第七十五話 人はそれを恋と呼ぶ
もしかして今日、時代が動くんじゃねーかってくらい、幹部をはじめ新選組の一部の皆は慌ただしく動いていた。それはもう、早朝から。
もちろん、中には暇そうにしている平隊士も見かけたが。
歳さんや近藤さんはもちろん、総司くんやはじめくんや左之さん、普段はヘラヘラしているあの新八さんや平助まで眉間に皺を寄せ、夜明け前に屯所を出て行ったわけだから、ただの巡察ではないことくらい私にもわかった。山崎くんなんて「何かあったの?」なんて問いかけた私のことを無視してまで走って出掛けて行ったからね。まったく、あのピュアボーイめ。
歴史に疎い私にとって、何が起きるかわからないこの時代。
ただ近々何か大きな事件が起きる。そんなことを予感させる雰囲気が屯所内を漂っているのは確かだ。
が、しかし。
ピリピリとしている新選組の皆とは裏腹に、私はのほほんと日々を過ごしている。
だってだってね、屯所での私の仕事は掃除洗濯、たまに料理だったのに、その数少ない仕事でさえ最近は新人の平隊士が当番制でやってくれちゃうんだもん。だから私の仕事は激減し、本当に本当に時間をもて余しているのだ。もうね、1日が長いことなんの。
「…ふぁ~あ……」
お日様がその顔をすっかり見せた頃。
屯所の縁側で大あくびをこぼし、例にも漏れず今日も絶賛暇人である。
手透きの幹部がいればかまってもらったりしてるんだけれど、いつもそうとは限らない。今日のようにその幹部のほとんどが出払ってしまうと、私の暇人ぶりには拍車がかかってしまうのだ。
まぁ、幹部のほとんどが出払うなんてことは滅多にないから、やっぱなんかあったんだろーな…なんて小さな疑問は私の胸中にしまっておくことにしよう。
大きな事件が起きようが起きまいが、とにかく皆、ケガなく無事に屯所に帰ってきてほしい。私が願うのはそれだけだ。
しかし本当の本当に暇である。
留守番組である山南さんにかまってもらおうとも思ったが、昨日も一昨日もそのまた昨日もかまってもらっていたため、先程部屋に行ったら、いい加減山南さんの笑顔がひきつっていた。
まぁね、その笑顔が何を言いたいのかわからないほど私も馬鹿ではないんでね、早々とおいとましましたよ。
だから今は仕方なくぼっちでいるというわけなんだけど。
だけどこのまま時間を持て余して1日が終わるのはもったいない。
さて、どうしたことか……
そんな時。
「なに?酒が無くなった?」
「ああ。確かに残しておいたはずなんだが…」
腕を組み、思案している私の後ろを通る暇そうな平隊士達の会話がふと耳に届いた。
ん?勝手場の酒?酒が無くなった?
なんだなんだとその会話に耳を傾ければどうやら話はこうだった。
先日、平隊士Aくんがなけなしの給金で一升徳利で酒を買った。それを半分ほど呑み、残りは勝手場の棚に置いておいた。そして今朝、夜勤を終え、その残りを呑んで寝ようと棚を覗いたらなんとその一升徳利が空になっていた、と。
「お前さんの勘違いじゃないのか?」
「いや、そんなはずは…」
おかしい、誰かに呑まれたのかも…いや、呑まれたに違いない!…なんて会話をしながら2人の隊士達はその場を去っていったのだけど……
ち ょ っ と 待 て。
酒?勝手場の棚に置いてあった酒?
………あのですね、たぶん。いや、たぶんだよ?たぶん。
私それ……
呑 ん じ ゃ っ た。
初夏にしては肌寒かった昨夜。昨夜は身体を暖めあうダーリンも会合だとかでいないし、どうすっかな、熱燗でも呑んで身体を暖めるか!なんてね、そんなアル中みたいなことを考えてですね、勝手場の棚を覗いてみたんですよ。そしたら不思議。手頃な酒がそこにあるじゃないですか。そりゃねぇ、もう呑むしかない!…と。
…あああ!馬鹿!私ってば馬鹿野郎!!
てっきり新八さんあたりのだろうから大丈夫かと…。
こりゃもう、酒を買ってきて素直に謝るしかない。副長の女ってばサイテーなんだぜ!?なんつー噂がたっちゃったらたまったもんじゃない。
幸いお金ならある。よし、今から買いに行ってこよう!
そう思った私は、化粧をし直すためにものすげー勢いで自分の部屋へと向かったのだった。
***
門番の隊士に「ちょっと買い物に。すぐ戻ります」と手短に伝え屯所を飛び出す。空の通徳利はバレないようにしっかりと風呂敷に包んだ。
ああ、なんて知能犯。
ええと、酒屋はどっちの方向だっけ。早く、早く買って帰ろう。
ああ、私ってばなんて駄目な子。新八さんのならともかく、結局これじゃ平隊士Aくんの酒を盗んだのと一緒じゃねーか。ごめん、ごめんよAくん。そしてなんだか新八さんもごめんよ…
そんなことを考えながら市中へと出れば、なんだか今日は雰囲気が違うことに気がつく。
華やかというか賑やかというか。なんだか楽器のような音も聞こえるし。なんだろう。もしかしてお祭りでもあるのかな?
いつも行く小間物屋さんを過ぎれば、今日は珍しく色々な屋台が出ている。あ、やだん。あのお団子美味しそう。買って帰ってこっそりおやつにしよっかな。
ああ、あっちの出店の惣菜も美味しそう。やっぱこっちを買って帰って、今晩の肴にしよっかしら。
…なんて、なかなか酒屋にたどり着けない私。
はっ!いかんいかん!酒屋酒屋…なんてことを繰り返している私の視界にふと見知った姿をとらえた。
あ…あの人は確か……
私のこと覚えてるかなぁ…なんて小さな疑問を胸に、八百屋を覗いているその小さな肩をそっと叩けば、振り返ったその顔はやはりそうだ。
「あの、もしかしてお悠さん?」
が、彼女は一瞬、ん?と首を捻らせ、じっと私の目を見据えただけ。
あ、あれ?もしかして違った?この顔は確かにそうだと思うんだけど…
ひきつり、ニヘッと気持ち悪い笑顔を浮かべた私を見てようやく
「ああ、その笑顔は由香さん!久しぶりね!」
そう言って屈託のない笑顔を見せたお悠さん。おい、なんかちょっと切ないんですが。
「どうしたの?買い物?」
「ちょっと、お酒を買いに。でも今日は珍しく出店が多いから、なかなか酒屋にたどり着けなくて」
「ああ、今日は宵々山だからね」
「よ、よいよいやま…?」
「そ!祇園祭!」
祇園祭ってあれだよね?京都でやってる、なんか有名なお祭りだよね?
こんな昔からやってたのか。全然知らなかった。
つーかよいよいやまって何?祇園祭の前夜祭、みたいなもんなのかな?
ああ、私ってばそんなのも知らないなんて、本当はジャマイカ人とかなのかもしれない。
「ね、ね!せっかくだからちょっとだけ宵々山見に行かない!?すぐ近くに提灯があるらしいの!」
「え?」
「私、見たことないのよね。一人じゃなんだかあれだし、よかった、由香さんと会えて!ほら、行こ行こ!!」
「ちょ、待っ…」
最早、ちょ、待てよ!なんて言う余裕など私にはなく。いや、拒否権などなく。
私の腕はお悠さんに引っ張られ人混みの中へと足を進めたのであった。
つかお悠さん、こんな人だったのね。この強引さはきっと私以上。あの総司くんが尻に敷かれるのも無理はないと心から思いました。
***
「わぁ~!すごい提灯の数!!由香さん見て見て!!」
はいはい、見てる。見てる見てるってば。だからお願い。もう少し声のボリューム下げて。いい年した女がきゃっこらきゃっこら騒いでるとまわりの目がね、痛いんだってば。
「お悠さん、もう少し声を…」
「あっ!あっちにも!!ほら由香さ…ゴホッゴホゴホッ!!」
ああほらもう。騒ぎすぎてむせちゃってるよこの子ってば。
しっかりしているようでまだまだ子供っぽい。そんなところがこの子の魅力の一つだろう。なんだか放っておけないや。
「もうお悠さんてば大丈夫?」
「ゴホッ……へへへ、ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい」
「あそこの屋台で一休みしようか。お団子でも食べよ?」
「本当!?私、甘いもの大好きなの!!」
さっきまで咳き込んでいたかと思っていれば、急に目を輝かせたお悠さん。
さぁここから再び彼女のターン。
あれよあれよという間に私はお悠さんに引っ張られ、気付けばとある屋台の長椅子に腰掛けていたのであった。
……あれ?このパターン、今日何回目?
***
隣で大口開けながらお団子を美味しそうに頬張るお悠さん。
その隣で静かにお茶を啜る私。
…この前は総司くんがいたからなんとなくお悠さんと喋れたけど、今日はマンツー。共通の話題なんて総司くんのことしかない。かと言って総司くんの話題を出すのもなんだかな…。
今更ながら女の子との会話が微妙に苦手なのに気付いてつい苦笑いを浮かべた。
「由香さんも生まれも育ちも江戸なのよね?」
「へ?」
突然。そして予想外のお悠さんの言葉に思わず思考が固まった。
生まれも育ちも…江戸?私、江戸だったっけ?
…いや違う、江戸じゃなくて平成生まれ平成育ちだ。
きょとんとしてるであろう私をよそに、お悠さんは相変わらずお団子を頬張りながら言葉を続けた。
「江戸のころりで家族を亡くして、はるばる京の身寄りを訪ねてきたのに行方不明だなんて…本当に大変だったでしょう」
……もしかして。いや、 もしかしなくとも、総司くんが私の素性を隠すために嘘を並べたのであろう。きっとそうだ。
「それなのに私ってば沖田さんに色々聞いてしまって……ごめんなさいね」
「う、ううん、大丈夫」
「沖田さんを怒らないであげてね?私、京に友達がいないから、江戸生まれの由香さんなら友達になれるかなと思って。だから由香さんのこと少しだけ沖田さんに聞いてしまったの」
沖田さんからは江戸にいた時のことは思い出したくないだろうからあまり触れないでやってくれって言われたんだけどね。と、神妙な面持ちでいるお悠さん。
お悠さんがそんな風に思っててくれたなんて。
嬉しいのと同時に、その私の生い立ちは無いのだからそんなに気負わないで…となんだか罪悪感が生まれる。
総司くんめ!仕方なくとは言え、私をそんな不幸キャラに仕立てやがって。
お悠さん。貴女は悪くないのよ?悪いのはぜーんぶ総司くんなんだから。
…当然そんなことは言えるはずもなく。
「気にしないで」と精一杯の誠意を込めてそう言えば、急に私の手を握ったお悠さん。今度は何を言い出すのかと思えば「じゃあ私達、今から友達ね!?」と満面の笑みを浮かべたのであった。
*
「へぇ、由香さんて案外年増なのね!」
「もう!お悠さんてば!」
小さなきっかけがあれば、多少ドライな私と、竹を割りに割りまくったような性格のお悠さんは長年一緒にいると言っても過言ではないほど打ち解け合えるような仲になることができた。
歯に衣着せぬ物言いのお悠さんてば気も使わないし、何より清々しい。
同年代の女の子と話すのなんてお梅さん以来だろうか。
せっかくできた友達。今度は大事に守って関係を築いていきたい。
やっぱりまわりが男どもだけだと花がないもの、ね。
「あはは!ごめんなさいね。でも由香さんて女の色気があって羨ましいわ!私なんてこんな感じでしょう?浮いた話なんてさっぱり」
「総司くんがいるじゃない」
「沖田さん?そんな!私達、恋仲じゃないのよ」
「でも…好きなんでしょう?」
私の問い掛けにお悠さんは戸惑いの色を見せた。その横顔は若干赤いようにも見える。
ああ、この反応。これはもう。やっぱり。ふふふ、可愛い奴等め。
そしてお悠さんは先程までとはうって変わって小さな声で口を開いた。
「これが恋…かは…わからないの。だってこんな気持ち、生まれて初めてだから」
「お悠さ…」
ぎゃあぁぁ!!!もう!!もう、なに!?こっちが赤面しちゃうような…初恋を思い出させるようなその淡い言葉は!!!
私と歳さんのようなガツガツしてる恋愛ももちろんいいけど、総司くんとお悠さんのようなピュアラブも素敵!!
よし。今度歳さんに抱かれる時は「お…お慕いしています////」みたいな演技してみよう!!
……なんて。そもそも抱かれるとか演技とか考えちゃう私はなんて穢れているのかしら。
そんなくだらないことを考えている私をよそに、お悠さんは「い、今の話は沖田さんに内緒よ!?」なんて慌ててみせた。
お悠さん。人はそれを恋と呼ぶのよ。
ああ、ピュアラブ万歳!!
*
そんなこんなで私達は他愛もない話をしながらお団子を5本ずつ平らげた。
気付けば太陽も徐々に真上に登りつつある。それにさっきより人足も増えてきたみたいだ。
「お悠さん。そろそろ行ってみる?お遣いの途中じゃなかったっけ」
「やだ私ってば!!すっかり忘れてたわ!もう戻りましょうか!そういえば由香さんもお遣いの途中よね?酒屋に行くとか…」
「あっ!」
そうだ、そうだったよ!私ってばお酒を買いにきたんだった。半ばお悠さんに強引に誘われたとは言え、久しぶりに過ごした女の子との楽しい時間に、すっかりと忘れてたよ!
「あはは!その顔は忘れてたって感じね!」
「お互い様!」
と、頬を膨らませれば、私の顔を覗きこむお悠さん。そして視線が交われば、どちらともなく声をあげて笑い合った。
さぁ、帰りましょう!
お悠さんのその言葉に大きく頷くと、私達は壬生の方へと足を進めたのであった。




