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第四章 砂漠の母娘④

「不思議じゃないの?」


 煙草を咥え、フェリーのデッキで手すりに身を預けながらマリーは言った。砂漠の上を滑るように疾走するフェリーの上で、マリーの癖の強いアッシュグレーの髪が風にかき乱されていた。


「あなたがどうして、あなたのお母様の病院を潰したがっているか、ということですか?」

「ええ。あれからあなた、何も聞いてこないから」


 マリーに付き従ってデッキに出ていたレオナルドは、船室の壁に背を預けながら腕を組んだ。僅かに眉間に皺が寄っている。


「当然、マリーさんの真意は知りたいですよ。ただ、実のところ、僕はあなたをはかりかねているのです」

「はかりかねてる?」


 マリーは風から手で庇いながら、マッチを擦って煙草に火をつけた。眼下に広がる黄金色の海に、燃えカスのマッチ棒を投げ捨てる。それはすぐに見えなくなったが、おそらくはパウダーサンドのリフリチェの砂にずぶずぶと埋まっていっただろう。そのうち、砂の中に蠢く小さな鮫達が食べてしまうだろうとレオナルドは想像した。奴らは何でも捕食するから。


「マリーさんにどこまで踏み込んでいいのか、迷っているんですよ。だって、雑誌インタビューでのあなたの印象とはまるきり違うから」


 レオナルドの言葉を聞いたマリーは、紫煙を追っていた目をレオナルドに移した。だが、その濁った薄紫色の瞳が本当に自分を見ているのか、レオナルドにはわからなかった。


「公のメディアで見るあなたは、いつも明るい笑顔を浮かべて、ルーベンス医院がいかに素晴らしい医療機関であるのかを話していらっしゃった」


 レオナルドの言葉を、マリーは鼻で笑う。


「お金のためだもの。口だけではなんとでも言えるわ」

「尊敬する人物は誰かとインタビュアーに訊かれて、『母です』と答えていた記事も読みました」

「そう思っていた時代も……あったんじゃないかしら?」

「まるで他人事のように話しますね」

「そう……?」


 マリーはレオナルドに背を向けると、フェリーの手摺りから身を乗り出すようにした。鼻から紫煙をはき出し、短くなった煙草を砂漠に捨てる。


「もう飽きちゃったのよ。作り物の顔や体を作り続けることに。だから、全部ぶち壊してやろうと思ったの」


 露出度の高い高級なドレスから見える、可哀想なほどに痩せこけたマリーの背中を、レオナルドは見つめた。


「より良い人生、新しい人生を目指して変わろうとする人たちのお手伝いが出来ることが自分の誇りだと、広告メディアでおっしゃっていませんでしたか?」

「わたしの話はもういいんじゃない?」


 振り返ったマリーの眉間に皺が寄っているのを見て、レオナルドはそれ以上彼女のパーソナリティに関する質問をするのはやめることにした。


「ところで、僕の仕事の内容ですが」

「ああ。ルーベンス医院が持っている全てのカルテを抹消すること。特に、カトリーヌ・ルーベンス――わたしの母親で、ルーベンス医院の院長ね。彼女が作ったカルテと臨床試験記録は最優先で破壊してほしいの」


 レオナルドは頭を横に傾ける。美容整形含めた医者の治療行為にあたっては、患者それぞれの状態に合わせ、様々な工学的機械を駆使し、生物学・化学・物理学からさらに枝分かれした分野を横断した知識を組み合わせて治療プログラムが編成される。それらの医療アルゴリズムを記載したのがカルテや試験記録で、それは医者自身のスキル・知見の蓄積データともなる重要なものだった。


「そんなことをすれば、患者の信頼も、せっかく得られた医療スキルもすべてなくなってしまいますよ。ルーベンス医院の情報資産なら喉から手が出る程ほしがっている同業者もいるでしょうし、あなたが他の病院で再起を図るにしても――」

「わたしはもう、医療に関わることはないもの。それでいいのよ」


 レオナルドの言葉を遮って、マリーは吐き出すように言った。レオナルドはそれ以上問い詰めることはせず、「そうですか」とだけ言って黙る。


「あなたの報酬はお好きにどうぞ。うちの医院は基本的に紙幣で医療費を貰っているから、混乱に乗じて好きに持って行っていいわよ。ただし、カルテなんかの内容は外部に漏らさないで頂戴」


 マリーはレオナルドと砂漠を茫漠とした視線で捉えながら、たいして興味無さげにそう言った。レオナルドはその言葉を聞いて腕を組む。


「実は僕はある人物の情報を得たくてリフリチェに来たんですよ」

「ふうん?」

「アリシア・オオクニっていう、黒くて長い髪をした女の子なんですけどね――」


 濁った瞳でぼんやりと砂漠を眺めていたマリーの薄紫色の瞳が僅かに揺れた。


「ご存知ですか?」

「……知っているわ」

「それじゃあ、僕の報酬に彼女の情報も含ませてください。島に着いたら、彼女の情報を閲覧しても?」

「いいわよ。あなたがルーベンス医院のデータバンクを掌握できたらね」


 マリーは再び煙草に火をつけ、口に咥えた。僅かに苦そうな顔をして煙を吸い込む。


「実は僕は前金を頂くのが依頼を受ける条件なんですけど」

「悪いけど、今は持ち合わせがないわ」

「いえ。お金じゃなくて。先にアリシアのことを教えてもらえませんか?」


 マリーのぼんやりとした薄紫の瞳が、レオナルドの薄茶色の瞳を見つめた。


「彼女らしき外見の女の子が、この砂漠の海に投身自殺をしたらしいのですが、あれは彼女じゃないと僕は思っているんです」

「ふうん……?」


 マリーは苦い顔のまま、砂漠の青い空に紫煙を吐き出した。淡いアッシュグレーの髪が砂漠の風に揺れる。しばらく間をおいてから、マリーはうっすらと微笑んだ。


「そうよ。あれはアリシアじゃない。手術でアリシアの外見を得た、とある自殺志望者。アリシア自身も別の外見を得て、どこかに去っていったわ」

「どんな姿で、どこに?」

「さあ。それはママのカルテを見ればわかるんじゃない?」


 レオナルドが残念そうな顔をすると、マリーは意地悪げな顔でクツクツと笑う。


「可哀想だから、どうでもいい情報だけど、もう一つ教えてあげる。アリシアはリフリチェ滞在中、ある女の子と仲良くなっていたのよ」

「そうなんですか?」

「ええ。アリシアは整形手術を受けるために、まずは中央島ロゼ・ノワールを訪れた。そして、リス・ド・ショコラ島への便を待つ間に、一人の女の子と知り合ったの。名前はリリア。夕焼けのような橙色の髪をした女の子。娼婦をしていた子なんだけどね、客に教えられた薬と、客から伝染された病気のせいでボロボロの外見だった」


 懐かしい思い出を話すように、マリーは薄紫色の目を細めた。


「リリアはこれじゃあもう商売道具にならないからと、体を作り変えるために娼婦の街からルーベンス医院に送り込まれた。体調は最悪だし、精神的にもボロボロなリリアを、アリシアはよく面倒を見ていたわ。最初はお金持ちらしいアリシアにつっかかっていたリリアも、そのうち彼女を信頼するようになった」

「そのリリアっていう子は、アリシアと一緒にルーベンス医院に来たんですか?」

「ええ」

「その子はどうなったんです?」

「それもカルテを見てのお楽しみよ」


 マリーはそう言うと、鼻を鳴らすように笑った。


「意地悪だなあ、マリーさんは」


 レオナルドが苦笑すると、マリーはさらに笑い声を大きくした。晴れ渡る青い砂漠の空の下、疾走するフェリーの上で痩せた体に強烈な日差しが注がれるのも気にならないように、マリーは体を伸ばす。強い風が彼女のアッシュグレーの髪とドレスをどれだけ乱そうと、彼女はデッキに立ち続けた。


「ああ、笑うって気持ちいい。太陽って案外悪くないものね」


 そんな当たり前のことを言うと、痩せこけた頬をゆるめてマリーはにこりと笑った。

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