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第七十八話 男の志と男の誠


勝手場を抜ければ東の蔵は目と鼻の先。

多少の戸惑いもないわけではなかったけど、私は一歩、また一歩と東の蔵へと向かった。


途中「そういえば…」と、あることを思い出し、一度自室に戻る。

普段は天袋の奥にしまいこんであるバッグを取りだし、中をゴソゴソと漁った。


「あ!あった…」


以前、山南さんがケガをしたときに渡した化膿止めと痛み止めの薬。

使ったものが都合よく元通りになる、私の未来の持ち物たち。例にも漏れず、使いきったはずのピルケースの中の薬は私が未来で持ち歩いていた状態と同じ状態になっていた。


「それとこれも…」


化粧ポーチに入れておいた絆創膏を

数枚取り出す。

…拷問がどんなものか。どのくらいの程度のものなのか全然わからないけど、さっきの平助や総司くんの様子から、きっとこんなの意味がないくらいに桝屋さんはケガをしていると思う。

役に立つかはわからないけど…


私は薬の入ったピルケースと絆創膏を握りしめ、自室をあとにした。



***



自室のある離れを出れば、目の前には蔵が二つ、ひっそりと建っている。

手前の蔵は食料品などを保管しておく蔵だから私もたまに出入りはしていて、少しだけど馴染みはある。昨日も味噌を取りに行ったりした。

しかし問題は東の蔵。

少し奥まっている東の蔵に近付いたことは実は一度もない。

東の蔵は元々貴重品などを保管しておく蔵だったそうで、他の蔵と比べて造りが頑丈になっているらしい。見た目も少し、閉ざされた感は否めない。

「拷問をやるにはもってこい」とは今は亡き芹沢さんの言葉。それに加えて「亡霊なんぞも出るらしい」とのことでビビリの私は、例え昼間とは言えども東の蔵に近寄ることは今までなかったというわけだ。

でも今思えばそれは私を東の蔵に近付けないための…拷問を目の当たりにさせないための芹沢さんなりの優しい嘘だったのかもしれない。

…なんて言っておきながら、本当に亡霊が出たら全速力で逃げるけどね、うん。だっておばけ怖い乙女だもの。


それにしても…

皆、蔵のそばにいるもんだと思っていたけれど、その気配はまったく感じない。蔵の中にいるんだろうか…でもその割りには蔵の中からは何の音も、それこそ歳さんの声も桝屋さんの声も聞こえない。まぁ、叫び声も聞こえないほどのしっかりとした造りなのかもしれないけども。

もしかしてもう終わったんだろうか…


拷問を目の当たりにするのは怖い。それに私がその場に行ったとしても何も出来ることはない。例えやめてと懇願しても歳さんが私の言葉に耳を傾けることなんてないだろう。

そして…そんなことをしたら今度こそ私の居場所はなくなるに違いない。


…どうしよう。


桝屋さんが本当に攘夷浪士の大物なのか。そんなことどうでもよくなるくらい迷いの気持ちの方が強くなり、ついにその足を止めた。




私は……


私は結局自分が可愛いんだ。

桝屋さんが極悪人だろうが、そうじゃなかろうがどっちみち私に"それ"を止めることはできない。だったらみすみす自分の居場所を無くすようなことはするべきではないんじゃないか。

私がしようとしていることは、ただ興味半分に首を突っ込んだ偽善者と同じだ。

自分が可愛いなら、自分を守りたいなら新選組のすることに首を突っ込むべきじゃない――…



部屋に戻ろう。

そう思って小さく頷いたそれと同時に


「由香さん」


背後から呼ばれた自分の名前にパッと振り返れば、そこには小さく口角を上げた山南さんの姿があった。


「こんなところで何を?」


怒られる…咄嗟にそう思って「いや、あの…」と言葉を濁せば山南さんはすべてお見通しだったのだろう。「大丈夫ですから。肩の力を抜いてください」と一歩私に歩みより、薬と絆創膏を握りしめている私の手を掴んだ。

そして、「お節介な君のことだ。きっと古高を心配して来たんでしょう?」とその掴んだ私の手を開き、今度は優しい笑みを見せた。


「あの、拷問は…もう…」

「いえ、まだ続いているようです」

「そう…ですか…」


やっぱりまだ"それ"は終わっていないようだった。一体"それ"はいつまで続くのか。ここまで来るときっと冤罪とか、何かの間違いとかいう筋も無いに等しいのだと思う。

きっと…桝屋さんが攘夷志士をまとめている人物だというのは間違いないのだろう。


「あの…私、部屋に戻ります」

「……そうですか。由香さんがいれば百人力だと思ったのにな」

「え?」

「私はここに文句を言いに来たんですよ」

「文句…ですか?」


「ええ。土方くんに」と笑みをこぼす山南さん。

歳さんに文句?言っていることがよくわからない。そんな思いが顔に出ていたのだろう。首を傾げた私に山南さんは「実は…」と、さっきあった出来事を話し始めた。


「先程、こちらの様子を見に行こうと自室を出たとき、たまたま永倉くんに会ったんです」

「新八さんに?」

「ええ。彼は手に五寸釘と蝋燭を持っていた。不思議に思った私は永倉くんに尋ねたんだ。それは何に使うんだ、と」

「………」

「そしたらこれは拷問に使うんだと。それを聞いた私は絶句したよ。いくらなんでもそれはやりすぎだと思ったからね」


山南さんは新選組の総長だ。けれどどちらかと言えば無駄な血は流したくないという穏やかで優しい人だと、以前、総司くんが言っていたような気がする。

だからきっと、拷問に対してもあまりいい顔はしないんじゃないかと思う。


「だから私は止めたんだ。それは人道的にも間違っている。そこまでする必要はないだろう、と。そしたら永倉くんは真剣な顔つきになってね…」





「土方さんは御上を守るため、民を守るためだけにこういうことをしてるんじゃねぇよ」

「では…なんのために…」

「山南さん、あんたのためだ」

「私の?」

「あんたのその腕は長州にとられたようなもんだろう?口にこそ出してはいねぇが、土方さんはずっと悔やんでた。あんたを守れなかったことを。あんたから剣を奪ってしまったことを。そして、志を奪ってしまったことを」

「………」

「だから長州を、攘夷志士を潰すことは山南さん、あんたの仇でもあるんだ」

「そんな…」

「古高を捕まえた時な、土方さん言ってたぜ?新選組の剣を一つ潰したんだ。その落とし前もつけてもらうからな…ってな」





「正直…嬉しかった。けれど一つ彼は勘違いをしている」

「勘違い…?」

「剣を失い悔しかったのは事実だ。だが…、そのかわりまた違った方向の志を見つけることができたんだ」


山南さんの言葉に嘘はない。陰りのない優しい目を覗かせると「それを教えてくれたのは由香さん、君なんだけどね」と笑った。


「だからね、仇だなんて余計なことはしなくていい、と、文句を言いに来たんだ。私はまだ死んでいないと」


今、それを伝えるのは場違いかもしれないけれど、このままでいいのかなという気持ちもあってね…

そう呟くように吐き出した山南さんの表情からはいつのまにか笑顔は消えている。


何か…違和感を感じる。

この目は……そう、平助と同じ目、だ。

もし…もし、山南さんも平助と同じく、この時代に不満を持っているとしたら…

違う志の者同士がいがみ合う世の中ではいけないと思っていたら…


「山南さん。それ、本当ですか?」

「ん?」


聞かずにはいられなかった。

その目、に。だってその目は本当に凛とした強さを持っていたから。

文句なんていうのはただの口実で…本当は拷問を止めに来たんじゃないか。

そう思ったら勝手に言葉が口をついていた。


「本当に文句を言いに来ただけなんですか?」

「……どういう意味かな?」


山南さんの顔色があきらかに変わった。


「文句っていうのはただの口実で…本当は拷問を止めに来たんじゃないんですか?」

「………」

「本当は皆が手を取り合わないと駄目だって…そう思ってるんじゃないですか?」

「……それは…」


少し思案した山南さんが口を開いた瞬間――…


私の後ろでギギギッ…と重たい音をたて、蔵の扉がゆっくりと開いた。

と同時に出てきた人影。

それは紛れもない、眼をギラつかせた汗だくの歳さんで…

こちらを一瞥したその妖のような姿に思わず息を飲んだ。



「副長」


共に出てきた山崎くんが水の入っていると思われる竹筒を手渡す。男はそれを受けとると、一気に傾け喉を鳴らした。


その背後で露になった薄暗い蔵の中を目を細めて見れば、逆さに吊るされていたのであろう、桝屋さんらしき男がちょうど総司くんと平助の手によっておろされているところだった。

男はピクリとも動かず、そして言葉も発せず、二人に身体を預けてぐったりとしている。ここからはよく見えないけど、上半身裸のその身体にはおびただしい数の傷があるようにも見える。

まさか…死んではいない、よ、ね…?

両足から出血しているのか、その血によって身体が赤黒く染まっている男のその姿に釘付けになった。


こんなもの…役になんかたたない…


手に握っていた薬と絆創膏を握りしめた。


「山崎。手当てしてやれ」

「は」


歳さんの言葉に山崎くんはあらかじめ用意しておいたのか、包帯やら焼酎が入った箱を手に、再び蔵の中へと入り、横たわる男の隣に腰をおろした。


…私も行くべきか。

でも足が動かない。進まない。

それはきっと…あんな状態の…瀕死の桝屋さんを目にしたから。


桝屋さんが本当に攘夷志士の大物なのか知りたい。

拷問によって傷をおったのであれば、それを手当てしたい。

そんな私の思いはやはり興味半分、そして偽善半分だったということに嫌ってほど気付かされた。



結局…

私は自分が可愛い。自分を守ることしかできない――


どうすることも出来ずに私は呆然とその場に立ち尽くした。


「土方くん」


そんな私の耳にふと届いた静かな声。小さくそちらを振り返れば、声の持ち主である男はゆっくりと、そして毅然とした態度で歳さんの前に立ちはだかっていた。


「やりすぎだよ、君は」

「………」

「それに…みくびってくれるなよ、私を」

「…どういうことだ?」

「仇、だなんて…気持ちは有難いが、その必要はない」

「………」

「土方くん。まだ気付かないか?武に武をぶつけても何も生まれやしない。生まれるのは憎しみだけだ。そんなんじゃいつまでたっても平和な世の中なんぞ造れやしない」


山南さんの言葉に歳さんが眼を見開く。

まさか…まさか山南さんがそんなことを思っていただなんて…


私だけではない。それをそばで聞いていた新八さんに総司くん、それに平助も驚いた顔を見せた。


「新選組も…長州も…もっと早くそれに気付くべきだ。違う志を持ってる者は、自分とは違う何かが見えているということだ。それを斬るのは惜しいことだと何故気付かない?」


山南さんが剣を失い、新たに見出だした志。それは正に未来に繋がる正論だったわけで。でもそれは時代に許されないことを、きっとその場にいる誰もが気付いていた。それを示すように沈黙がその場を駆け抜ける。


…だが一人。たった一人だけその場の沈黙を切り裂くように口を開いた男がいた。


「じゃあ山南さん、あんたはあれか?京の街が火の海になるのを…長州が実権を握るのを、指をくわえて見てろってぇ言うのか?」

「違う!私が言いたいのは…」

「俺は守るだけだ。てめぇの誠ってやつを。それを邪魔する奴ぁ誰だろうが斬り捨てるだけさ」


男は不敵な笑みを浮かべると、未だ食い下がる姿勢を崩さない山南さんの肩に手をポンと置き、そのまま離れの中へと姿を消したのであった。


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