第四十一話 男の本音と女の葛藤
走った。とにかく全力で走った。
もしかしたら誰かに追いかけられるんじゃないかって思ったのもあったけど、ただただ、無心で走った。
走り抜けた町中は、当たり前だけど私が生まれ育ったあのうるさくて汚い町ではなくて。
屯所を抜ければ、もしかしたらもとの時代に戻れるんじゃないかなんて。
そんな甘っちょろい考えはすぐに打ち砕かれた。
走って走って走り抜ければ、いつの間にかそこは小高い丘の上だった。
さっきまで穏やかな光を注いでいた太陽は、すっかり辺りを茜色に照らしはじめている。
こんなに走ったのはいつぶりだろう。倒れるように座り込めば、一筋の汗が頬をつたった。
見下ろした町並みはとても小さくて。
この町のどこかで、今も誰かが命のやりとりしてるのかもなんて思うと、胸が締め付けられるとともに、なぜだか嘲笑にも似た笑いがこみあげてきた。
こんなちっぽけなところで…
殺し合いしてるなんて馬鹿みたい!
みんなみんな…本当に馬鹿みたい!!
…そんな人殺し達を、心底嫌いになれない私はもっと馬鹿みたい!!
そう嘲笑いながら…
私は声をあげて泣いた。
***
「歳三さん。今、由香さんが門を飛び出していきましたけどもしかして…」
「ああ。出て行った」
「ええ!?」
由香さんがを荷物を持って門を飛び出していった。
まさかと思って慌てて歳三さんのところへ行ってみれば、案の定、返ってきた言葉は僕の想像通りだった。
いくらなんでもこの時代に身寄りがない、まして危機感の薄い由香さんを、この京の街に一人放り出すのは危険すぎる。それに、じき日が暮れる。
当の歳三さんは慌てる様子もなく、胡座をかいたままじっと動かない。
僕に向けている背中は何を考えているのか全然わからなかった。
「なんで止めなかったんです!?彼女を一人で外に出すのがどんなに危険か、歳三さんもわかっている…」
「うるせぇ!!」
…何も語らなかった歳三さんの背中が
…握っていた拳が
「…止めたくても…止められなかったんだ!!…仕方ねぇだろうが……」
この人は…
なんて不器用なんだろうか。
初めて聞く、その情けない男の声に僕はすべてを悟った。
僕は勘違いしていた。
歳三さんが芹沢さんの言葉を鵜呑みにしていたんだって。由香さんを突き放したのは…わざと冷たくしたのは、自分が強くなりたいと。自分の志のためだと。
でも違った。
歳三さんは由香さんの幸せを一番に考えていたんだ。
きっと自分と一緒にいれば、由香さんを泣かすことになるってわかっていたから。
血に染めた自分の手では由香さんを幸せにできないと、そう思っていたから。
だからいつもよりもしっかりと、そして深く鬼の副長の仮面を被って…
身も心も全て鬼に売ってしまったって…
由香さんだけではなく、僕達まで騙してたんですね。
すっかり…騙されちゃいましたねぇ…
…歳三さんは何も変わってない。
そう。何も変わっちゃいなかった。
不器用で。
いつも他人のことばかり考えて。
自分ばかり傷ついて。
こんなにも由香さんのこと好きだって、身体中が叫んでいるのに。
本当に馬鹿な歳三さん。
由香さん。どうか…
どうか戻ってあげてください。
歳三さんの手綱を握れるのは貴女しかいないんですから。
僕達のすべてを受け入れてくれなんて、贅沢なことは、言いません。ただただ、この不器用な人のそばにいてあげてください。
障子から見えた空は、透き通るような真っ青な色から徐々に柔らかな茜色へと姿を変え初めていた。
***
どれくらい泣いていただろう。
辺りはすっかり月夜に照らされていた。
でもいっぱい泣いたからかな。少しだけ気分がスッキリした気がする。
…楠くんが言ってたもんね。泣きたいときは泣けばいいって。泣いた分だけまた笑えばいいって。
でも…また笑える日が来るのかな……
笑顔でいるって…
楠くんとの約束、きちんと守れるのかな……
…やべ、また涙が出てきちゃったよ。
この時代に来てから本当、涙腺緩んでばっかり。
やんなっちゃうよ、もう。
ごしごしと目を擦り、深く深く深呼吸した。
……これからどうしよう、か。
屯所を飛び出してきてしまった今、頼るところはどこもない。知ってる人すら誰もいない。お金もない。
本当に…どうしよう。
このままだと物乞いまっしぐらだ。
仕事をしようにも、この時代の勝手がよくわからない私を雇ってくれるところなんてどこにもないだろう。
…悔しいけど……今まで私がどれだけ新選組に守られてきたかということに初めて気がついた。
「…くしゅん!!」
まだ初秋とはいえ、やはり夜風は冷たい。
しかもここはなんの遮りもない丘の上。よけいに風が通る。とりあえず、風をしのげる場所に移動しよう。
それに…冷静になって回りを見渡せば、ちょっと怖いじゃないですかこのやろう。やっぱりこの時代の幽霊は落武者だったり、お岩さん的な着物の幽霊なんだろうか。
ああ、馬鹿なことを考えてたらますます怖くなってきちゃった…
とにかく、ここにいるよりは市中にいた方が安全なのかもしれない。
何も知らない私はゆっくりと立ち上がると荷物を抱え、とぼとぼと歩きだした。
この時は…
夜の市中が、どんなに危険かなんて全然知らなかったんだ。
そして、その危険が自分に降りかかってくることも。
*
丘を降りきり、力なく歩いていると小さな川沿いの道に出た。目をよく凝らせば川の向こうには長い塀がそびえている。
お金持ちのお屋敷なのか、その塀の向こうには立派な日本家屋がそびえ建っているのが見えた。
随分でっかい家だなぁ…
どっかの武家屋敷なんだろうか。あーあ、一部屋でいいから貸してくんないかなぁ…
なんて。
結局人に頼ることばっか考えてるよ私ってば。
なんとか一人で生きていかないと。
もう戦いだの人殺しだの無縁なところで生きていきたい。
つか未来に帰りたいよマジで。
…でも。
胸に引っ掛かるものがある。
芹沢さんのことがあっても。
楠くんのことがあっても。
歳さんが心まで鬼に捧げてしまっても…
結局、私は歳さんのこと……
そんなことをボーッと考えながら塀に沿って歩いていると、前からぼわんとした火の光が近付いてくるのが見えた。
………ま じ で す か
あああああれって…
火の玉ってやつじゃないの!?どうしようどうしようどうしよう!!い、いや、違う違う違う!だって私ってそれ系は見えないハズだもの!!
しかも川沿いの柳が揺れ、演出効果バッチリだからたまったもんじゃない。
ドキドキと高鳴る胸を抑え、震える足でゆっくり歩けば、火の玉の正体がだんだんと明るみになってきた。
あ…
なんだ…
火の玉じゃなくて提灯の灯りじゃん。
そしてその提灯を囲むようにまわりには数人の武士達がワイワイと談笑していた。
あぁ、良かった。
ホッとしたのも束の間。
スレ違いざまにふと肩を掴まれた。
驚いてそちらを振り向けば、怪しい笑みを浮かべる男達。そして鼻についたアルコールの臭い。
……ヤバい。
きっとコイツら、私をマワす気だ。
未来でそれなりの危機をくぐり抜けてきた経験のある私の危機察知能力がフルに働いた。
「姉ちゃん、どこ行くんだ?」
「俺達と遊ばねぇか?」
相手は…4人。
さすがの私も全く知らない男に穴を提供する気は更々ない。
でも、反撃しようにも相手は刀を持っている。
こうなりゃいちかばちか……
「おい、姉ちゃん。聞いて…」
暗闇の中。着物の裾を捲りあげ、思いきり足を振った。そりゃあもう、サッカー選手かっていうくらいに。
次の瞬間には、私の肩を掴んだ男は声にならない声をあげ、地面へとへたりこんだ。
その隙に走り出す。
捕まったらヤラれるだけじゃない。きっと殺される。
懸命に走った。
走ったのだけれど…
「なかなか気の強い姉ちゃんじゃねぇか!ヤリがいがあるぜ!!」
酔ってるとはいえ相手は男。そして複数。疲れがたまっていたのもあって、私は容易に捕まってしまった。
「てめぇ…ふざけた真似しやがって……!!」
蹴りをお見舞いしてやった男が、袴の上から大事なとこを抑え、ひょこひょこと近付いてくる。ものすげー怒ってるんだろうけど、そんなマヌケな格好してちゃ迫力半減。
フンと鼻で笑えば、思いきり顎を掴まれた。
「手加減…しねぇからな」
きっと男なりに凄んだつもりだったのだろう。
でもね、そんな顔したって、殺気立ったって全然怖くない。
私はね、少し前まで本物の鬼の殺気をすぐそばで見ていたんだから。だからそんなちんけな殺気、全然怖くないんだから。
……でも。
もう疲れた。このままヤラれて…殺されてラクになるのならばそれはそれでいい。
そうしたら歳さん。貴方もちょっとは悲しんでくれるかな…
「…好きにすれば」
歳さんの、あの優しかった瞳を思いだしながら、私はそっと目を瞑った。
そんな私を見て、男達が「覚悟しろよ」と着物の襟を掴んだ瞬間。
「楽しそうなことしてんじゃねぇか」
頭上から男の声が響き渡った。




