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第六十四話 クソっくらえ!



「あれ…?まだ寝ないんですか?」


銀色の世界へと姿を変えた中庭を一望できる縁側で一人。ちびりちびりと盃を傾けていれば、暗闇の中、背中に小さな声が投げ掛けられた。


この声はきっと…そう思って振り向けばそこにはやはりニッコリと笑った総司くんの姿。その手には私と同じく徳利とお猪口が握られている。

コクンと小さく頷けば「奇遇だなぁ。僕も眠れないから雪見酒でもしようと思って」と、男は私の隣に腰を下ろした。



早々に布団に入るも、なんだか眠れなかった。

それはきっと山南さんが怪我をした…その事実が私をそうさせたんだろう。

今夜はものすげー寒さだけど、なんだかその冷たい夜風に当たりながら酒が呑みたい。

こんな時だからこそ酒が呑みたい。

そんな気分だった私は一人、縁側へと出てきた。

縁側から見える部屋はすべて幹部の部屋。そのほとんどの部屋は深夜だというのにまだ行灯の灯りがついている。きっと皆も眠れないんだろう。

雪明かりと障子に映えた行灯の灯りが綺麗。

そんなことを考えていた私は不謹慎だな。そう思った。


「お酌、してあげるよ」

「ありがとうございます。じゃあ僕も」


お互いのお猪口に酒を注ぎ、二人同時にそれを煽る。

物音一つしない静かなその世界に自分の喉が鳴る音だけが内から耳に届いた。




朝……

山南さんの一報を聞き、皆で立ち尽くしていたところに夜中からの巡察を終えた一番隊と三番隊が帰ってきた。


「どうしたんですか、皆さん暗い顔で」


そう陽気に問う総司くんに「総司、あのな…」と源さんが山南さんの事実を告げれば、彼は「…そうですか」と一言だけ口にし、音もなくその場をあとにした。

「…総司は山南さんとよく手合わせしていたからな」という左之さんの言葉がなんだか耳に残ったのだけれど…



山南さんが二度と刀を握れなくなったという事実を、剣が恋人と言い切る彼はどう思ったのだろうか。


「…しかし京の冬は冷えますね」

「……そうだね」

「大坂もこれくらい雪が降っているんでしょうか」


男は再び小雪が舞い始めた真っ暗な空を仰ぐ。それに連られるように空を仰げば、漆黒の闇の間からハラハラと舞い落ちる白い雪に目を奪われた。

その雪の一片が力なく盃の中に落ち、瞬時に溶け込む。その一連の様子を目で追えば、なんだか小さな溜め息が口をついた。


「山南さんの」


男は小さな掠れた声を漏らす。

泣いているのかと思わせるほどのその弱々しい声は、舞い降りる白銀のそれにスッと溶け込んだ。


「山南さんの剣はとても綺麗なんです。道場剣法のお手本みたいに」

「………」

「なかにはそれを馬鹿にする人もいた。そんな道場剣法が実戦に使えるのかって。でもね、あの人の剣はね、溜め息が出てしまうほど綺麗で強かった。強かったんですよ……」

「総司、くん……」


本当に泣いているのかと思った。

それほどまでに彼の言葉は弱々しかったから。

かける言葉が見つからなかった。

彼の視線は言葉とは裏腹に真っ直ぐに前を見つめていたから。




その後。

彼が山南さんのことを口にすることはなかった。

ニッコリと笑顔を浮かべ、くだらない戯れ言を言う。

それはいつもの総司くんの姿だったけど、なんだか無理矢理演じているように見えた。いや、きっと演じていたのだろう。だって彼は一度も私を見なかったもの。


男の揺れる瞳に気付かないふりをして、私達は東の空が明るくなるまで盃をかわしながらたわいない話を続けたのであった。



***



それから数日後。

将軍警護のために下坂していた歳さんをはじめとする隊士一行は、将軍入京とともに壬生の屯所へと帰陣した。


「帰ったぞ」


玄関から聞こえたその聞き慣れた声に飛び出せば、そこには少し雪焼けした歳さんと、左腕を布で吊った山南さんの姿があった。


「お、かえりなさい…」


嘘だ。嘘、でしょう?

思わず息を飲む。

だって…山南さんの腕に巻かれたそれが赤黒く染まっていたから。

その腕はもはや使い物にならないのであろうことは剣を握らない私でも容易にわかった。


「すみません。替えの布がもうなくて」


私の視線に気付いたのであろう。山南さんが左腕を庇い、申し訳なさそうに笑った。

違う。山南さんは何も悪くないのに。


ふるふると小さく首を横に振り、「熱いお茶をお持ちします」と言えば、山南さんは再び「すみません」と小さく笑った。


「由香。山南さんに山崎を。おめぇは茶を淹れたら俺の着替えを手伝え」

「はい。わかりました」


歳さんの言葉に頷き、山崎くんを呼びに駆け出す。

山崎くんは医術の心得がある。なんでも実家が医者らしく、小さい頃から手伝わされていたということ。今も新選組お付きの医者について医術の勉強を続けているらしいからその腕は確かなものだった。


私にも何かできることはないか…

一度自分の部屋に寄り、バックの中身をひっくり返す。

化粧ポーチにケータイ、財布…

あ!ピルケース!確かケースの中に痛み止めの薬と抗生剤が入っていたはず。

痛み止めの薬は気休め程度にしかならないだろうけど、抗生剤は傷の化膿止めにいいかもしれない。


そう思い、ピルケースごと袂に突っ込むと私は再び山崎くんの部屋へと駆け出した。



***



「失礼します」


お茶を持ち、大きく深呼吸してから部屋の襖を開ければ、あの独特の臭いが鼻腔をついた。

すでに山南さんの腕の治療が始まったらしく、巻かれていた赤黒い布が無造作に投げられている。

治療と言っても斬られてから数日がたっているので、消毒程度しかできないだろうと山崎くんは言っていたのだけれど。

ちらりと見れば山南さんのその腕は肘から手首にかけて生々しい傷痕が見えた。


「お茶を…お持ちしました」

「ああ、ありがとうございます。そこら辺に置いておいてください」


きっと相当な痛みを伴っているのだろう。

山南さんからはいつもの穏やかな表情は消え、今にも倒れてしまうんじゃないかっていう位真っ青な顔をしていたから。


「山南さん…あの、少しいいですか」


山崎くんが傷口に焼酎をかけ終えたところでピルケースを差し出す。

中から薬を取りだし、お茶の入った湯飲みの隣に置いた。


「あの、これ、未来の薬なんです。痛み止めと化膿止めなので飲んでもらえばだいぶラクになると思います」

「未来、の…」


山南さんは珍しそうに薬を手に取り、少しだけそれを眺めると「ありがとう」と笑った。

よかった。その笑顔に少しホッとし、「私はこれで」と部屋をあとにしようとすれば「あ、由香さん!」とふいに呼び止められた。


「由香さん。土方くんは私のこれを自分の責任だと思っている」

「………」

「でもそれは違う。私の剣が未熟だっただけだ。だからお願いします。土方くんのそばにいてあげてください。彼は一人で抱え込んでしまう男だから」


こんな時まで歳さんの心配を…

なんで…

お願いしますと頭を下げる山南さんの姿に思わず涙腺が緩む。


「ッ…わかりました」


それを悟られまいと手短に返事をし、頭を下げた私は山南さんの部屋をあとにしたのだった。





なんで山南さんのような人が…

どうして彼のような優しい人が…


自分の傷よりも他人の心配をする彼。

この時代は本当に理不尽だ。クソっくらえだ。そんな誰よりも優しい彼が、志半ばに剣を握ることを諦めなきゃならないなんて。


当たりどころのない怒りと切なさで、私の涙腺はますます緩くなるばかりだった。


昨日までの私は試衛館あがりの幹部の人間は、死ぬことはおろか、深手の傷なんか負うことはないと思っていた。

なぜなら彼等は私にそう思わせるほどの常人離れした強さを持っていたし、現に巡察に出ても怪我をして帰ってくることなんかなかった。あってもほんのかすり傷程度。

だから今回の山南さんの怪我も何かの間違いじゃないかって。間違いだってそう思いたかったのに。


でもそれはやはり紛れもない事実で。

背けられない現実になんだか吐き気がした。

自分には何ができるか。どう言葉をかけるべきか。そんな簡単なことすらわからない私がそこにいた。


そしてそれは山南さんだけでなく、今、目の前にいるこの男にも…

自分の感情を押し殺し、知らず知らずのうちにすべてを一人で抱え込んでいるこの男。

無表情のまま淡々と着替えているが、その心中は何を思うのだろうか。


「わりィ、そこの羽織取ってくれるか」

「あ…、はい」


足元にあった綺麗に畳まれた羽織を手渡せば、少しだけ触れた指はとても冷たい。

それに驚いた私に気付くことなく、男は羽織を腕に通す。

その時、ほんの小さな溜め息が聞こえた。

背中を見つめれば、いつもの気張った雰囲気は無く、垂れた頭。チラリと見えた横顔はどう見ても自分を責めているようだった。


恐る恐るその背中に手を合わせれば、男は驚いたように動きを止めた。


「…どうした?」


違う。違うよ。山南さんの怪我は歳さんのせいじゃないよ。だからお願い、自分を責めないで…

今にもそう口をつきそうになったが、きっとそれは彼が求めてる言葉じゃない。

きっと、きっと歳さんは…


「そんな…そんな情けない顔しちゃって……鬼の副長はどこへ行っちゃったんですか」

「……」

「……山南さんは…そんな副長の顔は見たくないはずです」

「…由香……」


…初めて聞いた。歳さんのこんな声。

今まで聞いたことのないくらい弱々しい声。



伝えたいことはたくさんあるのに。

どんな言葉も気休めにしかならないような軽い言葉に感じて。

もう何も言葉にすることができなかった。


泣いちゃいけない。

誰よりも辛いのは山南さん。そしてその苦しみを理解できるのは歳さんだけなのだから。


無言のままその背中を包み込めば「すまねぇ」と、小さく揺れたその大きな背中。


「…畜生ッ……」


掠れた男の声が背中を通じてかすかに聞こえた気がした。


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