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第二章 砂漠の姉弟⑤

「テッド!」

「お姉ちゃん……」


 車から降り、テッドを見つめるダイアナの顔は、信じられないといった表情から少しずつ喜びの笑顔へと変わっていった。しかし、その顔に哀しみの表情が混ざっているのは、弟の痩せ細った姿に衝撃を受けているからだろう。テッドの背丈はレオナルドより少し小さいくらいだったが、横幅は半分程しかなく、しかも、薄汚れた体はよく見れば傷だらけだった。


 そのテッドは、苦しみの滲んだ表情を変えなかった。姉が抱きついても、身を固くしている。


「テッド……お前を捨てたアタシやお父ちゃん、お母ちゃんが許せないかい……?」

「違うよ……! そもそも、僕がお父ちゃんとお母ちゃんに頼んだんだ。僕を売ってくれって。借金に加えて、体の弱い僕の面倒を見ていくなんて無理だってわかってたから」

「テッド……」


 そのまま無言になってしまう二人の姉弟。まだ息のある盗賊を縛り上げていたレオナルドは、仕事を終えてダイアナの肩を叩いた。


「ダイアナさん、とにかくコイツらを荷車に乗せた方がいいと思うんです。死体も含めて。それでアン・グリースの自警団に届けましょう。ここで皆殺しちゃって砂に埋めとくというのも一つの手ですけど、何かのタイミングで奴らの仲間に死体が見つかって、そこにテッド君だけがいないという状態になるのも、あまり良くないでしょうから」

「それもそうだね……」

「テッド君もいいかい?」

「はい……」


 テッドは俯いたまま頷いた。


 ダイアナがビークル備え付けの多指式クレーンを巧みに操作して、盗賊達を次々と荷車の中に放り込んでいく。意識のある盗賊を掴んだ時には暴れられたが、縛り上げていることもあり逃れようはない。彼らがクレーンの金属製の指に掴まれ荷台に放り込まれる様子を見て、レオナルドはゴミ箱に捨てられるゴミ屑を連想した。


「レオナルド、ありがとうね。あの子を見つけてくれて」

「本当にたまたまです。あの穴の中にチラッと赤い髪と褐色の肌が見えて。もしかしたらと思ったら、咄嗟に体がそっちに向かっていました。勝手に危険な真似をしてすみません」

「いや、本当にありがとう」


 ダイアナは目の縁を手で拭いながら頭を下げた。テッドもそれに習って頭を下げる。ダイアナはその様子を横目で確認し、少しほっとしたような表情を見せた。


「テッド君、人買いに買われた後に何があったか話せるかい?」


 テッドは俯いて口を開かなかった。ダイアナが不安そうな表情でテッドの瞳を覗き込むが、唇を噛んだまま動かない。レオナルドの薄茶色の瞳が何かを思案するように揺れた。


 暗くなり始めた砂漠の大地に、冷めた風が吹く。レオナルドはいつもより重たく感じられる口を押し開けた。


「君は売られた先で、何かの手術を受けさせられたんじゃないのかな? 少なくとも、オオサバククカメレオンに関することはなされたのだろうと僕は思うんだけど」


 テッドの枯れ枝のような体がゆっくりとレオナルドの方を向いた。緑色の瞳が驚いたように見開かれている。


「あのオオサバククカメレオンを人為的に操作して盗賊を助けていたのは君だろう、テッド君」

「あ……」


 溜め息のような呟きと共にテッドは絶句してしまう。ダイアナは弾かれたようにレオナルドに掴みかかった。


「な、なんだいそれは! 言いがかりはやめておくれ! テッドがそんな……!」

「ダイアナさん、落ち着いてください。テッド君はただ巻き込まれただけです。彼は優しい子、そうでしょう?」

「ああ……そうだね。そうだ。テッドが進んでそんなことをするはずがない」


 レオナルドの落ち着いた声で諭され、ダイアナは体を引っ込めた。


「どういうことか、何が起きていたのか、話してはくれないかい、テッド?」


 ダイアナがテッドの顔を覗き込むが、彼は少し顔を上げ、何か言葉を紡ごうとしたものの、口をパクパクと少し動かしただけで言葉が出てこない様子だった。レオナルドはテッドの肩に右手を優しく乗せた。


「僕は君の状況について、ある程度推測できている。多分、自分で話すのは辛い内容だろうね。代わりに僕がお姉さんに話してもいいかい? 君は僕が間違っている部分や補足したい部分だけ発言してくれればいい」


 テッドの姉と同じ緑色の瞳が、レオナルドの薄茶色の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「君が話したくないことだったら、僕は口を噤むよ。ダイアナさんにも誰にも一生話さない。記録にも残さない」

「……いいえ」


 テッドの少年のようにハスキーな声が響いた。


「お願いします。話してください。意気地のない僕の代わりに」


 テッドは目を伏せ、レオナルドに頭を下げた。ダイアナの緊張の混じった怖いくらい真剣な視線がレオナルドに向けられる。レオナルドは頷きながら口を開いた。


「テッド君は盗賊達と行動を共にしていました。そして、彼らの犯罪行為をサポートしていた」


 テッドは項垂れながら頷いた。


「でも!」

「ええ。テッド君は仲間であることを強要されていただけでしょう」


 レオナルドの言葉に、ダイアナがホッとしたように体から力を抜く。


「盗賊達のテッド君に対する態度や着ているもの、健康状態からして、盗賊達の奴隷として働かされていた、ということだね?」


 テッドは目を伏せることでレオナルドの言葉に同意する。


「ただ、盗賊達の装備品や服装を見ると、テッド君を奴隷商人から買うほどの余裕があったとは思えない。そして、テッド君自らが盗賊に志願したわけでもない。そうすると――」

「どこかから拐ってきて、強制的に働かせてたってことかい?」

「そういうことでしょう」


 レオナルドがちらりとテッドの方を向くと、彼は硬い表情のまま僅かに頷いた。


「そして、この現場にまで連れてこられていたということは、強盗に関する何かにも携わることを要求されていたのでしょう。奴隷をねぐらの外に出せば、逃げ出したり、助けを求めたりするチャンスを与えることになりますから、アジトの牢にでも繋いでおいた方がいいはず。それなのに、どうして彼らはテッド君を連れ歩いていたのか。それには、なぜ彼らがオオサバククカメレオンのそばに潜んでいたのかを考える必要があります」


 ダイアナが頭を傾げる。


「たまたまじゃないのかい?」

「いいえ。彼らはあそこにオオサバクカメレオンがいたことを認識していたからこそ、あの場所に潜伏していたのです」

「わざわざどうして?」

「彼らの仕事にあの生き物が不可欠だったからでしょう」

「どういうことだい?」


 ダイアナは眉間に皺を寄せ、小首を傾げる。


「ダイアナさん、昔、ある鳥を使った漁法があったことをご存知ですか?」

「鳥? いきなり何の話だい?」


 ダイアナは面喰ったように困惑の表情を浮かべる。


「鵜という鳥で、これを使う主人を鵜匠と呼びます。鵜匠は喉に縄を巻いた鵜を川に放ち、鵜は本能に従って川で魚を口に入れますが、当然、縄のせいでそれを飲み込めません。鵜匠は鵜の食道に留まったその魚を吐き出させて、獲れ高を得ます。鵜の捉えた魚には傷が付かないので、鮮度を保てるのだとか」

「へえ。面白い漁だねえ」

「その鵜匠と同じことを、オオサバクカメレオンでもしていたのだと思います」

「へ?」


 ダイアナの隣で、テッドの両目が驚いたように見開かれた。


「あのオオサバクカメレオンは、明らかに人為的に操作されています。普通は幻覚の脇にいるはずが、幻覚の後ろにいた。一匹だけならたまたまということもあるかもしれませんが、この短時間に二匹に当たるとなると、そうとも言えないでしょう。誰かがオオサバクカメレオンに手を加えています。彼らの習性を知っているカリゴリ砂漠住民を、オオサバクカメレオンに確実に飲み込ませるためにです」


 ダイアナの顔色が青くなる。


「通行者を飲み込んで、吐き出させて、そこから物を盗んでいたのかい……?」

「ええ。オオサバクカメレオンの唾液は、金属は溶かしませんが、服や人体はダメージを受けます。体を金属パーツに置き換えている人もいますが、全身を換装している人はさすがに稀ですからね。吐き出されたら、抵抗のない状態で安全に車と所持品を強奪できます。ゴムの部品はダメになるかもしれませんが、まあ、車体だけでも売れますしね」

「そうか。オオサバクカメレオンは胃液では金属とか石とか無機物でも有機物でも何でも溶かすけど、唾液では有機物系しか消化できないんだっけ」

「そうです。だから、獲物を口から先に飲み込まないよう、彼らの首に縄を巻きつけた鵜匠役がいるのです。本当に縄を巻いているわけではないでしょうけど。その鵜匠が幻覚との位置関係も調整しました」

「鵜匠……」


 ダイアナの緑色の瞳が不安げに揺れ、レオナルドを見つめた。レオナルドはダイアナの視線を一度受け止めたが、ふい、と外す。そして、テッドにその目を向けた。


「君が鵜匠役だったんだね、テッド君?」


 テッドは下を向きながら、下唇を噛んでいた。その肩が小刻みに揺れている。


「はい……」

「そんな……。そんなこと、普通の人間にできるわけないだろ!」


 ダイアナが声を震わせながら叫ぶ。レオナルドは視線をテッドを向けたまま、言葉を続けた。


「テッド君、君、人買いに売られた先は何かの研究所みたいなところじゃなかった?」

「はい……」

「彼らに手術を受けさせられたんだね。話せるかな?」


 テッドはしばらく呆然としていたが、やがて観念したように肩を落としながら頷いた。


「僕の買われていった先は、生体工学の研究成果について実効性を確認するための施設だったみたいです。初めの頃は、色々な生物の細胞を遺伝子改良した細胞を移植されました。怖かったけど、そのお蔭か、病気がちだった体が良くなったし、体力もついたので安心していたんです」


 小さい声で話すテッドの体は微かに震えていた。


「そんな……その研究の安全性は……?」


 呟くようなダイアナの言葉にテッドが微かに首を横に振ると、彼女は口元を手で押さえた。


「段々と、手術の内容はエスカレートしていきました。例えば、僕の指の神経と他の生物の神経を繋いで、それを動かせるようになるか試したり、僕の脳の一部を他の生き物のと置き換えて動作の違いを見たり」


 ダイアナの顔が蒼白となる。


「一応、そういう危ない実験の時は、終われば元の体の状態に戻してはくれたよ」


 体中傷だらけのテッドは姉に向かって寂しく笑った。


「ある日、二匹のオオサバクカメレオンがその施設に搬入されたんです。僕の脳細胞の一部が彼らに、彼らの脳細胞の一部が僕に移植されました。そして、移植された脳細胞にはそれぞれ、微小な無線通信デバイスが埋め込まれていたようです」

「遠隔で、その二匹の行動を制御できるかどうかの実験かな?」

「はい」


 レオナルドの質問にテッドは静かに頷いた。


「そうか。じゃあ、僕があっちの道で会ったやつも、テッド君が制御していたオオサバクカメレオンなんだね」

「その通りです。僕は、彼らが潜伏する場所も、餌を飲み込むタイミングも操作できるんです。僕らに埋め込まれた無線デバイスは、この砂漠の環境だとお互い密着しないと通信できないレベルのものなんですが、一度指示を与えたら、半日ぐらいは有効なので」

「そして、その状態から元の体に戻る手術を受ける前に、施設は盗賊たちの襲撃を受けたということなんだね?」

「はい……」


 テッドはその時のことを思い出したように体を震わせた。


「あの盗賊達は機関銃を手にして施設に乗り込んできました」

「彼らの元々のスタイルはそういう荒っぽいものだったんだろうね」

「そうです。あの時、彼らは施設の金品と共に、データの一部も盗んで。それで僕の能力に目を付けたみたいです。銃で脅されて連れ出されました」


 ダイアナが怯えた表情で自分の身体を抱きしめながら、テッドに問いかける。


「オオサバクカメレオンで反撃することはできなかったのかい?」

「オオサバクカメレオンは待ち伏せさせれば強いけど、咄嗟の反撃には向かないんだ。動作が遅いし、動くものに反応できないから……」


 そう言って、テッドはきつく唇を噛む。


「僕は盗賊達に脅されるまま、彼らの言う事を聞いて罪のない人達を襲いました。わざと失敗したこともあったけど、そうすると酷い拷問を受けて……」


 テッドの瞳から涙が溢れる。


「本当に、ごめんなさい……」


 膝から崩れ落ち、彼はそのまま砂の上に突っ伏すように倒れこんだ。肩を震わせながら嗚咽を洩らす。ダイアナも涙を流しながら膝をつき、弟の肩を抱きしめた。

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