第六十八話 修羅の行く道
「さぁ、着きましたよ」
「……本当にいいの?せっかくの逢引きを邪魔しちゃって」
「だから逢引きじゃないって言ってるでしょう?」
総司くんの非番の日。
彼に連れられやって来たのは、壬生寺から少し歩いたところのこじんまりとした藁葺きの家だった。
ここは…総司くんの逢引きのお相手、お悠さんの家なのだろうか。
つか、本当にいいのかな、私が同行しちゃっても。
若い二人。イチャコライチャコラきゃっきゃうふふしたいんじゃなかろうか。
……もっもしかして複数プレイ…いやいやいや、そんなことあるはずない。第一、私の下着姿を見て「うわっ」と眉をひそめたこの男がぴこーんと勃つわけがない。
「ごめんください」
口には出せない卑猥なことを考えていれば、隣の総司くんが門前で声を張り上げた。
ああ、今日の私ってばいつもに増して穢れてるわ、うん。なにもかも、オラオラガンガン気持ちいいか?あん?…なんて容赦しない私の男が悪いのだ。
…と、人のせいにしてみる私はやはり穢れてるのかもしれない。
「はーい!」
総司くんの声に少し間を置いて、家の中からは元気な女の子声が聞こえた。ちらりと総司くんを盗み見れば、いつもの飄々とすました彼はどこへやら。
優しい笑みを浮かべた恋する男がそこにいた。
こんな総司くんの顔を、歳さんや近藤さん、山南さんが見たら心の底からホッとするんじゃないだろうか。
しかし修羅と恐れられる彼も、好きな女の子の声を聞いただけでこんな優しい顔になるなんて。驚いたのが正直なところだ。
「今日は早かったわね!……あら?」
ひょこりと顔を出した女の子はやはり総司くんと同じような優しい笑顔で。二度ほど遠目で見たことはあったけど、見据えられたその凛とした瞳に思わずドキッとした。
「あ!ええと…」
「どうも。今日は助っ人を連れてきました」
「…はっ?助っ…」
「もしかして由香さん!?」
「え!?あ…、そう…」
「わぁ~!!お会いできて嬉しいわ!!私、お悠!よろしくね!」
そうです。という私の言葉は遮られ、突然握られた両手は間髪入れずブンブンと上下に振られた。
ええと…なにがなんだかわならない。なに?とりあえず私ってば有名人?
「以前から由香さんの事は話してあったんです」
「そうそう!あの鬼の副長と名高い土方さんを骨抜きにした女の人がいるってね!」
会えて本当に嬉しい!そう言って笑うお悠さん。
な、なんだかテンションがものすげぇ高いんですが…
こんなに綺麗な子なのに、それを全然気取らない人当たりに、なんだか仲良くなれそうな気がする。そう直感的に思った。
「よし!じゃあ今日はさっそく由香さんにも手伝ってもらおうかしら!」
「て、手伝う…?」
手伝うって何を…?そんな私の言葉はスルーされ、「ねね、副長のどこが好きなの!?」なんて言いながら私の腕を引っ張り歩き出すお悠さん。そんな彼女に連れられ、ニコニコと笑う総司くんと共に藁葺きの家に足を踏み入れたのだった。
***
家の中は外見からは予想できないものがところ狭しと置かれていた。
現代でも見たことのある沢山の医療器具と思われる何か。薬草、なのだろうか。雑草のようなものも大量に陰干しされている。そしてツンと鼻につく濃度の高い焼酎の匂いが充満していた。
もしかしなくても…お悠さんは医者なのだろう。
「お悠さんは、医者?」
「正確に言うと医者のたまご、かしら。父が本道医なのよ」
「本道?」
「内科医ですよ。ここら辺では有名な町医者なんです。お悠さんはそれを手伝っているんですよ」
「へぇ…」
すかさず助け船を出してくれた総司くんの言葉に感心のため息が口をついた。
お悠さんの凛とした佇まいや人当たりの良さからして、まだ"たまご"とは言え皆から信頼される腕利きの医者なのは間違いないだろう。
「有名だなんて。ただの藪医者よ」
「こらこら、誰が藪医者だって?」
戯れ言を言って笑うお悠さんに思わず口角が上がれば、ふと診察室の奥から穏やかな声が聞こえた。
「高坂先生。お邪魔しています」
「やぁ、沖田くん。いつも悪いね」
奥の部屋から出てきたのはお悠さんのお父さん、なのだろう。中年の、優しそうなおじさんだ。「いえ、少しでもお役にたてれば」と笑う総司くんにフッと笑みを溢した。
「それで、あなたは…」
その優しそうな瞳が私に向けられる。
「あ、ええと、野村…」
「由香さんよ!あの土方さんを骨抜きにした!」
「おお、あなたが。お噂は沖田くんからかねがね。私はお悠の父の高坂玄節と申します。拙い町医者ですがどうぞよろしく」
「あ…よろしくお願いします…」
噂って…
総司くんのことだ。これまた大袈裟に私のことを話題にしたのだろう。
チラリと奴に視線を送れば、えへ!とでも言わんばかりの 表情をしていた。
…こんにゃろうめ。あとで何を言ったか問い詰めてやる。
…しかし。逢引きの邪魔にならないかと心配していたけれど、お悠さんや高坂先生の言動からして、総司くんは医者の仕事を手伝っているんじゃないかと思う。
きっと純情バカの総司くんのことだ。好きだという気持ちを伝えてないどころか、そばにいられればいい。そんなところできっと非番の日や巡察前にここで手伝いをしているのだろう。
「じゃあさっそくで悪いんだけど、今日はこの薬草をこの薬研ですりつぶしてもらおうかしら」
「お安い御用です」
そう言って総司くんは腕捲りをし、やげんと呼ばれた道具の前に腰を下ろした。そんな彼のそばに同じく腰を下ろし、薬草の分量は…力加減は…と手解きするお悠さん。
……まるで夫婦のようにものすげぇいい雰囲気で作業する二人を見て、ええと、やっぱり私ってばお邪魔なんじゃない?と思いました。
「由香さん。こちらで茶でもいかがかな」
「あ、すみません」
二人の世界に入れないのはどうやら私だけじゃないようで。高坂先生が苦笑いしながら縁側へと案内してくれた。
ああ、なんだかお茶飲みに来たみたいで申し訳ない気もする。けど、あの世界に入ろうとしてもどうせ弾かれちゃうしね。
「いただきます」と腰を下ろせば、高坂先生は美味しそうな大福とお茶を差し出してくれた。
「沖田くんはこうして非番の日はいつも手伝いに来てくれるんだ」
「そうだったんですか」
「お悠はあの性格だからね。沖田くんはこき使われてるのに嫌な顔一つしないよ」
そう言って小さく笑った高坂先生。
ふと思った。
……この人は…高坂先生は総司くんの気持ちに気付いているのだろうか。
それにお悠さん。お悠さんは総司くんのことは……
ふと沸いた疑問を胸にしまいつつも談笑を続けていれば、診察室の中から楽しそうな二人の笑い声が聞こえてきた。
きっとお悠さんも…総司くんと同じ気持ちなんだろうなと思う。じゃなければあんな優しい笑顔を総司くんに向けないもの。
「父様大変!薬草が足りないわ!!」
お悠さんの声にやれやれ…と腰を上げる高坂先生。
そしてふと小さな声で呟いた。
「……沖田くんは」
「………」
「新選組をやめたりしないかな?」
「え…?」
突然の高坂先生の言葉に心底驚いた。
この人は…急に何を…
「新選組をやめて…医者になってくれないかな」
「……高坂、先生」
「なんてな。年寄りの戯れ言だと思って聞き流しておくれ」
…ああ、そうか。そうなのか。
高坂先生はきっとすべてわかってる。
総司くんの気持ちも、お悠さんの気持ちも。
総司くんが新選組一番隊組長である限り。お悠さんが医者である限り。二人がこのまま進展することはないであろうことを。
高坂先生の父である本音に返す言葉が見付からなかった私の耳に、幸せそうな二人の笑い声が届いたのであった。
***
「今日はどうもありがとう」
「由香さん、また来てね!」
二人に見送られながら、私と総司くんはすでに陽が落ち始めた道を歩き始めた。
手に持った提灯の明かりが小さく揺れている。真冬の冷たい風がぴゅうと私達を吹き付けた。
あのあと。私達は診察室の中の掃除から、訪ねてきた患者さんへの対応など、それこそ医者の手伝い"だけ"をしてきた。
でも、帰り道の総司くんはそれこそ幸せいっぱいの顔をしていて。彼のそんな顔を初めて見た私もつられるように小さく口角をあげた。
「ね?逢引きをしているわけじゃなかったでしょう?」
自信満々にそう言った総司くん。私の心を読んだのかい?と思わざるをえないタイミングだったので思わず吹き出しそうになった。
「なに言ってんの。総司くんにとってはすごく充実した逢引きだったじゃない。それに総司くんの目、お悠さん好き好きっていう目をしてたよ」
そう言えば「ええっ!?」なんて慌てて目を擦る総司くん。
…おいおい!!くそ可愛いぞ!おい!!!
そんな総司くんが可愛くて「お悠さんも総司くんと同じ、好き好きっていう目をしてたよ」とからかえば、辺りは暗くなってきているのにはっきりとわかるほど真っ赤な顔になってみせた総司くん。
ちょっともう、なんなの?世の中にこんな純情な男がいていいのかい?なんて、そんな純情男が世間を震撼させている修羅、新選組一番隊組長だと知ったら世の中の浪士どもは笑うだろうか。
「…ねぇ」
「はい」
「好きだって…思いは告げないの?」
「………」
つい口をついた疑問に総司くんは私を一瞥したかと思うと、空を見上げふと笑った。
「由香さんも気付いたでしょう?」
「………」
「僕とお悠さんでは住む世界が違いすぎる」
「そんなこと」
「わかってるんです。僕が剣を握り続ける限り、お悠さんを幸せにしてあげられないことを」
「………」
「僕は新選組の剣。彼女は命を救う医者」
人斬りと一緒になったって、いいことなんて一つもないんです。
そう笑った総司くんの言葉は何もかもを諦めてるような。そんな言葉だった。
確かに。確かにそうかもしれない。高坂先生も言っていたように、医術を志す者は同じ医術の道を歩む者と共に。それが一番なのかもしれない。
でも…
「でもさ、人の気持ちって止められないじゃない。好きっていう気持ちは…」
「そしたらその気持ちに蓋をする」
「総司、くん……」
それだけです。
そう自分に言い聞かせるように笑った総司くんは空を見上げたままだった。




