第三章 砂漠のお嬢様③
レオナルドが後ろに座っていることにも慣れてしまったらしいケイトは、軽快な調子で飾りのペダルを漕いだ。自転車は大通りから細い道へ入り込んだが、マリオリ少年も当然といった顔付きでそれについてくる。
「ここでアリシアについての情報を聞きましたのよ」
ケイトが入り込んだのはアン・グリースの裏通りだった。ここは一般の観光客が訪れるような場所ではない。アン・グリースで就労している者達、とりわけ、工事現場の日雇い作業員や、マリオリのように店舗を持たない観光客相手の物売りたちが生活するスペースだった。
「あら、お嬢ちゃん、また来たのかい?」
「俺達が知ってることはもう全部話してやったぜ」
レオナルドが拠点を構えるジブレメと似たような雰囲気の区画で、細い道の両脇に小屋のような住居がひしめくように並んでいる。通りには男も女も子供もいたが、いずれも擦り切れて薄汚れた服を着ており、身体強化のためのパーツを付けている者もいた。
「お、なんだい、お嬢ちゃん、その後ろに乗ってる男は。新しい彼氏? 見せつけに来たのか、こんにゃろう」
「違いますわ。ええと……」
「僕はジブレメから来たレオナルドっていいます。彼女から引き継いで、アリシアさんの探索を続けるんですよ。今日は情報の引継ぎと、ついでにこの街を案内をしてもらってるんです」
「ああ知ってるよ。評判の探し屋じゃないか」
「へえ」
裏通りの住人達は興味深げにレオナルドをジロジロと眺めた。
「ここの皆様には本当に良くして頂いたのです。ご飯の美味しいお店や、可愛らしい雑貨屋さんを教えて頂いたり、危険な――情報収集に行くのには向かない通りのことも教えて頂きました」
ケイトが微笑むと、住人達も笑った。
「つっても、今日までお嬢ちゃんが本当に知りたがってたことは最後までしゃべらなかったけどな」
「今日まで毎日来て色々おしゃべりした、そのついでさ」
「前に同じようなことを聞きに来た奴らもいたけど、都から来たらしい高慢な奴だったから無視してやった」
「アイツら、金さえ払えばアタイらが何でもしゃべると思ってたよね」
裏通りの住人達は井戸端会議のごとくガヤガヤと楽しそうに語り合う。そんな様子を見ながら、ケイトがレオナルドに耳打ちした。
「ここでの行動は以上ですわ。少し話をしただけです。この場所では私も彼らもバッグはおろか籠に触ることすらありませんでしたわ。こんな説明でよろしくて?」
「うん。ありがとう」
レオナルドが頷くのを見て、ケイトは再びペダルに足を掛けた。
「それでは皆様、今度こそ本当にお別れですわ。さようなら」
「さよなら!」
「また来た時にはおいでよ」
「お友達が見つかるといいね」
※
しばらく漕いだところで、ケイトが口を開いた。
「ありがとうございます」
「うん?」
「財布盗難の疑いがあることをあの方たちに言わないでいてくださって。よくして頂いたので、妙な嫌疑があることを伝えたくなかったのです」
「僕の場合、場の空気を良いように保つのも仕事の一つだからね」
レオナルドは自転車の後部からそう答えながらも、赤茶色の髪をいじりつつ思案するような顔をしている。
「それにしても、君みたいなお金持ちが、そこまで住人達に心配りをするのは珍しいね」
「アリシアの影響ですわ」
ケイトはそう言って優しく微笑む。
「あの子はわけ隔てなく、誰に対しても敬意を払う態度を崩しませんの。だから、私みたいな者にも優しくしてくれましたのよ」
「どういうこと?」
ケイトはペダルを漕ぎながら、肩を落として見せた。
「私、こんな風にお嬢様ぶってはおりますけれど、学園の中では最底辺ですのよ」
「そうなの?」
「社長令嬢とはいえ、小さな出版社経営者の娘ですもの。このご時世に紙での出版に拘って、最後のペーパー・パブリッシャーといわれているスプリング・アンド・フォール社をご存知かしら? 今はゴシップ雑誌しか発行しておりませんけれど」
「知ってるも何も。僕はあの雑誌の大ファンだよ!」
「まあ。うちを贔屓にしてくださって、ありがとうございます」
後部のレオナルドを振り返ったケイトの顔は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「でも、それならご存知でしょう。うちが社長自ら記事を書くような小さい会社だということを」
「僕は君のお父さんの記事、好きだけどな」
「ふふふ。うちの記事は真実が五十パーセント、出鱈目が五十パーセントと言われておりますけれど、ありがたいことに愛読してくださる方もいらっしゃるのですわね。でも、父は、娘には良い教育を受けさせて、別の道に進ませたいと考えたようですの。だから、アリシアのような、とてつもないお嬢様ばかりの通うあの女学園へ私を入学させたのですわ」
ケイトは砂を噛むような顔で、溜息を吐き出す。
「父の考えはわかるのですが、私はとても肩身が狭かった……。あの学園では親のステイタスがそのまま生徒のヒエラルキーに当てはめられるのです。いかがわしい雑誌を発行する弱小出版社の娘になんて、誰も話しかけてくれなかったのです――アリシアを除いては」
「ふうん」
「アリシアは、他の女友達に向けるのと同じ笑顔を私に見せてくれましたわ。そしてそれは、誰に対しても変わりませんでした」
「誰に対しても?」
「ええ。貧富の差も、身分の差も、人種や身体改造度の差も関係なく。例えば、学園は社会奉仕活動にも積極的ですの。恵まれない家庭環境の子供や、困窮や自然災害に困っている地域の方々のために、募金活動や実際にお会いして子守りや家事のお手伝いをするような。でも、ほとんどの生徒は形ばかりの参加で。皆見栄っ張りですから募金の集まりは良いのですけれど、現地に伺って活動をする時の態度は……」
「えげつなさそうだね」
「ええ。生徒たちは汚いものを見るような目で彼らを見ていましたわ。活動が終われば、子供の頭を撫でた手を念入りに洗って消毒までする生徒もいました」
「アリシア嬢は違ったの?」
「彼女はどのような人にも真摯な態度で向き合っていましたわ。優しい笑顔で手助けして、けれど、彼らのプライドを傷つけないようにいつも気を使っていました」
「そうなんだ」
レオナルドは感慨深げに、ケイトの後ろで頷いた。
「私はそんなアリシアを尊敬していましたの。アリシアも私を信頼してくれていた様で、私達は親友だと思っていますわ」
「だから、アリシア嬢の記事差し止めに同意したんだ?」
自転車に急ブレーキがかかる。色白の顔を僅かに青くしたケイトが、驚きの表情でレオナルドを振り返った。
「あの記事を――ご存知ですの?」
「切り抜いてうちに取ってあるよ」
にこやかに微笑むレオナルドを、ケイトはしばらく呆然と見つめた。
「きちんと全部数処分しなかった会社の不手際を責めるべきなのかしら? それとも、あなたの情報収集手腕を褒めるべきなのかしら?」
「後者だと嬉しいね」
にこにこと笑顔を崩さないレオナルドを見てケイトは溜息をつき、再び前を向いて自転車をこぎ始めた。
「あの雑誌が店頭に並ぶ直前、オオクニ社から記事抹消の依頼が来ましたの。怖い脅しと、甘い広告費の話をもって」
「オオクニ社としては当然の対応だろうね。スキャンダルも面白くないし、フィアンセのテラー家に知られたら痛いだろうし」
「父は最初、記事差し止めには反抗しておりましたの。でも、私からも差し止めをお願いしのですわ」
「へえ?」
「公正な報道のために身内贔屓がよくないのは重々承知していますわ。でも、親友と思っている人が不利になるような記事が出回ることが辛かったのです。いいえ、単純に、私はただアリシアに嫌われたくなかった。それに……」
「それに?」
「あの記事には明らかに誤報が混じっていましたもの」
自転車をこぎながら、ケイトは憮然とした表情をする。
「誤報?」
「あの記事にはアリシアが許嫁との結婚を嫌がって失踪したように書いてありましたけれど、それは事実に反しますわ」
まっすぐに前を向いてケイトは言う。
「アリシアは別の目的で、家族や私達の元から去ったのです」
「別の目的?」
「それが何なのかまではわかりません。今回の私の取材でもわかりませんでしたわ。アリシアは私には『理由もさようならも言わずに去ることを許してください。あたなの親友より』という書置きしか残していきませんでしたし。でも、確かに別の目的があるはずなのです」
「どうしてそう言えるのかな?」
頭を傾げるレオナルドを振り返り、ケイトはくすぐったそうな笑みを口元に浮かべた。
「だって、アリシアの初恋の相手はセイン・テラー氏で、あの子はずっと一途に彼のことを思い続けていましたもの」
「……へえ」
レオナルドは少し戸惑ったような表情でケイトから目を逸らした。ケイトは前に向き直り、可笑しそうにニヤリと笑った。
「あら? 恋のお話は苦手ですの?」
「いや……まあね」
「あらあら。かわいらしい人」
にんまりと笑いながらケイトは自転車を漕ぐ。少しバツの悪そうな顔のレオナルドを後ろに乗せて自転車は軽快なスピードで走る。
「でも、時々思いますの。あの記事を公にして、皆で必死にアリシアを探した方が、もしかしたら正しかったのかしらって。その方がアリシアのためだったのかしらって」
アン・グリースのメイン通りに入る直前、自転車の巻き起こす風が、ケイトの小さな呟き声を薄暗い通りに残していく。
「後悔が消えないから、こうして私はここに来てアリシアを探さずにいられないのだわ」




