第四十話 別れ
突然聞こえた屯所中に響き渡る怒鳴り声に、身体がビクッと震えた。
何を言っているのかよく聞き取れなかったけど…
紛れもない。あの声は総司くんの声だ。
そしていつもとは違う、殺気立った声、というのか…
とにかくなにか事件が起きたんだと思う。
声がしたのは前川さんちの縁側の方。
私が行っても…
大丈夫、だろうか…
今までは、というか現代では何か騒ぎが起きれば、野次馬根性丸出しでケータイ片手に駆けつけていた馬鹿な私。はい、馬鹿ですがなにか?
でも何故だろう。
足がすくんだ。
きっとただ事じゃない。
どうしよう…
そう思って立ち尽くしていると、私の後ろから抜刀した平隊士が駆け抜けた。
「すみません!!どうしたんですか!?」
咄嗟に声が出る。
私の声にその平隊士は足を止め、クルリと振り返った。
あ、れ…?
「長州の間者が粛清されたと!しかしまだ他の間者が屯所内に潜んでいるそうです!!」
平隊士は早口でそう言うと、「失礼!急ぐので!!」と再び前を向いて走り出していった。
……何か違和感を感じた。なんだろう?
でも初めて見た平隊士だったし…気のせい、かな?
とにかくさっきの人、長州の間者がしゅくせいされたとか言ってたな。
そりゃ大変だ!!!
…ん……?しゅくせい?
てか……
しゅくせい、ってなんだ?
あああ、私ってば本当にバカ!!もっと国語を真面目にやっときゃよかったわ。まぁ、真面目にやっときゃよかったのは国語だけじゃないんだけどね!!
中学生の私、全力で正座だ!!!
じゃなくてさ、とにかく私も行ってみよう。
長州の間者って御倉さん達のことだよね、たぶん。
ついに捕まっちゃったのかな。
つか捕まっちゃったらどうなるんだろう。警察につき出す、とか?あ、でもこの時代には警察ってないんだっけ。じゃあどうなるんだろ…
ぶつぶつ一人言を言いながら私はてくてくと声がした方へと足を進めていった。
…私ってば本当に馬鹿だ。
この時はすっかりと忘れていたんだ。
この時代がどういう時代か。
この新選組がどういう組織か。
そしていとも容易く人の命を奪うことを。
***
……
………
…………
息をするのも忘れた。
目の前に広がる…想像を絶した光景に。
中庭に無造作に転がる、蓙がかけられた二つの身体。
忘れたい記憶を再び刺激する、あの鼻につく血の臭い。
足が震える。
目眩がする。
なにこれ…
"あれ"は御倉さんたち、なの…?
そしてフラフラと近くの木にもたれかかった私の耳に、歳さんの低く静かな声が届いた。
「認めるんだな。てめぇが間者だってことを」
人だかりの中。
歳さんの視線の先には信じられない人の姿があった。
紛れもない…楠くんの姿、だ。
は…?
な、に?
なに?どういうこと?
楠くん、が…
間者だったってこと…??
「この新選組に入りこむなんざぁ…てめぇ、どうなるかわかってんだろうな」
「…覚悟は、出来ています」
――カチャリ
必死にその状況を飲み込もうとしている中、誰かが静かに刀の鯉口を切ったのがわかった。
楠くん、が…こ、殺されちゃう――…!!
震えていた身体が。
すくんでいた足が。
まるで嘘だったかのように、人だかりの中へと駆け出した。
これ以上…
大切だと思う人を殺されてたまるか!!
無我夢中だった。
平隊士にぶつかりながら、止められながら…
気付けば私は歳さんに夢中でしがみついていた。
「歳さん!やめてお願い!!楠くんを殺さないで!!」
懇願、というよりか、悲鳴に近かっただろう。
でも歳さんはそんな私をなんの感情もない眼で見下ろしたまま動かない。
「聞いてんですか!?お願い!!お願いってば!!!」
「由香さん。もういいんです」
一生懸命に叫ぶ私とは対照的に。
背後からはいつもと変わらない穏やかな口調が聞こえた。
「楠、くん…」
振り返れば楠くんはいつものようにふわりと笑った。
今から殺されるかもしれないっていうのに…
なんで…
なんでそんな晴れやかな顔をしてるの…
「…副長。最期に…少しだけ由香さんと話す時間をいただけますか」
しっかりと目を見据え、静かに笑顔を浮かべたままそう口にした楠くんに、歳さんは「ああ」と小さく頷いた。
それを確認した楠くんは私に視線を戻し、今にも泣きそうになっている私にまたふわりと笑った。
「そんな…泣きそうな顔をしないでください」
「…楠く、ん……」
「今まで…黙っててすみませんでした。僕は……間者、です」
ハッキリとした言葉に思わず顔が歪む。
どうして…
どうして…
「でも…不思議だ。由香さんといると、僕は楠小十郎というただ一人の男でいることができた」
「ッ……」
「これ…」
そう言って楠くんが懐から出したのは、この前、私が小間物屋で手にとっていた水色の簪だった。
それをそっと私の手に握らせる。
透き通ったビー玉のような飾りが、キラキラと光に反射してとても綺麗…
「由香さんによく似合いそうだと思って」
「楠くん…」
「由香さん…」
「………」
「……貴女を」
「………」
「貴女を心からお慕いしていました」
「楠、くんッ…」
言葉が
声が
私だって伝えたいこと、いっぱい、ある、のに。
もう、言葉が出なかった。
「総司!」
耳に届いた怒号にも似た歳さんの声。
その次の瞬間、私の身体は総司くんの両腕にきつく包まれた。いや、拘束された、と言った方が正しいだろう。
「ちょっ…やだ、やだ!!離してっ!!」
「すみません。少し大人しくしてて」
どんなに抵抗しても頭を抱え込まれ、私の目の前には総司くんの胸元しか映らない。
続く、歳さんの「左之!!」という声。
その声に私はすべてを悟った。
「う、そ…やめ…やめてぇぇぇー!!!」
「由香さん!約束、忘れないでくださいね!」
狂ったように泣き叫ぶ私の耳に届いた、楠くんの最期の言葉。
そして…
そのまま部屋の中へ連れ込まれそうになるのを必死で振り払い、走ってその場に戻ると楠くんにはすでに茣蓙がかけられたあとだった。
怒りで身体が震えた。
こんなこと…きっと今まで生きてきた中で初めてのことだろう。
なんで…
なんで、どうして
どうして楠くんが
「あんたたちは…人の命をなんだと思ってんですか!!」
悲鳴にも近い声が辺りに響き渡る。
もう誰も…信じられなかった。
楠くんを弟のように可愛がっていた左之さんに首を撥ねろと歳さんが命じた。まわりもそれを止めなかった。楠くんもそれを受け入れた。
そして命令通りその首を左之さんが撥ねた―…
おかしい、みんなおかしいよ。
…ふとまわりを見渡せば、先程私の後ろから駆け抜けていった平隊士がいた。
…やっと気付いた……
…さっきの違和感。
この平隊士だけじゃない。他の平隊士も。
歳さんも総司くんもはじめくんも左之さんも新八さんも。山南さんも源さんも山崎さんも近藤さんも…
みんなみんなみんな…!
みんな同じ
私…
今まで何を見てた?
みんな、同じ眼をしてるじゃない。
みんな…みんな同じ…!!
「あんたたちも同じだよ…同じだよ!!
あんたたちも芹沢さんと同じ人殺しの眼をしてる!! 」
そう言い放った私は、その場を駆け出しそのまま自分の部屋へと向かったのだった。
***
もう嫌だ。
もうたくさん。
昨日まで仲間だった人が殺されるこんな場所なんて。
こんな世界なんてもうまっぴら!
片っ端から荷物をバッグに詰め込む。
最初から少なかった私の荷物はあっという間にバッグの中へとおさまった。
私は…
救えなかった。
私を救ってくれた恩人を。
大切な、大切な友達を。
一度ならず二度までも死なせてしまった。
それも二度とも愛しいあの男の手によって……
こんなときに…やっぱりあの男を愛しいと…
そんなことに今さら気付く。
なんて私ってば馬鹿なのだろう。
なんて不謹慎なんだろう。
でももうどうでもいい。とにかくここを出ていきたかった。この世界から消えてしまいたかった。
「どうすれば…いい、の……」
定まらない思考の中で、ペタリと座り込み、頭を垂れた。
「…出て行くのか」
聞き慣れたその声にバッと顔を上げれば、開け放たれた襖に寄りかかるあの男の姿。
「…もうここに…私の居場所はないですから」
「………」
「私をっ…支えてくれる人も……私が好きだった歳さんももうここにはいないからっ…!」
グッと唇を噛みしめ男を真っ直ぐに見据えれば、今まで顔色ひとつ変えなかった男の眉間に深い深い皺ができたのがわかった。
それは怒っているんじゃなくて、なんだか悲しそうな……
そして意外にも男はきつく私を抱きしめた。
「…どこにも行くな」
……男を、なんて勝手なんだろうと思った。
その言葉を心のどこかで喜んでる自分も狂ってる。
そう思った。
私を抱きしめるこの腕は、以前となんら変わりはなくて。それが私の思考を余計に混乱させた。
「歳さ…」
塞がれた唇はとても熱くて。
ああ、やっぱり私の居場所はこの人の隣りだ。
そんな風に思ってしまう私はとことん救いようのない大馬鹿野郎だ。
そう思って唇を離せば、飛び込んできた男のあの眼。
思わずその腕を振り払えば、男の眼には哀しみが宿ったのがわかった。
ここにいたら…私はきっと自分を無くす。
ここにいちゃ駄目だ…
そばにあった荷物を手に取って立ち上がれば、無言で掴まれる腕。
それを思いきり振り払い、私は屯所から一気に駆け出したのであった。
松永主計と楠小十郎が間者だったという確信は無かったといいます。
原田も楠を斬るつもりで刀を抜いたわけじゃなかった。
それでも原田が楠を斬ったのは、抜いた刀には血を欲する魔物が取り憑いているからだ。
なんて、どこかの本にかっこよく書いてありました。
でも本当に間者だとしたら。
たかが15、6歳の彼は何を思って、何を胸にそのわずかな人生を終えたのでしょう。
ここから数話は少しだけ新選組から離れたお話になります。そして史実に沿わないお話になります。
まだまだ先は長いですが、お付き合いいただけたら幸いです。




