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第八十五話 己が道を信じて進め




「由香!!!」


池田屋の外に出ればそこには血相を変えた平助が待ち構えていた。

その表情を見る限り、これはもしかしなくても怒っていらっしゃるのだろう。血が滲んだ包帯を額に巻くその姿は、いつもの穏やかな平助を消し去っていた。

が、しかし歳さんに背負われた総司くんの姿を見た瞬間、それは焦りの顔へと豹変する。


「総司…か!?おい、総司!!」

「平助!大丈夫だ!」


覚束ない足取りで駆け寄ってくる平助を落ち着かせるように、歳さんは静かにそう一言告げ、総司くんを降ろしそっと横たわらせ、私に真っ直ぐな視線を向けた。


「由香。おめぇは総司を頼む」

「わかりました!任せてください!」

「それと…説教は帰ってからだ」

「う…せ、説教、ですか…」

「あたりめぇだ!!…これ羽織っておけ!!」


歳さんはそう言って浅葱色の羽織を脱ぐと、それを私に向かって乱暴に投げつけてきた。

思わず「ぶっ!」なんて間抜けな声を溢したが男はそんなの関係ねぇ!とばかりに私をもう一睨みし「これ以上肝を冷やさせんじゃねぇよ!」と一喝した。


…歳さんは気付いたんだろう。私の浴衣がバッサリとやられているのを。咄嗟に隠したつもりではいたが、なんせ相手はこれでもかっていうくらい目時とい男。隠すだけ無駄だった。

だからかもしれない。さっきの歳さんの怒鳴り声が焦っていたのは。

…なんて自意識過剰なこと言うとゲンコツくらうから言えないけどぐふふふ。




「ご武運を!」


すでに走り出していたその背中に投げ掛ける。

僅かに振り返った男は不敵な笑みを浮かべると、突風の如く池田屋の中にその姿を消した。


…歳さんは大丈夫。

あの男のことだ。戦場の中を戦い抜き、いつもと変わらぬスカした顔で戻ってくるに違いない。

だから私は私に出来ることを。

あの男に託された総司くんの手当てをしなくちゃ。


力なく横たわる総司くんの傍にしゃがみこみ、その真っ白な額にそっと手を添えれば平助が心配そうな顔を覗かせた。


「…どうしたんだ?総司は…」

「たぶん暑さにやられたんだと思う。早く身体を冷やして水分補給を…」


とは言ったものの、まさかこの時代に塩分入りの経口補水液なんてあるわけがない。あの有名なタイムスリップドラマの主人公の医者のように、経口補水液を私が作れるはずもない。

ならば今の私にできることは、この熱の籠った身体を冷やしてあげることだ。早くしなきゃ。熱中症だって処置が遅れれば命取りになる。


救急箱という名の風呂敷を漁り、タオルと小さな桶を取り出す。近くに川があったはず。そこで水を汲んできてタオルを濡らそう。

そう思って立ち上がると、それを押し退けるようすぐ隣でゆらりと影が立ち上がった。


「なら俺、川で水汲んでくるわ!」


そう叫んだ平助は私の返事も聞かず走り始めた。

ハッとした私は慌ててそれを追いかけその足取りを止めるように羽織を掴む。


「平助、平助待って!」

「ん?どうした?」

「ありがとう!でも怪我人にそんなことさせられない」


平助はそこに座って休んでて。そう言ってその手を引けば今度は逆に私の腕が力強く掴まれた。驚いて顔を見上げれば、眉間に皺を寄せた平助が唇を小さく震わせながら口を開いた。


「俺は……池田屋の中で何もしてねェ…何の役にもたってねェ……。それどころか仲間に助けられてばっかりだった」

「………」


そんなことない。現に怪我を負ってしまうほど必死で剣を振るったんでしょう?そんな言葉が喉元まで出たが思わずそれを飲み込んだ。

だってその言葉が掠れていたことに気付いてしまったから。


「だから頼む、今度こそ俺に仲間を助けさせてくれ!」


そして、そう懇願する平助は今にも泣いてしまうんじゃないかというくらい顔を歪ませた。

…こんな平助を見たのは初めてかもしれない。

きっと彼は池田屋の中で命を賭けて剣を振るったはずだ。けれどその戦いの中で、彼自身、何か納得がいかなかったことがあったのかもしれない。じゃなければ不本意にも怪我を負わされた平助がこんな表情を見せるわけがない。

だったら…


「わかった。ありがとう平助」

「…!じゃあ俺は水を…」

「待って!水は私が汲んでくる。そのかわり、平助は総司くんの袴を緩めて汗を拭いてあげて!」


やっぱり怪我人の平助を川まで行かせるわけにはいかない。ならば平助には総司くんの傍にいてもらって介抱してもらおう。今の状態ではこれがベストな答えだと思うから。


そう言って平助の手にタオルを握らせれば、彼は私の目を真っ直ぐに見据え、大きく頷いた。


「平助!総司くんをよろしくね!!」

「任せろ!気をつけていけよ!!」


小さな桶を持って走り出した私の背を、平助の力強い声が追い掛けてくる。

大丈夫。平助は役立たずなんかじゃない。

仲間を助けたい。

その気持ちは私も平助も。そして新選組の皆も一緒だから…!


川へと向かう私の足取りはより一層軽やかで。そして力強いものになったのであった。



***



世紀に残ったであろう新選組の池田屋への討入りは、それから数時間のうちに終結を迎えた。


暗闇の町に相応しくない喧騒の中、先ほどまで戦場と化していた池田屋の中をそっと覗く。

…障子や襖は突き破られ、見るも無惨なさま。天井に張られていた床もそこらじゅうに散らばっているようだ。暗くてよくは見えないが、所々に広がる黒い染みはきっと誰かが流した¨ソレ¨…なんだろうな。


この討入りで9人の志士を討ち取ったという。そのかわり、新選組でも平隊士の奥沢くんがその命を散らした。


……日本の未来のために、この池田屋の討入りが正しかったのかは私にもわからない。いや、たぶん何が正しくて何が間違ってるかなんて、そんなものないんだと思う。己の志のために、それを貫くためにがむしゃらに一生懸命生きる。例えその命が危険に晒されようと。それが武士の生きざまってやつなんだろうと、数時間前、私の目の前で命を散らしたあの武士を瞼に浮かべ、ぼんやりと池田屋の中を見ながらそんなことを考えていた。





「由香ちゃん!」

「由香!」


ふと呼ばれた声にそちらを振り向けば、そこには先ほどまで命をかけて剣を振るっていた男達の姿。

皆多少の怪我はあったようだけれど、笑顔を浮かべ手を振るその元気な姿に自然と口角が上がるのがわかった。


「皆さん!お疲れ様でした」

「おう!由香ちゃんもな!!」

「総司くん、もう歩けるの?」

「ええ、もう大丈夫です」


総司くんも介抱の甲斐あって無事に意識を取り戻した。

心配そうな私と平助をよそに、開口一番、「由香さんてばなんであんなところにいたんです?命知らずというか…本当に馬鹿ですよね」なんて毒舌吐きやがったこん畜生め。


「しっかし、由香ちゃんの行動力には度肝を抜かれたよなぁ」

「う…」

「ほんまや!嬢ちゃん無理しすぎやで!?」

「く…!」

「無謀、っていうか馬鹿ですよね」

「ご、ごもっともです…」


新八さん、谷さんからのパンチに総司くんからの再びのパンチにKO寸前。確かに今、冷静に考えるとかなり無謀で馬鹿だったと今更ながらに思いますはい。


「こりゃ鬼の副長からは説教間違いねぇだろうな」

「さ、左之さんもそう思いますか…」

「ま、覚悟するんだな!」

「その…歳さんは?」

「裏庭で会津藩の方と話していましたけど、そろそろこちらに来ると思いますよ」


総司くんの視線を一緒に辿り、裏庭の方をちらりと見れば、その言葉の通り噂の男がゆっくりとこちらに近付いてくるのが見えた。

きっと…無事で帰ってくるって信じてたけれど、いつもと変わらぬその姿を視界に捉えた瞬間、正直安堵のため息が口をつく。


良かった。生きて帰ってきてくれて。不覚にも涙が出そう。


「……お帰りなさい、歳さん」

「ああ」


歳さんは言葉少なに小さく頷くと、その大きな手で私の頭をポンと叩く。その手の温もりにホッとしたのもつかの間。そこにすかさず筋肉馬鹿、じゃなかった。新八さんと谷さんが口を出した。


「土方さんよ、この無鉄砲なお嬢さんによく言ってきかせたほうがいいぜ?」

「そうや!無鉄砲にもほどがあんで!」


ああもう!わかってるわかってますよお二人とも。もう色々覚悟してますから、お願いだから歳さんをけしかけないでください。頼むから…!


ちらりと鬼の眼が私を見る。ああ、説教確実。ニヤニヤしてる皆もあとで覚悟しとけよこんにゃろうが!


しかし次の瞬間。想像の斜め上をいく言葉が歳さんの口から小さく溢された。


「……よくやったな」

「……へ?」


よくやった?今、よくやったって言った…?


「あの…歳さ…」

「さぁおめぇら!!胸張って壬生に帰んぞ!!」


ぽかんとしてる私や他の皆をよそに、当の鬼の副長はくるりと踵を返し声を張り上げる。

…その横顔が少し照れたものだったのは私の胸中に留めておくことにしよう。

なんだよもう。嬉しいこと言ってくれるじゃないの!


「はい!帰りましょう!!」


歳さんに続き、私も声を張り上げる。ぽかんとしてる皆の背中を押せば、ワイワイと騒いでる野次馬達がざっと道を開けた。その道を肩で風を切るように一歩一歩前に進む新選組の皆。その後ろ姿はお世辞なんかじゃなくて、とても格好よく、そして誇らしげに見えた。





「よくやった」

…その言葉が本当に本当に嬉しかった。私も仲間だと認めてもらえたんじゃないかって。やっと自分の居場所を自分で作れたんじゃないかって。

これから先、きっと新選組は激動の時代を歩んでいく。へこたれることもたくさんあるだろう。

でも大丈夫!!私は皆と共に生きよう!共に戦おう!


固い決意を胸にした私は、浅葱色の羽織を肩に引っかけ、風になびかせながら壬生へと帰陣する皆の背中を追ように走り出した。




***



壬生の屯所が見え始めた頃には辺りが明るくなり始めていた。

夜通し気を張っていて疲れきっているはずなのに不思議と身体と心は軽やかだ。きっと自分の中で本当に覚悟が決まったからだろうな。この時代で皆と生きていくって。


…けれど。

一つだけ腑に落ちないことがある。

さっきの池田屋の中…あの男の刀は間違いなく私を捉えていた。痛みは走った。燃えるように熱い痛みが。

…私は斬られた¨はず¨だ。それなのに出血はおろかかすり傷一つ付いていない。着ている浴衣はバッサリとやられたというのに。

これは一体なぜなのだろう。一体何を意味しているのだろう。

…やはり私はこの時代に存在しないはずの¨モノ¨だからなのか。

よくよく考えれば今まで思い当たる節はいくつもあった。

この時代に来てから…生理が一度も来ていない。元々不順な方だとは思うが、現代にいる時は毎月必ず来ていた。それがもう一年以上も来ていない。包丁で手を切ったと思った時も傷一つできていなかった。

それと今まで考えることを避けていた決定的な事。


タイムスリップしてきたあの時から、私の姿形は何一つ変わってないのだ。髪の毛も伸びていない。もちろん爪も伸びていない。人間、一年たてば多少の変化はあると思うが私は何一つ変わっていないのだ。


…私は¨生きてる¨のだろうか。

それともあの時…、現代ですでに死んだのだろうか。

どちらにせよ、もしかすると突然、この時代から消えてしまうかもしれない。

怖くないと言ったら嘘になる。でも私にはどうすることも出来ない。だから今まで考えないようにしてたけれど…

なんだかもう、すべてのことが非現実的で私のキャパを軽く超えそうだよほんと。

でもとやかく考えたってしょうがない。私はこの江戸時代に、新選組の皆といることがすべてなんだもの。この与えられた¨生¨を懸命に生きていくしかない!!よし!帰ったらとりあえず爆睡しよう!!


なんて、若干現実逃避なことを思いながら大きく頷く私の隣に優しい気配があるのに気付いた。


「一人でなにやってんだおめぇは」


…おっと////!!くくくっと笑う男の不意打ちな妖艶さに思わずくらりときたぜ////!


「と、しさん////!あれ?前にいたんじゃなかったんですか?どうかしたんですか?」

「……別に…なんでもねぇよ」


…何か様子がおかしい。この男がこんな態度を見せる時は必ず何か言いたいときだ。そしてそれは照れが邪魔している確率99%。こんなときは直球勝負。


「歳さん、何か言いたいことがあるんじゃないですか?」

「ああ?…ねぇよ」

「ほんとに?ホントのホントに?」

「ッ……」

「歳さん?とーしさ…」

「ッ////!さ、さっきも言ったが!!」

「?」


明らかに顔を赤らめた男は突然立ち止まり、私の頭をポンと撫でた。


「き…今日は本当によくやってくれたな」

「!!」

「俺だけじゃねぇ。他の奴等もおめぇがそばにいるって思ったから多少の無茶ができたようなもんだ」

「……」

「あり、がとな」


………な、なんなのこの男…!

なんで、なんでこんなに…

なんでこんなに嬉しいこと言ってくれるのよ!!

不意討ちだったのも重なって、私の涙腺はあっという間に崩壊を迎えた。


「とっ、歳さぁん…」

「泣くやつがあるか」

「だって…」

「これからも…よろしくな」


なんなのなんなのこんな優しい歳さん、歳さんじゃねぇ!明日は槍が降るに違いねぇ!!…なんて本人を前にして言えないけど。

でも本当に本当に嬉しい…!!当の本人を見れば、真っ赤な耳を見せながらそっぽを向いている。うあ、なんだこのトキメキフラグは!池田屋頑張って良かった!!


なんて不純なことを考え、男に抱きつこうかと手を伸ばした瞬間だった。


「総司ッ!!!」


私達のフラグをポッキリと折るかのように緊迫した怒鳴り声が前列から聞こえてきたのは。





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