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第三十九話 ★見つけた居場所は


「斎藤さん、林さん。廻り髪結が来ました」

「あいわかった。すぐ行く」


平隊士の知らせに俺と林はゆっくりと腰をあげた。

襖を開ければ秋にしては柔らかい日差しが注いでいる。

…奴らを見送ってやるにはなかなかいい日であろう。


これから待ち受けている大仕事に身体の奥底から血が滾るのがわかった。


人を殺すのは俊敏に、かつ美しくなければいけない。それが俺の美徳、だ。

まぁ…余程の猟奇的な者ではない限り、人の肉片と血が飛ぶのを好む奴はいないと思うが。


…さて

今日の獲物はどうして葬ってくれようか。


興奮にも似た感情をグッと押し殺し、足を踏み出せば己の口角が自然と上がったのがわかった。

ふと隣にいる林に視線をやれば、奴は刀の柄をグッと左手で握りながら、眼には緊張の色を浮かべている。


「…林。殺れるか」

「大丈夫です。少し緊張しているだけで…」


林は武蔵の出身で、俺の隊の伍長を勤めている。俺とそう年齢は変わらんだろうがとても真面目な男だ。

しかし、まだ人を殺めたことはないようだった。奴の眼が、気が、そう言っている。

だが俺はこの男に絶大な信頼を置いている。きっと上手くいく。


「そうか」


一言だけそう返せば林は小さく頷いた。




逸る気持ちを抑え、廻り髪結と獲物が待つ縁側へと向かえば前からは知った顔が歩いてきた。


「はじめくん!」


まさかここで由香に会うとは。

正直…僅かだがはりつめていた心に隙ができてしまった。


「林さんもこんにちは!今日はあったかいね!」

「そうですね」

「ねね、楠くん知らない?今日非番だって言ってたからさ、屯所にいると思うんだけど」


由香が楠の名前を出したと同時に、林の気が乱れたのがわかった。

ちらりと林を一瞥すると僅かに目が泳いでいる。

んん、と小さく咳払いすれば、林は慌てたように大きく息を吸った。


「知らぬ」


早々に由香との会話を切り上げたかった。

これ以上、気を乱されたくなかったからだ。

素っ気なくそう答えれば、由香は少し寂しげに「…そっか…ありがと!」と言い、俺達の横を通り抜けていったのだった。


…由香は最近楠と一緒にいることが多くなった。

何も知らぬ平隊士の間では、楠が副長から横恋慕しただのくだらぬ噂が立っているようだ。


副長と由香の間に何があったのかは俺は知らない。

だが確実に…二人の間に距離ができたのは確かだ。

…俺が口を出すのもおかしいが、遅かれ早かれこうなる運命だったのかもしれぬ。

副長はこの新選組を、この時代を背負ってたつようなお方だ。

きっと女に、うつつを抜かしている立場ではないと気付いたのであろう。


それか…己の手では由香を幸せにすることはできぬと。


まぁ…こんなことは俺が考えることではないのだが。

そう、今は気を集中すべきだ。

新選組の大きな第一歩がこの俺の腕にかかっているのだからな。



だが…

これから起こることに、あいつの…

由香の笑顔が再び失われることは容易に想像できる。


それを思うと、俺の胸中には迷いにも似たざわつきが生まれたのであった。




***




気配を消した林と二人。

縁側の見える位置に腰を据えれば、ちょうど新八が御倉と荒木田を髪結の前に座らせ背中を見せたところだった。

俺達のほんのわずかな呼吸に気付いたのであろう。新八が、ちらりとこちらに目配せしたのがわかった。


「しかし今日はいい天気だなぁ」

「ああ、日向ぼっこもかねてちょうどいい」


奴等のくだらぬ談笑に耳を傾けながらも、神経を研ぎ澄ませ、その時をじっと待つ。

眼を瞑れば、俺の中の夜叉が今か今かと心を踊らせた。



…――初めて人を殺めたのはだいぶ昔のことだ。

相手は旗本。

権力を撒き散らし、平民を人とも思わぬ…虫けらのように扱う能無しだった。


俺はその町で静かに暮らしていた。民たちとも少しの壁こそあれど、それなりにうまくいっていたと思う。


…だがある日。

馬に乗った旗本の前を、まだ何もわからぬ小僧が横切った。激怒した旗本は懸命に命乞いする母子に向かって迷うことなく刀を抜いた。


そして…

気付いた時には俺の手には血だらけの刀が握られ、目の前には旗本の身体が転がっていた。


辺りに響き渡る悲鳴。

子供の泣き声。


民たちの恐怖が、蔑みが浮かんだ目は旗本ではなくこの俺に向けられていた。


よくしてくれた隣人も。

懐いていた小僧も。

恋仲だった女も。

皆、同じ目を俺に向けていた。


別に感謝をされたかったわけではない。

俺はただ…

ただ、小僧の命を救いたかっただけだったのに。




ここに俺の居場所はない。


そう悟った俺は、結局逃げるように上京した。


誰からも必要とされない。

どこにも己の居場所がない。

俺の存在意義はなんだ…?


上京してからもその思いが消えることなく、振り切るように数人をこの刀で殺めた。

けれど殺めれど殺めれど、あの民たちの蔑んだ瞳は俺の脳裏に焼き付いて消えることはなかった。

そのうち夜叉が俺の中に棲むようになり常に血を欲した。


そんななか、今は新選組と呼ばれるこの浪士組の存在を知った。

そこになら俺の居場所があるかもしれぬ。


半ばすがるようにして浪士組の門を叩けば、やはりここには俺が求めている何かがあったように思う。

迷うことなどもはや無い。俺はこの新選組に己のすべてを捧げる。

なぜならば、俺が必要とされているから。


――ここに俺の居場所があるからだ。







「いくぞ」


鳥の羽ばたきに合わせて内切にて鯉口を切れば同じく隣でじっと待っていた林が大きく頷いた。

覚悟が決まったのであろう。奴の顔はどこか吹っ切れた表情を見せていた。


俺はそんな林に小さく口角をあげると、共に抜刀し、縁側へと駆け出した。


俺は御倉を。

林は荒木田を目掛けて走る。

音もなく刀を横にし、突風の如く肋の間を突き刺せばあっという間に"こと"はすんだ。


「…大義であった」


こちらを振り向き、驚きにも似た怨念を浮かばせながらも倒れ行く御倉の瞳に投げ掛けてやった労いの言葉は奴に届いたのであろうか。


隣の林も無事に"こと"済んだのであろう。

林は、もはや抜け殻となった荒木田の身体を支えながらも清々しい顔をしていた。


すっかり返り血を浴び、腰を抜かしてしまった髪結に手拭いを投げれば、視線の奥に総司を捉えた。


「さすがはじめくん。林さんもご苦労様でした」


パチパチと手を叩き笑う総司は、どことなく楽しそうだ。


「松井と越後は済んだのか?平助と踏み込んだのだろう」


粛清するのは御倉と荒木田だけではない。

山崎の話によれば、二人と同時に入隊してきた越後と松井も長州の間者として尻尾を掴んだはずだ。

その二人は総司と平助が踏み込む手筈となっていた。


「クスッ…逃げられちゃった」


総司は悪びれる様子もなくペロッと舌を出すと、「歳三さんに怒られちゃうなぁ」と笑った。


俺は呆れたように深く溜め息をつき、ピッと刀を振り下ろし血を飛ばす。


…越後たちは何かを感じとったのかもしれぬ。

きっと今頃は桂の元にでも駆け込んでいるのであろう。


「よい伝令役になっただろう」

「そうだね。でも斬りたかったなぁ」


そう言って笑った総司からは修羅の如く殺気が伝わってきた。

…つくづく味方で良かったと思う男よ。


「…さて。とっとと終わらせますかね」

「…あぁ」


そうだ。まだこれで終わりではない。

俺が小さく頷けば、総司はすぅっと息を大きく吸った。


「長州の間者!粛清されたし!!御油断めさるな!!意志違う(たがう)者、まだこの屯所にあらん!!出合え!!」


二本差しとは不思議なものだ。

飯を食っていても、昼寝をしていても、何をしていても「出合え!」の声がかかれば自ずと刀を手に身体が動くのだからな。

中庭はあっという間に血気盛んな若者達で溢れかえった。


この騒動の中、思ってもいない人物が血相をかえて逃げ出した。

平隊士の松永主計だ。

奴の背中に源さんが一刀浴びせたが、松永はそのまま逃走してしまった。


…残るはただ一人。

楠だけだ。




***




俺は自分の目で見たこと。

自分の耳で聞いたことしか信じねぇ。


まして…

自分の可愛がってた奴が間者だと?

そんなこと絶対にあるわけがねぇ。


部屋で一人。

文机に腰掛け、開け放たれた障子の外をボーッと眺めていれば襖の向こうに感じる気配。


来たか…


俺はピシャリと自分の頬を叩いた。


「原田さん。楠です。お呼びですか」

「あぁ。入れ」


一礼して敷居を跨いだ楠は…

まだ何にも知らねえような無垢な餓鬼の顔をしていて…

俺は小さくひとつ、溜め息をついた。




***




「楠が間者だって!?」

「ああ。山崎が裏をとってきた。桂と繋がってるのは間違いねぇ」

「………」

「明日、御倉達と共に粛清する」


昨夜遅く、土方さんに呼ばれ、淡々とそう告げられた。


楠が間者…

俺には信じられなかった。

奴は若いながらも隊務はきっちりこなしていたし、何より俺にとって奴は弟のような存在だったからだ。

それをわかっているのだろう。

土方さんは唖然とする俺をジッ見据えてこう言った。


「どうする?」


どうする、とは…

きっと俺が楠の首を撥ねるか、ということなのだろう。

山崎には悪いが、俺は自分自身で楠が間者なのか確かめたかった。

きっとそんな俺の性格を土方さんもわかってる。

だからあえてそう俺に訊ねたのだと思う。


「…俺にやらせてくれ」


気づけば俺はそう言葉を口にしていた。




***




「原田さん?」

「あ…いや、すまねぇ。とりあえず座れ」


一瞬不思議そうな顔をした楠だったが、俺の言葉にその場にスッと腰を下ろした。


…俺が新選組の隊士である限り

コイツに間者の疑惑がある限り……

きちんと確かめなきゃならねぇ。


ひとつ深く息を吸い、目の前の楠を見据えた。


「最近…どうだ?稽古はサボってねぇか?」

「はい!やっと槍の楽しさがわかってきました!」

「そうか…」


床の間に掲げてある槍に視線を移す。

キラリと光ったそれは、まるで己から光を放っているようでとても綺麗だ。


「…楠。お前は何のために…誰のために槍を振るう?」

「は」

「俺はよ、新選組のため。同志のため、だ」

「僕も…同志のためです」


楠の瞳が揺らいだ。


「お前の言う同志ってのは……俺達新選組の輩のことか?」


その揺らいだ瞳を真っ直ぐに捉える。


「それとも……桂、か?」


"桂"の言葉に楠の気が酷く乱れた。

それと同時に耳に届いた怒鳴り声。


「長州の間者!粛清されたし!!御油断めさるな!!意志違う(たがう)者、まだこの屯所にあらん!!出合え!!」


その総司の声に楠が握った拳がワナワナと震えた。


なぁ…

なんでお前みたいな真っ直ぐな奴が間者に選ばれたんだろうな。

間者になんかならなけりゃ…

お前がただの新選組隊士だったら…

俺は俺の持ってる槍のすべてをお前に叩き込むつもりだったのに。


時代ってぇのは時として酷なことするもんだ。


「…来い」


ゆっくりと立ち上がった俺の言葉にすべてを悟ったのであろう。

楠は力なく頷いたのであった。




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