第五十五話 菖蒲でありんす
「菖蒲でありんす。雪乃姐さんの名代で参りんした。どうぞ可愛がってくんなんし」
「入れ」
「失礼いたしんす」
新八さんのお気に入りである輪違屋、雪乃太夫に即席で叩き込まれた遊女の言葉と仕草を盛大に振る舞い、敷居を跨いだ。
目の前には一人の男。捕縛の対象である西条幸次郎がドカッと胡座をかいて座っている。案の定、大刀だけだが帯刀しているようだ。
人を品定めするように上から下まで眺めたあと、フンと笑って隣に座るよう目配せされた。
しゃなり、しゃなりと舞踊でも舞うように軽く摺り足で歩き、余裕だと言わんばかりにスッと男の隣に腰をおろしたんだけど…
…もうね、緊張のあまり口から心臓が飛び出そう。
ぶっちゃけ水商売の体験入店とかノリでやったことあったけど、そんなのこれと比べるとクソだったね!
なにこの独特の雰囲気。色めき立つ花街の雰囲気にガッツリ飲み込まれそうなんですが。
「新造にしては年増やな。それにでかいんなぁ」
「ま、ぬし様ったら失礼な。わっちじゃ不満でありんすか」
大坂訛りで笑う男に、教えられた通り着物の袖で口元を隠して笑う。もう片方の手で男の肩をポンと軽く叩けば「不満やないで」と腰を引き寄せられた。
これは想定内の範囲。顔が引き攣りそうになりながらも聖母マリアのような笑顔を浮かべていれば、襖がスッと開き、店の若い衆に化けた山崎くんがお膳を運んできた。
うまくやれよ、と言わんばかりの表情に小さく頷けば、彼は西条に軽く会釈をし再び襖に手をかけた。
が…
「おい、そこの」
思いがけない西条の言葉に山崎くんは肩をピクリとさせた。
「…なんでしょう」
「今日はもう雪乃はええ」
「…と言いますと?」
「今夜はこの菖蒲でええ言うとるんや」
西条の言葉に山崎くんも私も目が丸くなる。
え?え?なに?それってもしかして私にフォーリンラブ?
「ぬし様…、わっちに惚れたんでありんすか?」
「もっと早く菖蒲に会いたかったわ」
「ま。雪乃姐さんに怒られんすよ」
私のどこが気に入ったのか、西条はさらに腰を抱き密着した。
あああ、気持ち悪い。
山崎くんを見ればなんだか呆気に取られたような顔をして、そのまま静かに部屋を出ていった。
なんだい?私が気に入られたのがそんなに驚きだったかい?
彼はこのことをどうやって歳さんに報告するのかと思ったらちょっと鳥肌たったけど、高杉さんといいコイツといい、私ってばこの時代でなかなかイケてるんじゃねーの?なんてニヤニヤしたのもつかの間。
首筋にチクリと痛みが走った。
こ、の痛みは……
「菖蒲。わしが馴染みになってやろうか」
……やられた。キスマークだ。
こんな奴につけられるなんて…
さすがの私も笑顔が消えた。
「…ぬし様。ぬし様は雪乃姐さんの馴染みでありんしょう?わっちは今宵限りの馴染みで結構でありんす」
「馴染みなんぞ、金の力でどうにでもなるやろ」
「ふふ。ぬし様ったら、お侍様でござりんしょう?お侍様はそんな悪人のようなこと、言ってはいけんせんよ」
「ほう。遊女の分際でわしに楯突く気か」
「世の中には決まりというもんがございんす」
相手は帯刀している。
下手すりゃ斬られるだろうけど、どうしても許せなかった。
新選組の名を語って強請をしたこともそう。
廓の中のルールすら守れないこともそう。
軽く流せばよかったんだけど、それができなかった。
今一度西条を見据えれば、腰に当てられた手に力が入ったのがわかる。
恐怖で今にも逃げだしたくなったけど、そんなことはしたくない。
だって私は新選組鬼の副長の女だもの。
「……ふ…、ははははは!!!」
が、私の予想に反して意外にも西条は高らかに笑った。
ど、うした?なんにもおもしれーこと言ってねーぞ?
「お前のような気の強い遊女は初めてや!!ますます気に入ったで!!」
再び腰を抱かれ、今度は耳元で囁かれる。
「今夜限りの馴染みということは、もちろん床入りもええってわけやな」
いいわけねーだろ!!名代には手を出しちゃいけねーんだよ!
そう思ったけど、なんだか反論するのが馬鹿らしく思えた。きっとコイツには何を言っても無駄だ。
ムカつく。ムカつくけど、私が今一番するべきことは、相手の気を緩ませて捕縛しやすくすること。挑発するために遊女に扮したわけではない。
「…仕方ないでありんすね。今夜だけ…雪乃姐さんには内緒でありんすよ」
そう色目を使えば、男はニヤリと笑ったのだった。
***
どれくらいの時間がたっただろう。
目の前のお膳には空になった徳利が数本転がっている。
「菖蒲、可愛ええのう…もっとこっち寄れや…」
そして西条はこの調子。もうそろそろ頃合いだと思う。
…でも一つ。まだ気になることがある。
それは奴が帯刀したままだということ。
酒がまわってくれば自然と外すと思っていたんだけれど…
なにか後ろめたいことがあるのか、いつまでたっても刀を外すことはなかった。
こんな酔っぱらいが刀を抜いたところで、新選組の皆にとってはなんともないかもしれない。
でもきっと…酔っぱらった奴の太刀筋は読めないと思う。
それで誰かが怪我したら…
そう思うといつまでたっても襖の外にいるであろう皆に合図を送ることができなかった。
でも事態を動かせるのは私しかいないわけで…
こうなったらやるしかない。一か八か。
意を決して私は西条の胸元にしなだれかかった。
「ぬし様…、そろそろ……」
上目遣いで見上げれば、男の目に精気が宿ったのがわかる。
ここで一気に…!と、男の手を取り自分の胸に押し当てた。
「菖蒲ぇ」
鼻息荒い男の声とともに反転する視界。そのまま塞がれそうになる唇の前にそっと人差し指を置いた。
「ぬし様…、一つお願いが」
「なんや」
「…その腰にぶら下げてる物騒なもの。外してくれんせんか?ここは男と女が情に溺れる場所。必要ないでありんしょう」
これでもかってくらいに色目を使ってそう言えば、男は少し思案したのち「そうやな」と言って刀を外した。
胸に顔を埋める男の頭に手を添え、必死で刀を足でつつき、男の手の届かない場所へと移動させる。
襖の前まで刀が移動したのを確認した瞬間、頭際の壁を2回、思いきり殴った。
男は驚いた顔を見せたが、待ってましたとばかりに部屋になだれ込んできた新選組の皆。
「堀田摂津守家来、西条幸次郎!!新選組岩崎三郎の名を語っての強請の容疑にて捕縛する!手向かい致すは容赦なく斬り捨てん!!」
そう叫んだあとの歳さんと交わる視線。私と西条の状態を見て、瞬時に殺気満ち溢れた男のその顔を生涯忘れることはないでしょう。
***
「……なんや、意外にも簡単にすみんしたねぇ」
「てめぇ、その言葉遣いやめろ。あとすぐにその厚化粧落とせ」
あら。やはり怒ってらっしゃる。
ここで化粧を落とすのはさすがに無理だけど、ちょっとふざけるのはやめとくか。
そんなことを思いながら、総司くん達に連れ出される西条の後ろ姿を目で追った。
千鳥足でうつむきながら歩くその姿はものすげー情けなかった。どこの時代にもいるもんだ、こーゆーダメンズが。
西条幸次郎の捕縛は意外や意外。ものの数分でお縄となった。酒がまわってたのもそうだが、踏み込んできた新選組の人数にこりゃ敵わないと観念したのだろう。
それもそのはず。踏み込んできたのは歳さんをはじめ、総司くん達一番隊という新選組のエースだったわけだから。
たかが一人を捕縛するのにこんな大勢出動させることなんかないのに…と思ったが、おかげで血を見ることはなかったのだから結果オーライってところだろうか。
…いや、オーライじゃなかった。
「歳さん、もしかして怒ってます?」
「怒ってるかだなんて、んなわかりきったこと聞いてんじゃねぇぞ、コラ」
怖い!怖いんですけど本当に。
そして近い。胸ぐら掴まれそうな勢いなんですけど!
「酒呑ませて酔わせるだけだったんじゃねぇのか?あ?てめぇが押し倒されるなんざぁ、俺ぁ聞いてねぇぞ」
「だってアドリブですから」
「ああ?あどりぶだぁ?」
「とにかく誰も怪我しないでよかったじゃないですか」
多少はだけた胸元を直しニッコリと笑えば、力任せにグイッと引き寄せられた肩。
「……おい。首の痣。こりゃあなんだ?」
はっ!!す、すっかり忘れてた!!
ギギギ…と歳さんを見上げればもはやその顔には真っ黒な笑顔が浮かんでいた。
ひょえええ!!なんで笑顔!?しっかり青筋たってますけど!?むしろ怒ってくれたほうがいいのに!逆に怖いよ!!
ヘラリと笑って誤魔化せば、息つく間もなく首にチクリとした痛みが走る。いや、これはチクリじゃない…
強く吸われペロリと舐められれば身体中に電流が走った。
相手が好きな人だとこれくらいで感じてしまう私ってばどうなの。
「……今夜ヤラせろ」
あああ、もうこれ、鬼の副長でもなんでもないね!ただのわがままなバラガキの歳ちゃんだね!
ま、たまに見え隠れするこの歳ちゃんがたまらなく好きだったりもするんだけどね。なんて。
「…こんなことやらせちまって悪かったな」
突然、これでもかって抱きしめられた腕の中で男が呟く。さっきとはうってかわって申し訳なさそうなその声にドキリとした。
「お役に立ててよかったです」
そう言えば私の唇に男の熱いそれが重なったのだった。
西条幸次郎は当初、屯所にて斬首に処すはずだったのが、京都西町奉行所へ突き出してことは終わりました。
なんでも守護職の容保公が堀田摂津守の体裁を考え、奉行所に裁可を委ねたとかなんとか。
それが本当だったのかはわかりません。ただ単に面倒くさかったのかもしれないですしね。
この頃は芹沢の名残もあり、新選組=強請集団というイメージがまだ京の民にはあったようです。
少し遊里について補足します。
島原をはじめ、吉原などの遊里では刀は広間に入る手前にある『刀箪笥』というところに預けなくてはなりませんでした。
乱闘を防ぐためという理由が第一でしたが、遊里自体、浮世離れしたものと考えられていましたし、遊ぶために刀は要りませんよね。
しかし江戸も後期になると刀を預けない輩も出始めたそうです。それだけ治安があまりよくない時代へと変化していったんでしょうね。
新選組などは警備のためと称し、やはり帯刀したまま遊興していたそうです。
有名どころでは角屋の刀傷は新選組の誰かがつけたそうですね。柱に結構ざっくりいってます。
システムについてですが、遊里には遊女や芸妓を抱える『置屋』(芸能プロダクションのようなもの)。
料理を作り、場所を提供する『揚屋』。
料理も仕出屋などに頼み、場所を提供するだけの『茶屋』があったそうです。
揚屋と茶屋に登楼した客が芸妓や太夫を頼めば、馴染みの置屋に連絡してきてもらう。
そういう手筈だったようです。
輪違屋は置屋。角屋は揚屋で、遊女は輪違屋の者ですが、遊ぶ場所は輪違屋ではなく角屋ということです。
お話にも少し書きましたが、指名が被ってしまった時にだされる名代(いわゆる代打)には手を出してはいけなかったようです。
でもそのまま朝まで太夫が来なかったとしても、料金はキッチリ太夫の値段で払わなくてはいけなかったし、文句は言わない。それが『粋』とされました。
なんだか昔はゴチャゴチャとしたルールがあって面倒くさかったですね。
今なんてデリヘルやらホテヘルやらソープやら、お金払えば人道的ルール以外は自由に気持ち良くなれるのだから、現代の男は恵まれてるもんです。




