第六十一話 孤独な男の過去と未来
さてさて。
ふと空を見上げればお天道様は空の一番高いところからすでに下りの弧を描きはじめていた。
歳さん達、将軍様を警護し隊が大坂へと出発してから早数時間。
しっかり昼寝をして、しっかりお昼ご飯を食べて屯所内をフラフラしてみるものの…
「…暇である」
いつもはやれ巡察だ、やれ斬り合いだ、なんて忙しい新選組もさすがに三元日はお休みだ。
せっかくの正月休み。歳さん達、警護隊には悪いけど私もこの時くらいは好きなことしたい。
まぁ、いつも自由に行動させてもらってるけどな。
でも好きなことってなんだ?酒くらいしか浮かばないなんて、やっぱりアル中か私は。
とりあえず左之さんや新八さんと酒でも呑もうと思って部屋を訪ねてももぬけの殻。総司くんもいない。
よく見れば隊士たちの姿も大半が見当たらないじゃないか。
あれ?おかしいぞ?
屯所内はいつもの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
…にしても静かすぎじゃね?
不思議に思い、たまたま勝手場で熱燗を作っていた隊士を見掛けた私は適当に挨拶を済ませ、他の隊士はどうしたのか聞いてみることにした。
「あの、幹部とか他の隊士の姿が見えないんだけどなんか知ってます?」
「今日は島原で太夫の顔見世があるんですよ。皆、昼前にそちらに出掛けてしまいました」
………はぁ?
昼前っつったら…全開お昼寝タイムじゃん!!
くっそー、もしかしなくても置いていかれたのか私。出掛けるんなら誰か一人くらい声をかけてくれればいいのに薄情なやつらめ!!
せっかく江戸時代にいるんだから、太夫の顔見世、私も見たかったなぁ…
あ、でも皆そのまま島原で呑んでくるんだろうな。
…いいさいいさ!どうせ私はお邪魔虫。
不貞腐れた態度を見て、目の前の隊士も置いていかれた私を不憫に思ったのだろう。「あの、これよかったら」と熱燗を一本くれた。そして私にとっては超朗報をもたらしてくれた。
「あ、でも斎藤さんは屯所に残ってるはずです。顔見世には興味がないと言っていましたから」
「え!?本当!?」
新年早々ついている。今年の私は宝くじに当たるほどの強運を持っているかもしれない。
まぁ、この時代に宝くじなんてねーんですけどね。
とにかくラッキーだ。だってはじめくんてばからかいがいのある可愛い子なんだもの。
今日の獲物は決まった。
私はそのまま隊士の隣で熱燗を何本か作り、猛ダッシュで被害者、もとい、はじめくんの部屋へと向かったのだった。
***
「はーじめくーん!」
部屋の前でリズムをつけながら呼んでみるも「はーあーいー」なんて可愛く返事が返ってくることはなく、かわりに少し間を置いてから「…なんだ」と愛想のない声が返ってきた。
まぁ、愛想のない返事だろうが無視されようが私には関係のないことだけどね。
「お邪魔します!」
元気よく襖を開ければ、はじめくんは手に刀を持ち、それを高く掲げていた。
キラリと鋭い光を放つそれに思わず身体が硬直する。
先日、角屋でもちらりと抜き身を見たけれど…こんなに間近できちんと見たのは高杉さんの刀以来。高杉さんの刀は綺麗だと感じたけれど、この目の前の男の刀は息をするのも忘れるほど鋭い殺気を放っていた。
「……あと油を塗って終わりだ。嫌なら背を向けていろ」
「あ…う、ん…大丈夫」
男は私の変わった気配を感じとったのだろう。刀の鋭い殺気とは違う、優しい声が私に届いた。
襖の近くにゆっくりと腰をおろし、徳利とおちょこののったお盆をそっと隣に置く。
ピリピリとした空気漂う部屋のなかを「カシャン」という音が走り抜けた。
先に一杯引っかけるのも話しかけるのもいけないような雰囲気に少し緊張してしまう。
刀は武士の魂だ、なんて言ってたからな、はじめくんてば。邪魔しちゃいけないよね。
なんだか視線のやり場に困った私は結局はじめくんの持つ刀をじっと見つめていた。
はじめくんの手によって油を塗られていくそれは、さらに輝きを増したようで反射した私の姿が写っているのがわかる。
そしてそれをいとおしそうに大切そうに扱うはじめくんは、とても優しい顔をしている。大切な"相棒"なんだろうな…と感じるほどだ。
思わずその一連の動作に見入っていれば、どれくらい時間がたったのだろう。はじめくんは今一度拭い紙で刀の油を均一にすると、鯉口に静かに切先を持っていき、一息にゆっくりと鞘の中に納め「カチャ」と鯉口を締める音を響かせた。
「待たせて悪かったな」
「あ…、ううん。私こそごめん、邪魔しちゃって」
素直にそう謝れば、はじめくんは「大丈夫だ」と笑った。が、その笑顔は私の膝元にある徳利とおちょこを見た瞬間、明らかに怪訝な顔へと変わる。
「……まさかここで酒を呑むつもりか?」
「そのまさかですがなにか」
私のなかなかの酒癖の悪さをよぉく知っているはじめくん。今日のターゲットが自分であると気付いたのか、深い溜め息なんぞをついている。「こんなことになるなら俺も島原へ行けばよかった」なんて言葉が聞こえてきたけどきっと空耳。
まぁ、はじめくんがぼやこうがそんなもん関係ねぇ。だって今日はお正月。昼間から酒を呑んだって誰も怒らないもの。
「ふふ、ちょうど呑みごろよ」とおちょこをはじめくんに手渡し徳利を差出せば、男は観念したように「少しだけだぞ」と大人しく酌を受けとったのだった。
***
はじめくんは決して口数が多い方ではない。酒の席だけに限らず、普段から一方的に喋る私に、はじめくんが適当に「ああ」だの「そうか」などと相槌を打っていた。
今日も最初はそうだったんだけど、そういえばはじめくんと二人きりで盃を交わすなんて初めてのこと。屯所で呑むときは必ず広間で誰かしらが集まってたからね。
ならばこれはチャンスなんじゃなかろうか。ええ。はじめくんのことを知る大チャンス。
「はじめくんってさ、恋人とかいるの?」
「ッッッ////!?」
私の女の子的な質問によほど驚いたのだろう。酒を口に含んでいたはじめくんは盛大にむせて真っ赤になってみせた。
「あ、あんたは急に何をっ/////!!」なんてこんな可愛いはじめくん。何これ、いつも頑張ってる私にご褒美ですかこれ。
「いや別に。ただいるのかなぁって。はじめくんかっこいいし可愛いし」
「か、可愛いなんて男に向かってあんたは…////」
あんたは…もごもごもご…/////なんてこいつは天性のクーデレキャラだ。あああ、可愛い。可愛いよはじめくん!!
「で?いるの?」
「い、や…今はいない…が」
「ふぅん?てか今はってことは昔はいたんだ?」
「あんたには関係のないことだろう」
あれれ?さっきまで照れてたと思ったら今度はちょっと怒ってらっしゃる?
視線を反らしおちょこを傾けるはじめくん。
その様子をじっと見据えていればちらりとこちらを見、諦めにも似たような溜め息を一つついた。
「……俺も男だからな。女の一人くらいいた」
「なんで別れたの?」
私のその言葉にはじめくんの動きが一瞬。一瞬だけ止まった。
少し踏み込みすぎたかなと思っても酒が入ってる私の口は止まることを知らない。
でもいいよね?私とはじめくんは一つ屋根の下で暮らす仲。少しぐらい過去を聞いたって。
…そんな簡単な気持ちで聞いた私が間違ってた。
人間、触れられたくない過去の一つや二つはあるはず。はじめくんの表情が変わった時、どうしてそれに気付かなかったのだろう。
はじめくんは一人、手酌をはじめると小さく口を開いた。
「俺が人を殺めたからだ」
その声は感情のない声で。
今度は私の動きが止まる番だった。
どうしよう。なんて返事をしよう。
酒に酔う頭を精一杯働かせた。
そんな私を知ってか知らずかはじめくんは言葉を続ける。
「とてもいい女だった。この女なら俺のすべてを受け入れてくれる。そう思っていたし、俺はその女と生涯を添い遂げるものだと信じて疑わなかった」
「………」
「だがそんな俺の思いはただの戯れ言に過ぎなかった」
「………はじめ、くん」
「餓鬼を助けようと…旗本を斬ったのがそもそもの間違いだった。女は俺に恐怖と蔑みを含んだ目を向け、そして去っていった」
「はじめくん」
「所詮、人斬りの居場所などどこにもない。愛を注いでくれる女などいない。俺はその時そう悟ったのだ」
「はじめくん!!」
考えるより先に身体が動いていた。
畳の上におちょこが転がり、ひっくり返った徳利は中身が流れだし、ゴロゴロとはじめくんの膝にぶつかった。
「もういい。もういいよはじめくん。泣かないで」
「……泣いているのは由香の方だろう」
「居場所ならっ…ここにあるじゃない……はじめくんには仲間がいるじゃない…」
震える手ではじめくんの身体を抱き締めた。抱き締めた、というよりかしがみついたと言った方が正しいだろう。手に触れた羽織をギュッと握れば、その手の上に綺麗な顔の割りには豆だらけのゴツい手が優しく重なった。
「…ああ、そうだな。由香、ありがとう」
もう何も言えなかった。
生まれた時代が違えども、過去に居場所がないと思っていたのは私だけではなかったのだ。そしてここ、新選組に居場所を見出だしたのも。
はじめくんの気持ちが痛いほどわかる。
一人という孤独感と戦ってきた彼の気持ちも。
わかるからこそあとからあとから涙が溢れ出てきた。
私がこの先、新選組と共に生きようと誓ったのと同じく、彼もまた新選組に身を捧げるつもりでいるのだろう。
もしかしたらここは…居場所を求める者達の最後の砦なのかもしれない。
「熱燗、作り直すか」
「うん!」
涙と鼻水で化粧がぐしゃぐしゃになった私の顔を見て、はじめくんは優しい笑顔を浮かべたのだった。
その後。
半ばやけ酒のように酒を呑んで酔っぱらった私の相手をすることになったはじめくんが「やはり島原へ行けばよかった」と再び嘆いたのはやっぱり空耳だったと思いたい。




