第三十七話 泣いた分だけ笑えばいいんだ
う~ん…
この赤いのもなかなか可愛い…
でもやっぱこっちの水色のほうが可愛い、かな。
「お嬢はん、かいらしいさかい、なんでもよぉく似合いますよって」
「うん、知ってる」
小間物屋の店主の歯の浮くようなお世辞にわざとそう言えば「へえ!!」とめっちゃ驚かれた。
…そこまで驚かなくても。ちょっと傷ついたよ、ねぇ。
まぁ…欲しくてもお金なんか無いんですけどね!!と言ったら今度は店主はどんな顔をするのだろうか。
「あれ、由香さん」
再び熱心に簪を見ていると、背中に知った声が投げ掛けられた。
振り返ればそこにはふわりと笑った楠くんの姿。
「楠くん!どうしたの、こんなところで」
「野暮用でちょっと」
あぁ、本当にこの子ってば癒される。
強いていうなら江戸時代版小池徹平ってところか。笑顔がたまらなく可愛いのだ。
そういえば楠くんに会ったのも久しぶりかもしれない。
同じ屯所にいるとはいえ、大所帯だからね。
ってその前に私がニートだったから、会うもんも会わなかったのか。
「なんか久しぶりだね。元気してた?」
「はい。由香さんもお元気そうで何よりです」
「元気、なのかな…」
ははは、と力なく笑えばどこまで知っているのだろうか、
「僕…いい甘味屋さん知ってるんです。少し時間ありませんか」
そう言って楠くんは少し眉尻をさげながらふっと笑った。
***
「みたらし二つください。」
ここのみたらしは最高なんですよ!と言って笑う楠くんはなんだか総司くんみたいだ。
…少し前まではこうやって総司くんとも市中に出掛けたりしたっけ。
その後、こっそり屯所に戻れば門の前で鬼の形相をした歳さんが待ち構えてたり。
新八さんと二人きりで盃を交わして怒られた時もあった。でもそれは歳さんのやきもちで…
耳まで真っ赤にした歳さん、可愛かったなぁ…
…思い返せばいつのまにかこの時代の思い出は増えていて。
楽しいこともいっぱいあった。
このまま未来に帰れなくても、壬生浪士組のみんなと…
そして歳さんと。
この時代で楽しく幸せに生きていけるんじゃないかって。
そう思ってた私は浅はかだったのかな…
「いつからこんな風になっちゃったんだろ…」
そう考えれば考えるほど、私の胸は張り裂けそうになった。
「由香さん」
「え?」
名前を呼ばれ、ふと顔をあげれば半開きだった口に押し込まれた甘じょっぱいみたらし団子。
「ね?美味しい、でしょう?」
目の前にはふわりと笑う楠くん。
口の中に押し込まれたみたらしをゴクンと飲み込めば胸の底から溢れ出てくる何か。
それがツツ…と頬を伝い、ハッと気付いた。
「わ、たし…」
「泣きたい時は我慢しないで泣いてもいいんです。すっきりしたら、泣いた分だけまた笑えばそれでいいんです」
由香さんは一人じゃない。僕でよかったらいつでも胸くらい貸しますよ。
照れながらそう言ってくれた楠くんの言葉に胸のモヤモヤがスーッと消えた気がした。
人を…
昨日まで共に過ごしてきた仲間を殺してしまうこの時代の人に、壬生浪士組のみんなに、嫌気がさしていたのも確か。
私が好きだった歳さんがいなくなってしまったことが寂しくも悲しくもあるのが確か。
そんなみんなを受け入れることができなくて…一人ぼっちになってしまったと感じていることも確か。
だから楠くんの、一人じゃない、という言葉がすごく、すごく嬉しかった。すごく、すごく救われた。
「あ、りが、とうッ…」
一度溢れ出した涙はそう簡単には止まってくれなくて。
その間、楠くんは優しく私の頭を撫でてくれていたのたった。
***
曇天の隙間から顔を覗かせた夕陽を背に、楠くんと共に屯所への帰路を歩く。
泣いたらすっきりしたのか、胸のモヤモヤはだいぶなくなっていた。
「すっかり遅くなっちゃって…ごめんね」
「いえ」
楠くんってなんだか不思議な子だな…
一歩前を歩く彼の背中を見て、ふとそう思った。
私の胸中の寂しさを見抜いた楠くん。
そういえば…楠くんは幼い頃に両親に先立たれ、身寄りも友人もないといっていた。
一人の寂しさを知っているからこそ、他人の寂しさにも気付いたのかもしれない。
わずか16歳で腰に刀をぶら下げ、志のために身を捧げようとしている彼の胸中は何を思うのだろうか。
「お腹すいたなぁ…今日の夕飯のおかずはなんでしょうね?」
静かに笑う彼を見て、私は足を止めた。
彼になら…言える。
彼になら…きっとわかってもらえる。
「……由香さん?」
「私ね、未来からきたの」
無意識にその言葉が口をついた。
私の寂しさを見抜いてくれた彼に
味方になってくれると思った彼に
生まれた時代は違えども、似たような境遇の彼に
知っておいてほしかったのかもしれない。
「………」
その言葉を聞いた楠くんからは笑顔が消え、今まで見たことのないような真剣な表情で私を見据えた。
…おかしな奴だと思われただろうか。
いや、思ったに違いないよね。そんなこと、誰も信じるわけがな…
「未来は」
「え?」
「未来は平和な世に…皆が笑顔でいられる世になっているのですか?」
しばしの沈黙のあと。
真剣な顔の楠くんから返ってきたのは意外にもそんな質問で。
まさか、信じてもらえて…?
「世界中がってわけではないけど…すごく平和でいい世の中、だよ」
そう答えれば、楠くんは「ならよかった!」と嬉しそうに笑った。
「信じて…くれるの?」
「はい。だって由香さんは嘘をつくような人じゃないですから!」
「ッ…!!」
なんだなんなの楠くんてば…
私をそんなに泣かせたいのか?ええ?
再び目に涙をためた私を見て、楠くんは「今日の由香さんは泣き虫ですね!」と笑ったのだった。
***
「副長。山崎です」
「入れ」
静かに襖を開ければ、行灯の小さな灯火が揺らめく中、副長はこちらに背を向け文机に向かっていた。
スッと腰をおろせば、こちらを振り返る鬼の眼。その鋭い眼に思わずゴクリと喉を鳴らした。
「…間者の件で」
「ああ」
「昼間、斎藤さんが御倉に。林さんが荒木田に。私が楠についていましたが、共に三人とも長州藩邸に」
「………」
「やはり裏には桂がいるものと思われます」
「…そうか」
副長は何かを思案するように顎に手をかけた。
ここ数日の間。
間者と思われる輩達に付いて回っていたが、とうとう尻尾を出した。
きっと近いうちに粛清されるだろう。
ただ…気になることが一つ。
「副長。それともう一つご報告が」
「なんだ?」
「由香さんのことですが…」
「由香?」
薄暗い部屋の中で由香さんの名前を聞いた瞬間、少しだけ副長の瞳が揺らいだように見えたのは気のせいだろうか。
「市中にて楠と偶然出会い、共に甘味屋に」
「………」
「その後…楠に未来から来たと」
「………」
「…泣いていました、由香さん」
「…そうか……ご苦労、下がっていいぞ」
「はい」
由香さんは…
あの芹沢の一件以来、以前のような覇気が無くなってしまったし、俺達とも距離を取るようになった。
それはもちろん副長とも、だ。
副長も変わった。
何が、と聞かれれば上手くは言えないが、強いていうなら眼が変わった、というのが正しいだろう。
俺が想像するよりもはるかに固く、強い覚悟が副長にはあるのだと思う。
「山崎」
部屋を後にしようと立ち上がり、襖に手をかければ小さな声で呼び止められた。
クルリと振り返れば、副長がふっと口角をあげている。
「…明後日」
「は」
「床屋を呼んでおけ」
副長の中で歯車が動き出す。
俺は…生涯それについていくだけだ。
「いいな、明後日だ。斎藤と林にもそれを」
「御意」
そう言って静かに部屋をあとにすれば、縁側で星空の下盃を交わしている由香さんと楠の姿が視界に入った。
久しぶりに目にする由香さんの笑顔。
どうか…
その笑顔が再び失われぬように…




