第四十九話 女に二言はない
……
………
…………
高杉、さん……
…彼のそばにいれば毎日楽しくて。
深い深い真っ直ぐな愛を注いでもらいながらきっと幸せで。
奥さんもお妾さんもいるけど、きっときっと笑顔が絶えない日々を過ごせるんだと思う。
でも…
でもね、私がそばにいたいのは…
共に生きて、隣で生きざまを見たいのは……
「ごめんなさい。私、高杉さんの隣にはいれない」
「……由香」
「私…私ね、歳さんの隣にいたいの。隣で彼の生きざまを見ていたい」
歳さんの隣にいたい。
煙たがられてもいい。冷たくされたっていい。
それでも歳さんのそばにいたい。
その思いがあとからあとから溢れてくる。
もう迷わない。もう逃げない。
女に二言はない。
きっと少し前の私だったら高杉さんについていってた。
心の隅で歳さんのことを思いながら…
後悔しながら高杉さんと共に生きた。
でももう私は逃げない。
強くありたい。
逃げ出さず、向き合うことが本当の強さだと私は思うから。
「それで…いいのか?」
「はい。高杉さん、お世話になりました!」
ありったけの感謝の気持ちをこめて笑顔で頭を下げれば、高杉さんは困ったように笑った。
「そんな曇りの無い笑顔を見せられちゃあ、これ以上言っても無駄ってわけだな」
「ごめんなさい」
「よし!わかった!!俺様を振ったこと、後悔させてやるくらいでかい男になってやる!!」
「でも高杉さん、これから牢獄でしょ?」
「くっ…!!」
屯所から逃げ出したあの日から数日。
たった数日だったけど、私なりに色々考えることができた。
武士とは。志とは。生きざまとは。
そしてこの時代で生きていく覚悟もできた。
目をそらしちゃいけない。
私達の未来のために戦っている人達から。
見届けなくちゃいけない。
この時代の人達の"生きざま"を。
「高杉さん」
「…!!」
ぎゅっとその身体を抱きしめる。
高杉さんは驚いたように息を止めた。
「絶対に…死なないでくださいね」
これから敵になろうが、高杉さんには絶対に死んでほしくない。
彼は私の恩人だもの。
「生きろ!高杉晋作!!」
すっげークサイことしてるわ…
冷静なもう一人の私が驚いたけど、身体が勝手に動いていた。
生きてほしい。
照れ隠しに高杉さんの背中をバシバシと叩けば、高杉さんは咳き込みながらもニカッと笑った。
「俺は死なん!!お前も…生きろよ、由香!!」
やっぱり無理矢理組み敷いておくべきだったな!!
そんな戯れ言を言いながら人のケツを撫でた高杉さんに一発ビンタをくらわせて、私は笑顔で長州藩邸をあとにした。
前に進むために。
***
高杉さんに書いてもらった地図を手に屯所への道をゆっくり、ゆっくり歩く。
つーか…
どんな顔して戻りゃいいんだ…
…新選組の皆がしたことをスッポリ受け入れたわけではない。もしまた同じような事に遭遇すれば非難しない自信はない。
でも、それでも皆のそばにいるって決めたんだ!
よーし、もう逃げねーぞ!!
ただいま!!って元気に言ってやろーじゃねーか!!
大丈夫!私にならできるサ!!
………なんて思ってたのがほんの数時間前。
今現在、屯所のそばでうろうろしている私はまわりから見たら完璧不審者です。
ど、どうしよ…
ただいま!!なんて言えるわけねーよ!
なんか門番の人も新入りなのか見たこともない人だし、それこそ連行されちゃうっつーの!
ああもう、本当にどうしたらいいの!
なんかもう、段々薄暗くなってきたし肌寒いし、考えてみれば私、新選組隊士じゃないし、ただいま!!なんて言うのはおかしんじゃないの?そもそも私の存在を皆は覚えてるのだろうか。タイムスリップなんかさせられちゃうこのご時世。皆の記憶を操ることなんか容易いんじゃないの?ねぇ神様、それだけはやめてね?ね!?そんなことしたら私、祟ってやる!
『ただいま!!』『くせ者!!』バッサリ!なんてオチ、やだからね!?
そんなことを考えていれば、後方から人の気配。
バッと振り返って目を凝らせばなんつータイミングなのか、総司くん達一番隊の姿。隊服を着てるということはきっと巡察の帰りなんだ。
こりゃヤバイ!非常にヤバイ!
向こうはまだ私に気付いてないみたいだ。
今すぐ全力で逃げればきっと気付かれない!
私の前方には人影なし!よし、逃げよう!
着物の裾を膝までまくり、私は風のように駆け抜けた。
速い!速いぞ私!これなら逃げ切れ…
――ドンッ!!
「ぶっ!!!」
屯所の前を走り抜けようとした瞬間、コントなんじゃねーかっていうくらいバッチリなタイミングで巡察に向かう隊士が出てきた。
案の定、思いっきりぶつかってしまった私。
「いててて…」
「おい、大丈夫か」
……!!!
…多少のお約束には目を瞑るよ?
瞑るけど、ここまでお約束通りにすることないじゃん……
聞いたことのあるその低い声に…
…聞きたかった大好きなその声に……
目の前が一瞬にして霞んだ。
頬を伝わる涙。
貴方の元を逃げ出したあの日も同じように頬を涙が伝っていた。
…けど違う。
同じ涙でもこの涙は……
「…由香!?」
聞きたかった貴方の声が私の名前を呼ぶ。
涙でぐちゃぐちゃな顔をそっとあげれば、驚いている愛しい男の姿。
逢いたかった
貴方にずっと逢いたかった
「そ、ばに…歳さんのそばにいたい……」
息ができなくなるほど…
きつく抱きしめられた男の腕に私はしがみつきながらワンワン泣いた。
***
……ええと…
さっきまでのドラマみたいな雰囲気はどこへやら。
今私は歳さんのお部屋で正座しながら、鬼の副長と対峙しております。
山崎くんが気をきかせて持ってきてくれたお茶をすすりながらチラリと歳さんを見れば、その表情は険しいものだった。
怒っているのだろうか。
それとも…邪魔者が舞い戻ってきやがって、と困っているのだろうか。
真意はよめない。
「おめぇ…この数日、どこにいたんだ」
聞かれると思っていた。
でも隠し事はしない。すべてを話そうと決めていた。
「長州藩邸にいました」
「なに…!?」
「私が浪士達に襲われそうになってたのを、長州の高杉さんという人が助けてくれて…そのままお世話になってました」
「長州の高杉……奇兵隊の奴か」
「はい」
そのまま私はすべてを話した。
高杉さんが毎日市中に連れ出してくれたこと。
私が新選組にお世話になっていたことを話してもその態度を変えることなく世話してくれたこと。
そして桂さんに会ったことも。
さすがにキスされたことと長州へ来ないかと言われたことは黙っていたけれど。
「高杉さんは歳さんを庇っていました。自分の正義を、日本を守ろうと必死なんだって。己を殺してでも必死に戦う。それが武士の生きざまだって」
「………」
「歳さん。一度皆を罵って逃げ出した私ですけど……その生きざまをそばで見ていたいんです………貴方の隣にいたいんです」
そう言えば歳さんは持っていた煙菅を一度深く吸うと灰吹きに打ち付け、私をじっと見据えた。
……鬼の眼は何一つ変わっていない。
けど、これが私が愛した男なんだもの。もう逃げない。
「おめぇ、それは本気で言ってんのか」
「本気、です」
少しの間が私達の間を駆け抜ける。
「…俺ぁ、守っていかなきゃいけねぇもんがたくさんある。自分自身の正義はもちろん、新選組や近藤さん…総司達、平隊士達だってそうだ。だがな、由香」
「………」
「……俺が誰よりてめぇの手で守りたいのは由香、おめぇだけだ」
「歳…」
声が…出なかった。
予想外の貴方のその言葉に。
ボー然とする私に再び男の腕が回された。
伝わってくる男の鼓動。
伝わってくる大好きな貴方のぬくもり。
「…もう二度と離さねぇからな。覚悟しとけ」
囁かれるように耳元に落とされたその言葉は、貴方のぬくもりと優しさといっしょに胸の奥にスッと入り込んできた。
重なった唇に互いを求め、私は再び歳さんの愛に包まれたのであった。
動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し
そうたとえられたのは高杉晋作他ならない彼です。
私は高杉晋作が大好きです。その短い生涯をまさに疾風の如く駆け抜け、日本の礎を作った彼。明治の日の出を見ることなく亡くなった彼ですが、その生きざまに魅了されてやまない人はたくさんいると思います。
史実ではもう少しあとに彼は脱藩し、京で桂小五郎、中岡慎太郎らを訪ね、長州に帰ったのち野山獄へ投獄されます。彼は3ヶ月近くを野山獄で過ごし、同じ年の12月。かの有名な功山寺決起を起こすのです。
「長州男児の肝っ玉、お目にかけましょう!!」
たった数人で決起した晋作は、長州を統一させるのです。
スゲーですね!すげーカッコいいですね!!!
彼は労咳に倒れるわけですが、もし彼が生きていたらもっと違った明治になったのでは、と思って止みません。




