第六話 垣間見えた優しさ
「由香、明日お前も大坂行くか!?」
「は?おおさか?」
おおさかって大阪だろうか?
おばちゃん皆、虎柄の洋服を着てるっていう…
「えぇと芹沢さん…何しに行くんですか?」
「金子だよ」
「きんす…?」
「貧乏所帯にもほとほと困ったからな。大坂の豪商、鴻池善右衛門に金を借りに行くんだよ」
うすうす感付いてはいた。
春の日差しも暖かくなっていく一方なのに、壬生浪士組の皆はいつまでたっても綿の入った真冬に着るのであろう羽織袴を着ている。
しかもそれは皆ボロボロだ。
そう。皆、お金がなくて新しい服も買えないのだ。
この頃になると、八木さんの善意でお米は毎日食べれたものの、おかずは一品だけ。しかも大根の葉のお浸しだけという、悟りを開くにはもってこいな食事が膳に並ぶ日も少なくなかった。
まぁ私は居候させてもらってる身。
米粒ほどの文句も言えない立場なわけです、はい。
とにかく…
この時代に来てから、私はこの屯所を出たことがない。
地理を覚えてからじゃねぇと、街中には出さねぇ。勝手に出たらどうなるかわかってるんだろうな。あ?
…という歳さんの脅迫じみた言葉によって、私は屯所内だけでの生活を余儀なくされているのだ。
総司くんが屯所付近の地図を書いてくれたが、私が読めたのは「茶屋」という言葉だけで、それを隣で聞いていた左之さんは「さすがだな」と感心していた。
とにもかくにもこれは絶好の機会かもしれない。
「芹沢さん。おおさかには誰が行くんです?」
「俺だろ?野口に平間に平山。山南、永倉、原田に井上だ」
芹沢さんと二人きりだったら絶対に行かないと思っていたけど、そのメンバーなら大丈夫そうだ。
よし、行こう、おおさかに!!
「ちなみに聞きますけど、おおさかには何に乗って行くんですか?籠?舟?」
「……お前さん、人の話聞いてたか?」
芹沢さんが盛大な溜息をつくと、私の隣で新八さんがガハハッと笑った。
「由香ちゃんよ、籠や舟を借りる金があったらわざわざ大坂まで金を借りに行かねぇよ」
「え…?てことは……」
「歩きだァ。文句あっか」
私は即答で大坂行きを丁重にお断りしたのだった。
***
次の日。
「はい、これ。皆さんにお握り作ったんで食べてくださいね」
竹の葉に包んだお握りをそれぞれ手渡す。
「お!由香ちゃんが作ってくれたのか!」
「はい!」
「ありがとな」
「左之さん////!どういたしまして////!!」
「…なんか左之には態度が違くないか…」
新八さんの冷ややかな視線に笑ってごまかす。
ほら、私って素直だから。
「じゃあそろそろ出発するぞ!!」
「芹沢先生、お気をつけて」
「あぁ!近藤先生、留守は任せたぞ」
そう言って芹沢さんを先頭に、お金借り隊(命名、私)は朝早く、日が昇ると同時に大坂へと旅立って行った。
てゆーか、この時代の人の主な交通手段は歩きだ。
屯所から大坂までいったい何時間かかるのかわからないが、一駅歩いただけでも疲れる私にとってそれは拷問にも近いこと。
昔の人の足腰は強靭だったんだなぁ…と遠い目をしながら私は芹沢さん達の背中を見送っていた。
……あ。
新八さんのお握り、海苔巻くの忘れたかも。
***
さて。
午前中の洗濯やら掃除やらの雑用を終えた私は、例の総司くんが書いてくれた地図とにらめっこしていた。
…つーかさ?
地図を見てただけじゃいつまでたっても地理なんか覚えないんじゃないの?
……よし。
幸い歳さんは巡察で今いない。
この地図を見ながら、屯所の近くをくるりと散歩してこよう。
大丈夫!少しくらいならバレないバレない。
私は地図を片手に、そっと屯所を抜け出した。
………のが、ものの数時間ほど前だと思う。
私は今、フラフラと京の街中を歩いていた。
…はい、お約束ですよね。
野村由香、22歳にして初めての迷子です!きゃ////!!
…なんてふざけてる場合ではない。まじでどうしよう。つーかこういう時こそタイムスリップさせてほしい。そしたら数時間前の私を全力で止めるのに。
こんな時、漫画やドラマだったらきっと歳さんあたりが息を切らしながら探しにきてくれて…
「おい!由香っ!」
「と…歳さんっ!!」
「馬鹿野郎っ!!心配したんだぞ!!」
「ごめんなさい…」
「…説教は帰ってからだ。ほら…乗れよ」
「え…////?」
「疲れてんだろ。屯所までおぶってってやる。」
「そんな////!!わ、私、重いし////!!」
「ばーか。お前一人くれぇどうってことねぇよ。ほら、早くしろ」
「歳さん…////ありがとう////」
「…あぁ。」
「……歳さんの背中、あったかい…////」
…なーんちゃってなんちゃって////!!
などと妄想しながらニヤニヤして歩いていると、小さい子供と目が合い号泣されたのはなぜだろう。
しかしまずい。
いい加減、陽も傾きはじめてきた。
人通りもだんだん少なくなり、ますます屯所から遠ざかっているような気がする。
もうこれはそこらへんの誰かに屯所の場所を聞いたほうがいいだろう。
私は意を決して、そばにあったお店のドアを叩いた。
すると―…
「へぇ。どちら様どすか?」
と、中から物腰の柔らかそうな主人が顔を覗かせた。
よし、この人ならきっと親切に道を教えてくれるだろう。
「あ、あの…ちょっと道をお尋ねしたい…」
と、そこまで言って私の言葉は聞き覚えのある声に遮られた。
「ほぅ…いったいどこまでの道順だ?俺が教えてやろうじゃねぇか」
「!!!」
聞き覚えのあるその声。
ま、まさかと驚きながら店の中から聞こえた声の主を見るとそこには―…
「と…歳さん!!」
眉間にシワを寄せながらも笑顔の歳さんの姿があった。
「てめぇ…屯所で姿が見当たらねぇと思ったら…こんなとこで何してんだァ?」
「え、え~と…」
まずい、まずいよ。まさかこんなところで歳さんと出くわすなんて…!
これはもう説教確実。笑うしかない、とヘラヘラしていると、店の主人が歳さんに問い掛けた。
「…お侍様、こちらのお嬢さんが先程探しているとおっしゃったお嬢さんどすか?」
「/////!!」
「え…それって…」
な、なに?私の妄想通りだったっていうこと?
「余計なことは言わねぇでいい////!!」
真っ赤になった歳さんを見て、店の主人はクスクスと笑った。
「こないかいらしいお嬢さんがいい人なんて…うらやましいどすなぁ」
「かわいらしいなんてそんな////!!」
いやですよ、ご主人////!なんて言葉は即座に否定の言葉にかき消された。
「そんなんじゃねぇ。こいつは壬生浪士組預かりのもんだ」
「…壬生浪士組………お侍様、壬生の方でしたか。」
ん?
今、この人…
「いかにも。壬生浪士組副長、土方歳三だ」
「これはこれは…。これからもご贔屓に。よろしゅう頼んます」
主人はにこやかに笑うと、歳さんに向かって丁寧に頭を下げた。
…んだけど何かおかしい。最初に私に見せた笑顔と明らかに何かが変わった気がした。
「では桝屋。今後はこちらを壬生浪士組の贔屓にさせてもらう。よろしく頼むぞ」
「へぇ。有り難き幸せ」
……やっぱり。
作られた笑顔に違和感を覚えたが、歳さんはさほど気にしていないようだった。
「さて…と。お望み通り屯所までの道順を教えてやっか」
歳さんは主人から刀の鍔みたいのを受け取り、お金を払うと爽やかな笑顔を私に向けた。
ここで、歳さんには頼んでません、なんて言ったら私の命はあるのだろうか。
そんなこと思っても口にする勇気などなく、私は「よろしくお願いします…」とヘラリと笑ったのだった。
***
少し茜色に染まった空の下、歳さんと並んで歩きはじめる。肩が触れるか触れないかの微妙な距離になんだかドキドキしてしまう。
「…さっきのお店の主人…桝屋さんていうんですか?なんか笑顔が作りものって感じしませんでした?」
「…あぁ。京の奴らは壬生浪士組のことを嫌っているからな」
「え…なんで…」
「…まだお前にはわからねぇだろうな」
歳さんはそう呟くように言うと、空を見上げてふっと笑った。
……む。なんだか意味深な言い方……
んな言い方されると気になるんですが。
…しかし綺麗な横顔だ。
こりゃあ女がほうっておかないだろうな。
歳さんが未来で生きていれば、大方二枚目俳優かモデルってとこだろう。
「んなことより……てめぇ、俺の言い付けをすっかり忘れちまったみてぇだな」
ぐっ…!ここできた顔面凶器…!
今まで見とれていた顔がくるりと私の方を向き、鬼の表情に様変わりする。
「い、いえ、ほら、習うより慣れろみたいな、ね?」
「うめぇ逃げ方してんじゃねぇよ。……ったく。たまたま会えたからよかったものの…」
歳さんは溜息をつきながら足を止めると、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「…あんま心配かけんじゃねぇよ」
そう言った歳さんの顔も私の顔も…
赤く染まっていたのはきっと夕焼けのせいだろう。
そう思いながら私は一足先に歩き始めた歳さんの背中を追いかけたのだった。