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第八十三話 すべては志のために



勢いで飛び込んだ池田屋の中はうだるような暑さだ。身体中の毛穴からブワッと汗が吹き出す。

何これ、なんでこんなに暑いの!?皆の熱気!?それとも欠陥住宅かしら!?

がしかし、そんなくだらないことを考えてる余裕なんてなかった。

予想してた通り、表玄関で槍を構えていた谷さんにすぐに進路を塞がれたわけで。



「嬢ちゃん!?こないなところで何やってんねん!!」


さぁ、この第一の修羅場をどう切り抜けてやろうか。ぐずぐずしてたらなんだか平助が追いかけてきそうな雰囲気だぞ。さぁ急げ私!頭をフル回転させるんだ!


「あの…、こ、近藤さんが」

「ああ!?局長がどないしたん!?」

「こっ、近藤さんが上の様子を見てきてくれって!!」

「はぁ!?今か!?無理や!この場を離れられん!!」


谷さんは自分に頼まれたと勘違いしたようだった。

そりゃそうだ。近藤さんが刀も使えない、しかもか弱くて可愛い私にそんなことを頼むはずがないゲフン!ちょっとこの言い訳には無理があったか。

でもこれはチャンス!!これを逆手にとって、もうこの場を振りきるしかない!!


「そうですよね、無理ですよね!わかりました!」

「局長にすまんと伝えてくれ!」

「はい!あの、谷さん一人でここを守ってるんですか?」

「そうや!猫の手も借りたいくらいや!それより嬢ちゃん、」


ここは危ないさかい、はよ外に逃げ!!

槍を構えながらそう言った谷さんの一瞬の隙をつき、奥に見えた梯子のような階段に向かって走り出す。どこから敵が飛び出してくるかわからない。

それよりも総司くんが倒れていたら…

そればかりが私の頭の中を占め、不思議と恐怖はなかった。



「おいっ!!!嬢ちゃん!!!!」


谷さんの怒鳴り声が背中を追いかけてきたが、一人で守ってるという谷さんは持ち場を離れられない。絶対に追いかけてはこないだろうという自信があった。

現に、谷さんはずっと怒鳴ってはいたけど追いかけてはこなかったし、そして私は運良く敵とも遭遇することなく、階段を駆け上ることに成功したのだった。







急な階段を上りきるとそこは怖いくらい静かだった。

敵の姿も、そして総司くんの姿も見当たらない。恐る恐る一歩踏み出せば、廊下の軋む音だけがやけに大きく耳に届いた。


総司くんはどこにいるのだろう。やっぱりもう、下で刀を振り回してるのかな。それとも本当に…


嫌な予感が胸の中でざわめき始めた時。一番奥の部屋で行灯の灯に照されたのであろう、何かの影が揺らめいたのが見えた。


もしかしたらあそこに…


額から流れ落ちた汗を拭い、一歩、また一歩と奥の部屋へと足を進める。自然と握りしめた拳が小さく震えていたのに気付き、目を閉じて深く深く、深呼吸を一つした。


大丈夫、きっと全部大丈夫。


徐々にハッキリとしてくる影が二つの人影だとわかるまでそう時間はかからなかった。そしてその二つの人影が今、まさに対峙しているのであろうことも。


息をするのも忘れ、緊張感を押し殺しながら覗いた部屋の中。そこでは息が上がった男二人がにらみ合いながら刀を構えていた。

僅かな灯りに目を凝らす。やはり片方の男は総司くん。そしてもう片方は…

あの男、なんだか見たことがある。誰だっけ…そしてどこで見た…?


それよりもこの緊張感と殺気に今にも押し潰されそうだ。

総司くんが無事に剣を振るっているとわかった今、私にできることは何もない。というか、このままここにいたら間違いなく足手まといになる。きっと、いや絶対すぐにこの場を離れた方がいい。しかも目の前の二人に気付かれずに。


……なぁんていう私の考えってば、やっぱすげー甘っちょろかった。

静かに一歩、後退りをしたと同時に「由香さん」と、明らかにブチキレた総司くんの声が耳に届いた。ビクッとしてもう一度部屋の中に視線を戻せば思わず「ひっ」と声が出そうになりましたよ。だって総司くんてば敵と対峙しつつも、そりゃあもう、氷というか北極南極レベルの冷たい冷たい笑みを浮かべながら私にまで殺気を送ってやがったんだから。



「こんなところで何をしてるんです?」

「……あっ…と」



総司くんてば怒ってらっしゃる!!と背筋を凍らせた私からは「ぐふっ」なんていう気持ち悪い笑い声が漏れる。そのマヌケな声に反応したのかしてないのか、ちらりと振り返った敵の男の眼にやはり見覚えがあった。そしてそれはどうやら相手も同じだったみたいで。

私を上から下まで舐めまわすように一瞥すると


「お前は…確か古高のところで…」


と声を漏らした。


…古高……

そうだ、思い出した。やっぱりこの男とは一度だけ会ってる。あの桝屋さんで。

新選組に対して明らかな敵意と嫌悪感を見せ、私に足のすくむような殺気を送った男。只者じゃないと感じた私の勘はどうやら当たっていたみたいだ。



「由香さん、邪魔です。斬られても知りませんよ」


クスッと笑う総司くんだったが、私はそれに反応できないでいた。総司くんの言葉が冗談だろうが冗談じゃなかろうが、目の前の殺気だつ男たちとその手が握る鋭く光りを放つ"それ"に正直足が震えた。

ドラマの撮影でも映画の撮影でもない。初めて遭遇した本当の命の奪い合いの緊張感に簡単に飲み込まれたのだ。

きっとこの数分後にはどちらかの命は尽きている。それを当の二人ともわかっている。わかっていて刀を振るい合ってる。

その光景を目の前にしても私にはどうしてもそれが理解できなかった。

そうまでして彼らが守りたいものは一体なんなのだろう――…



「しかし…あなたもしぶといですね。いい加減、降参したらどうですか」


返事のない私に総司くんは私の胸中を悟ったのだろうか。

再び浪士に意識を集中させ、あがる息を整えながらもふっと口角をあげた。

浪士は総司くんのその言葉に今一度刀を握り直したかと思うと「そりゃあこっちの台詞ばい」とハッと笑みを溢す。そして間を空けることなく言葉を続けた。


「丈夫見る所あり。決意してこれを為す。富岳崩るるといえども、刀水渇るるといえども、また誰かこれを移し易へんや」

「………」

「誰がなんといっても、男児がいったん決意したことは、たとえ富士山が崩れ、刀水が枯れるというような異変があっても志をかえることはできない」

「……」

「………今は亡き俺の親友、吉田松陰の言葉ばい」


浪士の言葉に思わず息を飲んだ。なぜなら吉田松陰という名前に聞き覚えがあったから。


「吉田松陰先生っつってな!俺の尊敬する大先生なんだ!!」

そう笑って、吉田松陰さんのことを物凄い笑顔で話してくれたのは高杉さんだ。

そしてこの目の前の浪士は高杉さんが尊敬する吉田松陰さんの親友…

なら本当は悪い人じゃないんじゃないか。いや、きっと悪い人なんていない。ただ皆、それぞれの心に抱えている志が違うだけなんだ。そしてその志を守るために皆は剣を振るうんだ…

そう思うとなんだかやりきれない気持ちが胸中を駆け巡った。



「俺は吉田の為にば戦い続ける。志を叶えるその時まで!…どんな手を使ってでも!!」


そしてそれはまばたきをした一瞬のうちだった。

浪士はそう怒鳴り声をあげたと同時に、足元にあった灰吹きを総司くんの方に向かって思いきり蹴飛ばした。

瞬時に舞い上がる灰に私の視界はもちろん、二人が対峙している部屋も支配される。

灰を思いきり吸い込んでしまったのだろうか。ゴホゴホ!と総司くんが咳き込んだ。その一瞬の隙を浪士は見逃さなかったのだろう。キラリと妖しく光るそれが舞い上がる灰を閃光の如く斬り開き、総司くんの方に向かって行くのが見えた。


「危ない!!」


咄嗟に足が動くとはまさにこの事。


勝てないとわかっていた。

斬られるとわかっていた。

それでも危機に晒されている仲間を助けたかった。


その思いだけで私は総司くんの前に飛び出す。


「由香、さんっ!!?」

「死ねえっ!!!」


浪士の振りかぶった刀が、両手を広げ総司くんの前に立ちはだかった自分の視界に入った。

まるでそれはスローモーションのようで。この時代に来てからのことが走馬灯のように脳裏を走り抜けた。


ああ、私はここで死ぬ。


不思議と怖くはなかった。

仲間を救えた喜びの方が大きかったから。少しでも仲間と戦えたことが嬉しかったから。


ふっと自然に口角が上がった瞬間。

私の左肩には焼けるような熱さが走り抜けたのであった。



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