の手術スキルが高いか」「どれだけ院長やその娘をフォローしてやっているか」を大仰に語っている様子をしばしば見かけたから。女性職員達は愛想笑いの裏でほとんどの内容を聞き流している様子だったけれど。
「病欠の情報を横流ししたくらいなら、バレても減給くらいで許されたかもしれませんねえ……。でも、その件で味をしめてしまったあなたは、今度はルーベンス母娘の不仲、男性スキャンダル、そして薬物中毒疑惑の情報を売ろうとしましたね?」
「ま、まさか、あの女にそれを……!」
「いいえ。告げ口なんかしませんよ。僕はそんな卑怯者じゃありませんから」
ニコリと、レオナルドは子供のように無邪気な顔で笑った。アルノーは疑り深い表情でレオナルドの顔を覗き込む。
「何が望みなんだ……? 金か……?」
「言ったでしょう。僕はただ病院エリアに入りたいだけなんです。だから、僕をあなたの助手として登録してください。もちろん、病院内で院長やマリーさんに鉢合わせるようなヘマは絶対にしませんから」
「病院エリアに入っていったい何をする気なんだ……?」
額に汗が滲むアルノーに、レオナルドは笑顔のまま答える。
「ハハハ。患者や職員に危害を加えることはありません。マリーさんに素敵なプレゼントを贈るために、どうしても病院エリアに入る必要があるってだけなんです」
疑念に溢れた表情のアルノーに、レオナルドは朗らかな笑顔を向けた。
「協力してくれますよね?」




