第七十二話 バラガキのトシ
「かっちゃん、色々と世話になったなぁ」
「いえ、またいつか遊びに来てください。そして次にお会いするときは、必ずや幕臣の姿にて」
「ふむ。期待しているよ」
2ヶ月ほど京に滞在していた富沢さんが江戸へと帰郷することとなった。
歳さんは源さんとともに伏見まで見送る手筈になっているのだが、近藤さんはどうしてもはずせない用事ができてしまったため、こうして早朝、富沢さんの方からわざわざ屯所まで別れの挨拶に出向いてきてくれた次第だ。
意気込む近藤さんの隣でペコリと頭を下げれば、富沢さんは「由香さん」と小さく私の名前を呼び、手を差し出してきた。その手を握れば富沢さんは静かに口角を上げる。
それにつられたようにニッコリと笑えば、富沢さんは少し離れた所にいる歳さんをチラリと見てからゆっくりと、そして優しく口を開いた。
「トシのこと、よろしく頼んだよ」
***
2日前。
島原の千紅万紫楼にて、帰郷する富沢さんの送別会が盛大に行われた。
その送別会には私も参加し、まぁ、ここぞとばかりに酒を飲んで皆と一緒にどんちゃん騒ぎをしたんだけどね。
そんななか、芸妓と一緒になってお酌して回った私を呼び止めたのは富沢さんだった。「ちょっといいかな」なんて言われるもんだから、もしかして富沢さんてば私に惚れた!?と思った私は歳さんに負けず劣らずの自意識過剰ですがなにか。
そんな自意識過剰な私をよそに、富沢さんが口にしたのは歳さんのことだった。
「トシとはうまくいってるか?」
「はい。ケンカしながらも仲良くやってます」
「そうか。そりゃあよかった」
富沢さんはそう言って目尻を下げると、
上座の障子をカラリと開けた。
さすがは島原の中でも名高い揚屋。障子の向こう側には綺麗な日本庭園がのぞき、そこには立派な桜の木が1本。よく見れば枝先についている蕾はふっくらと膨らみ、いくつかはすでに綺麗な花を咲かせているようだった。
夜風が優しく吹けばその桜はざわざわと小さく揺れる。夜風は桜の香りを含んだまま、私と富沢さんの頬を優しく撫でた。
「…トシが村の皆から敬遠されていたバラガキだったってぇことは聞いてるかい?」
「バラガキですら恐れるバラガキだったとか」
総司くんから聞いたことをそのまま素直に口にすれば、富沢さんは酷い江戸訛りを扱いながら「ちげぇねぇ」と笑った。
「あいつは昔っから誰もが恐れるおっかねぇ奴でなぁ。売られた喧嘩は必ず買い、徹底的に相手を潰す。あいつが喧嘩で負けたとこは見たことがねぇや」
「とんだバラガキですね」
「ああ。石田村のトシと言やぁ、誰もが眉をひそめたもんさ」
ああ…現代でもいたわ、そういうやんちゃな子が。そういう子の噂はすぐ耳に入ってくる。一中の田中くんはケンカが強いだの、二中の佐藤くんはもっとケンカが強いだの、三中の井上くんはちんこがデカ…ゲフンゲフン!!
まぁね、色々な噂も中にはあってだね。しかしあれだ。そういう噂になるような子ほど正義感が強くてイケメン率はなぜか高い。そして女の子からの黄色い声援が飛んだりするのだよ。かく言う私も黄色い声援をあげてた一人だったりもするのだが。
「だがな、誰もが手を焼いているそんなトシに手を差し伸べたのがかっちゃんだったんだ」
かっちゃんとトシは昔からの知り合いでな。
くだらないことを思い出している私をよそに、富沢さんはそう呟くように言うと障子の外に目をやる。そして懐かしそうに目を細めると、手元の盃を手に取りそれを小さく傾けた。
「トシが日陰の道を歩んでいるのだとすれば、かっちゃんはお日様が燦々と照らす陰りのない道を歩んでいるような人でなぁ」
「わかります」
「なぜそんなかっちゃんがバラガキのトシに手を差し伸べたのか、俺はもちろん、まわりの奴らもわからなかったんだ」
「………」
「だがかっちゃんはその頃からトシの本質を見抜いていたんだろうな」
富沢さんは空になった盃を静かにお膳の上に置くと、再び静かに笑みを浮かべた。
「かっちゃんは毎日毎日、来る日も来る日もトシと手合わせをしたんだ。もちろん、試衛館の道場主であるかっちゃんは強い。喧嘩剣法のトシなんざ到底敵わなかった」
「………」
「俺ぁいつかトシが逃げ出すんじゃねぇのかと思ってた。だが違った。トシは朝から晩まで、それこそ寝る間も惜しんで稽古に明け暮れるようになったんだ」
「歳さん、が…」
正直驚いた。あの男も表面上こそ飄々としているものの、そんなに熱い男だったのかって。
…そういえば、歳さんの手は今でも……
「俺ぁその話を聞いて心底驚いたさ。あのバラガキのトシが。喧嘩に明け暮れていたあのトシがって。あいつはよ、他人だけじゃねぇ。自分にはもっと厳しい奴だったんだな」
巡察をサボることもない。書き物が忙しいと部屋に籠ることもある。ムカつくけど島原に呑みに行くこともある。
私との時間も大切にしてくれている。
けれど…歳さんの手はマメだらけだ。
きっと隠れて…そしてきっとその日から、稽古を休む日は一日たりともないのだろう。
真面目も真面目。クソがつくほどの大真面目。あの男はそういう男だ。
「由香さんよ」
「はい」
「トシの奴はおっかねぇ奴だ。鬼の副長なんてあだ名もあながち間違っちゃいねぇ」
「………」
「でもな、本当のあいつは誰よりも優しいんだ。他人のことばっか考え、てめぇのことはいつも後回し。それがあいつのいいところでもあるが、同時に最大の弱点でもある」
だからよ、由香さん。そう言って私に向き直った富沢さんは、今までにない真剣な表情を垣間見せた。
「あんたがずっと側で支えてやってはくれねぇだろうか」
そして私ごときの小娘に富沢さんは深々と頭を下げた。
慌てて「頭を上げてください」と言うものの、江戸気質の富沢さんは酒の力も加わってか、頑として頭を上げない。
この時代、男が女に頭を下げるなんてとんでもないことだ。富沢さんはそれだけ歳さんのことを可愛がっているんだろう。
けれど…
富沢さんに頭を下げてもらわなくてもとうに私の気持ちは決まっている。
「命ある限り、お側に置いてもらうつもりです」
富沢さんだけでなく、私も酒の力が加わっていたのだろう。ちょっとかっこよく、そしてこの時代の女性のようにしおらしくそう言えば、富沢さんはおろか、なんだかんだで話を聞いていたらしい総司くんまで吹き出しやがったぜこのやろうめ。
そして、なんだか被害者となった私をよそに富沢さんはひとしきり笑うと「ああ、あんたになら任せられそうだ」と言い、再び盃を煽ったのだった。
宴は深夜まで続き、富沢さんはもちろん、いつもは酔い潰れない新選組の面々もこの日だけは酒に呑まれる次第となったのである。
あ、もちろん私も。えへ。
***
「任せておいてください!!」
富沢さんの言葉にドンと胸を叩けば、一部始終を見ていたのだろう。歳さんが不思議そうにこちらを見ながら「なにやってんだ?」と言わんばかりに首を傾げているのが見えた。
「また上京したときはよろしく頼むよ」
「もちろんです!」
「次はトシの子供が拝めたりしてな」
「やだなぁ!富沢さんてば!!」
戯れ言を言う富沢さんに思わずバシン!と突っ込みをいれれば「おぉ痛ぇ。こりゃトシも尻に敷かれるな」なんていう言葉が耳に届いたが、きっと空耳だろう、うん。
その後、富沢さんは近藤さんや総司くん、新八さんや左之さんらと短い挨拶と握手を交わすと「皆、元気でやれよ!!」と風のように江戸へと旅立っていったのだった。
***
「悪ぃが、これを為次郎兄さんと佐藤兄さんに、これをのぶ姉さんに届けてほしいんだ」
伏見まで見送りにきてくれたトシが差し出してきたのは大事そうに風呂敷に包まれたものだった。
「なんでぇ?これは」
「先日の政変で使った鉢金。それに日記と書状だ」
「わかった。任せとけ」
俺は言葉少なにその風呂敷を預り、丁寧に手荷物の中にしまいこむ。そして今一度竹筒の中の水を口に含み飲み込んだ。
「そんじゃな。死ぬんじゃねぇぞ、トシも。源さんも」
「ああ」
「富沢さんも元気でやっとくれよ」
「ああ。そうだ、トシ」
俺は一歩出した足を止めた。
「由香さんを泣かせるなよ。いい娘じゃねぇか」
「…ああ」
「子を拝めるのを楽しみにしてるぞ」
そう戯れ言を言えば、愛想のねぇ顔をしていたトシの顔が瞬時にして真っ赤になりやがった。「ばっ、馬鹿言うんじゃねぇよ////!」なんて怒鳴っていたが、あの感情なんてなかったようなバラガキのトシからこうも人間味を引き出すなんてな。由香さんもただ者じゃねぇな。トシの野郎もいい娘に巡り合えたじゃねぇか。
「またな!!」
今一度、振り返って手を上げ、俺は今度こそその足を止めることなく江戸へと向かったのだった。
*
ここから江戸まではかなりの長旅になる。年長者の俺にとってはかなりの労力を使う。だが、無理をして京に来たかいがあった。かっちゃんはもちろん、トシや総司、他の試衛館出の奴らの成長した姿を見ることができたんだからな。
まさかあいつらが昔から夢見てた侍に本当になっちまうなんて…
かっちゃんはいずれ幕臣に、なんて言ってたけど、もしかしたらその夢も叶っちまうんじゃねぇだろうか。
すでに奴らの新選組は京で名を轟かせているという。まぁ、京の奴らにはちっとばかし嫌われてるみてぇだけどな。
きっといつか、その新選組の名は日本中に知れ渡ることとなるだろう。
あいつらならきっとやってくれる。俺はそう信じてる。
そんなことを考え、京から江戸への旅路は足取りが軽く感じたのは気のせいではないだろう。
気付けばとうに京の賑やかさは消え、俺は大津の地に夕陽を見たのであった。
***
「為次郎さん、いるかい?」
「ああ。その声は富沢さんか!」
京を出発してから約一月。俺は無事に石田村の地を踏んだ。休憩もそこそこに、為次郎さんがいるトシの実家を訪ねる。トシから預かったものを渡すためだ。
「富沢さん!帰ってきたのかい!?」
「おお!のぶさんも来ていたか。ちょうどいい。トシからの土産を預かってきたんだ」
「トシは、トシは元気でやってたかい!?」
"トシ"という言葉にのぶさんはもちろん、為次郎さんも身を乗り出す。きっと心中では心配で心配でたまらねぇんだろう。そりゃあそうだ。石田村ではバラガキと言われ、京では鬼の副長と言われているトシでも、二人にとっちゃいつまでも可愛い可愛い末っ子の弟だからな。
「ああ。元気にやってたぜ。二本差しもサマになってらァ。ほら、これトシから」
一先ず書状を渡せば、それを慌てて開くのぶさん。目が不自由な為次郎さんですらそれを覗きこむんだから、俺ってばつい笑っちまったわ。
「のぶや、なんて書いてあるんだい!?」
「兄さん、そんな慌てないでくださいな!ええと、ええと……やだよ!私ったら!!字が読めないの、すっかり忘れてたわ!!」
「くくくっ、のぶさんよ、読んでやるから貸してみな」
まるでおかしな演芸を聞いてるみてぇじゃねぇか。ったく、この二人は…
俺は込み上げてくる笑いを噛み殺し、「早く早く読んどくれ!」とせがむのぶさんをなだめ、トシからの書状をバサッと開いた。
「ええと…せっかくの機会に手紙を差し上げます。お元気ですか…
……昨年の春から京都へ来て、特に奉公と言えるほどの事もしていません。
しかし、今すぐにでも君命があれば、
速やかに戦死する覚悟ですので、そう思っていてください。
死んだ後になっては何も送る事ができないので、これまでの日記帳1冊、それと……」
一喜一憂しながらそれに耳を傾ける二人を微笑ましく思いながら俺はその書状を読み上げ、他に鉢金に付いていた書状、為次郎さんと佐藤さんへの書状も読み上げる。
これで全部だ。そう口にしようとした瞬間、丁寧に畳まれた書状がひらりと落ちた。
「ああ、もう一通あるぞ」
それを開いて目を通せば思わず俺の口角が上がる。
くくくっ!伝えねぇのかと思ったが…ちゃんと書いたんじゃねぇかあの野郎!
そこにはいかにもバラガキのトシらしく、一番伝えたかっただろうことが恥ずかしさを隠すように乱暴に書きなぐられていた。
「なんだい?富沢さん、なんて書いてあるんだい?」
「よく聞いておけよ?……こんな俺にも生涯、守り抜きたいと思う女性ができました…」
その言葉を聞いて目ん玉が落ちるんじゃねぇかってほど目を丸くしたのぶさん。そして「そうか、トシにも…」と、今にも泣きだしそうなくしゃくしゃの笑顔を見せた為次郎さん。
そんな二人に由香さんの事を聞かせれば、二人はそれはそれは心底嬉しそうに笑ったのだった。
いつもとは少し違った視点で書いてみました。
文中に出てくる歳三の手紙は実在するものです。が、途中で破られていて全文は残っていないそうです。ちなみに宛先も不明とのこと。
富沢に託した手紙は他にもありました。
略したものを記載しておきます。
『御所に参内した際に、朝廷より手渡された(天皇の)直筆1札を送りますので、
書き写して、それを取って置いてください。
最後になりましたが、親戚にも他の皆さんにも、
手紙を出さないままですいませんと伝えてください。
他の事は富沢さんから聞いてください。それでは。
4月12日 土方歳三より
佐藤彦五郎様 土方為二郎様 その他の皆さんへ』
『品名
1.はちかね1つ
これは8月18日の政変と23日の三条縄手の戦いに使ったものです。
このはちかねを佐藤兄さんに送ります。
子年4月12日 土方歳三より
佐藤尊兄』
下の手紙は画像もあるんですが、載せていいのかなぁ?と微妙なのでやめました。
しかし歳三の手紙は結構残っているようです。
几帳面というか、マメだったのかなぁ。




