第六十六話 誰だって恋をする
「歳さん、お茶をお持ちしました」
「――ッ!!」
二人分のお茶とお団子を持って襖を開ければ、部屋で文机に向かっていた歳さんの背中が明らかに慌てふためいているのが目に見えた。
あれ?あれれ?何してる?まさか勉強机に向かうフリをしてエロ本見ながらにゃんにゃんにゃんっていう年齢でもなかろうに。
「おめぇ、俺が返事してから襖開けろよ!」
「すみません。でも隠れて何をこそこそしてるんです?」
「別に…こそこそなんてしてねぇ!」なんて簡単に嘘をついた男の袴をつい見ればきちんと着ているようだ。
ふむ、にゃんにゃんじゃありませんでしたか。ちょっとホッとしてしまうなんて、なんだか思春期の息子を持つ母親の気持ちがわかった気がするわ。なんて。
「……おい、どこ見てんだ」
私の視線に気付いたのか、息子は、じゃなかった。歳さんは眉間にシワを寄せ、なんだか冷ややかな視線を私に向けた。
わ、酷い。
「いえ、気にしないでください。それよりお茶をお持ちしました。少し休憩しませんか」
「おお、わりィな」
「これ、駿河屋さんの」
駿河屋さんの新商品のお団子なんですって~。そう言いながら腰を下ろせば、男が一瞬の隙をつき、引き出しに何かをしまったのが視界に入った。
……新選組副長もまだまだ青いわね。
「ほう」なんて、お団子に興味がある演技をしれっとしても、私にはお前のやったことは全部まるっとお見通しだ!!……なんてこれは某ドラマの決め台詞だったっけか。
よし。あとで小一時間問い詰めてやろう。だって今は私も駿河屋さんのお団子食べたいんだもの。むふ。
「そういやおめぇ、総司見なかったか?」
「総司くんですか?いえ、」
いえ、見ませんでした。
そう言えば歳さんは呆れたように一つ溜め息をついた。
「最近、非番の時はもちろん、巡察の前にも姿が見えねぇんだ。こんなんじゃろくに話もできやしねぇ」
「…へぇ」
「あん?なんか理由知ってるみてぇな素振りだな」
「え?あ、いや、知りませんけど」
「そうか…まぁ、あいつの事だ。女に溺れてるなんてことはなさそうだしな」
そう言って笑った歳さんだったけど、なんだかドキリとした。
皆、総司に限って、と口を揃える。でも総司くんだって普通の男だ。そして恋仲ではないと言ってはいたけれど、好い人はいる。
溺れる、なんて飄々としてる総司くんにはありえないことだとは思うけど…
でも恋は盲目、なんて言葉もあるくらいだもんね。
今度、遠回しに聞いてみようか。
うん。そうしよう。これも姉のつとめ…っていつから私は総司くんの姉ちゃんになったんだ?いや、あんな可愛い弟いたらウハウハ…じゃねぇや。やっぱあんな腹黒い弟怖いよう!!
……あ~、なんか最近疲れてるのかもしれない。
「…なぁ、」
「はい?」
妄想中の私を男が呼び戻す。さっきまでとは違った声のトーンに顔を上げれば、いつの間にか縮まった距離。そして妖艶な顔で私の遊びで垂らしている髪をくるくると指に巻き付ける目の前の男。
……まずい。この雰囲気。この妖艶な表情。
最初の甘えた声のトーンに気付くべきだった。
「最近…ご無沙汰じゃねぇか?」
「歳さん、まだ昼間ですよ」
「かまわねぇ」
そう言って男は着ていた羽織を光の速さで脱ぎ捨て、慣れた手つきで私を押し倒しすといとも簡単に組み敷いた。
割れた着物の裾からあっという間に手が侵入してきたかと思うと、その手はまぁそれはそれは驚くほどに厭らしい手つきで太ももを撫で回し始める。
「ちょっ、歳さんてば!」
「いいじゃねぇかよ、」
ツツツ…と舌で首を舐め上げられ耳元で「由香…」と囁かれれば、思わず甘い声が漏れた。
こんな真っ昼間。いつ誰が部屋を訪ねてくるかもわからないというのに…
しかし目の前のこの男のスイッチは切れそうにない。まずい。まずいぞおい。このままじゃ私までスイッチオンに…
ああ、でもいいかな。私もちょっとヤリたくなってきた…
もうどうにでもなれと男の背中に腕をまわした瞬間。
「ああすみません。もしかして始まっちゃいますか」
突如耳に届いたいるはずのない第三者の声に私達の動きが止まる。
「それにしてもお盛んですねぇ、お二人とも」
「そっ…、総司////!!?」
「総司くん////!!!」
聞き覚えのある声に身体を飛び起こせばやはりそこには思った通りの男の姿。
「てめぇっ////!!いつからそこにいやがった////!!」
「ええ~?歳三さんが由香さんの着物の裾から手を突っ込んだところぐらいかなぁ?」
…おおおお////!!!ほぼ最初からじゃねーですか////!!
恥ずかしい。さすがの私も恥ずかしい。なんだって第三者にアンアン甘い声を聞かれなきゃならんのだ。
でもそれ以上に、普段、鬼の副長と呼ばれる男は恥ずかしかったらしく、あの独特なハスキーで野太い声をスッカリ裏返し、情けない掠れ声で「てめぇっ////!斬られてぇか////!!」と喚いていた。
あああ、もうなんなのこのプレイ。
すっかりその気になってしまった私の下半身はどう納めればいいのかしら。なんて、ゲフンゲフン/////!!!
*
「……で?おめぇはいったい何の用だ!?」
ドカッと胡座をかき、こっちが話があるときは姿をくらましやがってるくせによ!と、プライドの高い歳さんが精一杯冷静を装っているだろう声で総司くんに向き合った。しかし未だ男の顔は赤く染まっている。まぁ、その姿の可愛いこと可愛いこと。
…あれ?恋は盲目、なんて言葉、もしかして今の私にピッタリかもねえへへ。
それよりもそうだ。私の勘が正しければ彼はデートじゃなかったんだろうか。
「やだなぁ、もしかして忘れちゃってたんですか?今日は多摩から富沢さんがみえる手筈だったじゃないですか。無事にいらっしゃったんで呼びに来たんですよ」
「ッ!!そうだった!!」
男は総司くんの一言にハッと顔色を変えると、先ほど勢いよく脱ぎ捨てた羽織を肩にかけ慌てて立ち上がった。
そして、「助平なことばかり考えてるからそうなるんですよ」と笑う総司くんに「うるせぇっ!」と怒鳴るとそのまま部屋を駆け出していったのだった。
「………」
「………」
………ええと。なに?なんなの?
そして少しだけ喘ぎ声を聞かれてしまった相手との二人だけの空間ってなんていう居心地の悪さ。そしてのし掛かる沈黙。
ちょ、総司くんてば何か言えよこのやろ…
「それにしても…由香さんも案外甘い声で啼くんですね」
「なっ…/////!!!」
想定外の総司くんの言葉に柄にもなく顔に熱が集中するのがわかった。
つーかこいつは絶対にドSだ。ニヤニヤニヤニヤ…なんとまぁ意地悪げな顔をしていることか。
「不覚にもドキリとしてしまいました。なんてね」
「~ッ////!!馬鹿!!総司くんの馬鹿やろう////!!」
精一杯罵声を浴びせれば、目の前のこいつはクスクスと笑い、「ああ、いつもの由香さんだ」と笑いやがった。
あああもう!!こいつには一生勝てない気がするわ。そして絶対に敵にまわしちゃいけない。
そう心に誓いました。
ああ、それにしても恥ずかしいやらムカつくやら、なんだこの羞恥プレイは。
「そ、それよりなに////!?デート中じゃなかったの!?」
恥ずかしさに紛れて総司くんに尖った口調でそう言えば、今度はきょとんとした顔で「でぇと?」と返された。ああそうだ。ここは江戸時代。もうこんなにテンパりやさんだったっけ私ってば。
「あ。ええと、なんだっけ、あい…逢引き!」
「ええ!?僕がですか!?」
「ほら、あの壬生寺の女の子と!」
「ああ、お悠さん。やだなぁ、違いますよ。そんなんじゃないですよ」
……と、今度は頬を赤く染め、えへへとでも言わんばかりに照れ笑いを浮かべた総司くん。
なんだ?この子のくるくる変わる表情。カワユスと思わず頬を軽くつねれば、「あはは、なんです?」と若干の殺気が見てとれた。うん、怖い。けど飽きない。
でもこの感じだと、そのお悠さんて子と逢引きしてきたのは間違いないだろう。
「お悠さんに…溺れてるの?」
「まさか」
「好きなんでしょう、お悠さんのこと」
「………だから違うって…」
「はいはい、僕の恋人は剣だもんね。でも総司くん」
「………」
「あんまりぐずぐずしてるとさ、お悠さんも待ちくたびれちゃうんじゃない?」
それにあんなに綺麗な子なんだもの。どっかの男に横取りされちゃうよ。
若干真剣味のある声でそう言えば、総司くんは少し驚いたあと、「いや、参りました。由香さんには敵わないなぁ」と笑った。
何が彼を躊躇させているのかはわからない。
でもこのままじゃ総司くんはずっと変わらないだろう。年頃なんだもの。剣を握るほかに恋愛だって楽しまなきゃ。
好きならば好きだと言おう。誤魔化さず素直になろう!
なんて、どこぞのアイドルグループの歌の歌詞を拝借すれば総司くんはますます笑ったのだった。
「由香さんにならいいかな」
総司くんはひとしきり笑ったあとそう呟くように言った。
「え?なにが?」
「僕が非番の日。何をしてるか今度連れてってあげます」
「……お悠さんのところに?」
「クスッ…僕も案外溺れてるのかもしれないなぁ…」
……ふむ。なんとまぁ、幸せな笑顔。
こりゃ本当に溺れかけてるなと思ったことは私の心の中に留めておこう。だってその気持ちは誰にも止められないもの。
新選組の一番隊組長だって、笑う修羅と名高い彼だって、誰だって恋をする。
「さ、由香さんも行きましょう」
「ん?」
「広間です。先ほど見えたのは富沢さんと言って、天然理心流の兄弟子なんです」
「へぇ」
「歳三さんも懐く数少ない人ですからね。きっと由香さんのことも紹介する気でしょう」
「えっ…ええぇぇえ!?わ、私なんかいいよ!!」
「いや、由香さんがよくても歳三さんがしたがります。ほら、行きますよ」
「ちょ、待っ…」
化粧直しさせて~!!なんていう私の声は聞き入れられることもなく。総司くんに腕を引っ張られ、そのまま兄弟子の待つ広間へと向かったのである。




