第五十一話 崩れない壁なんてない
「わりぃがちっと頼まれてくんねぇか」
ある日の午後。
ふいに歳さんが部屋を訪ねてきた。
聞けば急ぎの文をとある旅館にいる山崎くんに届けてほしいという。
少しでも仕事が忙しい歳さんの力になれればと二つ返事で「いいですよ」と答えた。
久しぶりに市中にも出られるし、帰りはあのお気に入りの小間物屋にでも寄ってこようか、なんて浮き足立ってみるけどそういや私、未だに一文無しだわ。
…うん。ならば冷やかし程度に。
化粧ポーチからファンデを取りだし、パタパタと叩く。
あれ、こんなところにニキビ…じゃなくて吹き出物。いつの間に…
そういや、二十歳過ぎたらニキビじゃなくて吹き出物って言うんだなんて言ってたのは誰だっけ。
それより…
高杉さんにバッタリ出くわしたりしないかなぁ~…いい加減、長州に帰ったのかもしれないけど。
惚れられた強味というのかなんというのか、ちょっとだけ高杉さんに会いたいなぁなんて思っちゃったりしてしまう。
でも駄目だ。高杉さんは既婚者。不倫は文化なんてほざいた芸能人いたけどダメ!絶対!でも押し倒されたら考えてやらねーこともないぜ?なんてな。
くだらないことを考えながら、若干ウキウキ気分で玄関へと向かう。鼻歌なんぞ歌ってみたりして。
高杉さんに出くわした時のことを考えて、念入りに化粧をしてしまった私ってばなんて罪な女。ウフフ…
「準備できたか?んじゃ行くぞ」
「………」
が、そのウキウキ気分も目の前の光景に一気に崩れさった。
だって、向かった玄関先に私を待っていたのは…
「……左之さんも…一緒、ですか?」
「ああ。旅館へ女一人で出入りするのもかえって怪しいしな。それに旅館は長州藩邸の近くだ。土方さんも心配してんだろ」
「あ…そうですか…」
…あの男。旅館の女一人の出入りうんぬんより、ぜってー高杉さんに出くわすことの方が心配なんだろ。
鬼のようなヤキモチ妬きめ!全然可愛くねーぞ!!……なんてな。
ああ、やられた。
「…なんだ?俺と一緒じゃ不満か?」
「…いえ。男のくせに心配性だなと」
「そんだけ由香のこと大事に思ってんだろ。きっともう逃げらんねぇぞ?」
「はは…んじゃ行きますか」
………私ってば大した女優。
歳さんのヤキモチ妬きに表面上はイラッしたふりをしたんだけれど。いや、ぶっちゃけ少ししたけどね。
…あの男が何を考えてるか。
何故、お供に左之さんを選んだのか。
すぐにピンときた。
歳さんはヤキモチ妬きでもあるけれど、遠回しな世話焼きでもあるのだ。
…こりゃ、歳さんに一つ借りができたかな。
しかし道中、私にどうしろと言うんだ。
*
「なんだか由香と話すのも久しぶりだな」
「そうです、ね」
…楠くんが斬られた日以来ですかね。
思わずその言葉が口をつきそうになり、左之さんに見えないように唇をグッと噛み締めた。
「由香にはすっかり嫌われちまったからな」
「そんなことありませんよ」
作った笑顔を貼り付ければ、左之さんはそれを見抜いたのかもしれない。少し寂しそうに笑った。
本当に左之さんのこと嫌いになったわけではない。
ただ…私が屯所を飛び出したあの日。
命令を下したのは歳さんだけど、直接楠くんのことを斬ったのは左之さんだ。だからどうしても左之さんとの間に壁を作ってしまう自分がいた。
正直…左之さんだけではない。どことなく血の臭いを漂わせる新選組の皆と顔を合わせたくない日もやっぱりある。そんなときはスッと部屋に帰るという術を身に付けた私だけど、歳さんはそんな私に気付いてたみたいだった。
左之が気にくわねぇか。
そう言われたのが数日前。
そんなこと。むしろ一回くらい抱かれてもいいですけどね。なんて笑って誤魔化したけど、そんな戯言は歳さんには通用しなかったんだろうな。さすが鬼の副長だけはあるぜ。侮ってたわ。
「…左之さん?」
「ん?」
「左之さんのこと、本当に嫌いになったわけじゃないんです」
「………」
「皆の志も、以前よりは理解したつもりです」
「…そうか」
道行く人々の喧騒が二人の間を駆け抜ける。
チラリと見上げた左之さんは、真剣な表情で真っ直ぐと前を見据えていた。
…すべてを言わずとも、私の気持ちは左之さんに伝わったと思う。
彼も聡い人だから。
うつむき、足元にあった小さな石ころを蹴飛ばす。
石はコロコロと転がり、やがて動きを止めた。
「無駄にはしねぇよ」
「え?」
「あいつの死を」
「………」
「忘れねぇよ、あいつのことは」
いつもよりもだいぶ小さな少し掠れたその声にハッとした。
…忘れてた。
楠くんが左之さんのことを兄のように慕っていたことを。
左之さんが楠くんのことを弟のように可愛がっていたことを。
そんな彼が楠くんを斬ったことをなんとも思ってないはずがない。
……辛くないはずがない。
どうして、どうして今まで気付かなかったんだろう。
仲間だと。信用できる仲間だと思ってた人に裏切られた気持ち。そしてその人を斬らなくてはいけない気持ち…
自分の正義論と倫理観を勝手に押し付けた上に、何もわかっていない…皆の気持ちをわかってなかったのは私の方だった。
左之さんだけではない。
仲間内の些細な喧嘩は日常茶飯事な新選組だけれど、背中を預けあう仲間同士。
仲間を思いあう気持ちは、仲間を信用しあう気持ちはすごく強いはずだ。
思わず顔を上げれば、左之さんは眉をスッカリ下げて再び寂しそうに笑っていた。
もう仲間内の粛清はこりごりだ。
彼はその寂しそうな笑顔を浮かべたまま確かにそう口にした。
足を止めた私を横目にそのまま前へと歩き出す。
その背中は今にも泣き出しそうに見える。
「…由香?」
勝手に足がその背中を追った。
勝手に腕がその彼の背中を抱きしめた。
でもそのあとの言葉が続かない。
ぎゅっと力を込めれば、左之さんは身体に回された私の腕をポンポンと軽く叩いた。
「ありがとな」
「…ううん、ごめんなさい」
謝りながら自分が情けなくて涙がでた。
左之さんはきっと私の気持ちを最初から見抜いていた。
見抜いていたけど、それを否定することも咎めることもしなかった。
すっげー懐のでっかい人だよ。
何故楠くんがたくさんいる隊士の中で左之さんを兄のように慕っていたのか。その理由がわかった気がした。
***
山崎くんに文を渡す仕事は左之さんのおかげでさっさと終わった。
当の山崎くんは突然私と左之さんが現れたことにすっげーびびってたけど。
だって…、だってね?旅館ってただの旅館じゃなくてね、きゃっきゃうふふな宿だったわけよ。
要はデリヘルのよーな飯盛女を付けてくれる宿。
私と左之さんがザッキーの部屋の襖をスッと開けたらさ、彼ってば飯盛女サンとそりゃあイチャコラしてたわけで。一瞬、時代もののAVの撮影かい!?と固まったぜ。
ま、そんなこと言いながらも結合部を凝視してしまったことは内緒だ。よし、今日は歳さんに抱いてもらおうと思ったことはもっと内緒だ。
左之さんはそんなのおかまいなしと言わんばかりにずけずけと部屋に入り込んで「これ」と文を手渡してた。
なんかいろいろな意味で左之さんに惚れるかと思ってしまった1日でした。はい。
***
「腹へったな。なんか食ってくか?」
「え、いいんですか!?」
「ああ」
どうしよっかなぁと左之さんに腕を絡める。
おっと、私ってばさっきのAVもどきに影響されたのか、ちょっと大胆。
左之さんは少し驚いてたけど、そこは天性のプレイボーイ。なんなら茶屋でも行くか?なんて戯れ言が返ってきた。
この男、相当なヤリ手と見た。
「うーんと、じゃあそこいらで一杯ひっかけましょ」
「お前なぁ…女なら甘味屋で団子とか……ま、いっか」
「やったー!!酒!酒!」
「土方さんに怒られても俺は知らねぇからな~」
たった数時間。
少し踏みいって話しただけで、私と左之さんの間にあった壁はすんなりと崩れ落ちた。
それにまた一つ、新選組の中で生きていく者としての心構えと覚悟を知った気がした。
こうなることをわかってて歳さんは私と左之さんを二人で出掛けさせたんだと思う。
じゃなければあのヤキモチ妬きの歳さんが、イケメン好きの私とイケメンの左之さんを二人で出掛けさせるなんてことしないだろう。
してやられたり。
ま、へべれけになるまで酔っぱらった挙げ句、肩を組み合いながら帰宅した私達を見て、青筋たてながら眉間のシワを3倍増しにしたのもまた私の惚れた男なんだけどね。
その夜はきゃっきゃうふふどころか失神しそうになるほどガンガンに攻められた…とか、やっぱヤキモチ妬きな餓鬼なんだな、とそのギャップに萌えた私はもう救いようのないほどアホなのかもしれない。
それから間もなく屯所に戻ってきた山崎くんには、暫く目も合わせてもらえなかった。




