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第七十四話 ★葬られた与力



大坂西町奉行所に名の通った与力がいる。


若い頃、あの大塩平八郎親子の逮捕に当たり活躍したと言われ、今現在は諸御用調役と呼ばれる与力筆頭として、吟味方と勘定方を兼ねているそうだ。


面識のある近藤さん曰く、なかなかの硬骨漢。

以前、大坂力士と一悶着あったことを届け出た際には、京の街で恐れられている俺らに対しても物怖じせず毅然とした態度を見せ、その詰問に結局近藤さんが捨て台詞を吐くようにしてその場は物別れしたと聞く。


…俺が言うのも何だが、与力なんて奴ぁ所詮幕府の飼い犬だと思っていた。が、どうやらその男だけは違うようで、強い信念を持ち、数々の栄光を背中に背負いながら今まで生きてきたらしい。


しかしその栄光の輝きも今日で消える。

なぜならば……


「トシ、来たぞ。あの提灯の灯りだ」

「ああ」


――その命、今夜この手にて頂戴するからだ。


男の名は内山彦次郎。

この男が今宵、血を欲している獣の餌食となる。







天神橋の陰に隠れて早四判刻。

男が毎夜四ツ時に帰宅の途を辿るのも、すでに山崎の内偵で調査済みだ。

ゆらり、ゆらりと内山の籠の番人が持っているのであろう、提灯の灯りが近付いてくる。

神経を研ぎ澄ませれば、己の中の獣が徐々に牙を剥き始めたのがわかる。

今夜の獲物はとびきりでかい奴だ。

俺は眼を瞑り、今か今かとその時を待ったのだった。



***



「今回のこの大坂の米相場暴落の黒幕は長州です」

「やはり長州か」

「はい。そしてその手先となって動いているのが、大坂西町奉行所与力筆頭内山彦次郎」

「なんと!」


一月ひとつきほど前。

ここ最近、大坂の米相場が暴落、社会不安が起きているとの情報が新選組にひっそりともたらされた。

近年、飢饉があったわけでもねぇ。これはおかしいと睨んだ俺達は、すぐさま監察の山崎を内偵に大坂へと向かわせることにした。


そんな山崎が有力な情報と確信を得て戻ってきたのがつい先日のこと。すぐさま幹部を集め会議を開けば、山崎が口にした黒幕は予想外の名前だった。


「内山彦次郎と言えば…近藤さんが以前、力士との乱闘を届け出た奴だろう?」

「ああ。届け出た俺に事の詳細を何度も何度も詰問してきてなぁ…なんて野郎だと思ったよ」

「なんでそんな奴が長州の手先に…?」

「金、ですよ」


平助の小さな疑問に口を開いた山崎の答えに、つい苛立ちを含んだ舌打ちが口をついた。

内山に対しての失望と落胆を隠すことができなかったからだ。


俺は、内山の実績と硬骨な人柄に一目置いていた。

なぜならばこの御時世。あそこまでの一本気を持つ与力なんざなかなかいねぇ。

そう思っていたのだが…どうやらそれは俺の買いかぶりだったようだ。

何か他にも事情があったのかもしれねぇ。だが結局、奴も金に目が眩むような、そこまでの男だったのだろう。

ならばもうそこに生かしておく理由なんざねぇ。


「どうする?引っ捕らえて証拠共々奉行所に差し出すか?」

「そんなことする必要なんざねぇよ」

「トシ。ならば……」

「天誅組に見せかけて殺せばいい」


俺の一言に一瞬、広間に沈黙が走る。次いで、源さんや山南さんから「なにもそこまで…」とやんわりとした反対の言葉が聞こえてきたが…


「奴が生きている限り、米相場の暴落は回復しねぇ。それに近頃は燈油の値段もつり上がっているって言うじゃねぇか」

「それも内山の仕業と裏は取れています」


山崎が小さな声で俺に頷く。


「これ以上、御上の民が苦しむのを見逃していいのか?近藤さん」

「それは……」

「…それに、内山みてぇな奴がいると、正直、大坂では自由に動き辛ぇ。いい機会だと思うんだがな。どうだ?総司」


正直言えば、こちらが本音だった。

内山に対して一目置いていたが、大坂で自由に動きまわるにはこの男が邪魔だった。

力士との乱闘事件だけじゃねぇ。最近は京での俺らの行動にも会津藩に直接文句を言ってきたこともあると、先日の会合で会津のお偉いさんが言っていた。

どうしたことかと思っていた矢先の今回の話。

この絶好の機会を逃すわけにはいかねぇ。


わざと反することのねぇだろう総司に話を振れば奴は案の定、「…僕が歳三さんの意に反するわけないでしょう?」と、少しの間を置いてゾクリとするような笑みを浮かべた。

まったく…なんて顔で笑いやがるんだこいつは。


その総司の修羅の笑顔に疼いたとでも言うのだろうか。左之や新八、斎藤らが続々と賛成の意を述べはじめた。それに推されるようにしてついに近藤さんも「ならば…」と首を縦に振った次第だ。


そうして引き続き内偵を行った山崎の情報から、奴は毎夜四ツ時に天神橋を通って帰宅の途を辿ること。自宅は刺客を恐れてか、厳重な警備がしかれていること。ならば狙いは奉行所の往復しかねぇと決断し、俺らは早々に下坂の手筈を整えたのだった。



***



獲物の匂いに眼が覚めたのだろう。内なる獣に促され、瞑った眼を開けば奴の籠は今まさに天神橋に差し掛かろうとしていた時だった。


風が止む。

月の光を遮るように暗雲がその姿を覆う。

今が絶好の好機だ。


「行くぞ!」


すでに抜かれた妖しく光るそれを手に一斉に飛び出せば、獲物の匂いに吸い寄せられるように愛刀の兼定が閃光を放ちながら暗闇を駆け抜ける。

何てことはない。

そのまま兼定は籠を貫き、待ちに待ちわびていた血を吸った。


悲鳴と共に籠から転げ落ちてくる獲物。

もはや先程の一刀が致命傷だったのであろう。身体はガクガクと震え、倒れこんだ足はその地を踏もうとはしなかった。


「後免!」


そこにすかさず近藤さんが白刃を首に降り落とす。

ゴロゴロと首が転がり、あっという間に事は済んだ。


未だ光を放つ兼定をピッと降り下ろせば、血の飛沫が小さく舞う。まだ、足りねぇ。兼定がそう言っているようだった。


「歳三さんてば…狡いんだから」

「ああ?」

「最初の一刀は僕がって言ったじゃないですか」

「…そうだったっけか?」


ふん、と鼻で笑えば総司は頬を膨らまし「とぼけちゃって!」とブツブツ言いながら不満そうに菊一文字を鞘に納めた。

その様子がまるで不貞腐れた餓鬼のようで、思わず込み上げてきた笑いを噛み殺す。そんな俺に気付いたのか、総司はムッとした顔を見せた。

だが、今はそれにかまっている暇はねぇ。

騒ぎを聞き付けたのか、橋の先にいくつかの提灯の灯りが近寄ってくるのが見える。

これが俺達の仕業だと広まると後々めんどくせぇ。会津の松平公の耳に入れば尚更厄介なこととなる。


「近藤さん」


小さな声でそう促せば、近藤さんもその灯りに気付いていたのだろう。

紙のはしきれに『天下の義士之を誅す』と記し、首のない死体の上にそれを置いた。

そして俺達は一同、風のようにその場を後にしたのだった。



***



後日。

大坂の米相場、並びに燈油の値段も安定を取り戻したと聞いた。

が、しかし、どこでどう話が漏れたのやら、内山暗殺の下手人がどうやら新選組のようだと噂がたってしまった。その噂は大坂だけに留まらず京の街中にも流れ、結局松平公の耳にも入ってしまうこととなったわけだが。

先日、近藤さんが会津藩邸に呼ばれ、直々に事の真偽を問われたらしい。

近藤さんは正直、嘘をつくのが下手くそだ。馬鹿正直、と言った方がいいか。それ故、内山暗殺の件を認めてしまったとのこと。だが意外にもお咎めは無かった。もしかしたら内山の一連の行動を会津、幕府側は把握してたのかもしれねぇ。

今となっては真相は闇のなかだがな。


とにかく…

これで御上の民が苦しむこともなくなっただろうし、何より大坂で口うるせぇ与力が姿を消した。

今後、大坂ではだいぶ自由に動けるであろう。



…俺ら新選組の進む道を邪魔する奴は消していけばいい。

新選組を非難する奴らには俺らの力を見せつけてやればいい。




雲に隠れていた月が再び姿を現す。その姿は冷たい光を放ち、縁側で一人、盃を煽る俺を射るように照らした。

と、同時に背後に感じたあたたかい気配。振り向けば愛しい女の笑顔がそこにあった。


「珍しいですね。こんな所で一人で晩酌なんて」

「悪ぃか」

「隣、いいですか」

「…ああ」


視線を落とせば盃の中にぽっかりとその姿が浮かんでいる。

俺はふと口角をあげると、その盃を一気に傾けたのであった。



元治元年5月20日に、大坂与力筆頭の内山彦次郎は暗殺されました。

殺害場所は天神橋とも天満橋とも言われています。

下手人は新選組と言われていますが、攘夷志士で構成された天誅組の可能性もあるらしいです。

それだけこの時代が不穏な時代だったということなんでしょうね。


ちなみに、前回の近藤が中島氏に送った衆道の手紙。あれはこの事件が起きた日と同じ、元治元年5月20日に書かれています。

もし本当に内山暗殺の下手人が新選組だとすれば、近藤はその手紙を大坂で書いたことになります。

事件の前後、どちらに書いたのかはわかりませんが、人の命を奪おうとしている、または奪ったあとにそんな衆道の内容を手紙に書くなんて、随分とアレな感じを受けたんですが…

まぁ、アレとはアレですよね、うん。


しかし遡ること大塩平八郎。

随分と惜しい人材をいとも簡単に命を奪ってしまったんだなぁ…と、なんだか微妙な心持ちになってしまいました。


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