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第七十九話 迷わずいけよいけばわかるさ



――結局。私は桝屋さんの手当てを手伝うどころか、蔵の中に足を踏み入れることさえせずにその場を後にした。

だって自分の弱さを思い知ってしまったから。

そして私に出来ることは何もない。そう気付いたから。


…目の当たりにした桝屋さんの瀕死の姿。淡々と手当てをする山崎くん。そのそばで「今夜は大物捕りだ」と意気込んでいた新八さんと総司くんと、その様子を静観していた平助。

そして…見たこともないような険しい顔で、拳を握りしめていた山南さん―…


もうどうしていいのかなんてわからないくらい完璧に蚊帳の外だった。

案の定、フラフラとその場を立ち去る私に声をかける者は誰もいなかった。まるで最初からそこに私なんかいなかったかのように。







静かに自分の部屋の襖を開ければ、開け放たれていた窓からはジリジリと初夏の陽射しが差し込んでいた。

暑いはずなのに、薬と絆創膏を握りしめた自分の手は冷たい。


…こんなもん、役に立たなかったな。

握りしめたそれを戻そうと、天袋の奥からバックを取り出そうと手を伸ばした。

が、知らず知らずのうちにその手は震えていたのだろう。

バックは私の手から滑り落ち、無惨にもその中身はバラバラと畳の上に転がり落ちた。


「あ~あ…」


拾わなきゃ…

ストンと腰を下ろし、落ちていた財布や手帳を手に取る。


…そういやこの財布、結構長い間使ってるんだよなぁ…

外資系の男が次のデートの時買ってくれるってベッドの中で言ってたっけ…

この手帳カバーも業界関係の男が…

…この腕時計も、この化粧ポーチも全部違う男が……




……私、未来で何やってたんだろう。

やっぱり…私、なんか……


拾う手を止め、一つ、小さな溜め息をついた。



…未来に私の居場所は無かった。

ここに来て…この時代でやっと私の居場所を見つけた。そう思っていたけれど。


いくら新選組の皆が、ここに居ていい、ここがお前の居場所だと言ってくれてもやはり違う。だって新選組ここで私が出来ることなんて何も無いもの。

剣を握れるわけじゃない。かと言って怪我人の手当てもできるわけじゃない。女中なんて肩書きはあるけれど、ご飯を作るのも、洗濯をするのも、掃除をするのも…私じゃなくても誰でも出来る。現に最近は平隊士達が私よりも要領よくそれをこなしてくれる。私は時間を持て余す一方だ。

手透きの時間が増えるごとに私は必要ない、そう言われているようで。

皆と談話をしたりお酒を呑んだり…歳さんと二人の時間を過ごしたり。そういうことは楽しい。楽しいけれど…


怖い。そう思った。


斬りあいを良しとするこの時代が怖いんじゃない。私という異世界の自分がこの時代での役割も居場所もない。そう思うことが怖かった。そしてそれをわかってるのになんとかしようとしない、何も出来ない自分が悔しかった。

未来で大した存在意義が無かった私は…この時代でもやっぱり無いの…?

思い過ごしだ、勘違いだと思っていたその負の心はいつの間にかキャパを超えていたようで。その思いは溢れるように込み上げ、ポッカリと心に空いた穴を埋めるように私は声を殺して泣いたのだった。







どの位の時間、そうしていただろうか。

いつまでもこうしてたって仕方ない。

落ち着きを取り戻した私は再び散らばった荷物を力なく拾いはじめた。

そこで手にした手鏡。ふとそれを覗きこめば酷い顔の自分が写っていた。

せっかく気合い入れて朝早くした化粧も涙でグチャグチャになってる。マスカラなんか見る影もない。ファンデはほぼ落ちてるし、目も腫れてる…クソ不細工。

目を冷やすのも心を洗うのも兼ねて、ちょっと顔洗ってこよう。

さすがにちょっとこれは、ね…

放心状態ながらもこの不細工さには笑えるわ。


そう自分を嘲笑った私はそばにあったタオルを掴み、静かに立ち上がり井戸へと向かった。




***




「しかし…古高を洗ってみればこんな大物だったとはなぁ…」

「俺なんか何度か桝屋に世話になってたぜ」


広間へと集まった皆が束の間の談話を楽しんでいる一方…

上座に座る近藤さんと源さんを見れば、何やら二人とも難しい顔をしながら何かを思案しているようだった。

今夜は大々的な捕物が行われる手筈だ。きっとそのことに感してなんだろうけど…


「お二人とも、どうしたんですか?難しい顔しちゃって。今夜は待ちに待った捕物でしょう?」

「む…、そのことなんだがなぁ…」

「なにか不都合でも?」

「攘夷志士らは毎夜場所を変えて会合をしている。その場所は古高ですら把握していない。果たして今夜はどこで会合が行われるか…」

「では小隊をいくつか作り、市中の旅籠やら妓楼やらをしらみ潰しにあたってみては」

「それなんだよ」


今の新選組うちは病人やら怪我人ばかりで、正直人数が足りないんだ。

僕の問いに近藤さんは溜め息交じりでそう愚痴とも取れる言葉を溢した。


確かに最近の新選組には病や怪我のため床に臥せている者も少なくない。現に僕が率いる一番隊も、今は片手ほどの者しか動けるものがいないのが実際のところだ。

でも確か今日の捕物は…


「でも今日は会津藩も出動するんじゃなかったんでしたっけ?」


古高の自白を元に、会津藩は元より所司代や諸藩に出動要請の早馬を走らせ、その同意を取り付けたと聞いている。

会津藩が同行なら小隊を作るのも容易いはずだけれど…


「会津藩には残滓処理をしてもらうつもりだ」

「え?」


僕の率直な疑問に嘲笑を含んだ声でそう返してきたのは、身なりを整えてきたのだろう、スッと開いた部屋の入口に立つ歳三さんだった。

敷居を跨ぎ、静かに襖を閉めた歳三さん。そのまま近藤さんの隣に腰を下ろせば、先程までの和やかな部屋の雰囲気は一変。一気に緊張を持ったものへと変貌した。


「歳三さん、会津藩に残滓処理をさせるって…一体どういうことなんです?」

「いいか?よく聞け」


最早その鋭い口調は歳三さんのものではない。獣に食いつくされた鬼の副長そのものの"それ"だった。


「今日の捕物は新選組の名を世に知らしめるのに絶好の機会だ。もし会津藩と共に捕物したとすれば、奴等に手柄を全て持っていかれちまう。そうさせないためにも、俺達新選組は奴等より早く、そして単独で捕物へと向かうんだ」


予想もしなかった副長の言葉に、幹部の皆はどよめきの声をあげた。

もしそれを実行すれば、小数で踏み込むこととなる新選組うちに勝機はあるのだろうか。

剣に自信のある僕ですら見込みは五分ごぶと見るのだから、平隊士からしたらそれはもう、博打に近いような気もする。

歳三さんの言い分ももちろんわかる。わかるけれど…


いつもは歳三さんの意思に添う僕も、今回は易々と首を縦に振ることは出来なかった。


「土方さんよ。もし小数で踏み込んだとしても、相手は30名以上いると聞く。優勢に持ち込める確証はあんのかよ」

「トシ、やはり今回は会津藩の力を借りたほうが…」


新八さんや近藤さんですら僕と同じように単独での乗り込みには疑問を持ったのであろう。若干強い口調で歳三さんに食らいつけば、すでに鬼と化した"男"はそれをはね除けるように冷たい視線を向け静かに口を開いた。


「じゃああれか?ビビって事態を静観するか?みすみす獲物を逃し、尻尾を巻いて逃げるか?」

「………」

「違ぇだろう?出来ねぇんじゃねぇ。やるんだ。てめぇが一歩踏み出しゃあなんだって出来んだよ」


ビリビリと伝わる殺気は気のせいではない。しぃんと静まった部屋の中、あの近藤さんですら息を飲んだのがわかった。


「いいかてめぇら。こらぁ、一旗上げるのに絶好の機会じゃねぇか。新選組の名を…てめぇの名を世に知らしめてやろうじゃねぇか」




……ははっ、僕としたことが…

どうやら見えぬ敵に少しだけ怖じ気付いてしまったようだ。

そうだった。僕は新選組の剣。誰もが恐れる新選組の修羅。

そんな僕が怖じ気付いてどうする。


「歳三さん…いや、鬼の副長殿」


部屋に陽気な僕の声が響く。


「地獄までお供しますよ」


そうニッコリと笑えば、鬼は当たり前だと言わんばかりに「ああ」と口角を上げた。

まるでこの状況を楽しんでいると言わんばかりに。




***




ガツンと頭を殴られた気がした。

そうだ、そうだった……


閉ざされた襖の向こうから聞こえた"鬼"の静かだが覚悟を感じ取れたその言葉。


『出来ねぇんじゃねぇ。やるんだ。てめぇが一歩踏み出しゃあなんだって出来んだよ』


…私は何をしてた?何を悲劇のヒロインぶってた?

私が決めたこの時代で生きていく覚悟は…こんなことで崩れ落ちる弱い覚悟だった?違う。私は最初から覚悟なんて出来ていなかった。

『覚悟が決まりゃ腹が据わる』そう私に教えてくれたのは高杉さんだ。

この屯所に出戻ったその時から、この時代で生きていく。歳さんと、新選組の皆と共に。そう覚悟を決めたつもりでいた。

でもそれは覚悟じゃなかった。

私は居場所を提供してくれた皆に甘え、共に腹を据えた気持ちでいただけ。その皆の優しさに気付かず、一人居場所がないだの勝手に寂しいだの悲観していた私は馬鹿だ。大馬鹿だ。

それでも居場所がないと思うならば、自分で自分の居場所を作ればいい。自分が出来ることを、命をかけて精一杯やればいい。

私に出来ることなんて何もない。そう思ってたけどそれは違う。何かに理由をつけてやらなかっただけだ。自分から一歩踏み出さなきゃ、自分の居場所なんて出来るわけない。

皆に甘えてちゃいけない。皆に支えられているだけじゃいけない。

私が一人の人間として、この時代で生きていくために今出来ることは――…


「会津藩との約束は祇園会所に夜五ツ時。うちはそれより一刻ほど前に集合し、小隊に別れ、浪士の潜伏が疑われる場所を一軒ずつ捜索する。くれぐれも祇園会所へは日頃の巡察と同じように向かうように」

「おう!!」


士気溢れる男達の声が広間から廊下まで響き渡った。

まずい。なんかきっと解散の雰囲気。このままここにいたんじゃ、誰か出てきて立ち聞きしてたのがバレちゃう。

とりあえず…自分の部屋に…

それにいい事を聞いた。祇園会所に集合後、一軒ずつ捜索、とか言ってたな。

きっと桝屋さんの仲間を捕まえに行くんだろう。たぶん…たぶんだけど斬り合いになるんだと思う。

なら…私に出来ることは……

怖い…。怖いけどやるしかない。私の存在意義を確かめるために。私の本当の居場所を作るために。


手に持っていたタオルを握りしめ、今度こそ覚悟を決めた私は自分の部屋へと駆け出した。


…こん畜生、やってやろうじゃねぇか!!




***




気分は晴れやかだった。

さっきまでの気分の塞がりは一体どこに行ったのか。切り替えの速い女で良かったと、今日ほど思ったことはない。


やっと気付いたんだ。覚悟を決めるということがどういうことか。

今度こそ本当に迷わない。今度こそ私はこの時代に居場所を作ることができる!

一歩踏み出しゃ何でもできる!元気があれば何でもできる!!

よーし、やってやろうじゃねぇか!!


「…よしッ!!あとこれも…」


部屋へと駆け戻った私は、再び自分の荷物を引っ張りだし未来から着てきたワンピを手に取った。それをハサミで手頃な大きさに切り揃える。テンパってると思うでしょ?違うんだなこれが。これは…


――スパン!!


再びワンピにハサミを入れたと同時にすごい勢いで部屋の襖が開いた。


「おめぇ…気でも触れたか?」


ビクッとなりましたよ私。危うく指まで切っちゃうところでしたよ。なのに驚かせた当の本人はそんな冷たいこと言うんですからね。この男には本当に鬼の血が通ってるんじゃないだろうか。


「失礼なこと言いますね。これは…」

「今夜は遅くなる」


どうやら鬼の耳は飾りのようです。私の言葉になんか一切反応せず、あとで持っていこうと洗濯して畳んで置いてあった男の浅葱色の羽織をバサッと勢いよく広げた。

「必ず帰ってくるから心配しねぇで寝てろよ」なんて言いながらその羽織に腕を通す男。ああ、こいつは駄目だ。そう思ってグイッと袴を引っ張れば「あぁん?」と言わんばかりの険しい顔でやっと私にその視線を向けた。


「私も一緒に行きます」

「はぁ?」


予想もしていなかっただろう私の言葉に、男はその険しい表情とは裏腹になんとも間抜けな声を出した。


「おめぇ、何言って…」

「だから!!今夜の捕縛に私も行くって言ってんですよ」

「…おめぇ、やっぱり気でも触れたんじゃねぇか?」

「これ…この未来の洋服、包帯の代わりになると思って切り分けました」

「………」

「きっと斬り合いになるんでしょう?誰か怪我をするかもしれません。その場で手当てすれば…」


難しい処置こそ出来ないが、思い返せば高校生の時、授業で怪我の応急処置を習っていたことを思い出した。

さすがに刀傷の処置法ではなかったが常識範囲の怪我の処置なら私にだって出来る。それに深い刀傷だって、すぐに止血すれば一命を取り留められるかもしれない。

「きっとお役にたてると思います!」そう口にし、立ち上がった瞬間。

それまで静かに向けられていた鬼の視線に鋭さが加わり、思わずゾクリとした感覚が背筋を撫であげた。


「駄目だ」

「嫌です、行きます!」


懇願する私なんてまるで無視するように鬼はそのまま部屋の襖に手をかける。

でもこのまま振りきられてたまるか。

やっと一歩踏み出す気になったんだもの。やっと…


浅葱色の羽織をこれでもかと握りしめ、「歳さん!」と大きな声を上げれば、男は怪訝そうに、そして横目で私を小さく見下ろした。


「待って、お願いです!一緒に連れていってください!!私も皆の役にたちたいんです!!」

「……いいか、今回の捕縛は俺達の命を賭けた戦いなんだ。遊びじゃねぇんだよ!!」


突如出された大声に、ドキッと心臓が高鳴ったのがわかる。

でも負けるもんか。私だって、私だって…!!


「わかってます!!私だって本気なの!!私だって、皆の役にたちたい…」

「駄目だ」

「歳さん!!」

「駄目だ!!」


しっかりと掴んでいたはずの羽織は無情にも振り払われ。私はその勢いで思いきり部屋の畳に倒れてしまった。

急いで見上げれば、そこには私の大好きな歳さんの優しい姿なんてなく。代わりに鬼と呼ばれるに相応しいであろう、新選組副長の姿がそこにあった。


「てめぇには山南さんに付いててもらう。いいな?大人しく屯所で待ってろ」

「ッ…」


さっと踵を返し足早に去ったその背中。私は散らばった包帯代わりの布を握りしめながら、見えなくなるまでその背中を見据えていたのであった。



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