第四章 砂漠の母娘③
その後、レオナルドは中央島ロゼ・ノワールでのんびりと過ごしていた。散歩をしたり、美味しいレストランを探したり。たまにはニーナと、動画と手紙でやり取りをした。他には図書館でスプリング&フォール社のゴシップ誌やその他電子雑誌を掘り返して、ルーベンス医院の記事を収集した。
たまにフェリー連絡所に行って、リス・ド・ショコラ往復便の搭乗者を確認したが、生活用品や医療用品を扱う搬入業者、患者とみられる人達の乗り降りしか見られなかった。
そのまま一週間過ぎ、二週間過ぎ、中央島ロゼ・ノワールに来てもうすぐ一月になろうという頃には、さすがにレオナルドも焦りを感じていた。美容整形の患者になるか、運搬業者に潜り込むかすべきかとも考え始めた頃、リス・ド・ショコラ島からの便で中央島ロゼ・ノワールに降り立った女性を見て、レオナルドは思わず指を鳴らした。
「マリー・ルーベンス女史か」
レオナルドはフェリー連絡所の隅からタラップを降りるマリーの姿を眺めながら呟く。大量に打たれたルーベンス医院の広告や、情報メディアでのインタビューで、彼女の写真は院長と並んでしばしば使われていた。
マリーはルーベンス医院の院長であるカトリーヌ・ルーベンスの一人娘だった。母親に付いて幼い頃から医療技術を学んだというマリーは、二十歳そこそこにしてルーベンス医院を代表するドクターとなっていた。だが、医者の不養生という言葉を体現するように、肉眼で見たその顔はいやに青白い。母親から受け継いだ美貌の持ち主ではあったが、細身のカトリーヌに比べても尚痩せた体型で、その体を繕うように高級ブランドのコートを着込んでいる。
実際、マリーには病気の噂があった。ここしばらくは自宅に引き籠り、予約指名もキャンセルして執刀に立っていないようだと電子雑誌が報じている。
レオナルドは安易に彼女に話しかけることはせず、しばらく様子を見ることにした。
彼女はフェリー連絡所で住人専用のコンシェルジュに何事か頼むと、連絡所を後にした。その後をつけると、彼女は島の中央に向かい、掲示板に貼りだされた業者や個人事業者の広告に見入っていた。この掲示板には、宅配や人材派遣、出張歌手や手品師など、まっとうな事業者の一方で、ドラッグディーラーや死体処理などのいかがわしい業者も広告を出している。マリーはその後、住民専用の豪華な宿泊所に落ち着いた。
翌朝早くからマリーの泊まった建物の前で張っていると、日が高くなった頃に彼女が外に出てきた。それを待ち構えていたように現れたのは、薄汚れた服を着た貧相な男だった。男はマリーに片手に収まる程の小袋を渡し、代わりにいくばくかの紙幣を受取ると、そのまま去っていった。
「ドラッグかな……?」
レオナルドは小さな声で呟き、首を傾げた。
マリーは再び宿泊所に戻り、以降、外に出てくることはなかったので、レオナルドは自分の宿舎に戻った。
宿ではカグヤがレオナルドを待っていた。情報媒体を確認すると、ニーナからではなく、再び砂海亭の主人からだった。
『レオちゃん、女のトラックドライバーから伝言を頼まれたから、転送するよ。確認してくんな』
映像は続いて、褐色の肌に短い赤髪、緑の瞳の女性を映し出した。
『やあ、レオナルド、久しぶりだねぇ! 実はアタシの同業者が、あの写真のお嬢ちゃんに似た女の子を見かけたらしいのさ。三か月くらい前、リフリチェのロゼ・ノワールでだって。ただ……その……死体になった姿でって……』
ディスプレイの中で女性はいたわしげに顔を歪めた。
『その人は食料品の搬入でリフリチェのロゼ・ノワールに入ったんだってさ。で、どっかの島からロゼ・ノワールに戻ってくるフェリーで投身自殺があったらしくて……フェリーが屋外作業用アームやクレーンでその子を引き上げた時には、既に窒息だか脱水症状だかで亡くなっていたらしいよ。リフリチェの奴らがぞんざいな扱いで中央島にその女の子の遺体を運び上げたのを見かけたんだってさ。女の子はそのまま島内の無縁墓地に運ばれたらしいよ……』
レオナルドはガタガタと椅子を揺らしながら立ち上がり、そのまま、ロゼ・ノワール内の無縁墓地に向かって走った。
※
黒の街リフリチェは、他地域からの訪問者が問題を起こせば、瞳の虹彩が有無を言わさず登録され、同じ虹彩を持つ人間は出入り禁止となる。しかし、入島した訪問客の末路については関知しない。これはリフリチェで全く別人の外見や身分を得る者がいたり、あるいは秘密裏に消される人間がいたりするためで、訪問客のその後については深く詮索しないというのが不文律だからだ。ゆえに、住民や職員以外の者が死体で発見されても、わざわざ外部には連絡せず、それどころか身分も調べずに無縁墓地に放り込むのがルールだった。
無縁墓地は中央島ロゼ・ノワールの端にある。大きな石碑が一つあるだけで、葬られた者たちの名前すら刻まれていない。石碑は島を囲う黒い壁の影に覆われて暗く沈んで見えた。石碑の横に火葬施設があり、死者はそこで平等に焼かれ、この石碑の下に埋められるのだ。
レオナルドが火葬施設に入ると、黒いベール付きの制服を着た女性が受付に座っていた。
「あの……ここに三か月ほど前、自殺したらしい女の子が運ばれたと聞いたのですが。アリシアという名前の」
「少々お待ちください」
熱のない声で女性は応えると、ファイルを捲った。
「こちらでしょうか?」
女性が見せたページには若い女の子の遺体写真が載せられていた。真っ直ぐな長い黒髪、人形のように整った顔立ち、白いワンピースを身に着けた華奢な体。色白だった肌は青白く変化し、死斑や溢血が見られた。瞳は閉じられ、その表情は苦しげに歪んではいるが、その姿はまごうことなき――。
「アリシア……」
レオナルドはぼそりと呟くと絶句した。そして、口元に手を遣り考え込む。しばらく経った後、怪訝そうな顔でレオナルドを見つめる受付の女性に礼を言い、レオナルドは火葬場を後にした。無縁墓地の石碑に黙祷し、宿泊所に戻る。
先程見せてもらったファイルには、あの死体の少女はリス・ド・ショコラ島から中央島ロゼ・ノワールへの帰着便で船から身を投げたと書かれていた。
前に得た情報と併せて考えても、アリシアは整形するためにリス・ド・ショコラ島のルーベンス医院を訪れたと考えるのが妥当ではないだろうか。だが、あの遺体には、容姿をいじった様子がどこにもなかった。顔も体も元のアリシアのままだ。では、アリシアは何のためにあの島へ渡ったのか。そして、あの遺体は――。
「とにかく、マリー・ルーベンスに話を聞いてみたいな」
レオナルドはマリーに近付く段取りを頭で何パターンかシミュレーションした。単刀直入に話かける、ドラッグディーラーを装って近付く――相手に警戒されずに取り入る方法はどれだろうか。だが、その伝手は意外なところから得られた。
※
「探し屋のレオナルド様ですね。マリー・ルーベンス様が探偵業者と荒事代行業者を探しておいでです。両者を兼任できる方が第一希望ということで、レオナルド様のお名前に行きつきました。もしご興味があれば、話をお繋ぎしますが」
レオナルドの宿泊所に、リフリチェ住民用コンシェルジュからそう連絡が来たのだ。レオナルドは戸惑いながらも、受けたい旨を即答した。
コンシェルジュからリフリチェ住民専用宿泊所への入館許可証を得ると、レオナルドはその足でマリーの元へ向かった。
マリーの部屋を訪れると、彼女は窓際の揺り椅子に身を預けていた。フェリー乗り場で見たとおり、彼女の顔色は優れない。口元に紙巻きたばこを咥えたまま、レオナルドにちらりと視線を向け、もくもくと白い煙を吐き出しながら彼女は言った。
「あなたがレオナルドさん? さっそくだけど、頼みたいことがあるの」
マリーの青白い顔を、アッシュグレーの髪が縁どっていた。華やかで露出度の高いドレスを身に着けているが、不健康と言えるほど痩せこけた体の方が目立ってしまっている。だが、醜い印象ではないとレオナルドは思った。二十代前半の溌剌とした若さを、疲労やドラッグで塗り潰してしまう贅沢な美しさを感じた。
「ルーベンス医院を――ママの病院をぶっ壊してほしいのよ。報酬は弾むわ」
目を見開くレオナルドをよそに、マリーは物憂げな表情を変えることなく紫煙を燻らせた。
「いい? よければ明日の便で一緒にリス・ド・ショコラに向かうことにしましょう」
微かに頷くレオナルドに対し、マリーは濁った薄紫色の瞳を細めながら優しく微笑んだ。




