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第四十八話 ある男との再会



「君は……」


突然の再会に、思わず開いた口が塞がらなかった。

この時の私の顔はものすごく不細工だっただろうと自信を持って言える。


もはや当たり前となった毎朝の高杉さんの突撃に備え、いつものように早起きして待ち構えていたところ…

いつも聞こえるダダダダ…!という足音の前に、音もなくスッと襖が開いた。

今度こそ幽霊かと思い、驚いてそちらを振り返ればそこには見たことのある顔。

ぞくりとするような綺麗な笑顔。そしてイケメンっぷりを忘れるはずがない。


やはり彼は長州の人だった。


「広戸、さん……」

「……ええと…君は確か由香さん、だったかな?」

「はい。お久しぶりです」


向けられた笑顔が殺気を含んだ作り物であると鈍い私でもすぐわかる。

広戸さんは静かに襖を閉めた。

ピリピリとした張りつめた空気が部屋中を包む。


「…楠が……どうもお世話になりました」


ニコリと笑った広戸さんの冷たい笑顔に思わず背筋が凍り付いた。


これは…

斬られるかもしれない


部屋の張りつめた空気がパチンと弾けた気がしたその瞬間――

広戸さんの後ろの襖が、スパン!!と勢いよく開いた。


「小五郎!!」


聞き慣れた高杉さんの声で緊張の糸が切れたのか、私はヘタリとその場に座り込んだ。

もし高杉さんが来なかったら、私は絶対に斬り捨てられていただろう。

この男の殺気は迷いのないものだったもの。


「おい、由香!!大丈夫か!?」

「大丈夫、です。少し驚いただけで」

「…晋作。これはいったいどういうことだい?なぜ新選組のお嬢さんがここにいる?そもそも晋作。なぜお前が京にいるんだ」


先程となんら変わりない笑顔を浮かべたまま、広戸さんは高杉さんに詰め寄った。

すげー殺気だ。なんだこの男。こいつは味方にもこんな笑顔を向けるのか。

さすがの高杉さんも「はは…、いや、これには色々理由があってだな…」なんて、腰が引けまくっている。

このやり取りを見る限り、二人の力関係はまるわかりだ。

つーか、破天荒高杉さんをここまでビビらせる広戸さんは一体何者なんだろう。ただの間者ではないことは確かだ。


「きちんと説明してくれるかい?総督殿」


目の奥が全然笑っていない桂さんに、高杉さんは愛想笑いを浮かべながら事の顛末を話し出した。





***




「御倉、荒木田、楠の三名が斬られました!」


そう報告を受け、こちらに捜査の手が及ぶ前にと私はすぐさま長州へと下京した。

しかし下京した先で耳にした「晋作がまた脱藩した」との話。

慌てて戻ってきてみれば、門番が口を滑らせた「カシラが新しい妾を連れてきた」との言葉。


…この長州動乱の時期に、頼みの晋作はいったい何を考えているんだ!

どうせ妾と朝寝でもしているのだろうと藩士から聞き出した部屋に来てみれば、そこにはなんと新選組近藤の遠縁にあたるお嬢さんの姿。

さすがの私も想像の斜め上をいくこの事態に驚きを隠せなかった。

そしてそれは彼女も同じようだった。


「広戸、さん……」


声が震えていた。

仇討ちは好まないし、するつもりもなかった。私にそんな義理はないからだ。

だが、少々やりすぎたか。わずかばかりの殺気を放ったつもりだったが、彼女はそれをしっかりと感じ取ってしまったようだ。

晋作が張りつめた空気を断ち切ってくれて正直ありがたかったかな。

…あのままだと私はあとに引けなくなっていたかもしれないからね。


彼女から注がれる痛いくらいの視線を感じながら、私は晋作の慌てふためきながらの言い訳に耳を傾けたのだった。



***



「……というわけで、由香は俺の妾になったわけだ!」

「なってません!!この浮気者!!」

「ははは!!照れるな!口吸いを交わした仲だろう!!」

「馬鹿////!!あんなの交わしたなんて言えないっつーの////!!」


高杉さんはご丁寧に私が未来から来たことはもちろん、歳さんと男女の関係があったことまですべてを広戸さんに話した。

高杉さんをポカポカと殴る隣でボー然としている広戸さん。


「…馬鹿な。その話を信じろとでも言うのかい?」


広戸さんの反応は正しいと思う。信じてくれた新選組の皆や、高杉さんの方が少しおかしかったのかもしれない。


「私は信じられないし、信じてやる必要もない。晋作。彼女は新選組の間者だと捉えるのが当たり前なのではないかい?」

「小五郎!だからお前は頭が固いと…」

「今はそういう話をしているのではない。第一、なぜ長州藩邸にいる?別にここでなくても遊廓あたりに身を沈めればいいだろう?うちが彼女の身の回りの世話をする義理などまったくないはずだ」


広戸さんの言うことは筋が通りすぎていて、私はもちろん、高杉さんも反論することができなかった。

そう、だよね。広戸さんだけじゃない。他の長州の人にだってそう思われることは間違いないだろう。


思わず唇を噛み締めれば、広戸さんは笑みを浮かべたまま私を見据え、そっと口を開いた。


「由香さん。君はさっさと新選組の元へ帰りなさい。でなければ……私が彼等の仇討ちをしてもいいんだよ?」

「…!!」


それはとてもとても冷たい声で。感情がまったくない声だった。

人ってこんなにも感情を"無"にできるんだ。

そう思ったと同時に、広戸さんから静かな殺気を感じた。

歳さんの殺気が"激"だとすれば、広戸さんの殺気は完璧な"静"だ。だけど鋭さが潜んでいて、その殺気だけで倒れそうになる。


「…おい、小五郎。仇討ちとはどういうことだ?」


間者のことを何も知らないと言っていた高杉さんが広戸さんに詰め寄る。けれど、広戸さんは私を見据えたまま口を開かない。



……広戸さんと楠くんはただの同僚という感じではなかった。

高杉さんは長州でもトップの人だ。

そんな上の立場の高杉さんに、広戸さんは同等に…いや、それ以上に……


…もしかして

もしかして広戸さんが………



「…広戸さん。もしかしてあなたが…あなたが楠くんを間者として新選組に送りこんだ張本人、ですか? 」

「……ふふ、なかなか勘が鋭い娘さんだね」

「じゃあ…、やっぱり…」

「その通り。楠だけではない。御倉も荒木田もすべて私の差し金だ。それと…せっかくだから教えてあげよう。私の名は京浪士広戸孝助ではない。長州藩士桂小五郎だ」


桂、小五郎…

この人が黒幕…

楠くんを…

死に追いやった張本人…



「おい!小五郎!!間者とはなんのこと…」

「桂さん!!」


高杉さんの言葉を遮って、自分でも驚くくらい大きな声がでた。


「…楠くんは死にました。あなたにいいように使われてね。あんな無垢な子に…」


ふわりと笑った彼の笑みは何の穢れもない、ただの純粋な少年の笑顔だった。

その少年の笑顔に私は救われた。

私は一人じゃないと。

泣きたい時は泣いてもいいんだと。

……彼がいたから。


そんな彼がなぜ間者をやらなければならなかったのか。

結局彼は大人にいいように使われた"コマ"でしかならない。


「いい大人が恥ずかしくないんですか?」

「…何が?」


思わず身を固くした。

桂さんは私の言葉に顔色を変えるどころか、眉一つ動かさない。

笑顔の瞳の奥は冷たいままだ。


「彼は立派な大人だった。立派な武士だった。彼は自分から間者の道を選び、彼の志をまっとうするために死んだ。それの何がおかしい?」

「……死んだら…死んだら何もかも終わりなんです!」

「それでも彼は長州のためによくやってくれた。彼にとってもそれは本望だったんじゃないかな」


本、望…


返す言葉が見つからなかった。

私の常識はこの時代では通用しない。

死んだら何もかも終わり。それは高杉さんも言っていた。けれど楠くんが長州のためにと己を犠牲にすることが本望だと思っていたら…


武士もそれぞれいろんな考えの人や立場のがいる。己の身を以て志を成し遂げる人がいてもおかしくないのかもしれない。


「戯れ言に付き合う暇はない。さっさとここを出ていきたまえ。では」

「待て!小五郎!!」


最後まで殺気を弱めることなく桂さんは部屋を出ていった。



***



「由香!悪かった!!」


しばらくして、桂さんを追って部屋を出ていった高杉さんが戻ってくるなり頭を下げた。


「なんで高杉さんが謝るんですか。何も悪いことしてないじゃないですか」

「間者のことだ。まさか小五郎が動いていたとは知らなかった」

「………」


間者として使命をまっとうしたことが彼の生きざまだとすれば、彼がなぜ最期の時をいつもと変わらない笑顔で迎えたのかも少しわかる気がする。

これも"時代"。

その一言で片付けてしまうのはあまりにも簡単すぎてしまう気もするけど。

楠くんの本意がどうだったかはもう誰もわからない。


「いえ……桂さんの言うことは正しいです。楠くん自身がその道を選んだんだから、私は何も言うことはありません。それが彼にとっての生きざまだったんだから」


このまま私、屯所に帰ります。

そう続けようとした瞬間、


「…由香!」


私の身体はきつく高杉さんに抱きしめられていた。

突然のことに抵抗すらできない。


「俺と…長州へ来ないか」


高杉さんはそう私の耳元で小さく、でもはっきりとそう言った。


「俺の生きざまをそばで見ていてくれ」


見つめられたその瞳は凛とした強さを放っていて。

思わずその真剣さに目が捕らわれた。



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