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第六十九話 味噌田楽と君



「いてぇぇぇ!!いてぇっつってんだろうがァ!!」

「離せよ、こん畜生がァ!!」


すでに暗闇に包まれ始めた屯所内に、冬の静かな風情には似つかわしくない声が響きわたった。


ん?なんだなんだ?こんな遅くに。

歳さんは今夜、明け方まで巡察だから下半身は中休み。だからこれからある人と味噌田楽を肴にゆったりのんびりお話でもしようとしているのに。

くそ、うるせぇ…と思いつつも、男どもの罵声に野次馬根性を掻き立てられ、私は味噌田楽が乗ったお盆を持ちながらワイワイと騒がしい中庭をこっそりと覗いた。


「てめぇらうるせぇぞ!!この酔っ払いが!!これ以上、武州の恥を晒すんじゃねぇよ!」


…あれま、見苦しい。


ペタンと座りこんでいる二人の浪士に怒鳴っているのは新八さん。その浪士どもの腕を持ち上げ、周りを囲んでいるのが二番隊の皆。

浪士どもがぐでんぐでんしている様子を見ると、どうやら酔っ払っているようだ。

現代でも見慣れた光景。こういう類いはいつの時代でも変わらないのね。なんて。

終電の中では特に酷かったなぁ。駅員さんも大変だっただろうに。かくいう私も経験者だったり。あ、もちろん起こされていた方ですけどねえへへ。


「うるっせぇんだよぉ!ほっとけクソが!」

「てめっ、今なんつった!?」

「クソっつったんだよクソがァ!」

「よぉーし、てめぇら刀抜け!!二人まとめて叩き斬ってやらァ!!!」

「な、永倉さん!!落ち着いてください!!」


浪士どもの呂律のまわらない罵声に今にも刀を抜いて斬りかかろうとする新八さん。そしてそれを必死で止めようとする二番隊の隊士たち。

まぁまぁ、血の気が多い隊長を持つと本当、大変だわね。


…なんて他人事のようにウンウン頷いていれば、縁側の奥に人影が見えた。

あ…、あれは……


「…山南さん?」

「おや、由香さん」


こんばんは。とニッコリ笑顔を浮かべたその人影はこれから部屋にお邪魔しようとしていた山南さん。

左腕に巻かれた包帯が、着物の袖口からチラリと見えた。


「…起きていて大丈夫なんですか?」

「ええ。近頃は調子がいいので。それにこの騒ぎじゃ落ち着いて寝てなんかいられませんよ」

「あはは…確かに」


山南さんの話によると、どうやらあの浪士二人は武州といって近藤さんや歳さんらと同じ出身地らしい。

なんでも酔い潰れて二人仲良く市中にぶっ倒れているところを、新八さん達二番隊に保護され屯所まで連れてこられたとのことだった。

浪士どもが目を覚ました今は、せっかく京を堪能している最中だったのに水を差しやがって!と、訳のわからない理由でブチキレてるみたいだけどね。

山南さんは「酒もほどほどにしないとね」なんて、私を見てニッコリ笑ったんだけれど、あれ?それってもしかして私にも言ってるのかなぁ…なんて。

「で、ですよね~!」とヘラリと笑うことしかできなかった私を横目に、山南さんは心底可笑しそうに笑ったのだった。


「それより由香さんはこんなところで何してるんですか?」


山南さんの視線は私が持っている味噌田楽に向けられた。

ああ、そうだ、そうだった。ちょっと忘れかけてたよ。


「実は山南さんの部屋を訪ねようと思ってたんです」

「私の?」

「はい。一緒に、と思って。味噌田楽、お好きでしょう?」


以前、酒の肴にと屯所で味噌田楽を作ったところ、「好きなんです、これ」と沢山食べてくれた山南さん。美味しそうに頬張る姿がなんだか可愛らしくてすごく印象に残っていた。


「あたたかいうちに」と笑えば、山南さんは少し驚き、照れたように「ありがとうございます」と笑ったのだった。



***



「どうぞ」


山南さんの声に腰を下ろせば、明りが灯された行灯からはチリチリと音が聞こえた。

文机の上には硯と筆、そして書きかけの文らしきものが広がっている。

しかしそれ以外はきちんと整頓され、無駄だと思われるものは一つも置かれていないようだ。

なんとまぁ、やはりこんなところにも性格は出るのだろう。


「すみません、散らかっていて」

「いえ。私の部屋より綺麗ですよ」

「ああ、確かに由香さんの部屋よりは綺麗な自信があるよ」

「うっ…」


山南さんてば辛口!

なんて項垂れていれば、目の前にトンと置かれた一升徳利。

え?え?なに?酒?酒呑むの?


「さ、山南さん、酒呑むんですか?」

「ん?だって味噌田楽にはやはり酒が合うだろう?」


合いますよ、そりゃもうバッチリ合いますよ!?でも、山南さんは…


「で、でもケガに…」


ケガに触りますよ。という私の言葉は、山南さんのシーッという人差し指を口元に持ってきて笑ったイケメンスマイルに押し潰された。


「たまには息抜きも必要なんです」


それに由香さんの作った味噌田楽はとても美味しくて酒に合うしね。

……なんて。なんて笑いやがる山南さんめ////

貴方のイケメンスマイルと歯が浮くようなお世辞にノックアウトされましたがなにか?


結局、じゃあ盃一杯だけ…と私達は味噌田楽片手に盃を交わし始めた。



***



平隊士の間では「ケガをして山南総長は腑抜けになってしまった」だの、「気が狂れてしまった」だの沢山の噂が囁かれていた。

確かにあの事件以来、山南さんは皆にそう思わせてしまうほど部屋に籠りっきりになってしまったし、正直、以前ほどの覇気はなくなってしまったように感じる。


それはきっと…


「土方くんは夜勤なのかな」

「はい。確か明け方まで」

「そうか。彼もよく頑張っているね」


山南さんは味噌田楽を頬張り、盃を傾け、一気に流し込んだ。

少し酔いがまわってきたのだろうか。

障子を少しだけ開け、先程よりも光を放ち始めた月を見ながらそっと口を開いた。


「……試衛館にいた頃」

「………」

「土方くんには一度も勝ったことがなかった」

「………」

「私はこう見えても北辰一刀流の免許皆伝だからね。悔しかったさ。田舎剣法の、それこそ目録止まりの男に勝てないのだから」


山南さんはそう言ってフッと笑うと、床の間に置いてあった刀を手に取り、それを愛おしそうに左手で撫でた。


「いつか彼に勝ってやる、いつか彼の手のひらに土をつけてやる。そう思って私は血の滲むような稽古をした。それはもう、朝から晩までね」

「………」

「…でも。彼には勝てなかった」

「山南さん…」

「いつも彼の背中を見ていた。彼の背中を追いかけていた。これ以上離されてたまるかと」


山南さんは鞘から少しだけ刀を出し、口角を上げながらそれを眺め、そして思い切り鞘に閉まった。





「でも…もう追い付けない。彼の背中は見えなくなってしまったよ」



息が…詰まりそうだった。

だって山南さんのその顔は…

今にも泣き出しそうだったから。


やはり私が思っていた通りだった。

山南さんはきっと剣に未練がある。今まで剣に生きてきた男だもの。それをあっさりとは捨てられないだろう。

その気持ちはわかる。けれどわかると言ってもきっと100分の1くらい。

彼の心中はもうボロボロなんだと思う。


「山南さん」

「ははは…すみません、湿っぽい話をしてしまって」

「山南さんは…剣を握ることだけがすべてですか?」

「……それは…どういう意味ですか?」


山南さんの声色が変わった。

彼の痛みもわからない私が、なんて無責任なことを言うんだろう。自分でもわからなかった。

でも嫌だった。嫌だったんだ、山南さんがこのまま枯れていくのを見ているのは。彼を慕う総司くんのためにも。彼の大切な仲間である新選組の皆のためにも。そして彼が守りたいと言った明里さんのためにも。

彼に気付いてほしい。立ち直ってほしい。

そう思ったから。


「剣を握ることがすべてじゃない。剣を握ることだけが山南さんの志を貫けるんですか?」

「………」

「もしそうだとしたらそんな志は間違ってると思います。剣を握らなくても…世のために、人のために…皆が幸せになる方法はあると思います」

「君が言っているのは綺麗事だけだ。武士が剣を握れなくなることがどういうことか…」

「ええ、知りません。知りませんよ。だって私は武士じゃないもの。でもね、山南さん」

「………」

「逃げてちゃ駄目です。剣だけがすべてじゃないことに…気付いてください」


生意気言ってごめんなさい、失礼します。

私は狡い。無言になった山南さんとの空気が耐えきれず、そのまま逃げるように彼の部屋をあとにしたのだった。



***



「おう、帰ったぞ」

「ああ……お帰りなさい……」

「なんだおめぇ、目の下隈がすげぇぞ」


寂しくて眠れなかったのか?なんていう男の戯れ言を無視し、そのまま布団を頭から被れば「なんだよ」という男の声が遠くに聞こえた。



結局。

あれから一睡もできなかった。


立ち直ってほしい。その一心だけで言葉だけが先行してしまったが、もしかしたら私はとんでもないことを山南さんに言ってしまったのかもしれない。

武士というのは厄介なもので、プライドの高い人が多い。生ぬるい環境で生きている人はどうかわからないが、剣にかける情熱も並大抵ではない、と。それを以前、私は山南さん自身から聞いていた。イコール彼もその一人だと思われるわけで。

彼を諭すつもりはなかった。反論するつもりもなかった。ただ、剣を握るということだけがすべてではないことをわかってほしかったんだ。

山南さんは教養もある。剣が握れなくなったのだったら、他に進むべき道は彼にはたくさんあるのに。


でもきっと…

私のした行動は間違いだった。

山南さんを傷付けてしまったかもしれない。

彼も大事な仲間なのに。


「おい、なんか変なモンでも食ったのか?」


…なんてデリカシーのない男。

布団をバンバンと叩くこの男を今日ほど邪魔だと思ったことはない。


「なんでもありません」

「なんでもねぇってこたぁねぇだろう」

「……だからなんでもないです!」


つい布団の中で大声をあげれば、「おめぇ…」と少々イラつきが含まれた声が聞こえたが今はもうどうでもいい。自分に対する嫌悪感でいっぱいだから。

なんてバカなんだろう。なんて浅はかだったんだろう。

そう思った瞬間。


バッ!!っとものすごい勢いで布団が捲られた。

こ、の男は…!!!


「ほっといてくれっつってんですよ!!!しつこ…」

「おはようございます」


しつこいんだよヤリチン野郎!!

なんていう暴言は瞬時に飲み込まれた。つか飲み込んでよかった。

だって、だって目の前には歳さんじゃなくて…


「さ、んなん、さん…」


ニッコリと笑顔を浮かべた山南さんが立っていたから。

慌てて歳さんの姿を探せば、開け放たれた襖に腕を組みながら寄りかかっている。

そして私と視線が合うと、あとで聞かせろよ、と言わんばかりの目をしたままその場を去っていった。


しぃんと沈黙が駆け巡る部屋の中。


…ど、どうしよう。

この場合、謝ったほうがいいのだろうか。

…いくら立ち直ってほしかったからとはいえ、目上の人に言う言葉じゃなかった、よね…

うん、素直に謝ろ…


「剣は私の生き甲斐でした」


私の謝罪の言葉よりも先に山南さんが口を開く。突然のその言葉に小さく頷けば、彼は言葉を続けた。


「剣を振るうことが私にできるすべてのことだと思っていました」

「………」

「だから…自分でもどうしていいかわからなかったんです。剣が握れなくなった自分を。このまま死んでもいいとさえ思っていた」

「山南、さん…」


無表情で無感情の山南さんに返す言葉なんて見付かるはずもなく。私はどうしていいのかわからないまま彼の次の言葉を待った。


「……でも君に…君の言葉に気付かされたよ。剣だけがすべてじゃないということに」


…予想外のその言葉に声を失った。

驚いて山南さんの目を見れば、彼は静かに、そして優しく笑っていた。


「まさか君に気付かされることがあるなんてね。正直私自身も驚いたよ。これからは私にしかできないことを少しずつだけれど模索していこうと思う」

「山南さん…!!」


つい涙が頬を伝った。

まさか、まさか山南さんからそんな言葉が聞けるなんて思ってもいなかったから。

これで山南さんはまた懸命に生きてくれる。手に握るそれが変わっても、彼は前を向いて生きてくれる。

よかった…、本当によかった…!!


味噌田楽、美味しかったです。また作ってくださいね。

頭を撫でられながらそう言われた私は「もち、もちろんです!!!」と、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらも笑ったのだった。



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