第四章 砂漠の母娘⑥
食事が終わったレオナルドはマリーの自室へと連れ込まれた。マリーは給事された食事にほとんど手を付けなかった代わりに、高級な葡萄酒の瓶を次から次へと空けていた。酔っぱらい、ふらふらと足元の覚束ないマリーを支えて彼女の部屋まで付き添ったレオナルドは、そのまま部屋の中にまで引っ張り込まれてしまったのだった。
「ねえ、来てもいいのよ」
豪奢な寝台に寝転がりながら、マリーは男に媚びる笑みを浮かべていた。頬と同じくほんのりと赤みの差した目元が熱っぽくレオナルドを見上げ、着崩れた真っ赤なドレスからはきわどいデザインのランジェリーの一部が覗いていた。
「いい加減にしてください!」
寝台の外に立つレオナルドは、マリーに握られていた手を強引に振りほどく。途端にマリーは不機嫌な表情になり、薄紫の瞳でレオナルドを睨みつけた。
「フン。つまらない男!」
レオナルドから顔を背けると、マリーは寝台の傍らに置かれた箱から注射器を、ハンドバッグからは小袋を取り出した。おそらくは、中央島ロゼ・ノワールで得体の知れない男から仕入れたドラッグだ。
「マリーさん……それはやめた方がいいですよ」
レオナルドとしては親切心から言った言葉だったが、マリーはカチンときたらしく再びレオナルドを睨みつけた。
「余計なお世話よ! 放っておいて! もう部屋から出て行きなさい!」
マリーはハンドバッグや枕をレオナルドに向かって次々と投げつける。レオナルドは困ったような表情を浮かべて、言われたとおりにマリーの自室を退室することしかできなった。
※
「さて、どうしたものかな」
おかんむりになる前のマリーがメイドに手配させていたゲストルームのふかふかなベッドの上で、レオナルドは大きく伸びをした。部屋はバスルームを備えた立派なもので、自分のような者が泊まっていい場所ではないのだろうなと思いつつ、久々の高待遇をレオナルドはありがたく享受することにした。
翌日から、さっそくレオナルドはルーベンス医院の情報収集を開始する。
院長の娘であり、エース・ドクターでもあるマリーの「特別なお客様」となったレオナルドは、病院のエントランスは顔パスで通れたが、診察室や病室、手術室のエリアに入ることはできなかった。それらの病院エリアに続く扉には生体認証セキュリティシステムが取り付けられ、許可された人間しか入室できないようになっていたのだ。
こっそりと観察したところ、医者や看護師、セラピスト、事務員等の病院職員は、虹彩と指紋の照合チェックを経てそれらの扉を潜っているようだった。患者は他の患者と鉢合わせることのないよう、自律運転の車椅子に乗せられ、複雑な回廊の張り巡らされた院内をぐるぐると回った後、指定された扉に案内される。車椅子の自律思考回路と診察室内の受付嬢のやりとりを経て、患者はやっと病院エリアに入れるのだった。
カルテを始めとする医療情報を蓄えたデータバンクへアクセスできる通信回線も、病院エリア内にしか配線されていないようだった。同じ建物内であっても、レオナルドが使っているゲストルームやエントランスのような一般エリアには配線されていないのだ。このため、レオナルドはなんとかして病院施設内に侵入する必要があった。
そのためにレオナルドはまず、ルーベンス医院内の郵便受付所に侵入することにした。外部との直接の連絡を禁じられているリス・ド・ショコラ島では、五日に一度のフェリーで渡来する郵便配達が外部とやり取りするための唯一の手段だった。郵便受付所は配達人に回収してもらいたい郵便物を一時保管しておく場所で、職員・患者を問わず利用するためか、病院エリアほどのセキュリティはかけられていなかった。
レオナルドは監視カメラの死角となる場所で点検口から天井裏に入り込み、そのまま這って郵便受付所の真上に移動した。一般エリアと病院エリアは天井裏まで分厚い壁で仕切られていたが、郵便受付所はそこまでの対策は施されていなかった。
レオナルドは郵便受付所の天井に小さな穴を作り、室内を撮影できるような角度で小型カメラを設置した。
再び点検口から廊下に戻ると、レオナルドは自分も郵便を出すふりをしてふらりと郵便受付所に立ち寄った。受付所の室内には文書配達依頼用の赤い箱型ポストがあり、壁面には監視カメラもついていた。レオナルドはポストに大きめの封書を投函しながら、ポスト内壁にいくつかの小型カメラを取り付けた。こういう場合、腕をいくつにも分岐させ、自由に伸び縮みさせることもできる変形金属の左腕はとても便利だった。
数日後のフェリーの来る日の朝、再び郵便受付所を訪れたレオナルドは封書をポストに入れるふりをして内部のカメラを回収する。郵便配達人にカメラを発見されるわけにはいかないのと、画像データを回収するためだ。
しかし、ゲストルームに帰ってカメラのデータを確認しても、レオナルドの期待するものは映っていなかった。まあこんなものだろうと、大して落胆することもなく、レオナルドは郵便配達人が中身を回収した後のポストに再びカメラを取り付けに行った。また五日後に回収予定。根気よく待つこともレオナルドの仕事だった。
※
そんな仕事の合間、たまに顔を合わせるマリーは不機嫌な顔のときもあったし、焦点の合わないとろんとした目をしているときもあった。
「まだ仕事は終わらないの?」
「ええ。仕込中です。どこかのお医者さんが本当に何も手伝ってくれる気がないようなのでね」
「それはたいへんね」
今日の彼女はとろんとした目をしていた。体全体から甘いような、でもレオナルドにとっては不快な香りが発せられている。マリーは窓辺に立つレオナルドに、当然のような顔で腕を絡めようとしたが、レオナルドは距離を取ってそれを拒んだ。
「なによ、ケチね。決めた女でもいるわけ?」
「さあ? 答える義務はないでしょう」
「ああそう。浮気もできないなんて、つまらない人」
「それはどうも」
レオナルドは気のない返事をしつつ、仕事を続ける。携帯用メディアボードに付属のカメラを使い、ゲストルームの窓から職員用アパートメントを出入りする人を一人ひとり撮影しては、行動パターンをメモしていた。
「何をしているの?」
「あなたの病院の職員をチェックしてるんですよ」
「ふうん」
マリーはレオナルドに顔を近付けて、手元のメディアボードに表示された職員一覧を感慨も無さげに覗き込んだ。
その時、ゲストルームの扉が大きな音を立てて開かれる。
「マリー! こんなところにいたのね!」
マリーとよく似た声と共に扉の外から現れたのは、般若のような顔をした白衣姿のカトリーヌ・ルーベンス院長だった。
「仕事を放って何をしているの!」
「何って……」
憮然とした表情になったマリーだったが、すぐに薄紫色の目を細めて蠱惑的な笑みを浮かべた。
「彼とイイ事をしていたに決まってるでしょう?」
そう言って、マリーはレオナルドにしな垂れかかり、彼の頬を愛おしげに撫でた。あまりにもあてつけがましい態度に、レオナルドは苦笑いが顔に出ないよう気をつけなければならなかった。
「マリー! あなた何を考えているの!」
「何を考えていてもいいでしょう。わたしはわたしのしたいようにするから、ママはママのしたいようになさいよ」
「そんなわけにはいかないわ。あなたにはあなたの責任があるでしょう!」
強い眼光で睨み付けるカトリーヌから、マリーは視線を逸らした。
「今日は月に一度の総回診の日なのよ。わたしの隣にマリーがいないのでは患者さん達も不安になるでしょう。あなたを頼ってこの病院に来た人達がたくさんいるのよ。そんなこともわからないの?」
「そんなの知らないわ」
マリーが不貞腐れて言った瞬間、カトリーヌの手の平がマリーの頬を叩いた。
「痛い! 何するのよ!」
「あ、あなたが……む、無責任なことを言うから……!」
涙目でむくれているマリーよりも、彼女を叩いたカトリーヌの方が狼狽していた。きっと娘を叩いたことなどなかったのだろうとレオナルドは思った。
「わかったわよ。行けばいいんでしょ! 仕事ノイローゼの糞ババア!」
マリーは汚く言い捨ててゲストルームを出ていく。カトリーヌはしばらく顔を手で覆って項垂れていたが、やがて顔を上げると娘に続いて部屋から出て行った。その時に、レオナルドを苦々しげな顔で睨んでいくことは忘れなかった。
「完全にやっかいな間男扱いだな……」
レオナルドは困ったなあという顔で赤茶色の髪を掻いた。
それから、レオナルドが静かに廊下に出ると、カトリーヌが丁度とある扉を開くところだった。彼女がその扉に設置された認証端末に虹彩と指紋をチェックさせると、間もなく扉が開き、カトリーヌはその中へと入っていった。しばらく経つと、白衣に着替えたマリーもやってくる。母親と同様に虹彩と指紋の認証を経て、彼女も病院エリアへ続く扉の中へと入っていった。
「ふむ……」
レオナルドは腕を組み、何事かを考えるように頭を傾げた。
※
翌日はフェリーの来る日だったので、レオナルドは朝の間にポストの中のカメラを回収した。ベッドの上に胡坐をかき、メディアボードで動画情報を再生すると、封書が投函されるだけの映像が延々と繰り返される。ポスト内は真っ暗なはずだが、光学処理が施された映像では封書に書かれた送り先の地域番号や地域名称、宛名がはっきりと識別できた。この特殊な島々が運営する郵便機構は、生真面目に古い時代の送付様式を踏襲しているのだった。
動画を高速再生させながら、今回もダメだったかとレオナルドが考え始めた時だった。
「よし、ターゲット発見!」
呟いたレオナルドは、口の端を嬉しそうにニヤリと歪めた。レオナルドが静止させた画面には、とある電子雑誌社と記者名が書かれた封筒が映っていた。レオナルドは送り主の名前を嬉々としてメモする。
「アルマン・アルノー氏、と」
レオナルドは再生動画をスキャニングモードに切り替える。これはある波長の光をカメラから撮影対象に対して発し、その反射率の違いから中身を推定するというモードだ。レオナルドがポストに取り付けたカメラは、通常の撮影と共にこのスキャニングモードも並行撮影できるものだった。
スキャニングモードの画像からは、封書の中に折りたたまれた手紙と写真が入っている様子が見てとれた。手紙に書かれた文字も読めないことはないが、折り畳まれているせいで文字同士が重なり合って判読しづらい。レオナルドは文字解析アプリケーションを活用しつつ、苦労して内容を再現した。
その後、レオナルドは再び点検口から郵便受付所の天井裏に入り込み、仕掛けておいたカメラを回収した。郵便受付所内、ポストに投函する人物にピントを合わせたこの動画から、例の封書を出した人物の顔を確認し、こつこつ作ってきた職員リストと照らし合わせる。
仕入れた情報を吟味しつつ、レオナルドはこれからのシナリオを頭の中で組み立てて悪戯っ子のように笑った。
「さてさて、アルノー氏には可哀想だけど、僕のために少し働いてもらわないとね」
そう呟いて、レオナルドは楽しそうに鼻歌を口ずさんだ。




