第七十七話 青天の霹靂
宵々山の心地よい音を若干耳に残し、屯所への帰路を急ぐ。
腕にはやっと満タンになった通徳利を抱えているわけだけど、これがまた何気に重い。
この場で呑んで中身を減らすか…いや、ダメだダメだ!
…でも満タンで返す必要なくね?元々半分しかなかったし…いや、ダメだダメだ!
……なんてことを何度となく考えながらも私は屯所への帰路を急いだ。
あれからお悠さん行き付けの酒屋に連れていってもらい、どうにかこうにか酒を買うことができた。
「お酒ならあそこの酒屋がいいわ!」なんてニコニコ笑顔で教えてくれたお悠さん。
ビックリ!酒豪なのかと思い素直にそう疑問を口にすれば「やぁねぇ!あんな不味いもの、私は口にしないわよ。父が少し嗜む程度!」と思いきり背中を叩かれた。
その不味いものが私は大好きなんですけどねゴホン!…なんて言えるわけもなく、「由香さんは呑むの?」というお悠さんの言葉に「たまに歳さんに付き合うくらい」と答えた私ってばなんて小心者。
そんなこんなで私とお悠さんはまた会う約束をして短い女子会はそこでお開きとなった。
しかしお悠さんてばサバサバしてるわりにはどこか抜けてるところがあって、一緒に話してて飽きない。こりゃあ総司くんがお悠さんに惚れた理由が心底わかるぜ。
私もいい友達になれるといいな。また近々お悠さんちの診療所に顔を出してみよう。今度は一人で。
それにしても……
やっぱりあの二人、両思いだったじゃん!どうにかこうにかくっ付けてやりたいけどなぁ…
「僕とお悠さんでは住む世界が違いすぎる」
「人斬りと一緒になったって、いいことなんて一つもないんです」
…そうはっきりと言い切った総司くんの言葉が脳裏を過る。
でも、やっぱり好き合ってる二人が一緒になれないなんて、そんな切ないことあっちゃいけない。
……よし、ここはおねーさんが一肌脱いでやろうじゃねぇか!
さっさと帰って作戦考えよう。
暇な毎日に少しだけ楽しみができたかも。うふふん。
鼻歌を口ずさみながら半ばスキップじゃねーのかっていうくらい軽い足取りで屯所へと急ぐ私。
……この時の私は知らなかった。
数時間後。後世に伝えられるほどの大事件を新選組が起こすことを。
その大事件が時代を揺るがすことになるなんて。
そして私は目の当たりにすることとなる。
志に命をかける男達の戦いを。
その命が散る様を――…
***
「戻りました~…っと」
…おかしい。
門番に軽く会釈をし、屯所内へと足を踏み入れると明らかに何かがおかしかった。
しいて言えば雰囲気。雰囲気がピリピリしているのを肌で感じた。
それにいつもは必ずする人の気配もほとんど感じない。奥の離れにでもいるのだろうか…
やっぱり何か事件でも起きたのかもしれない。まだ歳さんたちは帰ってきていないのかな。
…とりあえず、この酒を勝手場に置いてこよう。皆の姿を探すのはそれからでいい。
不思議に思いつつも表玄関を通り抜け、勝手場の暖簾を潜る。
まわりをキョロキョロと確認しながらそっと通徳利を仕舞うその動作は明らかに不審者のよう。誰にも見つかりませんように…なんていう淡い期待はやはりお約束のように打ち壊され。
「あれっ?由香」
「一体何やってんだ?」
私の背中に聞き覚えのある声が投げ掛けられた。
「あっ…あああ、へ、平助に新八さぁん…」
振り返った私の顔はかなりひきつっているだろう。口角がピクリとなったのが自分でもわかったもの。
しかも上擦った声に平助が「ぷっ」と吹き出した。
「お前、なんかしでかしただろ。行動がかなり不審だぞ?」
「べっ、別にぃ~何も?」
「ははっ!由香ちゃんて普段捻くれてるが、根は素直だからな。大方間違って隊士の酒でも呑んじまったんだろ!」
ひぇぇぇ!新八さんてばこんなときばっか鋭い!!
へらりと笑って誤魔化そうかなとも思ったけど、どうせいつも捻くれてる私なので「でも今返しましたし」とか最低発言をすれば、新八さんは「やっぱりな!」と笑い、平助は「お前なぁ…」と小さなため息をついたのだった。
「てゆーか、二人ともなんで勝手場に?」
「ま…ちょっと探し物、だ」
私の開き直った問い掛けに小さな声でそう答え、ガサゴソと棚を漁りはじめる新八さん。
一瞬。一瞬だけ平助の顔に陰りが見えたように思えた。なにか違和感を感じる。しかし新八さんはニコニコと笑顔を浮かべたまま。
気のせい…だったのだろうか。
「そう、なんですか。つか、帰ってきてたんですね」
「ん」
新八さんが言葉を濁したようにとれた。もしかしたら何か重大な事件が起きてるんじゃないか。そう思ったけど、単刀直入に聞くことはできない。
気になる。気になるけど、ここは深入りしてはいけない気がする。
だから私はあえて平助に戯れ言を投げ掛けた。
「もしかしてあれなの?二人で昼間から酒でも?」
「お前じゃねぇんだし、昼間から酒なんか呑まねぇよ!」
「あんだと?平助、毛も生えてねーのに生意気だぞ?」
「はっ、生えとるわい/////!!」
これだから平助をからかうのは面白い。平助は真っ赤になって吠えていたが、そんな平助に世間のおねーさま方は私と同じく萌え萌えニヤニヤしちまうぜ。
むふ、と笑顔を浮かべた私ってばきっと腐女子感満載だろう。
とりあえず平助が戯れ言に乗っかってくれたおかげで、違和感は打ち消せた気がした。
けれど…
「お、あったあった!」
きゃっきゃとやり取りを繰り広げている私と平助の横で、棚をゴソゴソとしていた新八さんがあるものを手にしていた。
それは意外や意外。新八さんが手にしていたのは何に使うのか、五寸釘と少し大きめの蝋燭だった。
「え?蝋燭…?それ…ま、まさかSとかMとかにでも使う気ですか!?」
「はぁ?えす?」
ああ、だから私の心は汚れているというのさ。
でもさ、だってさ、その蝋燭、アロマ用でもないし、停電ってゆーかここは年中停電だし、じゃあ何に使うの?あれしかないじゃん、Sえ…ゲフンゲフン!!
もうなんなら鞭も必要じゃね!?とばかりにテンパってる私に新八さんはいつものように一つ、爽やかな笑顔を浮かべたかと思うと、信じられない言葉をさらりと口にした。
「これは拷問に使うんだよ」
「え?ご、うも…」
「ちょっ、新ぱっつぁん!」と平助が新八さんの腕を引いたが、そんなのはお構い無しと言わんばかりに、今度は一変、真剣な顔付きで私の肩に手をおいた。
「いいか由香ちゃん。今日は東の蔵には近付いちゃいけねぇ」
「え?なんで…」
「攘夷志士の大物を捕まえたんだ」
攘夷志士の大物…
ああそうか。その人を東の蔵で"拷問"してるってわけですか…
平助が心配そうな視線を私に向けたのがわかった。平助は優しいから…血だの拷問だのに免疫の薄い私を気遣ってくれてるんだろう。
…うん。大丈夫。この時代のことは否定しないことに決めたじゃない。ああ、そうなんですか。わかりましたって流せばいいじゃない。
そう言葉にしようと口を開きかけた瞬間。
次いで新八さんから出てきた言葉に私は返す言葉と共に息を飲んだ。
「そいつの名前は古高俊太郎。四条河原にある桝屋の店主だ」
「は……?桝屋、さん?」
思わず耳を疑った。
え?なに?桝屋って…あの桝屋さん?あの穏やかで優しそうな……?
桝屋喜右衛門は仮の姿。本当は攘夷志士たちをまとめあげる極悪人だ。
驚いている私に新八さんはそうハッキリと言った。
「なかなか口を割らなくてな。今、土方さんが拷問してる」
「歳さん、が…」
「おい、新ぱっつぁん。もう由香にはこれ以上…」
私の呆然とした様子に見るに見かねたのだろう。平助が新八さんの腕を引いた。しかし新八さんはその手を振り払い、逆にしっかりと私を見据える。
いつものおちゃらけた目でもない。優しい目でもない。
この眼はきっと…新選組二番隊組長の眼だ。
「由香ちゃんよ。念のために聞くが、桝屋が長州らと繋がってるのは本当に知らなかったのか?」
敵意を隠そうともしないその眼にゴクリと喉が鳴る。
…きっと今、私は疑われている。
新選組副長の女だろうが関係ない。
たかが数日ではあるけど、長州の高杉さんにお世話になっていたのは紛れもない事実だから。
だから新八さんがそう疑うのも仕方のないことだ。
でも…でも私は……
「本当に…、本当に知りませんでした」
その二番隊組長の鋭い眼に思わず目をそらしそうになるものの、拳を握りしめ、しっかりと眼を見据えそう答える。
少しの沈黙が駆け抜けたあと…
どうやらその精一杯の誠意は新八さんに伝わってくれたようで。
私に向けられた刺々しい眼はいつもの優しい新八さんの目に戻っていた。
「…そうか、ならいいんだ。悪かったなこんなこと聞いて」
ポンポンと優しく頭を撫でるその手と、事態を静閑していた平助の小さな溜め息に心底ホッとした。
嘘をついたわけじゃない。
新八さんが怖かったわけじゃない。
けれど…握りしめた私の拳は微かに震えていたのだった。
***
「じゃあ俺はこれを土方さんに渡してくっからよ!」
そう言って新八さんはいつもと変わらない笑顔を見せ勝手場を去っていった。
…初めて見た新八さんの新選組二番隊組長としての顔。そして向けられたあの眼。
久しぶりに殺気を向けられたと感じた瞬間だった。
新八さんが私を疑ったのは決して間違ったことではない。むしろ当たり前のこと、なんだけど…
…少しだけ。ほんの少しだけショックだったかもしれない。
仲間、だと…
信用し、信用される仲間だと思っていたから。
私は少し思い上がっていたのかもしれないな。
歳さんと恋仲ではあるけれど、私ってばたかが居候の分際…、
「わっ!!」
そんなことを考えていたのが伝わってしまったのだろうか。
その場に残っていた平助がニカッと笑ったかと思うといきなり私の頭をワシャワシャと撫で始めた。
「ちょっ、平助!髪ぐちゃぐちゃに…」
「ったく!お前らしくねー顔すんじゃねーよ!!」
「ッ…!」
「……大丈夫、だ」
「……」
「お前の居場所はちゃんとここにあっからさ!!」
「へ、いすけ…」
涙が出そうになった。
平助がくれた欲しかった言葉に。
何も言葉が出なかった。
やっぱり私の頬には涙が伝っていたから。
「ああもう!」と言いながら自分の羽織の袖で涙を拭ってくれた平助。「あり、ありが、とう!」と不細工であろう泣き顔で御礼を言えば、平助は静かに優しい笑顔を見せた。
*
「さて…、俺もそろそろ蔵の方に戻るかな」
私が落ち着きを取り戻したのを見て平助はうーんと伸びをしながらそう言った。
その横顔は少し気だるそうだ。
「…もしかして平助も……桝屋さんに拷問、してるの?」
「俺はしねぇよ。あんま言いたくねぇけど、俺は体格もちっこいし、迫力がどうしてもな」
「そっか」
「それに…俺には土方さんみてぇにあんなことは……」
平助はそこまで言いかけてハッとした顔を見せ、「あ…わりぃ…」とばつが悪そうに眉を下げた。
きっとこれも平助なりの気づかいだろう。平助は本当に優しい奴だから。
「大丈夫。わかってるから」
「そうか…」
ホッとした様子を見せた平助だったが、蔵に戻ると言いながらそのそぶりはなかなか見せなかった。それどころかうつむき、明らかに眉間に皺を寄せているように見える。どうかしたのかな?と、疑問に思いだした頃。
平助はポツリポツリと口を開き始めた。
「……俺も、さ。わかってるんだ。土方さんだって拷問なんてやりたくてやってるわけじゃないってこと。国のため、世の平和のためにって」
「……うん」
「けど……こんなお互いを潰すようなことばっかやっててさ、本当にそれでいいのかって」
「………」
「お互いが手を取りあわねーと、平和で幸せな世の中なんていつまでたっても造れねーんじゃねーかなって」
「平助…」
「…って、あー!!俺、何言ってんだろうな!!わりぃ、気にしな…」
「平助。平助は何も間違ってない。間違ってないよ」
「…由香……」
平助の力のない笑顔を見た瞬間、私はそう口にしていた。
この時代では何が正しいのか、何が間違ってるのか。私にはハッキリわからない。けど平助のその思いは真っ直ぐで素直で…本当に、本当に間違っちゃいないもの。
「あり、がとな」
「おう!平助頑張れ。ちょう頑張れ」
そう言いながら平助が私にしたように頭をワシャワシャと撫でれば、平助はいつもの笑顔を見せたのだった。
……きっと平助も悩んでる。その悩みが一体何なのか。彼がどういう答えを出すか。それは私にはわからない。
ただ…彼がこの時代に不満を持ってるのは確かだ。
そしてその不満が限界を迎える時が来てしまうなんて。
それを知るのはまだもう少し先の話。
*
「じゃあ俺、本当に戻るわ!」
「うん!平助、ありがとね」
「いや、礼を言うのは俺の方だぜ!それと…」
「?」
そう言った平助は一変、笑顔から真剣な眼差しを覗かせた。
「さっき新ぱっつぁんも言ってたけど…東の蔵には近付くなよ」
「………」
「由香のことだからさ、面識があった桝屋のこと気になるんだろうけど…」
…平助ってば鋭い。
少ししたらちょっとだけ様子を見に行ってみようと思ってたこと…きっと見抜いてる。
怖い。怖いけど…
興味というより、ただただ桝屋さんに対して半信半疑だった。
新選組に対して敵意を持っていたのは確かだけれど、あの高杉さんが懇意にしている人だもの。悪い人なわけない。
私はただ信じたいだけ。桝屋さんが攘夷浪士の大物なんかじゃないと。
そもそも私にとっては攘夷が悪なのかすらわからない。
だからその真偽を自分の目で確かめたいだけなんだ。
「…うん、行かないよ」
「絶対だぞ?」
「はいはい!大丈夫だって!」
私のその軽い返事に「いまいち信用できねーんだよなぁ」と平助が首を傾げたと同時に勝手場の入口にふと人の姿を捉えた。
「総司くん」
「もしかして終わったのか?」
平助の問い掛けに小さくフルフルと首を振る総司くん。その姿はなんだかげんなりしている様子で…
はぁ…と小さくため息をついたかと思うと、そばにあった大きな甕の上にソッと腰を落とした。
「ああやってジワジワやるやつ…さすがに見てられないんだよね…」
返す言葉が見つからなかった。
総司くんが言うそれは言わずもがな拷問のこと、だろう。
平助が再び心配そうな顔でチラリと私を見たのがわかった。
「…あの…総司くん。桝屋さんは…大丈夫、なの?」
大丈夫なわけがない。そう思いながらもつい聞いてしまった。だって総司くんもいつもの様子と全然違ったから。
眼、が…
「どうでしょうね」
「どうでしょう、って…」
「しかし歳三さんは凄いなぁ。僕だったら一思いに殺しちゃうのに」
クスクスと笑う彼に思わず息を飲む。
垣間見た気がした。
彼の中の"修羅"を。
ふと交わった視線は今まで見たこともないような鋭いもので。
いつもの優しくてやんちゃな総司くんは見る影もない。
ああ…この眼、か。
この眼を修羅と京の人は呼ぶのか。
逸らしたいのに逸らせない。
殺気たつその眼に私はまさに蛇に睨まれた蛙のごとく、身体を固めた。
「総司、戻ろうぜ」
「えー」
「土方さんだけに押し付けたんじゃ悪いだろ。ほら、立った立った!」
今にも雰囲気に飲み込まれそうになる中。それをぶった切って助けてくれたのはやはり平助だった。
そして平助は総司くんを無理矢理立たせると、わざとだろう。明るくニカッと笑って見せた。そして大きな声で「約束守れよ!」と私に言い、渋る総司くん共々勝手場を出ていったのであった。
「………はぁ」
やっと戻ったいつもと変わらない勝手場の空気にドッと身体の力が抜けた。先程の総司くんのように近くの甕に腰をおろせば、手はおろか、着物の奥の背中にも冷や汗をかいていたことに気付く。
…新八さんに総司くん。
あの"眼"が世間を震撼させている新選組、なんだ……
あの"眼"、は。私が以前、屯所を飛び出したときに見たものよりもはるかに血に染まっているように思えた。
人殺しの眼。あの時はそう思った。
でもあれは…血に飢えた獣の眼、だ――…
忘れかけてた新選組への、この時代への嫌悪感、恐怖感が一瞬甦り、全身を駆け抜けた気がした。
けれど…この時代で生きていかなきゃいけない。生きていくと決めたはずだ。
その負の感情を押し殺すように一度、自分の頬にピシャリと気合いを入れ、私は東の蔵へと足を向けたのであった。




