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第八十話 それは闇かそれとも



先程までの喧騒が嘘のように静かになった屯所内。

そっと襖を開け、それを目で確認すれば確かに人の気配がガラリと消えていたのを感じた。


歳さんが出ていってすでに数時間。まだ昼間の日差しが残っているのか蒸し暑さは感じるものの、辺りはすっかり暗闇に包まれている。そろそろ夜五ツの太鼓が屯所内に響き渡る頃だろう。


かき集めた包帯代わりの布切れと、薬の入ったピルケース。部屋に置いてあった焼酎。それにありったけのタオルを詰めた小さな桶をすばやく風呂敷で包み込む。少しでも走りやすいように、着物は浴衣に着替えた。準備は万端だ。


…こんなことで負けてたまるか。やっと覚悟が決まったんだもの。本当に腹を据えることができたんだもの。


共に皆と戦うことが、この時代で生きていくと決めた私の覚悟。

自分の居場所を作るために。私も新選組の一人だと胸を張って言えるように。

私に出来ることを。そして皆と共に。

そう決めたんだもの!その私の決死の覚悟を振り払われてたまるか!!


風呂敷を手に思いきり部屋を飛び出す。留守番の隊士にこんな姿を見られればあとあと面倒なことになる。ここは一気に屯所内を駆け抜けて行こう!

そう思って駆け出したまさにその瞬間。



「すみません、由香さん」


駆け出した私の行方を阻むかのように、そこにはある男の姿があった。

きっとその男は歳さんに頼まれたのであろう。

男は私が屯所を飛び出すことを容易に想像していたように小さく口角をあげると、「行かせるわけにはいきません」その表情とは裏腹に強い口調でそう小さく言葉を溢した。


「山南さん…行かせてください」

「申し訳ないがそれはできません」

「どうして?歳さんに頼まれたから?」


山南さんは言葉なく小さく頷くと、私の方に一歩、また一歩と近付いてきた。

ここで捕まったら最後。屯所を出ることは無理に等しくなる。

そんなわけにはいかない。ここで引くわけにはいかない…!


「…山南さん、言いましたよね?新しい志が見つかったって」

「………」

「私にも志なんて大それたことじゃないけどようやくできたんです。この時代で生きていく覚悟が」

「生きていく覚悟?」

「…共に皆と戦う。それが私の覚悟です。だから行かせてください!お願いします!!」」


そう声を大にした私の言葉に、山南さんは「……戦う、か」と小さく呟いた。

一か八か。いや、山南さんならきっとわかってくれる。

そう思い、膝に頭がつくんじゃないかってくらい頭を下げた。


「……由香さんなら」


…けれど。

返ってきたのは驚くほど感情を殺した声で。聞いたこともないようなその小さく冷たい声に私は思わず身を固めた。


「由香さんなら私の志をわかってくれると思ったんだけどな」


頭を下げたままの私の視界に山南さんの足先が映る。目の前にいるのであろうその男に、ゆっくり、そして恐る恐る頭を上げれば、男は殺気を隠したその目で私を見据えた。


「総司だけじゃない。どうやら新選組ここの皆は土方くんに洗脳されてしまったようだ」

「洗脳、だなんて…」

「武に武をぶつけても何も生まれない。命をかけて戦ったって何一つ前に進めやしない」

「………」

「どうしたら私の志が皆にわかってもらえるか…懸命に考えたが……」


男は自分を嘲笑うかのようにため息にも似た笑いを溢すと、本当に小さな声で。そしてゾクリとするほど冷たい目を見せた。


「私の考えは正しい。それをわからない奴は皆居なくなればいい」

「…ッ!それってどういう意味、ですか?」


声が震えた。

居なくなればいいって…それはつまり…、


しかし、男はその質問に答えることなく私の手にあった風呂敷を取り上げる。咄嗟のことでそれはすんなりと男の腕に収まってしまった。


「とにかく君を行かせるわけにはいかない。これは"副長命令"、だからね」


…そう言って笑った山南さんの目。

こんな山南さんの目は見たことがない。歳さんや総司くんのそれとは違う。何かを含んだその目に私はこれ以上反論する隙を奪われ、大人しく山南さんと共に向かう足を広間へと変えざるをえなかったのだった。




***



もうどれくらいの時間がたっただろうか。

結局私は屯所を抜け出すきっかけを奪われ、何をするわけでもなく広間で山南さんと共にただ時間が過ぎるのを待っている。


きっと歳さんたちは今頃市中の旅籠や妓楼を片っ端からあたっていることだろう。攘夷志士たちの会合場所はまったく掴めていないと言っていたから。

一軒一軒あたるなんて相当な時間がかかる。

でも…運良くその会合場所を早々に突き止めることが出来ていたら…

もしかしたらもう斬り合いが始まっているかもしれない。

そう思ったら皆のケガの心配やら不安が押し寄せてくるわけで…

私の心臓は終始高鳴りっぱなしだ。ああもう、倒れてしまいそう本当に。

でもそのドキドキの原因は…それだけじゃない。


…何も言葉を発しない。何をするわけでもない。目の前でただゆっくりとお茶を啜る山南さん。


こんな山南さん、私は知らない。


風呂敷は部屋の出入口となる襖のそばに置かれたまま。じゃあその風呂敷を奪ってそのまま部屋を駆け出せばいい。そうは思うのだが、隙が…隙がまったくない。

それに部屋中に彼の気が張り巡らされているようで…

いくら新選組の仲間とはいえ、いくら彼が刀を握れなくなったとはいえ…逃げ出そうもんなら背後からバッサリと斬られそうな錯覚が、先ほどの山南さんを目の当たりにした私をじりじりとした暑さと共に取り巻いている。


それにしても…

本当に今日の山南さんは少しおかしい。思い起こせば桝屋さんの拷問のときも…そしてついさっきも…

普段の山南さんからは飛び出さないであろう言葉が、飛び出したこと自体驚きだっていうのに、その表情は険しくも冷たかった。


彼が心に秘めた新しい志。それは争いをやめ、人々が手を取り合う世の中を造ること。

もともと斬り合いなどを嫌う質の人だ。もしかしたら刀を握っていた時にもそれは心の片隅で思っていたのかもしれない。


争いのない世の中。それは正しい。未来から来た私にとってそれはまさに正論であるし、何よりも先を見据えている志だと思う。

でも彼が今身を置いているのは江戸時代。そしてその中でも本意ではないが殺戮集団、なんて陰口を叩かれている新選組の総長だ。

歴史に疎い私にだってわかる。その山南さんの志は今、この瞬間に必要とされていないことを。

山南さんは新選組を歳さんの洗脳だと言った。でもそれは違う。

言葉は悪いが、血に飢えた者たちが血の臭いに誘われて集まった。私はそう思う。現にそういう隊士がいるという話も耳にしたこともある。刀に妖しが宿っているなんて噂の人も。まぁ、その噂の人は私の最も身近な人だから名前は伏せておきますけど。はい。


もしかしたら…これは私の予想なんだけれど。

手を取り合うことを唱える山南さんにとって新選組は…居心地の悪い場所になってきているんじゃないか。

もしその予想が当たっていたとしたら、以前のような山南さんの優しい笑顔を見ることはない、かもしれない。

そう思ったら胸の奥がズキンとした。



でも。

……それよりも。

薄情だと言われようが今の私に求められている課題はそれではない。

どうやって広間ここを、屯所を抜け出すか。例え相手が山南さんだろうが誰だろうが、何と言われても私の覚悟は揺らがないから。


何か一つでもいい。きっかけが掴めれば……


思案顔を隠すように膝元に置かれた湯飲みに手を伸ばす。淹れてからだいぶ時間のたったそれに口をつければ、最早飲み頃なんて当に過ぎてしまっていたのだろう。冷めきったお茶を一口、喉に流し込んだ。

そしてそれを再び膝元に置いたとほぼ同時に、


「山南総長!」


静かなこの部屋には似つかわしくない、息を切らした若い平隊士が勢い良く襖を開け転がり込んできた。


「どうした?」

「いけっ…」


きっとすげー勢いで走ってきたのだろう。彼の息は上がり、言葉も上手く発せないでいた。

もしかして…伝令…!?

急いで自分の飲みかけのお茶をさしだせば、彼は喉を鳴らしながらそれを一気に流し込み、自分を落ち着かせるように一つ、大きく息を吸った。



「池田っ…、三条小橋の池田屋ですっ…!!」

「池田屋…!」


平隊士の言葉に思わず張り詰めた声が溢れた。

ついで平隊士は近藤さんの小隊が、歳さんら別の小隊の到着を待たずに池田屋に踏み込もうとしていること。しかし、近藤さん達の小隊は手練れが揃ってはいるが、ほんの数人しかいないということを緊迫した面持ちで一気に口にした。


…その状況はマズイんじゃないだろうか。相手が何人いるのかはわからない。けれど、いくらなんでも数人で踏み込むなんて勝ち目はあるのだろうか。

新選組の皆は強い。強いけれど…


ハァハァと息を整え、ヘタリと座り込む平隊士。そんな平隊士に「とりあえず少し休みなさい」と労いの声をかける山南さん。



……もしかして

もしかして今がチャンスなんじゃないだろうか。襖は開け放たれている。風呂敷に包まれた荷物はすぐそこ。山南さんのすぐそばには座り込んだ平隊士…

そうだ…今しかない…!!



「山南さんっ!ごめんなさい!!!」

「由香さんっ…!?」


素早く立ち上がり、浴衣の裾を膝まで捲りあげる。そんな私を見て平隊士はもちろん、山南さんも一瞬怯んだ、と思う。うん、多分。いや、絶対、と思いたい。

そして私は風呂敷を素早く抱えこみ、「待ちなさい!!」という山南さんの怒号を背中に受けながら全速力で屯所の中を駆け抜けた。


夜だったのが幸い。留守番組の平隊士たちはすでに自室に戻っていたようで、私は誰に会うことも止められることもせずそのまま屯所を抜け出すことが出来たのだった。





よーし、これでこのまま池田屋までかっ飛ばす!!私が池田屋に着く頃には歳さんたちも到着しているかもしれない。きっと怒られるだろう。でも私は逃げない。負けない!私なりに皆と戦うんだ!!


さぁ、レッツ池田屋!!!




……待て。

池田屋…?三条小橋の…池田、屋…?

ちょ、え?池田屋?池田屋?



「…池田屋ってどこ~!!?」


あああ、私ってば肝心な時にちょう馬鹿。

こっちだったらいいのにな。なんて容易な思いで暗闇を駆け抜ける私の間抜けな声が辺りには静かに響き渡ったのだった。


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