第七話 浅葱色って何色だ?
歳さんの優しさを垣間見た気がしてから数日後―…
「帰ったぞ!!桶水持ってこい!!」
屯所の玄関に懐かしい耳障りな声…ゲフンゲフン!いやいや、勇ましい声が響き渡った。
「ちっ…帰ってきちまったか」
うん。歳さんの舌打ちは聞かなかったことにしよう。
「おーい、由香!帰ったぞ」
「左之さん!お帰りなさい!!」
愛しい旦那様のご帰宅に私は急いで玄関へ向かおうと、広間の襖に手をかけた。
って…あれ?左之さんいつから私の旦那になったんだ?
とにかく左之さん、芹沢さん以外の皆も疲れているだろうから、元気よく迎えてあげなくちゃ!!
私は留守番組とともに桶水を用意すると玄関へと向かった。
***
「芹沢先生、お疲れ様でした」
「あぁ!近藤先生、留守中、何か変わったことはなかったか!?」
「あぁ~!!近い大坂とは言えどもやっぱ疲れたぜ!」
「永倉くん、きちんと足を洗いたまえ」
「由香、なんも変わったことなかったか?」
「……つーか………誰?」
皆、何事もないかのように話しているが、玄関には三人の男が平伏していた。
「芹沢さん、こいつらは…」
「ん?大丸呉服店の者達だ!」
「この度、壬生浪士組の皆様をお世話させていただくこと、まことに光栄でございます。申し遅れました。私、店主の下村彦右衛門と申します」
真ん中の店主はいちど頭をあげ、笑顔でそう挨拶すると再び平伏した。
「芹沢先生、これはいったい…」
近藤さんが眉をしかめながら芹沢さんに視線をうつすと、ガチャン!!と平山さんが頑丈な箱を取り出した。
「さぁ、大丸!金ならここに二百両ある!!これで皆の麻の羽織、紋付の単衣、小倉の袴を作ってくれ!!」
「かしこまりました。では皆様、寸法を計らせていただきますのでよろしくお願いいたします!」
「さ、あっちの部屋で頼む!!」
芹沢さんの一言を皮切りに、大丸呉服店の人達が動き出し、皆はあっというまに別室へと移動させられていったのであった。
***
「麻の羽織は隊服にしようと思っているのだが…近藤先生はなにかご希望がありますかな?」
「私が決めてよいのですか?……ならば歌舞伎演目の仮名手本忠臣蔵の装束を真似てはいかがなものか」
「袖口の入山型模様ということですか。ふむ、なかなか…」
芹沢さんと近藤さんは、筆を紙に走らせ、隊服となる羽織のデザインを決めているようだった。
こんなむさ苦しい男集団でも、見栄えにはなかなか気をつかうのね、なんて思うとなんだか微笑ましい。
「おい、由香!隊服の羽織なんだが、こんなんでいいと思うか!?」
「どれどれ…」
芹沢さんが自分で書いたのだろう、羽織の絵を覗き込む。
「あ…れ…?」
「ん?何かおかしいか?」
「あ、いえ…」
……この羽織のデザイン、確かどこかで見たことがある。どこだろう?雑誌?テレビ?
なんとか思い出してみようとするが、なかなかピンと来ない。
でも絶対に見たことがあると思う。
「近藤さん、芹沢さん。色のことで一つ提案なんだが…」
考え込む私の横に、今まで口を開かず静観していた歳さんがスッと顔を出した。
「色まで赤穂義士を真似ちゃあ、面白くねぇ。浅葱色ってぇのはどうだ?」
「「浅葱色!?」」
近藤さんと芹沢さんが驚いたように口を揃える。
つーかあさぎ色って何色だろう。そもそもそれが何色かわからない私にとっては驚くもくそもない。
「トシ。なんでまた浅葱色なんか…縁起が悪いだろうよ」
縁起が悪いってことは紫とか?そういや紫は欲求不満の色なんだって誰か言ってたな。
歳さんてば欲求不満なのかしら。こんなイケメンなのに。
「…てめぇ、何かくだらねぇこと考えてんだろ。顔に出てんぞ」
「は!嘘!!べ、別にだったら私が相手してあげてもなんて…/////!!」
慌てて弁解するも、歳さんはそんな私を思い切り無視し、近藤さん達に向かって口を開いた。
つーか無視すんなよ…
「確かに浅葱色は切腹する際に身につける裃の色と一緒だ。だがよ、俺達は決死の覚悟でここに残ったんだ。いつでも死ねる覚悟を忘れないためには、そんな隊服だっていいんじゃねぇか」
見上げた歳さんの瞳はとても深くて澄んでいて。
皆が真面目な話をしてる時に、ううむ…コイツはもしかしなくてもイケメンだなぁなんて思ってしまった私ってば、なんて言うか、ねぇ?
***
数日後。
ついに隊服やら新しい袴やらが屯所に届いた。
「早く!早く開けてくださいよ!」
「だぁーっ!わかってらぁ!!あんまり急かすんじゃねぇっ!!」
総司くんが瞳を輝かせながら風呂敷を開ける歳さんの手を急かす。
他の皆も興味津々で歳さんの手元を見ていた。
そして―…
「おぉーー!!!」
歳さんが手にとり、広げた隊服に一同歓声をあげる。
それは皆に手渡され、一同が一斉に袖を通しはじめた。
「浅葱色なんてどうなんだと思ったが、なかなかいいじゃねぇか!!」
「またこのだんだらがいいですね」
「どうだ由香!似合うか!?」
「見とれて声も出ねぇか?ははは!」
……思い出した…この羽織。
――新選組。
日本人なら誰もがその名を聞いたことがあるだろう。
歴史に疎い私にとって新選組は何をした人達かはわからない。誰がいたのかもわからない。
でも確か―…
ドラマの特番が組まれるくらい有名な集団だったはずだ。
屋内で刀を交えて…
人が階段から転げ落ちる…
誰かが額を割られる…
そしてまた別の誰かが血を吐く…
確かお父さんが見ていた特番のドラマで…
小学生だった私には衝撃的だったからそのシーンだけははっきりと覚えている。
その新選組の人達が来ていた羽織が…
今私の目の前にいる壬生浪士組の皆が着ている羽織と同じだったような…
ううん。同じはずだ。
まるで吸い込まれてしまう空のような水色の羽織に、飛び散った真っ赤な鮮血が…
幼い私の脳裏にははっきりと焼き付いたから。
「…っ!……由香さん!!」
「あ…」
息をするのも忘れるくらいの胸の高鳴りを抑え、私は総司くんの声でフッと我にかえった。
「ボーッとしちゃって…大丈夫ですか?」
「あ……み、んな、見違えちゃった、から……」
咄嗟に嘘を吐いた私に、総司くんはニコリと笑った。
「ほら、由香さんにも……」
私の肩にそっとかけられた、テレビで見たのと同じあの浅葱色の羽織は―…
開けられた障子から吹き込む春風にハタハタとなびきながらも凛とした力強さを放っていた。
――これから激動の世を進む、壬生浪士組のように。