第四章 砂漠の母娘①
東の砂丘の彼方にキラキラと輝く朝日が昇り始めた。白々とした光が早朝の冷えた砂漠を照らし出す。
立派な舗装路が一本、黄土色の砂原の中を貫いていた。ご丁寧にその両脇にはガードレールまでが取り付けられている。今まで踏破してきた行程を考えれば天国のように走りやすいルートだった。
だが、レオナルドはぬかりなく、注意しながら愛機のバイクを走らせる。黒の街リフリチェ周辺では、何があろうと、この舗装路からはみ出してはいけない。ちょっとした事故で砂の上に落ちることは、この場所ではほとんど死と同意だからだ。
舗装路は、黒色の高い壁に囲まれた中央島ロゼ・ノワールに向かっていた。砂漠地帯で島というのもおかしな表現だが、リフリチェは砂漠という海に浮かぶ群島と表するのが相応しい街なのだ。
黒の街リフリチェは、中央島ロゼ・ノワールを中心に、数十個の孤島からなっている。それらの孤島はロゼ・ノワールと同様に黒い壁に囲まれた機密性の高い造りをしていた。島々はレオナルドのいる舗装路からも肉眼で確認できるのだが、そこには中央島ロゼ・ノワールを経由しなければ渡航できないことになっていた。リフリチェ住人による管理組合規約で禁止されていることもあるが、この土地の地盤の特性上、一般的な車両による陸路での侵入は物理的に不可能だった。空路による侵入者も、住民により撃ち落とされても文句が言えないことになっている。
バイクが巻き起こす風が、レオナルドの頭から顔にかけて巻いた黒いターバンと、綻びの目立つ焦げ茶色のロングジャケットをはためかせた。
舗装路の先に、中央島ロゼ・ノワールの黒い壁が迫る。よく見ると、舗装路に面した部分だけが鉄格子になっていた。レオナルドは警備員の立つ鉄格子の手前で停車する。ターバンを外して顔を見せながら名簿にサインすると、警備員は手元のディスプレイで何かを確認してから格子を開いた。リフリチェ管理組合のブラックリストに載らない限り、基本的に中央島ロゼ・ノワールには誰でも自由に出入りすることができるのだった。
※
周囲を高い壁に取り囲まれているせいか、ロゼ・ノワールの中は薄暗かった。石畳の通路をバイクをひきながら歩き、レオナルドは周囲を見渡す。島内には、白くて清潔そうな低層の建物が並んでいた。
観光の街アン・グリースとは比べものにならないくらい静かな街だった。中央島ロゼ・ノワールへの訪問客はそれなりに多いはずだが、管理組合に目をつけられないよう皆口を噤んで過ごしているのだろう。
レオナルドは訪問客用の休憩所を見つけ、バイクを停めて中に入る。レストランを備えていたので、とりあえず席について紅茶をオーダーした。間もなく、黒いベールつきの制服を身に着けたウェイトレスがやって来て、ポットから赤く輝く液体をカップに注いだ。芳しい匂いが周囲に広がる。
「ありがとう。ところで聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょうか」
レオナルドは多めのチップを渡しながら、営業用のスマイルを浮かべるウェイトレスに問うた。
「この写真の少女を見たことはあるかな?」
「さあ……?」
ウェイトレスは笑顔を崩すことなく、碌に写真を見ようともしないでそう答えた。
「育ちのいい雰囲気の子なんだけど……」
「お客様、この街ではみだりに他人のことを話すのはルール違反となります。あまりしつこいようですと管理組合に報告することになりますが、よろしいでしょうか?」
ウェイトレスはおすすめのメニューを伝えるような笑顔と口調のまま言った。レオナルドはすぐに両手を上げる。
「ごめんごめん。今のは忘れて。ああそうだ、しばらくここに宿泊したいからその予約と、サンドイッチか何か、テイクアウトできるような朝食を作ってもらえるかな?」
ウェイトレスは「かしこまりました」の言葉と共に頭を下げ、静々とバックヤードに下がっていった。
「さすがはリフリチェ。管理が行き届いてるねえ」
レオナルドは苦笑を浮かべながら紅茶を啜った。
「うーん、それなりに美味しいけど、そろそろニーナの淹れたお茶が恋しいなあ」
紅茶を飲み干し、感慨深げにその薄茶色の目を細めたレオナルドは、ニーナに出会った日のことを振り返る。
※
二か月ほど前のことだ。その頃には既に、スラムの街ジブレメでレオナルドは評判の探し屋になっていた。
その日、レオナルドは突然降り出した雨に驚いてアパートの外に出た。ザアザアと音をたて、乾いた大地に激しく打ち付けられる雨。そういえば、ついに湧水が干上がってしまったから、雨雲人形派遣商会の支部を誘致した、と長たちが言っていたことをレオナルドは思い出した。
街はレオナルドのように驚いて空を見上げる人々でいっぱいだった。だが、その人々が、まるで波が引くようにサッと道を開ける。その先にいたのがニーナだった。
ジブレメの人々は戸惑いながらニーナを見つめていた。他のオアシスから弾かれた人達ばかりで、過酷な就労のために身体を一部改造した者を見かけることも多い街だ。そのジブレメでも、これほど元の肉体を捨て去った女の子を見るのはそうはないことだった。
ニーナは、危険地帯を含む各地に水を運ぶ雨雲人形となるべく、全身が金属パーツに換装されていた。街の人たちは、痛々しいものを見るような、気持ち悪いものを見るような視線をニーナに投げつけていた。
しかし、レオナルドの目には、ニーナは妖精のように見えた。雨を降らせる水の精のように。
その顔も体も、水色と黄緑色に塗装された金属パーツに置き換えられたニーナ。身体と同色のドレスを着て、同じ色の傘を差し、ザアザア降りの雨の中をニーナは軽やかなステップで跳ねるように歩いていた。人々の視線に負けないよう、華奢な体をぴんと伸ばして。
それでも、やはり、その表情は少し緊張しているようにも見えた。
レオナルドがニーナに向けて手を上げて微笑んでみせると、彼女は少しほっとしたように笑顔を浮かべた。
「はじめまして。僕はレオナルド。君が長の言っていた雨雲人形の――?」
「そうです。こちらこそ、はじめまして。わたしは、わたしの名前は――ニーナ」
近くで見るニーナの瞳はガラス玉のように作り物めいていたが、レオナルドにはその淡い水色が暖かい色に感じられた。
その後、長たちとの対面し、ニーナが拠点とする事務所と住居を決めることになったのだが、雨雲人形派遣商会本部から出せる事務所費が非常に低額だったことと、それぞれの長が水の利権を求めて自分の縄張りに来るよう主張したため、話し合いは紛糾した。
結局、長たちから中立の立場であること、事務所兼住居費を折半できることから、レオナルドのアパートでルームシェアするという形に収まったのが、二人が共同生活を始めるきっかけだった。




