第六十七話 ☆驚き桃の木山椒の木
総司くんに連れられ広間の襖を開けると、そこにはお茶を啜りながら談笑している歳さん、源さん、そして上座に座る恰幅のいいおじさ…いや、お兄さんの姿。きっとこの人が富沢さんだろう。年の頃は芹沢さんくらいだろうか。
交わる視線に小さく頭を下げればお兄さんは口角を上げ、私と総司くんの方に向き直った。
「やぁ、これはまた可愛らしいお嬢さんだ。もしかして総司の、」
「やだなぁ富沢さん、違いますよ」
「ああ、これは俺の」
総司くんの否定の言葉に重なるように横から口を挟んできた飄々とお茶を啜る下座の男。
俺の!?
俺のなんだい?副長さん!!
冷ややかな視線を送ればその視線に気付いたのか、「だろ?」と言わんばかりの不敵の笑みを浮かべたその男。
……なんだかイラッとしたのは気のせいだろうか。
そんな私をよそに、「そうか!!トシの女か!!ようやくお前も落ち着いたんだなぁ!」なんて豪快に笑う富沢さん。その様子を見る限り、私の男がいかにヤリチンだったかが見てとれますよ。はぁぁ、クソ歳三め。
「あ、ええと、野村由香と申します」
「俺は富沢忠右衛門だ。トシが世話になってるな」
「世話してやってんのは俺の方だよ富沢さん」
………なんだかなんなんですか歳三くん。
まぁね、久しぶりに昔馴染みに会ってね、なんか気張っちゃうのわからなくもないけどね、うん。でもなんなんでしょう、この若干のイライラ。私ってばひねくれた奴なのかもしれない。
「歳さんには何から何まで、それこそ歳さんのムスコさんにも昼夜問わずお世話になっております」
そう言ってニッコリと笑えば、一瞬の間をおいて「てっ、てめぇ////!!」という怒号と「あーっはっはっはっ!!さすがはトシの惚れた女だ!!」という笑い声が広間に響き渡り、総司くんと源さんに至っては飲んでいたお茶にむせかえっていた。
そのパンチのきいた冗談に、歳さんから殺気にも似た何かを感じとったのはこの際無視して、富沢さんはえらく私を気に入ってくれたようだった。
そういや昔からおじさんには気に入られることが多かったな。なんだろう、おじさんを惹き付けるフェロモンでも出ているのだろうか。ただ一つだけ言えることは、おじさんに気に入られて損はない。これだけは確信を持って言えるぜ。
あ、ただし権力者に限る、だけどな。
富沢さんはもともと話好きなのだろう。そのあとは永遠と歳さんの若かりし頃の話や、試衛館の話、またまた総司くんの子どもの頃の話や、その他の試衛館メンバーの逸話など、それはそれは生き生きと聞かせてくれた。
その話は私の知らない話が多かった。歳さんや皆の昔を知ることができてなんだか嬉かったのが事実だ。
***
「おっと、少し喋りすぎたかな。そろそろおいとまさせてもらうよ」
昔話に一通り花を咲かせたあと、富沢さんが名残惜しそうに腰を上げた。
障子の外を見ればいつの間にか日が傾き始めている。
「しばらくは京に滞在なさるんでしょう?」
「ああ。今度はかっちゃんがいるときに邪魔するよ」
はい!是非!なんて喜ぶ総司くんはまるで小さな子どものよう。
富沢さんは絵に書いたようなすごくいいおっさんで、総司くんだけじゃない。皆が彼を慕っているんだと思う。
そして何よりも富沢さんの笑顔は人を惹き付ける何かがあった。しいて言えば近藤さんと同じ魅力を彼は持っているように思える。
「ああ、そうだ。忘れてたよ」
屯所の門まで見送りに出れば、ふと富沢さんは足を止め、荷物をごそごそとし始めた。
なんだなんだと覗き込めば、彼が取り出したのは一冊の本のようなもの。よく見れば見たことのあるひょろりとした筆跡が表紙を飾っていた。
「これ、為次郎さんから…」
そう言いながら富沢さんが差し出した本を、真っ赤な顔でバッ!と奪い取ったのは、そう。ひょろりとした筆跡の持ち主である歳さん。そして真っ赤な顔のまま吠える吠える…
「持ってきてくれなんて頼んでねぇ////!!」だの「と、富沢さん読んだのか////!?」だの…
今日だけで男の情けない声を聞くのはいったい何度目か。
それにしてもなに?なんなの?
歳さんが真っ赤になって抱え込むなんて、その本て一体なに?
てゆーか、それよりも…
「ためじろう、さん?」
聞いたことのない名前に首を傾げれば、「為次郎さんは歳三さんのお兄さんですよ」と総司くんが教えてくれた。
ええぇ!?歳さん、お兄ちゃんがいたの!!?
そ、そういや試衛館の頃の話はちょこちょこ聞いてても、家族の話なんて聞いたことなかったかも…
そうだよね、歳さんだってああ見えて人の子だもの。両親もいれば兄弟だっている、よね。
「全然知らなかった」
「あれ?そうなんですか?ちなみに歳三さんにはお兄さんだけでなくお姉さんもいらっしゃいますよ」
「え!?そうなの!?」
「確か亡くなった兄姉も合わせれば10人兄弟の末っ子だったはずです」
「じゅ…!!!」
10人!?驚きのあまり開いた口がふさがらなかった。
10人!?10人なんて現代ならば大家族のテレビ番組に出れるレベルじゃないか!!
こりゃ驚いた。こんなに驚いたのは今年になって初めてじゃなかろうか。
しかし歳さんに嫁いだら小姑もいらっしゃるなんて私ドキドキ。なんてことはさておき、歳さんてば末っ子だったのか。ああ、それならたまに出没するわがままなバラガキにも納得がいったわ。あのわがままは末っ子独特のものだったのね、なんて。
***
「ったく…富沢さんの喋り好きは変わってなかったな」
「またな!」と言って屯所をあとにした富沢さんと、途中まで同行すると言って出ていった源さんの背中を遠くに見ながら歳さんが小さくため息をついた。
「あはは、確かに。それよりも」
まさかその句集が京にまで追いかけてくるなんてね~。
そう言って総司くんはニヤリと歳さんに視線を投げた。
「うるせぇっ////!!あっち行け////!!」
再び真っ赤になる歳さん。
……なに?マジでなんなのそれ。
気になる…
めちゃくちゃ気になるんですけど。
ぎゃぁぎゃぁ騒ぐ男をじーっと見つめれば、その視線に気付いたのか、男はハッと我にかえったようだ。「な、なんでもねぇよ/////!」と、あからさまに冷静を装ってるけどね。なんでもねぇわけねぇでしょうが!
「…へぇぇぇ……大好きな大好きな私に隠し事、ですか」
「ッ!」
「ああそうですか。そんなもんですよね、歳さんにとっての私なんて。私なんて隠し事一つしてないってゆーのに。そんなもんだったんですね。よぉくわかりました。はぁ~あ」
わざとらしく打ちひしがれるように大きな大きなため息をつけば、その作戦は成功したのだろう。少しの間をおいて男は「…わかった。夜、俺の部屋に来い」と、私に負けないくらいの大きなため息を一つついた。
よっしゃ!!!
小さくガッツポーズする私の隣で「やっぱり由香さんには敵わないや」と総司くんが呟いたのが耳に届いたのだった。
***
夜。
徳利とお猪口を片手に歳さんの部屋を訪ねれば、男は昼間見た時と同じように文机に向かっていた。
「呑みます?」と聞けば、下戸な男にしては珍しく素直に「ああ」とお猪口を受け取った。
「珍しいですね」
「何が」
「お酒、ですよ」
「たまにはな」
そう笑って男はお猪口を一気に傾ける。ああ、なんか素敵。そう思ったのは内緒だ。
「そういえば歳さんにお兄さんがいたなんて知りませんでした」
「ああ?言ってなかったっけか」
日野に帰ることがあればおめぇも紹介してやるよ。
そうサラリと言ってぬけたこの男。
…それって、それってさ、どういうつもりで言ったのよこの男ってば。
こ、こういうところも踏まえて歳さんてば天然のタラシだとつくづく思いました。うん。
「ご、ご両親は」
変な動揺から少し吃りぎみにそう聞いた私に、歳さんは少し口角を上げた。
ああ、なんだか恥ずかしいし変な緊張が…
「親はとっくに死んだよ」
…死ん、だ。
あまりにも淡々とそう言った歳さんに、それまでの動揺や緊張は一気に消え去った。
「父親は俺が産まれる前に死んだ。母親も俺が6つの時にな」
だから、俺の親代わりは為次郎兄さんやのぶ姉さんだったんだ。
そう笑う男の笑顔は…
なんだか触れちゃいけなかった気がした。
この時代の人は現代人に比べて早逝のようだし、両親がいないなんてことはザラだ。
でも…死んだよ、と言った歳さんの瞳に寂しさの陰りが見えたから。
もしかしたら歳さんは…
彼の鬼の副長と呼ばれる冷徹さは、もしかしたらその親から注がれる当たり前の愛情に飢えていたからかもしれない。
男はその寂しさを押し殺すようにお猪口を一気に煽ったかと思うと、私の膝を枕に、ゴロンと身体を横にし足を投げだす。
そっと頭を撫でれば盛りがついたのか、男は私の腰に絡み付いた。
「……由香」
掠れたその甘い声は
注がれる私からの愛を確かめるように
触れたその手は
その愛を逃がさぬように
行灯の灯りに照らされながらただの男に戻った彼は、ゆっくりと私を押し倒し、唇に噛みついたかと思うとそのまま首もとに顔を埋めたのであった。
***
身体の中に男の余韻を感じる。
ああ、今夜は一際激しかったなぁなんて思っていれば、歳さんの妖しい手つきが再び私の身体をまさぐりはじめた。
おいおいマジか。あれだけ激しく突かれて、またすぐ2ラウンドとかちょっと勘弁してくださいよ。
「歳さん」
「んだよ、いいだろうが。昼間だってお預けくらったんだ」
そう言ってまだ渇ききってない私の女の部分に触れ出した歳さん。
…まぁ確かに。私も昼間お預けくらったわけだし、いいか2ラウンド…じゃなくてさ!!
そうだ、そうだよ。昼間と言えばいろいろ思い出したよ。色事に耽ってる場合じゃなかったぜ!!歳さんには聞きたいことがあったんだぜ!
「ちょ、そういえば聞きたいことが」
「…今じゃなくたっていいだろうよ」
「や、あッ……じゃ、あと、で……じゃなくて!!!」
思わず快楽に身を任せそうになったがかろうじて残っていた僅かな理性がそれを止めた。
あぶねーあぶねー。しかし目の前の男は途中で止められたのがよほど気にくわなかったのか、眉間には深いシワが刻まれた。
「…なんだってぇんだ一体……」
「歳さん。昼間、富沢さんに貰った本ってなんなんですか?」
そうだよ。これを聞くために今私はここにいるんじゃないか。すっかりこの男のペースに飲まれてたわ、うん。
私の問いに、男の眉がピクリと動いたのがわかる。みるみる焦りはじめた様子を見ると、それが彼にとってあまり人に見られたくないものかもしれないということがわかった。
でも知りたい。
恋人同士が上手くいくには隠し事をしちゃいけないというデータもあるのよふふふん。
「チッ…覚えてたか」
「チッ…てなんですかチッて。しっかり覚えてますよ。で、なんなんですか、あれは」
ググッと問い詰めれば男はすっかり萎えたのか、ため息をつきなが文机の中から昼間、富沢さんに貰った本を取りだし、私の手の上にポンと投げた。
僅かな行灯の灯りを頼ってそのひょろりと書かれた表紙に目を凝らすが、いかんせん、この時代の文字は読み慣れない。
豊、玉…発、句、集?豊玉発句集?
左下には土方義豊、と書いてあるのが見て取れた。
土方義豊。まさか、まさか。
驚いた表情を浮かべれば、男は諦めたように口を開いた。
「そりゃあ句集だ。豊玉発句集って書いてある」
「句集?……あの、まさかとは思いますが、土方義豊って」
「ああ、そのまさかだ。俺の…句集、だ…」
さぁさぁビックリ仰天。
知らなかった。知らなかった。歳さんが俳句を嗜むなんて。
お、鬼の副長が?バラガキとか言って恐れられてた歳さんが?
そ、そういえば少し前に手紙に俳句とか書いてた時があったな…
衝撃のあまり震える手でパラパラとそれを捲れば、歳さん独特のひょろりとした筆跡が何行も何行も書かれていた。気になる。この男がどんな俳句を詠むのか。しかし文字が読めない。だが気になる。
「あ、あの…ちなみに自信作は…」
「自信作?んなの全部に決まってんだろうが」
男は不敵な笑みを浮かべると、ご丁寧に何句か読み上げてくれた。
……梅の花、一輪咲いても梅はうめ?
え?なにその馬鹿が付くくらい真っ直ぐで正直な俳句は。
俳句を嗜む習慣がない私には、その句の良し悪しがまったくわからない。で、でも、文学的にはあまり秀作と呼べるものではないんじゃないかなぁ…なんて。
でもさすがの私もそんなこと言えない。フルチンで自信ありげに句を詠みあげるダーリンにそんなこと言えない。
だから「どうだ?」と聞かれても「す、すごくいいと思います」としか言えなかったが、なんだかモヤモヤした気持ちが残ったのはなぜだろう。
よくよく聞けば、昼間、文机に隠したものも俳句を書いたものだった。
まぁ、エロ本じゃなかっただけ良しとするものか否か。
「おめぇも今度詠んでみたらどうだ?教えてやるぜ?」
自信に満ちた表情の歳さんは、句集をパタリと閉じて文机にしまうと、再びその手先を私の身体に這わせ始めた。
んんん…なんだか衝撃過ぎてすっかり萎えてしまったんだけどな。
ま、まぁ、趣味を持つことは良いことだよね、うん。
「じゃ、じゃあ今度教えて貰おうかな」
「俳句のことなんざ全然わからねぇだろうからな。伊呂波から教えてやんよ」
「あ、でも一つだけなら知ってますよ。ええと…三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい…だったっけ」
以前、高杉さんから詠んで貰った俳句をふと思い出して声に出してみれば、今にも唇に噛みつこうとしていた目の前の男はピタリと動きを止めた。
シーンとなる空気。え?なに?私、なんかおかしなこと言った?
「…てめぇ、それどこで覚えた?」
「あ、えと…高杉さんがお前にって…」
そう言った瞬間、目の前の男がワナワナと震え始めたのがわかった。
あ。やべ。まずい。なんかわかんないけどまずい気がする。
「と、歳さ…」
「それは俳句じゃねぇ都々逸だ!!それにそのうたは恋のうただ!てめぇ、本当は高杉になんかされただろ!!」
「ええええ!!?さ、されてない!されてないよ!!!」
されてないよォォォ!!なんていう私の叫びは届くこともなく。
結局その晩は空が明るくなるまでおらおらアンアンと攻められたのであった。
それにしても高杉さんが送ってくれたうたが恋のうただなんて。
高杉さんてば私にゾッコンだったのね、なんてニヤニヤしてしまったのは絶対に胸に秘めておこうと思いました。
かっちゃん=近藤さん
土方は6人兄弟の末っ子と言われていますが、二男二女が乳児の時に亡くなっているので、正しくは10人兄弟の末っ子のようです。
俳句→5・7・5
都々逸→7・7・7・5




