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第八十一話 賽は投げられた



やっと…見つけた……


闇に包まれた僕の心の臓がドクリと跳ねる。そしてそれは徐々に、徐々にと高揚を増していく。

クスッ…よかったね、これでやっとお前も旨い血が吸えるよ。


小さく口角をあげ、腰にぶら下がる菊一文字をそっと撫でれば待ちきれないとばかりに僕の中で修羅が眼を覚ます。

さぁ、今宵はどんな獲物が待っているのか…







宵々山の雰囲気はすっかり落ち着き、街が暗闇の静寂を取り戻し始めた頃。

浪士達が会合しているであろう場所がようやく見つかった。

三条小橋にある旅籠池田屋。

あろうことか、先の潜伏で山崎くんが行商人として出入りしていたところの一つだ。



「裏口に立て掛けてある銃と槍の数からいって間違いないぜこりゃ」


新八さんの言葉に裏口を覗けば、そこにはなるほど、旅籠には似つかわしくない物騒なものがところ狭しと丁寧に立て掛けてある。

その様子から、ここに獲物が潜んでいるのは間違いない。しかしどうやら今夜の獲物はそう容易く狩らせてもらえそうにないようだ。

気配を殺し、どうしたことかと首を捻る頭上で、軒先にぶら下がる池田屋と書かれた提灯の灯が妖しく辺りを照らしていた。


「トシの小隊はまだ来なそうか?」

「きっとまだ鴨川の東側を捜索しているものかと」

「ではやはり数人で踏み込むしかないのか……しかし…」


ああもう…!焦れったい!!

このままここで歳三さんらの小隊を待っていたんじゃいつになるかわからない。

それに…目の前にいる極上の獲物をみすみす逃がしてしまうことになるかもしれない。

今日は相棒の菊一文字こいつにたっぷりの血を吸わせてやりたいからね。

それだけはなんとしてでも回避しなくちゃいけない。


「近藤さん。グズグズしてると逃げられちゃいますよ」


獲物の銃と槍を縄でくくりながらそう訴えた僕の声はきっと誰が聞いても苛つきを含んだものだったと思う。その証拠に近藤さんは小さくため息をつき、眉間に深く皺を刻んだもの。

でも今はそんなことどうでもいい。相手が大好きな近藤さんだろうが関係ない。僕の修羅という本能が早く獲物を斬りたい、早く血が吸いたいと、疼いて疼いてしょうがないんだ。


「踏み込むのは僕を含め、近藤さん、新八さん、平助。この顔ぶれで何を迷うことがあるんです?」

「だが…」

「やだなぁ、近藤さんてば。忘れちゃったんですか?どれだけ僕達が強いか、それは試衛館の道場主である近藤さんが一番よく知っているはずでしょう?」


試衛館の道場主。

その言葉に指揮官である近藤さんの表情が一気に士気を含んだものに変わった。

言葉は悪いけど…近藤さんをなんとかしたいときはこの言葉を出せば一発だ。なぜなら近藤さんは武士への憧れが強いとともに、試衛館の道場主であることに誇りを持っているから。近藤さんに発破をかけるのはこの言葉が一番だと、子供の頃から付き合いのある僕はそれを知っている。

ま、どちらにせよ僕達が強いのは紛れもない事実なのだから。


「さ、僕の準備はとうに出来ていますよ」


まだかまだかと心の奥底で騒ぐ修羅を押し殺すように、ニッコリと笑顔の仮面を被る。そして、極めつけだと言わんばかりに菊一文字の鯉口をきれば、ついに優柔不断な近藤さんが首を大きく縦に振った。


「……よし!ならばこのまま踏み込むぞ!皆も準備はいいか!?」

「おう!!」


賽は投げられた。







皆で顔を見合せ呼吸を整える。

池田屋の表玄関を勢いよくガラリと開け足を一歩踏み入れれば、夜風が吹く外とは違いジリジリとした暑さが肌にまとわりついた。

暑いのは少し苦手だ。すうっと大きく息を吸い込めばその暑い空気に汗が浮かんだ。

物音に気付いたのであろう。池田屋主人と見られる恰幅のいい男が笑顔で「いらっしゃいまし」と近付いてくる。

だが、すぐに浅葱色の隊服に気付いたのだろう。その表情は面白いほど強張ったものへと変わった。


「御用改めであるぞ!」


近藤さんのその意気込んだ言葉を最後まで聞き終えたのか。いや、終えないうちに主人は焦ったように踵を返し、梯子段の所へ駆け付けて少々の長州訛りを伴いながら「皆様!旅客調べでございます!!」と、大声で叫んだ。

ああ、そういえばここの主人は長州の出だって山崎くんが言ってたな。

まったく。よく考えればここが一番濃厚だったじゃないか。


そんな主人を近藤さんは思いきり殴り飛ばし、まさに疾風のごとく、その梯子段を駆け登った。


「新八と平助は下を頼むぞ!総司、付いてこい!!」

「もちろん」


胸の高鳴りと、なんとも言えない精神の高揚感に急な梯子段を駆け登りながら自然と口角があがる。

あの快感が目と鼻の先にあるのかと思うと興奮し、思わず手が震えた。


…あの、生き血を吸うまさにその瞬間の獲物の表情と、菊一文字こいつに吸い込まれる命の手応え。それがたまらなく僕を快感の渦に引き込む。

巷で修羅と呼ばれようが何と言われようが、この快感を覚えてしまった僕に、最早血を知らない世に引き戻る選択肢はない。

さぁ…今宵の獲物は存分に僕を楽しませてくれるかな?




「新選組か!!」


梯子段を登りきれば、主人の必死な声が届いていたのだろう。そこにはすでに抜刀した数匹の獲物がこちらの到着を待っていた。奥の広間にはまだ人の気配。その数ざっと三十というところか。


「いかにもこちらは新選組!!手向かい致すは容赦なく斬り捨てん!!」

「小癪な…!お前ら!ここは俺に任せて逃げなっせ!!」


近藤さんと対峙している男が奥の広間に向かって叫ぶ。それを聞いた獲物数匹が窓から裏口に飛び降りた。


あ~あ、逃げられちゃった。

でも…尻尾を巻いて逃げるような雑魚の血なんかいらないからね。

今宵の最初の獲物は目の前のこの男。どうやらこいつの血はとびきり美味しそうなようだから。僕の中の修羅が笑みを浮かべながらそう言っている。


「近藤さん。ここは僕に任せて近藤さんは裏口の加勢に」

「わかった!任せたぞ総司!!」


そんな獲物を近藤さんとは言えども横取りされたんじゃたまったもんじゃない。

そんな本心を隠し、ずいっと前に出た僕の言葉に近藤さんは大きく頷くと、再び梯子段を駆け降りていった。

それを追おうとする雑魚たち。その道を塞ぐように菊一文字を正眼に構えれば、そいつらは足を止めた。


「行かせはしないよ。…血を吸えるこの時をずっと待っていたんだもの。まずは手慣らしさせてもらうよ」

「なにを…!!」


馬鹿な奴等。今日ここでその命の灯火が吸われるとも知らずに。

君達はただの手慣らし…

所詮、僕達の渇きを潤すことなんてできないんだよ。


意気込み、刀を大きく振りかぶった雑魚を間合いに入れようとしたまさにその瞬間。


「やめぇ!!」


その雑魚は僕じゃなく、最初の獲物になるであろう男に思いきり突き飛ばされた。その反動で転がる雑魚。


「宮部さん!?何を…!!」

「こいつはお前ば勝てるような相手じゃなか!みすみすその命を捨てなさんな!!」


男はそう叫ぶと刀を構え、僕の間合いに自ら入った。

なかなか出来る奴かと思ったけど、自らこの僕を相手にするなんて…

クスッ、なかなか面白い。


「どうやら貴方の血は吸い甲斐がありそうだ」


僕に刃を向け、ギラつかせた男の眼に思わず快感にも似た何かが背筋を駆け抜ける。

やっぱりこの男の血は旨そうだ…

修羅、お前の言った通りだね。



クスクスと笑う僕に獲物はその眼をさらにギラつかせ、ふぅと小さく息を吐いた。


「お前…、もしや沖田総司な?」

「あれ?僕を知っているんですか?光栄だなぁ」

「血に狂う修羅と名高いお前の名ば知らん奴など京にはおらんばい」

「やだなぁ、血に狂うだなんて。初耳ですよ」


お互いがお互いの力量をはかるように間合いを少しずつ、少しずつ詰めていく。焼けるようなジリジリとした暑さで頬に汗がツツ…と流れ落ちた。

もしかしたら暑さのせいだけではないかもしれない。

この胸の熱さは…柄にもなくこの男の気迫に圧される緊張もあるのかもしれない。なんてね。


「我らん同志ば何人、貴様に斬られたか…」

「クスッ、そうですか」


僕は悪しきを斬っているだけ。

中には勢いで斬ってしまった奴等もいるかもしれないですけど。

そう笑顔で言葉を続けた僕を見据えながら、男はカッと眼を見開き、未だ転がる雑魚たちに向かって大声で叫んだ。


「わっどみゃあ!!ここばぁおりゃあに任せぇ!!」

「宮部さん!!しかし…!」

「逃げるなら今のうちですよ。僕も雑魚の血はこいつに吸わせたくないんでね」

「貴、様…!!」


懲りない奴等だなぁ。ちょっと挑発してやればすぐに食い付いてくる。やっぱり馬鹿だ。

面倒くさいから斬ってしまおうか。

そう思い爪先を僅かにそちらに向けたのだけれど、その胸中を読み取られたか。獲物となる男は「いいからはよせぇ!!」とさらに声を荒らげ、残念ながら雑魚たちは僕の隣をすり抜け梯子段を駆け降りていってしまった。

あ~あ。僕としたことが。

さっさと斬っちゃえば良かった。

でも逃げられたのなら、仕方ない。この男に存分に楽しませてもらうとしようか。


乱れたまわりの気を再び整えようと呼吸を整え、手に吸い付くような菊一文字を握り直す。気を獲物に集中すれば最早階下の喧騒など耳に届かない。

蒸し暑い部屋のなか、カチャという音が静かに響いた。


「…おりゃあ肥後藩士、宮部鼎蔵。同志ん仇討ち、取らせてもらうけん!」

「どうぞ、やれるものなら」

「……行くばい!!」


ダンッと踏み込んだ互いの足音の直後に刃が交じりあった甲高い音がやけに大きく耳に届く。


…血に狂う修羅だなんて…案外それも間違っていないのかもしれないな。

もうすぐ…もうすぐ血が吸える…!


押し殺せども押し殺せども込み上げるその思いに僕はもう、興奮を隠すことができない。ついに修羅は笑顔を纏いながら僕を支配したのだった。



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