第三十六話 守るべきもの
「ふぁ~あ…」
最近の私はというと…
「…でっけぇあくびだな!」
「…あ、平助」
「なんか久しぶりにお前のこと見た気がする」
「…そう?」
一日中部屋にこもって、なにをするでもなくボーッと過ごしていた。自分から皆に話しかけることもなかったし、誰かが私の部屋を訪ねてくることもほとんどなかった。
今日はたまたま縁側で気分転換してたところに偶然平助が通りかかったのだけれど…
「…土方さんと喧嘩でもしたのかよ?」
「別に。してないよ」
「最近、全然一緒にいねぇじゃん」
「だって用事ないし」
「用事ないしって……恋仲なんだろ?土方さんと」
恋仲…
だったのだろうか、私達は。
…芹沢さんのことがあってから、私と歳さんが一緒にいることはほとんどなくなった。
お互いがお互いを避けている、といったほうが正しいだろう。
まるで今までのことなんかなかったかのように。
私と歳さんが恋仲だったかなんて、今となってはそんなのどうでもいいことだ。
だって私の好きだった歳さんはもうどこにもいないもの。
いるのは瞳の奥に牙を潜めた鬼だけだ。
「恋仲なんかじゃないよ。身体だけの関係」
「な…////!」
そう言えば、平助の顔はみるみるうちに真っ赤になった。
おや…?確か平助は20才。もしかしなくても、こりゃはじめくんと同じ類いの女に奥手ってやつですか?
この反応は間違いなく童貞…かしらん。
むふふ、ピュアボーイ万歳!
などと逆セクハラまがいなことを考え一人ニヤニヤしていると、張本人の平助と目が合い、真っ赤な顔のまま「な、なんだよ////!」と言われた。
と、藤堂くんめ…
年下苦手ですが、そんな顔されると激しく萌えるじゃねーですかい!!
「ふふ、平助ってばかわいい奴め」
「う、うるせーよ////!!」
あぁ、こいつってば弟みたい。
平助の頭をわしゃわしゃと撫でてやれば、ピュアボーイはその顔をますます真っ赤にさせたのだった。
「つ、つーか////!!なんかあったのかよ!お前、最近部屋にこもりっきりじゃんか。新ぱっつぁんとかも心配してたぞ!」
そう言って真っ赤な顔のまま手を振り払った平助だったが、交わった視線は私を心配する目、そのものだった。
なんだかその視線に嫌気がさし、プイと目をそらす。
…平助は優しい。巡察中に野良猫を拾い、かわいそうだと言って屯所に連れて帰ってきてしまうような奴だ。きっと私に対してそれと同じような感覚でいるのだろう。
年齢は若くとも、皆に気遣いができてやはり勘が鋭いのであろうこの男はきっと気付いている。
あの日から別人のように鋭さを増した歳さん。 そんな歳さんを私が受け入れられなかったということ。そしてそんな私が一人ぼっちだと感じているということも。
だからきっと…優しい平助はわざわざ私の様子を見にきてくれたんだと思う。
…だってここの縁側は、普段皆が通ることのない裏側の縁側だから。
「大丈夫だから。ありがとう」
「…そっか」
でも…今はそんな平助の優しささえ受け入れられないほど、私の心には余裕がないというか…
この"壬生浪士組"、そしてなによりこの"時代"に対して嫌悪感を抱いていた。
「…お前がいたさぁ、未来って」
「うん?」
二人してしばらく黙って空を眺めていた私達だったが、ふとこぼすように平助が口を開いた。
「お前がいた未来って、斬り合いとかまだあんの?」
「斬り合い…」
「要は皆、刀ぶら下げてんのかってこと」
正直意外だった。
平助が…というか、この時代の人にそんなことを聞かれるなんて。
この時代の人は武士も町人も農民も。すべての人が未来にも刀はあると信じて疑わないと思っているだろうと思っていたから。
「えと…」
この場合、素直に刀ぶら下げてたら銃刀法違反で捕まるぜ?と教えてもいいんだろうか。
確か、壬生浪士組の皆には、未来に刀をぶら下げた武士が存在しないことを知らせていないはず…
……あ。
いや、一人だけ知っている人がいる。
――歳さん、だ。
新見さんが切腹した時に、私の前では歳さんのままでいてほしいと、泣きながら本音を漏らした時…
未来には斬り合いなんかないと言ってしまった気がする。
それを聞いた歳さんが何を思ったのかはわからないけど…
まぁ…私の刀や血への免疫の無さを見れば、未来には武士がいないことを皆は薄々気付いてるのかもしれない。
でもよく考えれば、この時代は、私達の平和ボケした未来のためにあるわけだし…
そう考えたら……
いや、考えたくないけど……
刀と…
それによって散り行く命があっても仕方のな…
「由香?」
「あ…」
やだ、私ってば。なんてこと考えてるんだろう。
いくら平和な未来のためだとは言え、そのために散ってもいい命なんてあるわけない。
ましてやその命を奪っていい権限なんて誰にもない、絶対に。
「大丈夫か?なんか顔色悪ぃぞ」
「ご、めん。えぇと…、刀の話、だっけ」
「ああ。でも…」
「?」
「やっぱ聞くのやめとくわ!」
そう言ってニカッと笑った平助はそのまま縁側に背中をゴロンと預けた。
「聞いちまったらさ、なんだか刀を振るう意味を見失なっちまいそうだからさ!」
「刀を振るう意味…」
「ああ」
平助の刀を振るう意味はなんだろう。
歳さんはロマンのため。芹沢さんは国のため。
人それぞれ刀を振るう意味は違う。
「平助は、」
「ん?」
聞いて…いいのだろうか、こんなこと。
刀を振るう意味なんてあってはいけないと思っている私が。
でも…
聞いておきたい。私がこの時代を生きていく限り。
「…平助が…刀を振るう意味って何?」
「俺が刀を振るう意味?」
「うん」
首を傾げた平助に思わずゴクリと息を飲み、答えを待った。
「そりゃあ、未来の日本のために決まってんじゃんか!」
「未来の、日本…」
「おう!」
「で、でも未来には武士は…」
しまった。
予想外の平助の答えに思わず余計な事を口にしてしまった。
ど、どうしよう…
とりあえず笑っとけと思い、ヘラリとごまかせば、平助は「やっぱそうか」と笑った。
「ご、ごめん平助」
「ばーか、なんでお前が謝るんだよ」
「だ、って、刀を振るう意味を見失うって…」
「ああ、見失うとこだったよ。未来に武士がいたらな」
「は?」
ちょ、よくわからん。未来に武士がいないのは平助にとっていいことなのか?
なんで、なんでだ?
「へ、平助」
「なんだよ」
「平助は未来に武士がいないこと、ショック…じゃなくて衝撃?ええと、悲しくないの?今自分が誇りを持ってやってる武士がいなくなるんだよ?」
「悲しいわけねぇじゃん!だってさ、他の奴はどうかわかんねーけどさ、俺は未来の日本を平和にするために刀を振るってるんだからさ!武士がいるってことは、無駄な斬り合いも少なからずあって、流れなくてもいい血が流れるってこともあるし。それじゃ完全に平和ってわけじゃねーじゃんか」
「………」
「俺はさ、誰もが幸せで、誰もが笑ってる平和な国を作りたいんだよ。この時代のように無駄な血を流すなんてことあっちゃいけない」
「………」
「人を斬るのは容易なことじゃねーからな、刀を振り回して地獄に落ちるのは俺達だけで充分!」
「平助…」
「おっと!こんなこと言うと怒られちまう!土方さんには内緒だぞ」
そう言って笑った平助は、若干20歳の少年にはとても見えないくらい大きくて。
この時代にもこんな風に考えてる人がいるんだと思うと、私の胸に溜まっている何かが少しだけ消えた気がした。
「やべ!俺、昼過ぎから巡察なんだ。そろそろ行くわ」
「あ、うん」
平助は、う~んと伸びをしてニカッと笑った。
「でもよ、久々にお前の顔見れて安心したぜ!もっと落ち込んでっかと思ったけど」
ちょっと弱ってるほうが毒気が抜けていい感じなんじゃねぇの!なんてほざきやがったピュアボーイ平助め。
でも…平助と話ししたらなんだか気がラクになったのも事実だ。
「平助」
「ん?」
「心配してくれてありがとう。なんだか気持ちが軽くなったよ」
「…俺なんかでよけりゃ、いつでも話し相手になってやるよ」
「頼もしいな平助」
「だろ!!」
由香はなんだか子供みたいだな!なんて言って頭をモシャモシャされた。でもそれがなんだか嬉しくて。照れ隠しに「んじゃ、平助兄ちゃんは毛も生えてるの?剥けてるの?」ってからかえば、平助は再び顔を真っ赤にして「あ、当たり前だ////!!」と言い放った。
くそ、かわいいぞ、平助兄ちゃんてば。
「ったく////!!じゃあ、行くからな!」
「あ!待って!!」
「なんだよ」
これを聞いていいだろうか。聞かないほうがいいかもしれない。せっかく少し軽くなった気持ちがまた重くなってしまうかもしれない。
でも……
「一つだけ聞きたいんだけど…」
「?」
「平助は…、芹沢さんが殺されたのも仕方ないと思う?」
「………」
空気が少しだけ緊張を持ったものに変わったのがわかる。
きっと平助は知ってる。芹沢さん達を殺した犯人が誰であるかを。そしてそれは長州ではなくやっぱり…
だとしたら平助も口では色々言ってたけど…
「…奪われていい命なんてあるもんか」
「え?」
「いや、なんでもねぇ。わりぃけどやっぱまた今度な!巡察間に合わなくなっちまう」
「う、うん。頑張ってね!」
「おう!じゃな!」
片手を小さくあげた平助は、そのまま小走りで廊下を駆けて行った。
『奪われていい命なんてあるもんか』
低くて小さな声だったけど、彼は確かにこう言った。しかも眉間にシワを寄せた難しい顔で。
もしかしたら平助も私と同じで思うところがあるのかもしれない。
「はぁ……」
ふと見上げた空は今にも泣き出しそうな灰色で。
なんだか私の心の色のようだよ…
なんて、柄にもなく物思いにふけってみたり。
でも…本当、平助のおかげで少し気持ちラクになった気がする。
ありがとう!平助にぃちゃん!!
…しかしあの真っ赤な顔の平助ってばかわいすぎだろ。
「…よし!久しぶりに化粧でもするか!」
こんな時は市中にでも繰り出そう!
そう思ってピシャリと頬を叩き、私は部屋へと踵を返したのであった。
廊下の角に男達の影があったことなど知らずに。
***
「…優しいですねぇ、平助」
「………」
「もしかして由香さん、今ので平助に惚れちゃったりして」
「……それならそれで構わねぇさ」
タタタ…と部屋に駆けて行く由香さんの後ろ姿を見ながら、歳三さんは小さくそう呟いた。
ちらりと表情を盗み見れば、その目はなんの感情もない冷ややかな眼をしている。
「…ふぅん?」
芹沢さんの一件以来、歳三さんと由香さんは距離を置くようになった。
勘が鋭い由香さんのことだ。あの一件の犯人が誰であるか気付いているのだろう。そしてきっとそれを受け入れられないのだと思う。仕方のないこと、なのかもしれないけれど。
そしてなにより歳三さんの眼が変わった。
変わった、というより昔に戻ったと言った方がいいのかもしれない。
江戸にいた頃の歳三さんは毎日のように喧嘩に明け暮れていた。
素手でのやり合いはもちろん、僕達試衛館の面々に直接は言わなかったが、真剣でやり合うことも少なくなかったと風の噂で聞いた。
僕達が知らなかっただけで、きっと命の取り合いをしたこともあったのだと思う。
そしてその眼は驚くほど冷たい眼をしていた。その冷たい眼の中に獣がそっと鋭い牙を研ぎながら潜めている…
そんな眼だった。
そんな歳三さんを村の皆は"バラガキ"と言って恐れ、嫌った。
"バラガキ"とは近付き触れれば棘が刺さるような手の付けられない暴れん坊のことを言う。
歳三さんはバラガキですら恐れるバラガキだった。
そしていつも一人で戦っていた。
が、そんな嫌われ者の歳三さんをすべてを笑い飛ばしてしまうような笑顔で試衛館に迎え入れた人がいた。
近藤さんだ。
近藤さんは臆することなく「トシは大層な喧嘩師だ」と笑っていたっけ。
歳三さんも近藤さんの前では、優しい目を見せた。
そしてそれはひょっこりと現れた由香さんの前でも…
女遊びは激しかった歳三さんだったが、どんな女の人にもあんな優しい目を見せることはなかったし、なにより素の"土方歳三"を引き出した女の人は僕が知る限り、由香さんが初めてだ。
やっと歳三さんにもお似合いな女の人ができた…
そう思っていたんだけれど…
「芹沢さんに言われたこと、気にしてるんですか?」
「あん?」
「すべてを捨ててもいい覚悟ができてないって」
「………」
「きっと…歳三さんのそのすべての中には由香さんも含まれているんでしょう?」
「………」
「…みすみすお捨てになるつもりですか?やっとできた大切な人を……」
「俺の誠の道に…志に女はいらねぇ。そう思っただけだ」
ふん、とすましている歳三さんの真意は読めない。
けれど、一度こうと決めたら天地がひっくり返ってもその意志を曲げることはないほどの頑固者だ。
僕が横から口を挟んだところで、二人の状況が変わることはないだろう。
「でもね、歳三さん」
でもこれだけは…
これだけは胸を張って言える。
「人間一人でいるより、守るべきものがあるほうが本当の強さを発揮できるってもんですよ」
「……言うじゃねぇか」
「クスッ…だってこの僕がそうですからね」
僕は近藤さんや歳三さんの志を守るために剣を振るう。だから強いんですよ。
そう言えば、歳三さんはわずかに口角をあげた。
「…行くぞ。まだでかい仕事が残ってるからな」
「はい」
僕の言葉が歳三さんに届いたのかはわからない。
けれど僕が今、二人のためにできるのはこれが精一杯だ。
どうか二人には幸せになってもらいたい。
けれど…
運命の歯車は時として残酷で。
歳三さんと由香さんの別れがすぐそばまで来ていたなんて。
この時の僕は知る由もなかった。




