第四十六話 そしてそれは突然に
――スパンッ!!
「お!今日は起きてたか!!珍しいな!!」
「毎朝毎朝突撃されたんじゃ、自然と早起き出来るようになりますって」
「残念だな!いつかこっそり組敷こうと思ってたんだが!」
「高杉さん。人はそれを犯罪と言います」
ここ、長州藩邸にお世話になるようになってから、高杉さんはほぼ毎日私を外に連れ出した。
やれ市中で買い物だ!やれ紅葉を見に行くぞ!夜は毎日晩酌に付き合い、藩邸でゆっくり過ごすというのは一度もなかった。
高杉さん曰く、牢獄に入る前の景気付けらしい。
幸いなことに新撰組の皆に遭遇することもなかった。
毎日疲れきってしまうおかげで余計なことを考えずにすんだし、すんなりと眠りに入れるようにもなった。
ああ、でも本当は駄目なんだ、これからのこと考えないと。いずれ高杉さんは長州へ帰ってしまう。
あ、ちなみに私としては珍しく、四六時中一緒にいるわりには男女の一線は越えてません。高杉さんは破天荒だけど意外にもそこら辺は真面目のようだ。まぁ、お妾さんがいる時点で真面目とは言えないのかもしれないけど。少なくとも私に対しては思ったりより真摯だ。
「今日もどこかにお出かけですか」
「もちろんだ!今日はちょっと寄り道するが、伏見のうまいと評判の丼屋に行くぞ!」
「ふぅん?」
*
朝ごはんを食べていつものように市中へと繰り出す。
高杉さんといると話題が尽きない。
未来の話はもちろん、長州の話から下ネタまでなんでも話した。
高杉さんは未来の世の中がどうなってるのかは身を乗り出して聞いてきたけど、政に関することは一切聞いてこなかった。
未来の世が平和ならそれでいい。俺様が幕府を滅ぼすのは間違いないからと。私は否定も肯定もしなかったし、自らその類の話をすることもしなかった。ま、聞かれたとしても詳しく答えることはできないもんね。だって私ってば歴史音痴。
「ほう!それは未来の吉原みたいなもんか!」
「まぁ、挿れることはできないですけどね。でもおっぱいは揉み放題ですよ」
「天国だな!そのおっぱいぱぶってのは!!」
ええ。こんな話ばかりですがなにか?
***
くだらない話に花を咲かせて歩いていれば、ふと変な感覚に襲われた。
あ、れ…?なんかこの場所、見たことある気がする…
総司くんと市中で甘味を食べるのも屯所の近くの甘味屋。買わないけどいつも行く小間物屋も屯所の近く。
私がうろついてもいい市中は屯所の近くだけだった。
高杉さんにつれ回されていた場所は初めて行く場所ばかりだったから、長州藩邸は屯所の近くではないはず。
なのに今歩いているここの風景は見たことがある。
…デジャヴってやつか?
まぁ、市中は碁盤の目になってるからどこもかしこも似たような風景なんだけど。
気のせいかな?
そう思ったのも束の間。
高杉さんが「ここに寄り道だ!」と、立ち止まった店を見て思わず息を飲んだ。
この店は来たことがある――
この時代にきて間もなくの頃。
勝手に屯所を抜け出し、迷子になった私が助けを求めようとした店。
店の中に入ればそこには私を探してくれていた歳さんがいた。
この店の主人は私が新選組でお世話になっていたのを知っている。しかも新選組が贔屓にすると言っていた気がする。
主人は私のことは忘れているかもしれないけれど、店の中には新選組の誰かがいるかもしれない。
「…あ、の」
「ん?どうした!?」
「私…、外で待ってます」
「…どうした急に」
「いえ…」
「ここは俺の知り合いの店だ!お前を紹介してやる!主人もお前の好きないけめんだぞ!!まぁ、俺様には劣るがな!」
知り合いなんてますますまずい!!
もし主人が私を覚えてたら…
「いや、私、あっちの店が見たいなぁ、なんて…」
「ほら!行くぞ!!」
そこは空気がまったく読めない高杉さん。
反対方向に歩きだした私の腕を掴むと、そのまま店の引き戸を開け「おい、俺だ!!」と叫んだ。
幸い薄暗い店の中には誰もいなかった。
ホッとしたのも束の間。
店の奥から主人がひょいと顔をだし、こちらへとやってくる。
どうか私のことを覚えていませんように…!!
ここはもう神頼みしかない。
「なんや…騒がしいなぁ思うたらあんさんどすか」
「なんだその言いぐさは!脱藩してまでお前に会いにきてやったんだぞ!!」
「…あんさん、また脱藩したんどすか。懲りないお方どすなぁ」
「うるさい!」
二人は仲がいいのか、笑顔を交えながら話だす。
あああ、もうこのまま私を空気の存在にしておいてください。
「ほんで、今日はどないしたんどす?」
「おお、そうだった!伏見に行くついでにお前に俺の新しい妾を紹介してやろうと思ってな!」
「ちょ…!!誰がいつ妾になったんですか!!……あ」
…高杉さんの予想外の言葉に思わず声を大にして否定の言葉を発してしまった……
「照れるな!!」と、私の肩をバシバシ叩く高杉さんを横目に、主人が「へぇ?えらい威勢がええどすなぁ」と私の顔を覗きこんだ。
「………」
「……こりゃまたかいらしいお嬢さんや」
「ど、どうも…」
「俺の古くからの知り合い、古高俊太郎だ!!」
「その名は捨てはりました。桝屋喜右衛門どす」
「野村由香、です…」
「由香はん、どすか。顔も名前もかいらしい人や。高杉はんの妾なんかやめて、どうどすか?わてのもんになりまへんか?」
「え/////」
「おい!お前なに言ってんだ!由香も顔を赤らめるな!!」
なななななんだこの人の妖艶さは!!!
思わず「はい」と即答しそうになったじゃないか!!隣でわめく高杉さんをよそに、つい桝屋さんに見とれてしまった。
…でもこの感じだと桝屋さんは私のことは覚えていない。そりゃそうだ、会ったのはたった一度。しかも数分だけだったんだもの。私だって桝屋さんの顔を忘れてたくらいだからきっと大丈夫。
その後、談笑してても桝屋さんは新選組の名前を出すことはなかった。
***
「よし、そろそろ行くか!!腹も減ったしな!」
「へぇ。由香はん、また遊びにおいでやす」
「はい!」
「おい!俺は!!」
「あんさんは牢獄行きやろう?」
「く…!!」
桝屋さんはすごい。
あの破天荒高杉さんを何度も黙らせてしまうんだから。二人を見てると漫才を見てるよう。
「あ、それと高杉はん。長州へ戻ったら久坂はんに渡してもろうたいもんが」
「ああ!任せろ!!」
そう言って二人は店の奥に消えてった。
しかし本当によかった。どうやら神様は私の味方らしい。
安心すれば動きだすのが私のイケメンセンサー。
すっげ、かっこいいぜ桝屋さんてば!!
マジで高杉さん抜きで今度遊びにこようかなぁなんてニヤニヤしていれば店の奥から二人が戻ってきた。
「なにニヤニヤしてるんだ!俺様のことでも考えてたか!!」
「それはないやろ」
二人の息があったやり取りに思わず吹き出せば、高杉さんは「早く俺に惚れろ」と、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
…ちょっぴりときめいてしまったのは、ここだけの話。
***
――ベベン
――ベベベン
いつものように、月明かりが照らす縁側に高杉さんの三味線の音が響き渡る。
そのすぐ隣で私は盃を煽る。
まるでオッサンのようだが、私はこの時間が好きだったりする。
リーンリーンと鈴虫の声が聴こえてくればますます風流。
うん。これぞ日本の古きよき風景ってもんだろう。
ずっとこの時が続けばいいのに…
もう未来の喧騒にまみれた町の風景なんて忘れかけてしまっていた。
「由香」
「はい?」
「俺はじき長州へ帰る」
「……はい」
高杉さんは三味線を弾く手を止め、くるりと私に向き合った。
「お前…」
「…?」
「いや…、なんでもない!それよりお前に唄をくれてやろう!」
そう言うと再びベベン!と三味線を弾く高杉さん。
「――三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」
その歌声はお世辞でも上手だとは言えないけれど、低く、とても澄んだ歌声だった。
高杉さんは詩の才能もあるのか…
意味はよくわからなかったけれど、目を瞑れば三味線の音とともに素直に心の中に流れ込んできた。
そして…
三味線の音が鳴りやんだと同時に唇に触れた柔らかな温もり。
驚いて目を開ければ、そこには男の顔をした高杉さんの姿。
思わず胸がドキンと高鳴った。
でもそれだけじゃない…私の胸が高鳴った理由は。
「…お前……土方の女なのか?」
高杉さんから予想もしない言葉が飛び出したから。
***
「あ、それと高杉はん。長州へ戻ったら久坂はんに渡してもろうたいもんが」
「ああ!任せろ!!」
昼間立ち寄った古高の店を出る間際、そう奴に呼び止められ俺は店の奥へと入った。
顔の広い古高のことだ。由香のことをなにか知っているんじゃないかと会わせてみたが…
あの態度からしてやはり奴は由香のことを知っているようだ。
そして…古高の予想もしなかった言葉にさすがの俺も驚いた。
「高杉さん…あれは新選組の土方の女だ」
「!!」
「以前…うちの店に来たことがある。間違いない。それとこれ…」
古高が差し出してきたのは一枚の散らしだった。
そこに書かれている由香の名前と新選組お預かりの者だから見つけ次第、生きてこちらに寄越すようにとの文字。
「ご丁寧に土方自らがここにやってきた。見つけ次第すぐに連絡するようにと。なにがどうなってあの女が逃げ出したのはわからんが、土方にとっちゃよほど大事な女らしい」
「…そうか」
俺はその散らしを小さく畳み、懐の中にしまいこんだ。
…なるほど。
これが本当なら、あのホトガラの男が新選組鬼の副長と名高い土方ってわけか。
…俺には恋に惑う一人の男にしか見えなかったがな。
あいつは自分を守るために家出をしてきたと言った。時折見せる寂しそうな、辛そうな表情からしてただの喧嘩ではないことはあきらかだ。
「すまんな」
そう一言だけ古高に告げた。
土方のそばにいたんだったら政変のことも、俺達長州の立場も由香は知っているんだろう。
だからあいつは黙っていた。
だったら俺が先に口を開くべきことではない。
そう思ったが…
いつのまにか由香に心惹かれていた俺は嫉妬とともに焦ったんだろう。
気付けばあいつの唇を奪い、土方の名前を出してしまっていた。
もう後にはひけん。
動揺を隠せない由香が口を開くのを静かに待った。




