第四章 砂漠の母娘②
レオナルドはサンドイッチを片手に黒の街リフリチェの中央島ロゼ・ノワールの歩き回っていた。しかし、黒い壁に周囲を取り囲まれて薄暗い島内は、石畳の道と白い建物が続くばかりで、人通りは乏しかった。出くわす人々も皆できる限り人と関わらずに過ごそうとしているようで、レオナルドからは視線を逸らして歩いている。躾の行き届いた中央島の職員はもちろん、訪問客も他者と不要な諍いを起こして管理組合のブラックリストに載るようなことがないように注意を払っているのだろう。
レオナルドは赤茶色の髪を掻きながら、小さな広場のベンチに腰を下ろす。
「せっかくここまで来たのになあ……」
アン・グリースで出会った、アリシアの同級生であり、ゴシップ雑誌出版社の社長令嬢でもある少女から得られた情報は大きく二つあった。
一つは、アリシアはアン・グリースでカリゴリ砂漠における貧しい子供たちの人身売買の実態や、彼らが身体改造されて就労させられている状況、彼らを使った人体実験などについて話を聞いて回っていたこと。これらは当然、一般的な国家であれば違法行為だ。だが、前の戦争でライフラインを破壊されたこの砂漠は諸外国から見捨てられ、国境もあやふやなまま。故に、どの国からも保護されない一種の無法地帯なのだった。
もう一つは、アリシアは黒の街リフリチェに向かう乗り合いバスに乗り、アン・グリースを去ったこと。
これからどうしたものかと、レオナルドは溜息を零しながらサンドイッチを頬張る。中央島の職員を騙して入島記録を強奪するという方法もなくはないが、できるだけこの場所で騒ぎを起こしたくはなかった。揉め事を起こして入島禁止などになったら、以後の仕事に差し障る。
中央島ロゼ・ノワールには管理組合に雇われた職員くらいしか常駐者がいないため、おそらくアリシアはリフリチェ内のいずれかの孤島に渡ったものと考えられる。まずは、どの島に向かったのかを調べなければならない。
しかし、その情報を得るための足掛かりさえない。レオナルドがもう一度溜息をついたとき、黒い壁に切り取られた空からエメラルドグリーンの美しい鳥が舞い降りた。
――チチチ、チチ、チチチ
レオナルドの愛鳥カグヤは、紺色の尾を揺らしながらレオナルドの差し出した腕に停まる。レオナルドはポケットから乾燥させた豆やビスケットを取り出して与えた。
カグヤがそれを啄んでいる間に、その足に結び付けられた小型情報メディアを回収する。カグヤは今回、二つの情報媒体を持ち込んでいた。レオナルドは、まずは一つ目を懐から取り出した携帯用メディアボードに差し込む。間もなく再生アプリケーションが起動し、滑らかな二次元動画がディスプレイに再生された。
『こんばんは、レオ。そちらは順調かしら? 私は「無垢なる少女たちの街」ズシャーナを出たところよ。もちろん、わたしの用事は雨の配達だったけれど』
夜間に動画メールを撮影したらしく、あたりは暗闇だった。砂漠の漆黒の闇に浮かび上がる水色と黄緑の少女の姿。顔も体もドレスも傘も、いずれも水色と黄緑色に染まったニーナは暗く広がる砂漠の大地を静かに歩いていた。次の街にはまだ距離があるらしく、雨雲を集めるためのワイヤーは出していなかった。
『まったく。男達の欲望の街を美しい名前で呼んだものね。寿命が来るまで成長を止められた女性達で溢れていたわ。その無理な矯正手術のせいで寿命も縮んでしまうのにね』
ニーナは顔面の金属パーツを稼働し、眉根を寄せた不機嫌そうな表情を作った。
『でも女性も色々ね。嫌々仕事をさせられて、死ぬまでその仕事を続けなければならないことに絶望して、半分壊れてしまった人もいるし、より人気を、そのための美貌を求めて無理な美容整形や改造をし続ける人もいる。まあ、その人も半分壊れてしまっているのかもしれないけれど』
ニーナは寂しそうに笑った。
『そういえば、レオ、前のお手紙に書いてあったけれど、都会から来た女の子と会ったのですって? わたしと同じくらいの年の子なのよね? どんな暮らしをして、どんなことを考えている女の子なのかしら。きっとわたしとは違う生き方をしているのでしょうけれど、とても気になるわ。よかったら、彼女のことをもっと教えてくれないかしら?』
そう言うと、ニーナはその水色の目を細めて微笑んだ。
『それじゃあ、レオ、わたしからのメールはこの辺りで終わりにするわ。体に気を付けてお仕事がんばって。そして、お手紙をまたくれたら嬉しいわ。あなたの字、わたしは大好きだから』
手を振るニーナの映像がプツンと途切れ、メディアボードは黒い画面に戻った。レオナルドはもう一つのメディアを見る前に、懐から紙とペンを取り出すと、右手にペンを握ってニーナに対する手紙を書いた。
手紙を書き終えると、レオナルドはカグヤの持って来たもう一つの情報メディアをボードに差し込んだ。メディアボードは微かな唸りを上げながら、もう一つの動画を再生する。
『レオちゃん、元気かい?』
画面に現れたのは、エプロンをかけた禿げ頭の男性だった。スラム街ジブレメの食堂「砂海亭」店主だ。
『レオちゃんのお蔭でうちの奴も元気になってきたよ。本当にありがとなぁ』
店主の後ろで、その妻が手を振っていた。厚着をしているが、顔色は前に会った時よりもよく、レオナルドは安堵の溜息を洩らした。
『腕のいい流れのお医者にうちのカカアを診てもらうことができてよぉ。まだまだ投薬中だけども、だいぶ良くなったよ』
店主もほっとしたような笑顔を浮かべている。
『それでよ、本題はこっからなんだけどよぉ。そのお医者が、ウチに貼ってあるあのお嬢様の写真を見て、首を傾げるのを見かけたのよ。こりゃあなんか知ってるとふんで色々聞いてみたんだが、やっこさんなかなか口が固くてな』
そう言って、店主は渋い顔をする。
『まあ、そりゃあ医者として当たり前なのかもしれないけどよ。でも、何回目かの診察でウチに来た時によ、カカアを見てくれる礼だっつって、ウチの食堂でたらふく酒とごちそうを奢ったのよ。それこそベロンベロンになるまでさ』
壮年の店主はにやりと笑った。
『そしたらよ、さすがに細かいことは言わなかったが、どうやら、とある美容整形の診療所を手伝った時に見かけたってことは聞き出せたのさ。なんか、その筋では相当有名な病院らしいぜ。お嬢ちゃん、整形手術でも受けたのかねえ? まあ、わかったのはそれだけなんだけどよ。レオちゃんの役に立つかねぇ?』
店主は自信なさげな表情で頭を掻いた。
『じゃあ、レオちゃん、ジブレメに帰ってきたら、またウチに来な。大盛りに、おかずもたくさんサービスするからよ』
動画が途切れ、店主とその妻の映像が消えた。レオナルドは携帯用メディアボードを懐にしまいながら、口の端を歪めてニヤリと笑う。
「なるほど、やっぱりそういうことか」
レオナルドは砂海亭店主へのお礼メールを作り、ニーナへの手紙と共にカグヤの脚にくくり付け、空へ放った。そして、自らは中央島ロゼ・ノワール内にあるフェリー連絡所へ向ったのだった。
※
「申し訳ございませんが、リス・ド・ショコラ島への次の便は五日後になります。また、リス・ド・ショコラ島居住者からの渡航許可書をお持ち頂かなければ乗船は許可されませんので、ご注意ください」
消毒されたように白い内装のフェリー連絡所のカウンターでは、黒いベールのついた制服を着用した受付の女性が微笑んでいた。一見優しそうに見えるが、作り物のようにも見える表情で、他者を拒絶する印象の笑顔だった。
レオナルドは早々に諦めて受付を離れる。
黒の街リフリチェ周辺の砂漠の砂質は特殊で、一歩足を踏み出せばどこまでも沈み続けるほどのパウダーサンドだった。その様はしばしば海に例えられる。ゆえに、唯一の渡航手段である、この連絡所から出発する砂漠用フェリーに乗船しなければならない。
リフリチェは、地下水源が豊富であることがわかっていたので、地盤改良を施し、人工島を作り出して今の形が出来上がった。各島をぐるりと囲う黒い壁はパウダーサンドの侵食を防ぐ防護壁なのだ。そして、その気密性の高い構造から、現在は、色々と表に出て活動しづらい人々が暮らしていると言われている。ギャング団のアジトがあるとか、大富豪が背徳の園を築いているとか、ドラッグの製錬所があるとか、まことしやかに囁かれていた。
そのせいかは知らないが、以前は空路であれば各島に自由に出入りできたものを、現在はそれすら管理組合規則で禁じられるようになった。各島への渡航はこの連絡所で全て管理される。各島から外部への連絡すら、中央島ロゼ・ノワールを仲介して初めて可能になるほどだ。カグヤをロゼ・ノワールで呼び寄せることは許可された行為だが、他の島で呼び寄せるのは禁止行為だった。
レオナルドは拠点とした宿泊所に戻り、カフェテリアでコーヒーを注文しながら考える。
アリシアが黒の街リフリチェで有名な美容整形診療所に立ち寄ったならば、十中八九、リス・ド・ショコラ島のルーベンス医院だろう。秘密主義のリフリチェでは珍しく、積極的に広報活動している医療機関だった。
まずはルーベンス医院の関係者とコネクションを作らなければならない。
レオナルドは砂糖とミルクを入れない、苦い冷やしコーヒーに口をつけながら、長期戦になるかもしれないなと考えた。




