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第七十話 門限は破るためにある



文久から元治へと改元があって早1ヶ月。

ここのところ京の町中は目立った騒動もなく、皆穏やかに過ごしていた……のだが、どっこい私の胸中は今日も嵐が吹き荒れている。

その原因はやはりこの目の前の男。


「そんなブスくれた面してんじゃねぇよ。仕方ねぇだろうが。もうすぐ富沢さんは江戸に帰っちまうんだ」

「…だからって毎回毎回島原で宴会ですか」

「んだよ、妬いてんのかよおめぇ。そんなに心配ならついてきていいぞ」


妬いてんのかよって…

ええ。悔しいですが、妬いてますとも心配ですとも。私だって年頃の可愛い女の子。自分の男が毎回毎回白粉の匂いをプンプンさせながら帰宅ときちゃあ、胸中穏やかではない。

そんですぐ押し倒されたりもするわけで、なに?そのフル勃起したソレは、私じゃなく遊女に勃起したモンじゃねーのかい?

なんて。

歳さんと同じくらいプライドの高い私はそんなこと、素面じゃぜってぇ口にしないけどね。


「…妬いてないし、ついていきません」

「…ったく。可愛いげがねぇなぁおめぇは」


はいはい。そんな強気なこと言ったって、妬いてるのはお見通しだぜ?…なんて今にも言いそうに歳さんは私のおでこにピンとデコピンをくれた。

くそ~、この余裕感、えらくムカつくんだけど。


「った!!」

「痛ぇわけねぇだろうが。そんじゃ、行ってくっからよ」

「もう!そんな余裕こいてて知りませんからね!」

「ああ?何が」

「こんな私にだって可愛いって言ってくれる人なんて沢山いるんだから!!」

「ほぅ…面白れぇこと言うな?どこのどいつだ?言ってみろ。ああ?」


ああ…

どうやら私ってば出掛けに歳さんの地雷を踏んでしまったらしい。

青筋立てながらニコニコと距離を詰める男にビクッと恐怖心が生まれた。

でも…本当だもん!高杉さんだって…西条だって…ええと、あと誰だっけ?あ、あれ?他にもいたよね?いたよね?

と、とにかく可愛いって言ってくれてる人もいるもん!!


だがしかし。そんなこと言えるわけもなく、いつの間にか笑顔を浮かべた男は私を壁際に追いやり、ムギュ、と頬を掴んだ……と同時に塞がれた唇。


……やられた。


「…帰ってきたらたっぷり可愛いがってやっからな」

「も…、もう////!!歳さんなんか知らない!早く島原行っちゃってください!」

「今さら照れてんじゃねぇよ。そんじゃあな」



不意討ちに驚きやら恥ずかしさやらの感情の波が押し寄せ、つい赤くなった私とは対照的に、歳さんはプレイボーイの余裕を振り撒いて部屋を出ていった。


……あああ!

なんだ、なんだこの手慣れた感!!

くそぅ、現代では百戦錬磨だった私でも希代のプレイボーイには勝てないってか。

こんなこと初めてだぜこんちくしょうめ。

……ま、それだけ好きってことなんだろうけど。

それにしてもなんだか悔しい。この私が手のひらで転がされるなんて。

こんな時は…

お金なら少し前に近藤さんから「女中代だ」と言って貰った一両、二分金が二枚ある。まだ二分金を一枚崩しただけだから…

うん!やけ食いにやけ買いだぜ!!

市中ショッピングにでも行きますか!!


よし。バッチリ化粧をしていこう。町中でナンパされたら鼻高々にあの男に言ってやるんだ。

…それに。遊女なんかに負けてらんねーしな!!


「うし!気合い入れるぜ!!」


大きく頷いた私は化粧ポーチを取り出すと中身をぶちまけ、下地から丁寧に化粧を始めたのだった。



***



「お出かけですか?」

「あ、ええと、はい。ちょっと市中で買い物を」

「お戻りは昼七ツまでに。ではお気をつけて」

「……はい」


屯所の門をくぐり抜けた際、門番をしていた平隊士に声をかけられた。

……きっとこれは歳さんの根回し。

最近、歳さんが島原に行く時は私も一人で市中に繰り出すことが多い。もちろん、そのことは歳さんは知らないはずだったんだけれど、どうやらこういう私の行動をチクッた輩がいるらしく。

せめて門番には行き先を告げていけ。あと、遅くとも昼七ツまでには帰ってこい。と、先日不機嫌丸出しの顔でそう言われた。

まぁね、行き先は告げるけどもね、昼七ツなんて、現代で言う午後4時位。

小学生じゃねーんだからそりゃねぇだろ。

まったく歳さんの心配性というか束縛ぶりにはちょっと参ってしまうのも正直なところ。

そのくせ自分は島原でねーちゃんとイチャイチャしてるわけだから、私のイライラも限界が近いわけで。

今日は少し遠くまで足を伸ばしてみよう。ちょっとくらい門限なんて破っても大丈夫だろう。

そんな安易なことを考え、二分金を懐に忍ばせた私は、鼻歌を口ずさみながら市中へと向かったのだった。



***



いつもの冷やかしにお邪魔する小間物屋が見えてきた。

でも今日はここには寄らない。

小間物屋なら広い京の町中にはきっとたくさんあるはず。もう少し足を伸ばした所で探してみよう。何か掘り出し物が見つかるかもしれないしね。


店先に綺麗に置かれた簪や櫛にチラリと視線をやり通り過ぎれば、最早聞き慣れた声が背中を追いかけてきた。


「おや、お嬢はん!今日はうちに寄らんのですか」

「ごめんなさいご主人」


「今日は浮気してきます」と笑えば、小間物屋の店主は「堪忍してやぁ」と苦笑いを溢した。

そういやこの店主ともいつの間にか仲良くなれたなぁ…

京の人は新選組に厳しいのは事実だけど、そこにお世話になっている私には皆、良くしてくれている。もしかしたら無理矢理女中をさせられていると勘違いしている人も少なくないかもしれない。堂々と「壬生浪は…」と私に言ってくる人もいるもの。

でも新選組の皆も少し乱暴な所はあるけど、皆、優しくていい人ばっかりなんだけどな。まぁ、中にはアレな人もいるけどさ。鬼とか修羅とか夜叉だなんて呼ばれちゃってる人もいるけどさ。

無理かもしれないけど、いつか京の人達にも新選組が受け入れてもらえればなぁ、なんて。

それは叶わぬ願いなのだろうか。


そんなことを考えながら、小店がひしめき立ち行商人や棒手振りで賑わう裏通りを抜ければ、どれくらい歩いたのだろう。


ここは…

確か四条通り。

この時代に一年もいれば、さすがに地理は多少わかるようになった。

そしてここ、四条通りはよく高杉さんに連れてきてもらった京の繁華街。現代でいう渋谷、原宿、と言ったところか。

華やかな花街、祇園が近いこともあってこの四条は屯所のある壬生の方と比べてだいぶ活気がある。


よし!今日はここで何か買って帰ろう!

どこかにいい小間物屋はないかな…


そう思いながらキョロキョロして歩いていれば、ふと見覚えのある店が目に入った。

高杉さんと来た店の一つ。

…桝屋さん、だ。


さて、どうしようか。

せっかくここまで来たんだもの。挨拶がてら少し寄ってみようか。

でも桝屋さんは私が新選組で世話になっていることを知っている。そして高杉さんの友達、ということは長州贔屓。いわゆる新選組は敵のようなもんで。

この前は高杉さんと一緒だったからすごく良くしてくれたけど…

一人で行って邪険にされたらどうしよう。あんなイケメンに邪険にされたら生きていけない!…じゃなくて!

でもでもでも!桝屋さんは新選組が贔屓にしてるお店。売り上げに貢献してるんだもの!

大丈夫、だよね?


……あああ!!こんなことで悩んでても仕方ない!!

大丈夫!桝屋さん、イケメンだし!!イケメン補充したいし!!ああ、そうだ。桝屋さんも私のこと可愛いらしいって言ってくれたじゃないか!!!

よし!挨拶してこよう!!


ちょっと、いや、だいぶ思考がズレた私はその勢いのまま「ごめんください!」と桝屋さんちの入口に手をかけた。


ガラリと勢いよく開けた戸をくぐればなんとすぐ近くに桝屋さんの姿。

桝屋さんだけではない。お客さんだろうか。一人の浪士がそこにいた。

二人とも一瞬驚いたような顔を見せて…


「あ!すみません!!え、ええと由香です!こんにちは!!」


店の奥にいるもんだとばかり思ってたから、焦った私は急いで頭を下げた。

…これで誰だっけ?なんてオチはねぇよなまさか。


若干ドキドキしながら頭を下げたまま固まっていれば、少しの間をおいて「…これは……お久しぶりどすなぁ」と桝屋さんの柔らかい声が耳に届いた。


「こ、こんにちは!近くまで来たのでご挨拶に…」

「わざわざすんまへんなぁ。遠かったんとちゃいますか?」


そう言って私の頭をそっと撫でた桝屋さん。

ちょっ…!な、なんだこの『ただしイケメンに限る』のイケメンにしか許されない行動の破壊力は////!!!


突然の桝屋さんのその行動に身体中の熱が顔に集まるのが自分でもわかった。

そんな私をよそに桝屋さんは、一人、「?」となっている浪士にくるりと向き直る。


「ほんだらあんさんはこれで」

「おい!むぞらしか女子が訪ねてきたと思ったら俺にはそん態度か?」


聞いたことのない方言を扱うその浪士は笑いながら桝屋さんのことを肘で小突き、「紹介しなっせ」と笑っている。


むぞらしかっていうのは…

うん。この浪士の態度からして悪い意味じゃないとは思うんだけど。

もしかして可愛い…とか?

やだ~ん!なんて一人、顔を赤らめていれば浪士は私に向き直り、歯を見せてニッコリと笑った。

なんだか人を惹き付けるような…

それでいて吸い込まれるような目力を持っている。

この男はきっと…只者じゃない。直感でそう思った。


「由香さんと言ったかい?俺は熊本出身の宮部…」


男が自己紹介をしながら私に握手を求め……ようとしたのだが、突如、それを遮るように桝屋さんが口を挟んだ。


「こちらは壬生の方のものどす。あんさんなんか相手にされまへんえ」

「壬生……?」


新選組…か?と、桝屋さんの言葉に明らかに顔色が変わり、その眼に殺気を宿した男。

その眼に若干たじろいだ私は、「あ、ええと……」と、一歩、後方に下がった。

これは…

この眼は明らかに新選組に敵意を持っている眼だ。


「……そうか、わかったばい。むぞらしか女子じゃが…もう会うこつもなかろけん。じゃあの 」


そしてその男はその敵意を隠さず、その場を去って行ったのだった。


……方言からして今の男は京の人ではない。そして、長州の人でもない。

だけど、新選組に対して敵意があるのは明らかだった。

なら、なぜ…

なぜ桝屋さんはわざわざ私が新選組縁者だということをあの男に伝えたのか。

まるで……あの男の名前を私に聞かせないためのようだった。だとしたらあの男は新選組に知られてはいけない存在の男。

何か…新選組、いや、幕府に対して災いをもたらす男……なんて、ちょっと私ってば二時間ドラマの見すぎだろうか。


ま…、それは考えすぎでも、あの男が新選組を嫌いであることは確かだ。

きっと桝屋さんは、あとあと私が新選組縁者だとわかるとめんどくせーから先に伝えとこうという優しさであの男にそう言っただけのことだろう。

本当…新選組ってよその人から嫌われてるんだなぁ……

ちょっと寂しいのは気のせいであるまい。


「由香はん、すんまへん。驚いたやろう?」

「あ…、いえ…」

「あん男は新選組をあまり良く思うてへんのや」


堪忍してやっておくんなまし。

そう言って桝屋さんは苦笑いを溢した。


「せっかくかいらしい由香はんが訪ねて来てくれはったんや。茶でも入れまひょか」


桝屋さんは今だ殺気の残る場の雰囲気を和らげてくれようとしたのだろう。

そう言って店の奥へと消えて行った。


……なんだかイケメン補充したいという軽い考えで訪ねてきてしまったけれど、もしかしなくても来ないほうがよかったんじゃないかなぁって。

さっきの男のこともそうだけど、よくよく考えたら、長州贔屓の桝屋さんと話すことなんてあまりないわけで。

くそ、こんなときだけ行動力抜群のさっきの私にゲンコツくれたい気分だわ。


項垂れていれば、桝屋さんがお茶の載ったお盆を手に持ち戻ってきた。


「粗茶で申し訳あらしまへんが」

「いえ…!なんだか気を使わせてしまってすみません」


立ち話もなんやから。そう言われ、店の奥の土間と座敷の間に案内された。一段ほど高くなっている四畳ほどの座敷に腰かければ走り抜ける沈黙。

さぁどうする。水商売の接待どころじゃねーぞ、こいつは。


「……今の高杉はんのこと、知っとりますかえ?」


気まずい沈黙の中、先に口を開いたのは桝屋さんだった。


「いえ…長州には帰られたんですか?」

「つい先日帰られはりましたわ」

「ええ!?先日、ですか!?」

「馬鹿なお人やからなぁあん人も。まわりに説得されてようやく」


私と初めて会ったのが昨年の秋。

高杉さんてば、なんだかんだで半年近くも京にいたんだ。そんなに長くいたんだったら一回くらい会っておきたかったな……なんて駄目だ駄目だ!!あの押しの強さにいつかなびいてしまう可能性もなきにしもあらず。

それよりも長州に帰ったということは…


「じゃあ今は…」

「へぇ。元気に野山獄生活を送っているみたいどす」

「やっぱり…」


やっぱり今は牢屋の中なんだ。

脱藩ごときで牢屋なんて…

本当にこの時代は理解し難いことばかりだ。


しかし、このあとの桝屋さんの言葉に、私はさらに言葉を失うこととなる。


「でも長州の脱藩刑は甘い方なんどすえ」

「え!?そうなんですか?」

「へぇ。これが土佐や薩摩やったら間違いなく切腹どすわ」

「せっ…」


……切腹。

なんでこうもこの時代の人達は腹を斬りたがるのだろうか。

現代で家出が切腹ならば、命がいくつあっても足りないだろう。間違いなく。



***



本当に本当にくだらない世間話もそこそこに、私はそろそろおいとますることにした。


「長居してしまってすみませんでした」

「またいつでもお待ちしとりますえ」


はい。と笑顔を浮かべたが、きっとここに来ることはもうないだろう。長州贔屓の桝屋さんが私に向ける笑みはやはりどことなく偽りの気がしたから。

いくら高杉さんと面識のある私でも新選組との関わりが深い限り、世間話の相手としては不都合だと思うから。


スッと立ち上がり、店先に向かう。

そこで、入る時には気付かなかったあるものが私の視界に入ってきた。

黒く塗られたそれに彫り物の細工が細かくしてある。さらに真っ赤な色で梅の花が大胆に書かれたそれに目を奪われた。


「これ…」

「ああ、これは印籠どすえ」

「印籠…」

「先日、市場で手に入れたんどす。新品ではあらしまへんが」

「売り物、なんですか?」

「へぇ」


なぜか…

なぜかこれを腰にぶら下げてる歳さんを容易に想像できた。

今まで物を男にプレゼントしたり…なんてことは一切しなかった私。だってプレゼントは貢がれてなんぼ、だもの。

でも…なぜかこれを歳さんに贈りたい。そう素直に思う私がいた。


「あ、の。これ、おいくらくらい、なんでしょう」

「…好い人に贈り物、どすか?」

「えっ…////!?あの、ええと…/////」


桝屋さんの予想外の言葉に思わず頬を赤らめる。

いや、好い人、なんて…////

好い人、なんだけど…/////


「…ふふっ、由香はんは素直やなぁ」

「いや、あの、あの…/////」

「ほんだら二分にまけときますわ。ほんまはどこぞの大名に一両で売り付けよう思うとったんやけど」


二分。

なんという奇跡。

私の懐には今、二分金が一枚眠っているではないか!!


決して安い買い物ではないことくらいわかっていたけれど、歳さんの喜ぶ顔が見てみたい。

そんな一心で私は「ありがとうございます!」と、その印籠を手に入れたのだった。





そんなやり取りをしていれば、徐々に太陽が西に傾いていることに気付く。

…ヤバい。

壬生からここ、四条まで結構な距離がある。

もしかしなくても、急いで帰らないと小学生ばりの門限に間に合わないんじゃないか。

ここに来るまではちょっと門限なんて破ったって大丈夫!なんてお気楽な考えだったが、今は違う。

とにかく早く帰ってこの印籠を歳さんにあげたい。喜ぶ顔が見たい。

…まぁまだ奴は島原かもしれないけどね!!!


「じゃあ桝屋さん、ありが…」


ありがとうございました!!

そう元気に口にしようとした瞬間…


「御免」


私の行く手を阻むかのように店の入口がガラリと開いたかと思うと、聞き覚えのある声が耳に届いた。


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