第八十七話 その男「も」破天荒につき
キュッと口紅を引き、今一度鏡を覗き混む。心なしか緊張を持ったその頬にピシャリと気合いを叩き込んだ。
「うし!!」
歳さんにはちょっと気分転換に市中をぶらつきたいと嘘をつき、勘ぐる総司くんにはお土産にお団子買ってくるねと嘘をつき、そして今、一歩踏み出したのには訳がある。
なに食わぬ顔をして屯所を出発し、早足で目的の場所へと向かう。
そこは屯所からそう遠くない。けれどもそこに行ったところで何か意味があるのか。そして行ったところで何が変わるかもわからない。いや、きっと何も変わらない。
情があったのかもしれない。偽善なのかもしれない。けれど一目会って話をしたかった。会えないかもしれない。会えたところで何も話すことはない。拒否をされるかもしれない。わかっていた。わかっていたけど会って話をしたい。
その思いだけで私はある場所へと足を進めた。
*
「ここ、かな?」
とある大屋敷の前で足を止めた。門前には厳ついお兄さんが眉間に皺を寄せ、ちらりと視線を交あわせる。
…うん、たぶんここ。総司くんに昔書いてもらった市中の地図に『二条城六角獄舎』との文字があるもの。
…会いに来た。桝屋さん、ううん、古高俊太郎という長州の裏方に。
何も話すことはない。
けれど知っておきたかった。私の知ってる桝屋さんではない、長州の大罪人と呼ばれた古高俊太郎のことを。
「…あの、すみません」
「なんだ」
ちらりと私を一瞥した門前の男。なんちゅー迫力だ。けれどこの迫力に負けてはならない。
「ここに古高俊太郎という人がいると聞きました」
「…それで?」
「少しでもいいんです。その人に会えないでしょうか?」
「無理だ」
「そこをなんとかお願いします」
「………」
食い下がるもしつこく懇願すれば、男は少しの間を置き静かに手をこちらに差し出した。
ん?なに?なんだ?
まさかお手々繋いでこちらにどうぞってわけではないだろうに。
その差し出された手を見据え、頭をフル回転させる。
…もしかして。もしかしてこれはアレか?アレなんだろうか?
「…賄賂、ってことですか?」
私の問いかけに答えることなく、男は今一度力を入れたようにその手をこちらに向けた。
なんちゅー想定外。賄賂なんて用意してるわけがない。いや、それよりもこの時代は賄賂を渡せば罪人と易々面会ができるというのか。
男の行動に少々面食らってしまった。
でも無いもんは逆立ちしても無い。私の懐には総司くん対策のじゃり銭しかないっつーの。
「あの…」
「無いのか」
「お団子代くらいなら…」
えへ、などと若干ぶりっこスマイルを浮かべ申し訳なさそうにそう答えれば、男は論外とも言わんばかりの表情を浮かべ手を引っ込めたかと思うと、私なんて眼中にないかのように前をむいた。
「駄目ですか?」
「………」
「あの」
「奉行を呼ぶぞ」
くっ…!それは困る。そんなことされたら間違いなく歳さんの耳に入っちゃうもの。ここは素直に引き下がるしかないのか…
よし、こうなったら……!
駄目もとで上目遣いをしながら着物の裾をちらりと捲ってみる。が、男は嘲笑にも似た笑いを溢し、今度こそ奉行を呼びそうな微妙なラインを見せたので、私には打つ手なくその場を後にするしかなかったのである。
しかし嘲笑されるとは。ちょっと傷付いたようん。
*
やっぱり…会っても意味がないということだったのか…
…確かに会えたとしても私には何も出来ない。やっぱり会えなくて良かったのかもしれない。それに私は彼にとって憎き幕府に付いている新選組の人間。私が会いに来たところで眉をひそめられるのは間違いない。今回はちょっと軽率だったかも。
…でもあれだけの拷問を受けた桝屋さん。ならば今大丈夫なのか。せめて無事かどうかだけでも知りたい。
門番が見えなくなったところでふと足を止めた。
目の前にそびえ立つでかい木…
無謀、かな…無謀、だよね…
……でもやってみなくちゃわからん!!せめて中を見たい!
*
人目を気にしながら着物の裾を捲り上げ、人生初と言ってもいい木登りに果敢にも挑戦した私。意外にもすんなり登れ、なに?私ってば結構運動神経いいじゃん。やるじゃん私!
……なんて思った数分前の私をぶん殴りたいと今、心からそう思っています、はい。
「お…降りられない……」
…マジ待ってほんと待って超待って。
なにこれ、どうやって降りるの?登りこそよじ登れたわけだけど、ジャンプして華麗に着地、なんて高さじゃねえ。足をかける場所もねえ。マジ怪我する絶対する!
結局登ってはみたものの獄舎の中なんか全然見えねーし、もうちょい登りゃー多少は見えるのかもしれないけど、もうね、降りること考えたらこれより更に上に登るなんて絶っっっ対無理!
…つーかほんとどうしよう。どうすればいい?もしさっきの門番の男にでも見つかったらほんと歳さんの耳に……
「おやおや、たっくましい女子じゃのう!」
そんなことを考え、1人木の上で慌てふためいてる時だった。
私の真下から馬鹿でかい声が聞こえてきたのは。
やばっ!と視線を下ろせば、そこには腕を組みながらハッハッハッと大きな声で笑う一人の男。誰だこいつ?と眉をひそめつつ、よく見りゃ髪の毛はモジャモジャでなんだか着ている羽織もヨレヨレ。顔こそそこそこのイケメンだが、その風貌からは怪しい者オーラが漂っていた。
…はい、きた。まずいお約束パターン。あのオーラからして不逞浪士な可能性大だ。逃げなきゃならない。
でも私に逃げ道なんて一切ないんですけど!!
上もピンチ、下もピンチ。さぁどうするべきか私!
警戒心を丸出しに、眉をひそめしっかりと木に抱きつく私。しかし男はそんな私を見て予想外にも豪快に笑った。
「そんな警戒せんでもええき!」
「………」
「それよりおまん、そこから降りられんと違うんかえ!?ほら、手ぇ貸しちゃるき、飛び降りて来ぃや!」
さぁ、本当にどうしよう。この男はかなりの高確率で怪しい男だ。でもこの男の申し出を断ってしまったら私が下に降りる手立ては100パーなくなってしまう。どうする?どうする?
よし。
……ここは一発賭けるしかない。
「…じゃあお願いします」
身体を正面に向き直し、あらためて下を覗きこむ。と同時に自分がした行動に多大なる後悔が押し寄せた。
お、思ったより高いじゃないですかこのやろう!!大丈夫か!?ほんとに飛び降りて大丈夫か!?この初対面の毛玉を信用してほんとに大丈夫か!?
などと3秒くらいの間葛藤していると、男は私の胸中を知ってか知らずか「さぁ!どんと来ぃや!!」などと腕を広げて待っている。
もう迷っている暇はない。もう私に残された選択肢はこれしかないのだ!ええい、ままよ!!
目を瞑り清水の舞台から飛び降りる勢いで私は木の上から男を目掛けて足を踏み出し飛び降りた。
…がしかし。華麗に受け止めてくれると思いきや、男は私を受け止めた衝撃に堪えきれず、しかも漫画のように「ぐぇー!」と叫び声を上げ共に地面に転がったのであった。
*
「あたたた…」
「………」
「ちょっ、大丈夫!?ねぇ!」
「お、おまん、意外に重たいんじゃな……」
どんと来いっつったのはあんたなんですけど!!なんて若干キレぎみに食らいつく私にヘラッと笑顔を見せたこの男。ああ、とりあえず良かった死んでなかった。
それより冷静になって見てみればこの男、…でかい。無駄にでかい。立てば180はゆうにあるだろうか。しかし、この時代に似つかわしくないでかい男も私の体重を支えられなかったのかこん畜生め。じゃなくて!
「あの、すみませんでした。あと、ありがとう…」
結局私の下敷きになってしまったこの男に申し訳ないやら恥ずかしいやらで、私はバッと立ちあがり着物についた砂をポンポンとはらう。男はそんな私を見て再び二カッと笑うとそのでかい図体をゆっくりと起こし立ち上がった。
「はー…、しかしおまん、あんな木に登って中を伺おうとしちゅうなんて、誰か色男がおるんかえ?」
「へ…?いや、いないです!いないですけど…」
けど、ただ無事かどうかだけでも知りたくて。ぼそりと呟くように言った私に男は一瞬眉をひそめ、はぁ、と小さく溜め息をついた。
「たかがそれだけの気持ちでこんなことするのはやめたほうがええ」
「はぁ?」
思わず声に出てしまった。
なにこいつ。なんで初対面のこいつにそんなこと言われなきゃならないわけ?何をわかっててそんなことを…
「おまんが命をかけてでも会いたい男っちゅうわけじゃないんやろ?やったらやめとけ。その男は命をかけてあの獄舎のなかで懸命に生きようとしちゅうがじゃ」
「………」
「おまんが興味本位で覗くほど、あの獄舎ん中は甘くないんじゃき」
「べ、つに、興味本位なんかじゃ…!」
カチンときた私が言い返すも、男は再び深い溜め息をつきその言葉を遮った。
「じゃあなにかえ?その男が無事かわかったらおまんに何かしてやれるがかえ?その男はおまんに会うのを望んじゅうがかえ?」
「…っ」
「きついこと言うようじゃが、おまんがやっちゅうことは自分の満足のためにしちゅうようなもんがじゃ」
なに、こいつ…
でも…図星だ。私がこの男に言い返せる言葉は何もない。
…私が桝屋さんに会おうとしていたことはただの自己満足の他ならない。私が彼に会って出来ることなんか何もない。何より、彼にとっていいことなんか一つもない。
私、自分のことしか考えてなかった。ほんと、自己満足もいいとこ…
何してるんだろ…
何がしたいんだろう。
…事実を何も知らないこの男に不覚にも気付かされてしまった。
悔しさと恥ずかしさでいっぱいになった私は下唇を噛みしめながら小さく俯くしかなかった。
「まぁまぁ、そんなに落ち込まんと。そのうちその男もひょっこり出てくるがじゃろ」
「………」
「…それよりせっかくの縁じゃき、わしと茶屋でもどうかえ?」
「は…?」
後悔はさせんぜよ!なんてほざきながら再び豪快に笑っている目の前のこの男。
なに?なんだ?馬鹿なのあほなのこいつ!人が自己嫌悪にひたっているというのに。後悔はさせんぜよなんて、今の私、すでに後悔だらけなんですけど!!
なんてブチキレそうになるもハッとあることに気付いた。
ぜよ…?
ぜよって…
聞いたことがある。うん、聞いたことあるぞ主にテレビで。あの医者がタイムスリップする某ドラマや、イケメン演じたNHK某大河ドラマで。
……まさか。
歴史音痴の私でも知っている。まさかこいつは…
いやいやいや!まさか偉人にこんなに簡単に会えるはずもない。しかも誰でも知っているであろう、あの男と。
けど…
「ね、ねぇ。あんたの名前って…」
「ん?わしか?わしは坂本龍馬ぜよ!」
ドーンという効果音でも聞こえてきそうな堂々とした態度で、まさかまさかの坂本龍馬は不敵な笑みを浮かべた。
「やややっぱり!!!」
「ん?わしのこと知っちゅうがかえ?」
あわわ、と再び慌てふためく私に坂本龍馬は、もしかしてわしって有名人?なんて色めき立っている。
マジで?マジで坂本龍馬…!?
「ほんだらやっぱわしと茶屋にでも…」
「あほか!」
テンパっていた私は肩に回された男の腕を振り解くと同時に、世紀の偉人になるであろうその男に痛恨の一撃をお見舞いしたのであった。
*
「ところで…あんたはあそこでなにしてたの?」
「えっ…?…と、いや、その…」
頬を抑え、若干大人しくなった坂本龍馬は先程までの饒舌はどこへやら。言葉を濁し視線を泳がせた。
「なに?」
「あ、逢引きの約束、じゃったような…」
私の詰問に男はやはり目線を反らしたまま蚊の鳴くような声でそう答えた。
…ちょっとおい、現代人よ、この男を持ち上げすぎじゃないかい?
「…最低すね、あんた」
歴史上の偉人は本当はこんなんだったよ…
駄目、坂本龍馬に騙されちゃ超駄目。
「し、しておまんは誰じゃ?今度はおまんが名乗る番じゃ!」
「私は野村由香です」
「由香……」
*
…由香。
聞き覚えのある名じゃった。はて、どこの女子じゃったか?一度会った女子は忘れないはずじゃが…
……そ、そうじゃ!!確か高杉さんが…
「奇想天外な女で名は由香と言ったら俺が惚れた女だ!手を出すなよ!」言うちょった!!まさか、まさかこの女子が…!?
「お、おまん、もしや高杉さん知っちゅうがかえ?」
「!!」
女は高杉さんという名を聞いた瞬間、目を大きく見開いて驚きの表情を見せた。
しししし知ってます…なんて小声で口を噤んだが、やはりこの女……!
「俺の女言うちょった!」
「 女じゃねーし!!」
顔を赤らめながらバシッとわしの肩を叩く女。
…なんとまぁ、口も粗相も悪い女子じゃ。じゃが高杉さんが惚れたというのもわかるような要素を持つ女子じゃ。それにはちきんはわしも嫌いじゃないがじゃ…なんて言うたらお龍に怒られるがじゃ!!
「た、高杉さんの友達、ですかもしかして…」
「そうじゃ!おまんの話はよく聞いちょったがよ!いい女じゃと」
「マジすか…」
…まじ?まじとは何語じゃ?奇想天外とは聞いちょったが、まっこと面白い女子じゃ。こん時代には似つかわしくない不思議な雰囲気じゃのう。
「ほんだらもしかしておまんがここに会いに来たのは古高のことかえ?」
「………」
古高、の名を出した瞬間。女子は狼狽えた様子を見せ再び俯いてしもうた。何か深い訳でもあるんじゃろうか。
まぁええ。高杉さんに関わっちゅうということは、この女子の正体もいつかわかるじゃろ。
「まぁええ。何か事情があるみたいじゃしな。それよりおまん」
*
おまんは夢ちゅうもんがあるかえ?
坂本龍馬は突然、この空気を断ちきるようにへらっと笑った。
「ゆ、夢…?」
何を言い出したのかと思えば、そうじゃ、夢じゃ!と頷く男。
ええと、なんでこう高杉さんといいこの男といい、話が180度飛ぶのか。そういえばあの桂さんでさえこっちの頭の回転をフル無視した話の振り方をしていたような気がする。
ううむ、破天荒は高杉さんだけじゃなかったのね。
なんていう私の心中を無視するかのように坂本さんは生き生きとした瞳で言葉を続けた。
「わしはな、カンパニーを作って世界を相手に一つ、金儲けをしようとしとるがじゃ!」
「カンパニー…って……会社、ですか?」
「会社?まぁ、組織っちゅうやつじゃな」
「………」
「意外、っちゅう顔じゃな」
「いえ…!ただ驚いただけで…坂本さん、武士なのに……」
「武士、か…」
武士が刀を振るう事以外に夢、志なんて持つものだろうか。ましてや今時代が動く最中。しかも初対面の私にいきなり夢を語りだすなんて…
やっぱりこの男、少し変わってる?
首を傾げれば、私を射ぬくその強い眼差しに思わず胸がどきりと高鳴った。
「わしは見てくれこそ二本差じゃが、倒幕やらなんやらはまったく興味がないがじゃ!人を殺しても何も面白いことはないき」
じゃき、わしはカンパニーでたーんまり稼いでのらりくらり生きていくんじゃ!なんて笑った坂本龍馬。
意外、というより正直衝撃を受けた。
…この戦いがすべてというこの時代にこんな考えの人がいるんだ。
もしかしたら坂本龍馬は誰よりも先見の明を持っている男なのかもしれない。この夢がもし叶うのだとしたら、幕末の偉人として後世に名を残したのも納得がいくものなのだろう。
驚きを隠せぬまま再び視線を交合わせれば、ニッコリと笑う坂本龍馬。
…揺らぐ。
このままこの男と話していると、もしかしたら私の覚悟は揺らぐかもしれない。
なぜかふいにそう思った私は、その真っ直ぐな瞳に若干の違和感を覚えながらも「じゃ、じゃあまた」と一礼し、引き留める坂本龍馬を尻目に逃げるようにして屯所へと踵を返したのであった。
*
「…っちゅうわけでな、ここに来るのがちくと遅くなってしもうたがじゃ」
咄嗟に逢引きと嘘をつき、面会を果たした古高は思ったよりも自由に動ける身となっていた。
これなら意外に早く釈放の措置がとられるかもしれん。あの女子も喜ぶことじゃろう。
しかし…、何かいけんことを言ったかのう…。もう少しだけ話したかったんじゃが…なんて、はちきんな女子相手じゃとすぐそう思ってしまうのはわしの悪いクセじゃ!!
そう思ったと同時じゃった。古高から予想もしない言葉が飛び出たのは。
「はぁ…坂本さんよ」
「ん?」
「その由香という女は新選組副長土方の女だよ」
「な…!!そ、そりゃあまことか!?」
「まったく…高杉さんといいあんたといい…」
まぁ、なんとなくあの女に惹かれる気持ちもわからんでもないがな。と、古高は口角を上げ、嘲笑にも似た笑みを溢した。
なんとまさか。まさか新選組と関わりのある女子じゃったとは。しかもよりにもよってあの悪名高い土方の女…
そして高杉さんが惚れ込んだというあの女。
こりゃあまっこと…
「まっこと面白いもん見つけたがじゃ……」
わしは古高笑うその側で込み上げてくる笑いを噛み殺し、空高々遠くを見上げたのじゃった。
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六角獄舎近くの神社の神木のそばで、坂本龍馬とお龍が逢引きをしていた。などという記載をもとにこのお話書いてみました。時系列はめっちゃズレてます。
ちょっと、いやだいぶねじ込んでみました。




