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第八十六話 愛と哀しい本音と



「さ、総司くん。しょっぱいだろうけどこれ飲んで」

「すみません…」


由香さんに差し出されたお椀を力無く受け取り、そっと口に運ぶ。

一口それを口に流し込めば少し辛めの味噌の味が身体中に染み渡るようだった。なんだか身体が生き返るのが手に取るようにわかる。


「大丈夫?ゆっくり、ね?」

「はい…」


まったくもって情けない。武士の欠片もない。

壬生の屯所が目前に見えた。ああ、やっとゆっくり休めると気を緩めた瞬間、僕はその場で気を失ってしまったのだ。池田屋でのあの醜態ですら許せないものなのに、再び同じことを繰り返すなんて。

結局相棒にもほとんど血を吸わせてやれなかった。あんなに楽しみで胸が高揚したのに…

僕ってば武士に向いてないのかもしれないなぁ…


「もう今日はゆっくり休んで」

「はい…」

「そんな変な顔しないで。熱中症なんて誰だってなるんだから」


茫然自失が露骨に顔に出ているのだろう。由香さんが気を使ってくれているのがよくわかる。

でもやっぱり自分が許せない。あんな緊迫した場面で気を失うなんて。由香さんがあの場に居なかったら僕はきっと命を落としていた。

気恥ずかしいやら情けないやらで、開口一番あんな悪態をついてしまったけれど本当は感謝しているんだ。


「…由香さん、今日はありがとうございました」

「どうしたの、急に」

「情けないですよね僕ってば。これで新選組一番隊組長だっていうんだから笑っちゃうや」

「そんなことないよ」

「武士どころか、男としての風上にも置けない」

「総司くん…」


由香さんの表情が曇るのがわかる。困らせたいわけじゃない。

でも弱い僕の口は止まらないんだ。



「あ~あ…本当、情けないですよね。こんな僕は、あの時斬られちゃっても良かっ…」


斬られちゃっても良かったかな。

本心で言ったつもりじゃなかった。けれど弱音が止まらなくなった僕がそう口にした瞬間――…


――ガチャン!!!


「!!」


僕の目の前で正座をしていた由香さんが持っていたお盆を畳に勢いよく叩きつけた。


「たった一度の失敗で何弱音吐いてんの!?」

「!!」

「斬られた方が良かっただと!?ふざけんな!!てめーはそれでも一番隊組長の沖田総司か!!!」

「ッ…!」

「あんたは死んじゃいけねーんだよ!!いい!?そこで待ってなさい!!」

「あ!ちょっ、由香さん…!」


由香さんは物凄い剣幕で僕を叱りつけると、バッと立ち上がりすごい勢いで部屋を出ていってしまった。


…驚いた。

あんな風に女の人に叱られたのなんてミツ姉さん以来だろうか。いや、ミツ姉さんだってあそこまで口は悪くなかったはず…

っ……はははっ。さすがはあの鬼の副長が惚れた女の人だ!敵わないや!

…由香さんが帰ってきたらすぐに謝ろう。それともう一度、ちゃんと御礼も。


ひとしきり笑った僕はごろんと布団に横になりゆっくりと瞼を閉じたのであった。







それからどれくらいの時間がたったのだろうか。


「…さん!沖田さん!!」

「…ん……?」


誰かに名前を呼ばれる声で再び目を開けた。

由香さんが…帰ってきたのかな?

そう思って目を擦れば、次の瞬間、視界に捉えた顔に思わず息を飲んだ。


「お悠、さん…!?」

「沖田さん!沖田さん、良かった…!!」

「な、んで…」

「さっき由香さんがうちに走り込んできて…沖田さんがもう駄目だからって…」

「由香さんが!?」


参った。まさかお悠さんを呼びに行っただなんて…

しかも僕はこんな情けない姿で…


「お悠さん、すみません、こんな情けない姿で…」

「何言ってるのよ!どんな姿だって、私は沖田さんが生きていてくれてさえいればいいの」

「え…」


予想もしなかったお悠さんの涙ながらの言葉にとくりと胸が高鳴る。それって…どういう…


思わず涙で濡れたその頬にそっと手を伸ばし涙を拭う。けれどハッと理性が働いてその手をゆっくりと引っ込めた。


「あ…すみ、ません…僕の手は汚れているのに……」

「馬鹿!!」


すべての思考が停止した。

だって僕のその血に汚れた手をお悠さんがそっと自分の頬に添えたから。

凛とした瞳が真っ直ぐに僕を貫く。

お、悠…と小さくその名を口にすれば、彼女は震えるように小さくその口を開いた。


「ずっと…ずっと考えていたの…」

「………」

「…沖田さんのことを考えるたびに…この胸を焦がすような熱い思いはなんだろうって。でもね、でも…やっと気付いたの」

「………」

「…沖田さん。私…沖田さんのことお慕い申し上げております」


言葉が出なかった。

まさか。まさかお悠さんも僕と同じ気持ちでいてくれてたなんて…


「ごめんなさい、疎ましいかもしれない、けど…」


両手で真っ赤になった顔を覆うそれを遮るようにそっとお悠さんの頬を撫でる。ぴくんと肩を震わせ、ゆっくりと顔をあげるお悠さん。その澄んだ瞳に胸の鼓動が大きく跳ねた。


ああ、そうだ…

僕は本当はずっとこうしたかったんだ…


「僕、も…きっと初めてお会いしたその時からずっと…」


華奢なその肩をそっと抱き寄せれば、欲しがった温もりがそっと僕を包み込んだ。




***




「………」


聞き耳をたてていた障子からそっと耳を離す。

…どうやら私の思惑通り、二人は上手くいったようだ。

むふふと込み上げる笑いを噛み殺し、静かにその場を後にした。


お節介、そしてこのタイミングでお悠さんを連れてきたのは正直賭けに近かった。でもきっとこれで総司くんは大丈夫。数日後にはあの腹黒さがパワーアップして戻ってくるだろう…なんて。

一時の感情ではあるのだろうが、茫然自失となっている総司くんに再び自信と強さを取り戻してもらうには、守る人の存在が必要だと。それが総司くんにとっては間違いなくお悠さんなわけで。きっとこれで総司くんはますます強くなる。

…なんてこれは山南さんの二番煎じ。

いつだっただろうか。

「人は守るべきものができたときにもっと強くなれる」

優しい笑顔を浮かべながらそう教えてくれたのは。


……一難去ってまた一難。

山南さんは今、どうしているだろう。そういえば帰ってきてから一度もその姿を見ていない。興奮冷めやらぬ皆と一緒にいるとはどうしても考えにくい。どこかに出掛けてしまっただろうか…

一度気になりはじめるとキリがない。屯所内がもう少し落ち着いたら、彼の部屋に行ってみようか。


そんなことを考えながら廊下の角を曲がった瞬間。

すらりとした男の姿を視界に捉えた。思いは人を呼ぶというのは本当なんだろう。だってそれは山南さんに違いなかったのだから。


徐々に近付いてくるその姿。私の姿を捉えたその真っ直ぐな視線に思わずごくりと息を飲んだ。


「………」

「………」


ついに対峙した山南さんは何も言葉を発しない。ただただその眼で私を静かに見下ろした。

怒られる。そう思って身構えれば、その私の心中を透かしたように山南さんはふっと口角をあげ、小さな笑みを溢した。


「山南、さん…?」

「総司と平助を助けてくれたそうですね」

「いえ、助けたというほどじゃ…」

「心から礼を言います。ありがとう」


小さく頭を下げ、笑顔を見せた山南さん。

…この笑顔。懐かしさを覚えたそれは、私が知ってる山南さんに違いなかった。違いないのだけれど、その笑顔はとても寂しそうで。

彼はゆっくりと空を見上げ、小さくため息をついた。


「私は…君達が憎かったのかもしれない」


突然のその言葉にドキリとした。

でもきっと…その事にずっと前から気付いていたんだと思う。私も、山南さん自身も。でもそれを認めたくなかった。認めてしまったら、心に決めた志に背くことになってしまうだろうから。


「口でこそ偉そうな事を言ってはいたが…」

「…そんな、偉そうなだなんて」

「……この僕の手、は」

「………」

「この僕の手は……、剣を握り、本当は君達と同じ戦いの場に肩を並べていたかったんだ。命果てるその瞬間まで……」


彼はそう言って不自由となった左手を震えながらもゆっくりと空に掲げると、小さく、だが力強くその手で空を掴んだ。

同時に彼の頬をつつ…と一筋のそれが流れ落ちる。その悔しさと哀しみに溢れた光景に私は息を飲んだ。


彼の苦しみは決して終わってなんかいなかった。

悔しくないはずがない。彼もまたこの時代を生き抜く武士の一人なのだから。そして彼も間違いなく新選組の仲間の一人なのだから。


きつく握られた男の左手に静かに手を重ねれば、男はふと肩の力が抜けたように私に身体を預け、


「情けない…」


そう小さくな声で呟くと、歯を食い縛りながらも小さな嗚咽を漏らした。


…山南さん。あなたは何も悪くない。何も間違ってなんかない。全然情けなくなんかない。

込み上げてくる思いを口にすることができず、私はただただその震える肩を抱き締めていた。





どれくらいの間、そうしていただろうか。徐々に落ち着きを取り戻した山南さんは私からゆっくりと離れ、小さな笑みを溢す。その笑顔は言葉でなんか表せないほど寂しそうで。そして哀しそうで。そんな力ない笑みに私はますますかける言葉を失ってしまった。


「…すまない、格好悪いところを見せてしまいましたね」

「格好悪くなんか、」


格好悪くなんかないです!

やっとの思いでそう口にすれば、彼は再びふっと口角をあげ「ありがとう」と小さく言葉を残し、くるりと踵を返した。


…このまま帰してしまっていいのか。けれど私には何も出来ない。何も彼にしてあげられない。でも、でもでも何か言葉を…なんでもいいから言葉をかけなくちゃ…!


「山南さんっ…!また一緒に…また一緒に味噌田楽食べましょう!」


咄嗟に大きな声で背中にそう投げ掛ければ少し迷ったように止まった彼の足。そして少しの間を置いてその左手をゆっくりと小さく挙げたかと思うと、今度こそ廊下の奥へと姿を消したのであった。



***



陽も傾きかけた夕方。徐々に赤く染まる道を私はお悠さんと並んで歩いていた。

正直、足取りは重かった。総司くんとお悠さんが結ばれたのは本当に嬉しい。嬉しいけど今の私の頭の中はさっきの山南さんのことでいっぱいだった。

彼は大丈夫だろうか?

あのまま山南さんが消えてしまいそうでついあんな言葉を投げ掛けてしまったけど……


「…さん?由香さん?」

「え?あ、ああ、ごめん、」


そうだ。今はお悠さんが隣にいたんだっけ。総司くんのことがあったとは言え、無理矢理連れてきた当の本人がこんなんじゃ変に思うよね。


「大丈夫?顔色が良くないわよ?」

「ううん、大丈夫!」


心配をかけまいとへらりと笑った私にお悠さんは、そう?と今一度問いかけ、私を覗き込む。うんうんと頷けばそれにつられたように彼女は笑みを見せた。


「今日はほんとびっくりしたわ。由香さんがいきなり飛び込んでくるんだもの」

「あはっ、ごめんね」

「しかも沖田さんは元気そうだったし」

「総司くんにはっぱをかけるのはお悠さんしかいないと思って。それに良かったね結ばれて!むふふ…」

「もう////!由香さんのばか////!!」


真っ赤な顔で私の背中に渾身の一撃を食らわすお悠さん。

…うん、カワユス!カワユスだけどちょっといや結構痛いようん。こりゃ総司くんてば尻に敷かれること間違いない。いやはや色んな意味で未来が楽しみなカップルだぜ!

あとで総司くんに何か奢ってもらわなきゃな。結果的に、大福一つくらいのナイスキューピッドだったと思うのですようふ。

なんてニヤニヤしながら歩いていれば、ふと隣にあった気配が消えていたことに気付く。

あれ?お悠さん?と振り返ると少し後でしゃがみこんでいるお悠さんが視界に飛び込んできた。


「ッ…ゴホッゴホゴホッ!!」

「お悠さん!!どうしたの!?大丈夫!?」


咳き込むお悠さんに慌てて駆け寄り背中を擦る。

何か飲み物を…あああ、竹筒とか持ってねぇ!よりによって近くに茶店も何もねぇ!

あわわ…と懸命に背中を擦れば幸いにもお悠さんの咳き込みは落ち着いたみたいで…


「…由香さんありがとう。もう大丈夫よ」


お悠さんが私を見上げ笑みを見せた。でもその顔色はあんまり良くないように見える。


「ほんと?大丈夫?」

「うん、ちょっとここのところ風邪気味で…」


そういや宵々山のときも少し咳き込んでたっけ。

はしゃぎすぎてむせたのかと思ってたけど、もしかしたらその頃から体調崩してたのかな…


「ごめん、風邪気味だったのに私ってば無理矢理連れ出して…」

「やだ!誤解しないで!由香さんは何も悪くないのよ!!」


それに由香さんのおかげで沖田さんとゴニョゴニョ…////なんて口ごもるお悠さん。おい、それって何ていう恋愛ゲームだい?お姉さん胸がキュンキュンしちゃうよ!

じゃなくて!


「でもあまり無理しないでね?お仕事も…」

「うん。でもこう言うのもなんだけど…」

「?」

「一つでも多くの命を救い続けたいの。それが私の夢だから」


そう言ってゆっくりと立ち上り笑顔を見せた彼女の凛とした姿にハッと目を奪われた。

綺麗だ。ああ、夢を叶えるための覚悟がある人はこんなにも凛として綺麗なんだ。お世辞なんかじゃなく心からそう思った。


「由香さん?」

「あ、ううん、お悠さん綺麗だなって…」

「やだわ!そんなこと言っても何も出ないわよ!」


出せるのは粗茶くらいかな!あはは!と笑ったお悠さん。そして、家まで送るという私を振り切り「もう目と鼻の先だから!今日は本当にありがとう!」と小走りで帰っていった。




夢、かぁ…


お悠さんの夢は人の命を救い続けること。

私の夢は新選組の皆と共に戦い共に生きて行くこと。

夢を叶える為に皆懸命に生き進んで行く。夢という目標があるから皆前を向いて生きていける。

じゃあもし…そのたった一つの夢を叶えることが出来なくなってしまったら…?


胸中に静かに生まれた何かもやもやする気持ちを抱え、私はもと来た屯所への道をゆっくりと帰り始めたのだった。




.


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