第三章 砂漠のお嬢様①
「タイヤの交換だけならすぐ終わるだろうよ。ついでに点検もひととおりやっておくかい?」
レオナルドに対応したバイク屋兼修理工場のエンジニアは、油で汚れたツナギを着た赤ら顔の壮年男性だった。ホクホクと、むしろ是非見させてくれという顔をしている。後ろに控える若いエンジニア達も物欲しそうに指を咥えてレオナルドの黒いバイクを見つめていた。今時、現役で使用されているガソリンエンジンのバイクは珍しいのだろう。
「そうですね。念のため、お願いします」
レオナルドが白皙の顔に笑顔を浮かべると、若いエンジニア達は小さくガッツポーズ作った。
砂漠の道路上で女性ドライバーが運転するトラックに拾ってもらったレオナルドは、昨晩、アン・グリースに到着した。
アン・グリースに入るとすぐ、まずは建築資材の搬入時刻に遅刻することできないトラック運転手のために工事現場に直行した。観光業の盛んなアン・グリースはホテルや劇場、ショッピングセンターなどの商業施設が次から次へと建設されている。現場では自律運転の巨大重機と、何十時間連続勤務しているのかもわからない、身体改造された労働者達が昼夜を問わず働いていた。
無事に資材の受け渡しが済んだ後、荷台に積んだままにしていた盗賊を引き渡すためにアン・グリースの自警団を訪ねた。夜も遅かったので盗賊だけは牢に入れ、詳しい話は明日ということになり、その夜は解散。
翌朝、自警団の事務所で事情聴取を受け、結果、盗賊達は正式に捕縛された。裁定は街の評議会を待たなければならないが、手にかけてきた人数からも、おそらくは極刑だろうということだった。また、盗賊の奴隷にされ、今は残党を追っている運転手の弟については、お咎めなしの言質をとることができた。安堵した女性運転手は少し涙ぐんでいた。
頭を下げる運転手に別れを告げ、レオナルドは昼過ぎにようやくこの修理工場を訪れることができたのだった。
「そういえば、少し伺いたいんですけど、この子を見かけたことはありませんか?」
レオナルドはそう言って、焦げ茶色のロングジャケットの内ポケットから、アリシア・オオクニの写真を取り出し、赤ら顔のエンジニアに見せる。写真を覗きこんだエンジニアは、眉をピンと跳ね上げた。
「ああ。あるよ」
「本当ですか!」
「ただ、実物を見た訳じゃあないけどな」
「どういうことです?」
レオナルドが頭を傾げると、壮年のエンジニアは人差し指で写真を指し示して言った。
「アンタみたいに、そうやって写真を持ってきて『この子を見なかったか?』って言ってきた人が、ついこの前いたのさ」
「へえ……」
レオナルドは眉間に皺を寄せる。
「それはいつ、どんな人でした?」
「ええと……」
エンジニアはこめかみに指を当てて記憶を遡っているようだったが、やがてポンと両手を叩く。
「ああ、もうすぐ、その人はここに来るはずだわ」
その言葉とほぼ同時に、工場の入り口に人影が現れる。
「レンタルサイクルの返却に参りましたわ」
みずみずしい声と共に、水色のワンピースを着た少女が自転車を引きながら工場内に入ってきた。レオナルドよりは年下の、十代半ばくらいの年齢だろう。透き通るような白い肌に、ゆるく波打つ濃い栗色の髪は、いかにも金をかけて手入れされていそうな様子。ワンピースもいずれかの高級ブランドのバカンス用ドレスといった風情だった。
「あの子だよ。写真を持ってきたのは。ついでに、うちの自転車も借りてくれてね」
親指で彼女を指し示しながらレオナルドにそう言うと、壮年のエンジニアは笑顔を張り付けて少女の元に歩いて行った。てっきり写真を持って来たのは怪しげなゴシップ記者か、この前のような企業テロリストもどきだと予想していたレオナルドは、エンジニアと会話する少女を、気の抜けたような表情で見つめた。
「お嬢さん、今日でバカンスは最終日でしたっけね」
「ええ」
「どうでしたか? アン・グリースは」
「うるさいところもありましたけれど、綺麗ないい街ですわね。それに、五日間しか滞在できませんでしたけれど、少し収穫もありました。思いきって来てみて正解でしたわ」
「そりゃあ良かった。今日はもうお帰りで?」
「ええ。夕方の便で」
エンジニアはツナギのポケットから計算機を取り出して数字を打ち込み、結果を少女に見せる。
「補助動力付き自転車、五日間のレンタルで、しめて九千イェーグです」
「少し待って頂戴」
少女はそう言うと、自転車の前に取り付けられた籠の蓋に手を伸ばす。見た目は籐で編んだようなナチュラルな外観だが、おそらくはフェイク素材だろう。少女が腕に巻き付けたキー・デバイスを籠に近付けると、ロックが解除されて蓋が跳ね上がる。籠の中には、こちらもハイブランドのハンドバッグが入っていて、少女はその中に手を伸ばした。
「あら……?」
少女の眉間に皺が寄る。
「ないわ……私のお財布が、ありませんわ」
サアッと少女の顔が青くなる。
「そりゃあ大変だ。自警団を呼びましょうか」
「自警団……? それは少し待っていただけないかしら」
エンジニアの言葉に少女の顔がさらに曇る。
「実は私、父には黙ってここに来ましたの。だって、女一人でカリゴリ砂漠に来るなんて許してくれませんもの。友人の別荘にいることになっているのです。自警団に連絡されたら、当然親に知らせが行きますでしょう?」
「そりゃあそうですが。でも、そもそも、お嬢さんが料金を払えないっていうんなら、私から親御さんに連絡をとらせてもらいますよ。こちらも商売なんでね」
「それだったら、この鞄を売ってきますわ!」
食い下がった少女は、エンジニアに見せつけるように高級バッグを掲げた。エンジニアは困ったように顔を歪める。なんと言って説明してよいか、困惑している様子だった。
「アン・グリースで君が中古品を売るのは難しいんじゃないかな?」
停滞した二人の会話に割って入ったのはレオナルドだった。少女は半分訝しみ、半分は不機嫌そうな顔で、その灰色がかった青い瞳をレオナルドに向けた。
「あなたは?」
「僕はレオナルド。ジブレメという街を拠点に人探しや物探しを生業にしている者です」
「私はケイトと申します。砂漠の外から参りました。それで、どういうことなんですの? 売るのが難しいというのは」
「アン・グリースでは犯罪抑止のため、未成年が中古品を売るときには保護者の承諾書を得るよう、商店主には自警団からうるさく指導されてるんだよ」
「でも、買ってくれる人がいないわけではないのでしょう?」
「そうだけど、あんまり薦められないね。そういう手合いからは、おそらく足元を見られるよ。帰りの便のチケット代も必要なんだろう?」
レオナルドの意見に反論できないらしく、ケイトと名乗った少女は唇を噛む。
「手伝おうか?」
レオナルドが言うと、ケイトは怪訝な表情を浮かべる。
「君の帰りの便までに財布を取り戻せれば、すべてが丸く収まる、そうだろう?」
「それは――そうですわね」
「だから僕が……」
「お財布探しを手伝ってくださるの?」
ヒールの高い靴を履いているのを差し引いても、やや背の高い少女からは小柄なレオナルドを見下ろす形になる。にこやかに微笑みながら頷くレオナルドを、ケイトは値踏みするような視線で見つめた。
「報酬はおいくらかしら?」
「ハハハハ。困っている人からお金は取れないよ」
少女が不審者を見るように眉間に皺を寄せると、レオナルドはそれに対して、ニヤリと笑みを深くする。
「その代わりと言ってはなんだけど、報酬として君の持っている情報をもらいたい」
「情報?」
「アリシア・オオクニの行方に関する情報。さっき『収穫があった』って言ってたのはその事なんだろう? 実は僕も彼女を探しているんだ」
少女は思案するような顔で目を細めた。
「出発時刻のギリギリまで財布を探して、出てこなかったら最終手段でご家族に連絡して送金してもらうのでどうだい? その場合はもちろん僕から報酬の請求はしない」
「わかりましたわ。行きましょう」
ケイトがあまりにすんなりと同意したことに、レオナルドは目を瞠る。
「決断が早いね」
「自分の中でいいと閃いたら、その勘には従うようにしていますの。私、勘はいい方ですのよ」
「なるほどね」
「では、参りましょう。時間が惜しいですわ。この自転車、あと二、三時間借りていてもよろしいかしら」
少女がエンジニアを振り返ると、エンジニアは頷いて笑った。
「ああ、構いませんよ。契約は本日いっぱいまでですからね」
「じゃあ、僕も自転車を借りようかな」
レオナルドが言うと、エンジニアが困ったように眉尻を下げた。
「いやあ、すいませんがね……」




